7 これはきっと、ボクにとってのセレナードだ

7-1 Novelette~ノヴェレッテ~

 3年間通ったこの校舎に来る日数も、もう数えるほどしかない。


 窓の外では雪がはらはらと舞っていた。


 冬だ。


 窓の外にも、この廊下にも、自分以外の人間を見つけることはできない。


 まるで世界に自分しか居ないかのような、寂寥せきりょう感が胸中に広がる。


 寒い季節になるほど、そして別れの季節が近づいてくるほど…もの寂しくなる瞬間が増えてどうしようもない。しかし、こんな「寂しさ」や「孤独」で感傷的センチメンタルになるのは嫌いじゃない。


 雰囲気に浸っていると、頭の中をシューマンの〈トロイメライ〉のメロディが流れた。




 二月某日。大学入試センター試験を終え、来たる国公立大学二次試験まで残りわずか。


 三学年の授業は12月に終わっているが、先生に過去問の添削指導を受けるため、僕は冬休み中も高校に来ている。


 階段を降りると、コピー機の前にアキラがいた。アキラも僕の存在に気がつき、こちらを向く。


 会うのはセンター試験の翌日登校以来だ。そして、最後に話したのはもっと前だ。


 僕が声をかけようとすると、アキラの方が先に口を開いた。


 「寒いね」


 「さっきまで添削受けてたけど、職員室は暖かかったかな」


 「ラヴェルの〈ハイドンの名によるメヌエット〉が聴きたくならない? 」


 話の飛び方に一瞬だけ面食らったが、何も不自然なことじゃない。


 アキラもこの寂寥感に、美しいメロディを連想したのだ。僕とアキラが感性を一部共有しているようで、嬉しさが広がった。


 「聴きたいね」


 「やっぱり好きなんだね?」


 アキラは度々たびたび、主語や述語がすっぽりと抜けた質問をしてくる。さっきのように、話が飛躍することもある。


 言葉足らずとも言えるが、おそらくこれはアキラの頭の回転の速さに起因する。この性質が彼を国語嫌いたらしめているのだろう、と僕は推測した。


 「誰が、何を? 」


 「ショウくんが、ラヴェルを。そこまで有名な曲じゃないのに、曲名だけですぐ伝わったから」


 「好きだよ」


 「そうだったね」


 「ラヴェルも聴きたいし、僕はついさっき、窓の外を見て〈トロイメライ〉を思い浮かべた」


 「いいね」


 「アキラはこれから添削? 国語かな」


 「うん。苦手だから気が乗らない」


 「アキラが弱音吐いてる。珍しい」


 「弱音というかただの事実だよ。ボクが国語を得意としたことなんて一度もない」


 「確かに、アキラは理系科目のイメージが強いな」


 「まあ、理系だからね」


 「理系の受験生に国語を解かせるT大学が特殊」


 「……そういうショウくんも、特殊な大学の過去問を持ってるみたいだけど?」


 僕は、アキラに指摘された過去問をヒラヒラとさせて笑う。


 「僕は国語というか、英語がそんなに得意じゃないけど。どっちの科目もT大学ほど配点が高くないから、まだ気楽ではある」


 アキラの志望校は夏から変わっていない。僕の志望校は──


 「……東京と京都か。遠いね」


 「東京と北海道だった頃に較べれば、かなり距離は縮まったと僕は思うよ」


 あの夏の日。四年前の出来事を初めて話した相手がアキラでよかった。


 僕は過去に縋り付くのをやめて自分のために、自分がやりたい事を見つけようと決めた。そして化学は得意科目で、同時に好きな科目でもあった。だから僕は化学を勉強するために、K大学の理学部を受験することにした。


 「ショウくんが志望校を変えたこと、今の今まで知らなかったな」


 「決めたのはセンター試験の直前だったからね」


 「悩んだ?」


 「もちろん。四年間ずっと、獣医学部に行くために勉強してきたから」


 「……導き出した答えには、満足できそう?」

 

 「正直なところ、まだわからない。でも、後悔しない道を選んだつもり」


 「ボクはずっと応援してる。誰がなんと言おうと、たとえショウくん自身が否定しようとしても」


 「僕もアキラの進む道を最後まで見届ける」


 「ありがとう。じゃあ、そろそろ先生のところに行ってくる」


 行こうとするアキラの背中に、大きめの声で念を押す。


 「見届ける。だから……。三月にあるコンサートのこと、忘れてないから」


 アキラは俯き気味に軽く頷いて、行ってしまった。




 あの夏の日。四年前の出来事を話してアキラに再び光を当ててもらった直後、衝撃的な言葉を聞いたあの日。


 アキラの結論は、全国大会で優勝できたら僕に受賞者コンサートを見に来て欲しいというものだった。


 僕は声をあらげてしまったし、裏切られたような気持ちも残っていた。そのくせ、この関係が変わってしまうかもしれないと怖かった。そんな勝手な自分に嫌気がさした。


 しかし、その後も僕らは高校生活を共にした。アキラは何事もなかったかのように振る舞い、僕もそれに準じた。


 アキラとの間に亀裂が入りかけた出来事にあれだけショックを受けたというのに、僕はそんなことはほとんど忘れて日常をアキラと共に過ごした。その理由は簡単だ。僕がから。


 アキラが毎日コンクールの全国大会で優勝していたことについては、僕はアキラから直接聞くことはなく、インターネットの記事で知った。


 自らが残した素晴らしい成績については何も語らない、というアキラの謙虚さは相変わらずだが、LSP団効果か、今回の毎日コンクールのことは学年でも広く知れ渡っているようだ。


 受賞者コンサートは三月末に行われる。


 アキラが意図するところは今もわからない。わかっているのは、僕らはまず、目の前の大学受験を無事に突破しなければならないということだけだ。


 この奇妙な違和感を抱えたまま、卒業しなければならないのだろうか。実のところ、僕はコンサートで全てが明らかになることを予感していた。希望的観測かもしれないが。


 三月、卒業、別れの季節。


 その先のことは、考えないようにした。




シューマン/ 子供の情景より トロイメライ Op.15-7

https://youtu.be/gX2dMuU9UxM


ラヴェル/ ハイドンの名によるメヌエット

https://youtu.be/Y_adjIj_6m0

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