5-3 Toccata~トッカータ~

        1

 「学校祭一般公開1日目、お疲れ様でした。解散! 」


 ようやく一日目が終わった。疲労感がどっと押し寄せてくる。


 僕とアキラはディーラーのシフトが午前と午後に一時間ずつ入っていたので、あの後もディーラーとして接客をしていたのだが…。


 「ピアノ見ました! 感動しちゃいました」「連弾すごかったです! 」など、なぜか僕たちの演奏を聴いたというお客さんが多かった。


 何の気なしに外山にその事を言うと、「それはそうだよ。二人のことをかっこいいって言ってた人全員に、『あそこのディーラー2人が音楽室でピアノ弾きまーす』って宣伝しておいたんだもの。一応LSP団の団長だからね」 という返答だった。


 やけに観客が多かったのには、二つ目の理由があったのだ。一つ目はアキラの知名度、二つ目は外山の宣伝。


 一つ目にも二つ目にもアキラが関係しているのだから、ある意味では、理由は一つ(一人)だけだと言えるかもしれない。



 帰り支度をしていると、外山とショウが親しげに話しながら近づいてきた。


 「ショウ、言い忘れてたけど演奏すごく良かった! いま高峯くんと話していたんだけど、衣装のまま出てきた時はびっくりしちゃった」


 「着替える暇も化粧落とす暇もなかったんだよ…。僕のせいだけど」


 「逆に学祭っぽくて良かったんじゃない? 客席側は盛り上がってたし、拍手の量も倍増。二人が出てきた瞬間、特に女性たちが息を呑んでいて可笑しかったなあ。心の中で、『二人の衣装とメイクを担当したのは私です!』ってね。なんだか嬉しくなっちゃった」


 「あー、そうなんだ」


 「そんなにげんなりした顔にならなくても…。あ、そういえば、高峯くんは二日連続の演奏になるのか。明日はソロがあるんだよね、高峯くん? 」


 「うん。一番最後に」


 「アキラがLSP団のトリなのは納得。ああ、外山が決めたのか」


 「そうだよ。プログラムを組むのは私の仕事だから。高峯くんしかいないと思ったの」


 「外山とアキラの演奏順は、確か連続しているよね。見に行くよ」


 「ありがとう!」


 「ショウくん、観に来てくれるんだ。ミスできなくなったなあ」


 「ミスなんてしないくせに」と言うと、アキラは「ボクだって緊張するよ」と眉尻を下げた。


 出会ったばかりの頃に比べて、アキラも色々な表情をするようになったものだ。


        2

 学祭二日目もスケジュール通り順調に進み、ラストスパートと言わんばかりに学校全体が活気に溢れている。


 そんな中でも落ち着いた雰囲気を保っているここ、音楽室は異質だ。


 外山の演奏が終わった。〈ショパン ノクターン13番〉の込み上げるようなハーモニーを歌いきり、音楽室が拍手で包まれる。


 しかし、すでに多くの関心は次の演奏者に向いていた。


 アキラが演奏する曲は、どちらも毎日コンクールの全国大会で演奏予定のものらしい。なおさら注目されて然るべきだろう。


 ようやくアキラが登場する。地区本選の時のように張り詰めた様子ではない。どちらかというと、この空気を楽しんでいるようだ。


 曲目を紹介して、お辞儀をする。


 椅子を調節して、座る。


 全ての動作に無駄がなく、様になっているのがアキラらしい。

 

