5.5 無言歌
Romance sans paroles
四年前の夏の記憶
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ジュニア音楽コンクールには、幼児の部から高校生の部まで、六つの審査部門がある。
中学二年生の唐木田ショウは、当たり前だが中学生の部に出場する。
中学生の部は午後十四時から。
出番まで、まだ時間はある。
しかし、中途半端だ。
いつもならばエントランスで大人しく待っているのだが…。
その日は妙に気が落ち着かなかった。
こういう時は、外の空気を吸うのが一番だ。
すぐに戻れば大丈夫。
ショウは意を決して、建物を出た。
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コンサートホールから歩いて数分のところにある公園。
大きな噴水がある。
人工的に噴出する水の流れ。
清涼感と水音が心地よい。
ショウはベンチに座り、ぼんやりとその流れを見つめる。
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中学二年生になり、進路について考える機会が増えてきた。
家から近い高校を選ぶか、県の進学校を目指すか。
ショウは、自転車で通える高校に行くつもりだった。
将来やりたいことも特にない。
今はピアノと部活のテニスで、それなりに充実した日々を過ごしている。
わざわざ遠い高校を選ぶよりも近くの高校へ行った方が、ピアノや部活にさける時間は増えるだろう。
しかし担任に強く勧められたのは、県の進学校だった。
将来が決まっていないのなら、なおのこと選択肢が増える道を選ぶべきだという。
選択肢?
選択をするというのは、回りくどい言い方をすれば、選ばない方を決めるということだ。
人間はいつだって選択をしている。
選ばなかった方の可能性を考えていてはキリがない。
どちらを選んでも、何かしらの可能性が消える。
選択肢、可能性。
そんなものを議論して何になるというのか。
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にゃあ。
足下から鳴き声がして、反射的に下を向く。
首輪を着けた猫が一匹、こちらを見ていた。
ショウは動物嫌いというわけではない。
しかし動物と触れ合う機会があまりなかった為に、扱い方がわからない。
そのことがショウと動物との距離を遠ざけていた。
猫と目が合う。
ショウは視線を逸らすこともできず、猫とじっと見つめ合った。
そういえば、猫を見下ろすのは良くないと聞いたことがある。
自分よりサイズの大きい人間に見下ろされると、攻撃的と感じるのだったか。
その時、胸ポケットの携帯電話が振動した。
メールが届いたのだろう。
猫に気を取られたまま取り出そうとして、手が滑り、携帯電話が地面に落ちる。
猫はビクッと身体を震わせ、ショウの元から遠ざかって行った。
安堵すると同時に、驚かせてしまった猫に申し訳ない気持ちになる。
携帯電話を拾って視線を大通りへやると、猫が車道を渡ろうとしているのが見えた。
明らかに法定速度を超えたスピードのワゴン車。
あぶない!
迫り来る車に、猫は身動きが取れない。
ショウもベンチから身動きが取れない。
お願い。
逃げて。
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ステージ袖でも、頭から離れない。
あの後すぐに、ちょうど公園に来た子供連れの大人が、恐らく動物病院に電話をかけていた。
助かったかどうかは、わからない。
ショウはただ呆然として見ているだけだった。
初めての衝撃に頭が混乱する。
あのタイミングで携帯電話を落とさなければ。
猫と目が合ったあと、すぐに視線を逸らしていれば。
――自分のせいだという感情が、脳を埋め尽くす。
ダメだ、今は目の前の本番に集中しなければならない。
この本番はショウだけのものではない。
ピアノの先生や親、環境の支えがあって、自分はここに立っている。
その責任を一身に背負って、全てに報いなければならない。
五番の人、と呼ぶ声が聞こえる。
五番……。自分だ。
切り替えよう、と立ち上がった。
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〈ショパン エチュード Op.25-2〉。
ショパンのエチュードの中では最も易しい部類に入る。
しかしあくまで難曲ぞろいのショパンのエチュードの中では、という意味だ。
そのスピード感と
狭い音域を高速で駆け巡る。
美しくも、塞ぎ込むような陰鬱さ。
絶え間ない音の粒の連続。
――フッ――――
一瞬、なんの前兆もなく光景がフラッシュバックする。
音が途絶える。
指が止まっていることを理解する。
頭が真っ白になる。
一体何が。
気がつくと、指は運動を再開していた。
その間、コンマ数秒。
熱に浮かされたかのように、頭がぼうっとする。
照明が眩しい。
もう、その後の演奏の記憶は定かではない。
ショパン/ エチュード Op.25-2
https://youtu.be/-o2lYktVy3I
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