 一曲目は〈ショパン エチュードOp.10-1〉。〈滝〉や〈階段〉という愛称もある。


 この曲は外山が地区本選で演奏した〈黒鍵〉と同じく、ショパンによる極めて高難度な『12の練習曲』のうちの一つだ。


 その中でもこのOp.10-1は最高難易度を誇り、極めて高度な技巧と、高い音楽性が必要とされる。


 アキラはまさに滝のごとく流麗さと壮大さを併せ持って、音を奏でている。


 陥りがちな、指をコントールしきれず「弾き流す」「テンポが速くなりすぎる」ということもなく、テクニック的な余裕がうかがえる。


 そしてやはり、アキラの演奏には品がある。思い返すと、地区本選で演奏した凄まじく猛烈な〈スケルツォ1番〉にさえ、どこか気品が感じられたのだ。


 それは、どんなに難しい箇所の音も丁寧に鳴らせているからだろう、と僕はこの曲を聴いて改めて実感した。アキラの気品のあるエレガントな演奏は、確かなテクニックに裏付けられているということだ。


 ところで、この曲の難易度には手の大きさや指の長さが大きく関わるため、「手が大きくないと弾けない」と言われるまでである。


 アキラの手は僕よりも少し小さいくらいで、大きいとは言い難いが、このとてつもない難曲を“難曲と感じさせない”。やはり特筆すべきは指と手首の柔軟さだろう。


 高速で広範囲、しかもその構成音が目まぐるしく変化するアルペジオを二分間にわたって一切滞ることなく、また聴く限りでは一つのミスタッチも無しに弾ききった。


 一曲目が終わった時点で客席から、ほう、と感嘆の息が漏れる。


 まだだ。アキラのもたらす驚きがこれで終わるはずはない。


 二曲目は〈ラヴェル 『クープランの墓』より トッカータ〉。


 ラヴェルの曲は高雅にして精緻せいち。他の作曲家とは一風変わった、繊細で鋭敏えいびんな技術が求められる。


 聴く分にはそれほどテクニック的な派手さが感じられないために、その難易度が伝わりにくいこともある。しかしいざ弾こうとすると、専門家並の完成されたテクニックが無ければ全く歯が立たないのだ。


 この〈トッカータ〉は、ピアニストが演奏するような曲の中でも最難関だ。


 また、ラヴェル好きの僕が、とりわけ好きな作品でもある。


 難曲の演奏を終えて、今度はまた別の難曲を前にしているというのに、アキラは涼しげな表情を崩すことなく鍵盤を捉えた。


 すごい。


 演奏が始まって、そんな陳腐ちんぷな感想が思い浮かぶ。


 この曲は技術的にも困難である他、多彩な表現が盛り込まれている。そのため、譜面上では等速144が指定されているが、そのテンポで精度の高い演奏をするには相当なテクニックが必要だ。


 等速144以上の高速で、かつミスタッチが少なく完成度の高い演奏をする奏者は、プロのピアニストでもそう多くいない。


 アキラはというと、ほぼ等速144程度であろう安定したテンポで、最初から難所続きのこの曲を、一切のミスタッチをせずに多彩な音色で彩っていく。


 そして、素早い手の移動や掴みにくい和音などの箇所をものともせず、旋律を常に鮮明に引き立てる。

 

 洗練された優雅さや知性が感じられつつも、同音連打の多用による緊張感と高揚感を引き出す、ラヴェルらしい天才的な構成。それを存分に生かす演奏力。

 

 たしかに地区本選の演奏では、アキラの表現力と技術テクニックは遺憾無く発揮されていた。そして僕は心のどこかで、アキラの演奏の全てを知った気になっていた。


 しかし今日の演奏を聴いて、彼の技術が更に磐石ばんじゃくのものであることをわからされた。


 実に浅ましい。


 そういえば、アキラもラヴェルの曲が好きなんだろうか。


 …いや、たった二曲だ。偶然だろう。


 今は余計な思考を止めて、音に身を任せよう。


 好きな曲を好きなピアニストが弾いている。贅沢なこと、この上無い。

 


ラヴェル/ 「クープランの墓」よりトッカータ

https://youtu.be/X9i_hY3exos

ショパン/ エチュード ハ長調 Op.10-1

https://youtu.be/ROVy9PC8_8A

ショパン/ ノクターン 13番 Op.48-1

https://youtu.be/tSAwZP8e-zQ

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