4-2 Fantaisie~ファンタジア~

        1

 「いよいよ明日からは学校祭。とりあえず今日までお疲れ様でした。残りの作業は明日の朝やりましょう。よしっ、解散」


 「「おつかれー」」


 外山の号令で、集まっていたクラスメイトが散り散りになる。


 学校祭の一般公開はついに明日に迫っていた。


 教室は妖しさときらびやかさをテーマに華々しく装飾されている。BGMは有名なジャズナンバー、〈アイ・ガット・リズム〉だ。


 学校祭を中心として回っていた生活がもう少しで終わると思うと、奇妙な気持ちになる。


 しかし今考えるべきことは、終わった後のことではない。


 僕がLSP団のステージに立つのは一般公開の一日目、つまり明日だ。


 パートナーのアキラとの関係は良好。練習でも安定した演奏をしている。


 だが、僕にはアキラにまだ話していないことがある。


 ふとアキラの姿を見つけると、向こうもこちらに気がついて目が合った。

 

 出会ったばかりの頃のように笑顔を作る必要は、もう無かった。


        2

 今日はアキラと練習する最後の日。


 音楽準備室で細かい箇所を調整し、練習を終えた。


 「ショウくん」


 鞄に楽譜を仕舞っていると、アキラがかしこまった様子でこちらを見ていた。


 手を止めて、アキラに向き合う。


 「礼とか謝罪なら、終わったあとにしよう。お互いに」


 自分のぶっきらぼうな口調に驚いて、僕は反射的に謝罪の言葉を口走る。


 「あ、ごめ…」


 アキラは一瞬だけ驚いたような表情を浮かべて、真剣な眼差しを僕に向ける。


 「何か、不安がある?」


 不満ではなく不安という言葉を使うあたり、もう全てバレているのではないかとさえ思えてくる。


 「不安なんて、何も無いよ。少しぼーっとしていたから、無意識の言葉だった。ごめん」


 僕はゆっくりと言葉を選び、はっきりと発音した。


 でも、アキラはそれでゆるしてはくれない。


 「無意識で出た言葉なら、間違いなくそれは本心だよ。ボクはショウくんとピアノを弾くのが楽しかった。だから、明日も…。何かあるなら、できれば話して欲しい。知ることを最後までやめたくない」


 ああ、見透かされている。


 僕は不安を隠しながらも、本心ではできることなら話したい、話してしまいたいと思っていた。

 

 「それに、謝罪は終わったあと、なんだよね?」


 アキラは悪戯っぽく笑った。やっぱりアキラには敵わない。


 僕は軽く息を吐いて、ピアノ椅子に腰掛けた。


 「簡潔に言うとトラウマ、なのかな」


 僕がポツポツと話し始めると、アキラも無言で椅子に座った。


 「僕は四歳のときから十年間、ピアノ教室に通っていた。僕は言わなかったと思うけど、僕がそれなりに長くピアノをやっていたことを、アキラは知っていたんだよね」


 「うん」


 「その理由は、今は聞かないでおく」


 「……わかった」


 「僕はほぼ毎年のようにコンクールに参加した。外山と知り合ったのも本当は中学よりも前。コンクールの地区予選会場でだったんだよ」


 中学に上がってからも、度々同じコンクールに出場した。僕だけが全国大会進出が決まった時、外山は平気そうな顔をしていたけれど、後からの話によると、相当悔しかったらしい。


 「そして、ピアノを始めて十年目。中学二年生のときに参加したコンクールの本選当日、色々あって……」


 記憶が脳裏をかすめても、僕は冷静だ。四年も経っているのだから、時間が解決してくれたと言ってもいい。


 しかし、ある部分ではその記憶に今も、もしかしたらこの先ずっと、縛られているのを自覚していた。



 「?」


 「色々、の内容はごめん。言いたくない」


 僕が正直な気持ちを言うと、アキラは無言で頷いて先を促した。


 「とにかく結果として、僕はその日めちゃくちゃな演奏をした」


 アキラは相槌を打つことも無く、黙って聞いている。


 「もちろん賞は何も貰えなかった。でも周りは誰も、言葉では僕を責めなかった」


 他の出場者やその親も『一生懸命練習したのに、残念だったね』とか、『緊張しちゃったんだね』とか、優しい言葉を沢山かけてくれた。


 だが、その目の奥に見え隠れする喜悦きえつの色は『ざまあみろ』と言っていた。


 「その後はコンクールに限らず、ステージに立てば無条件に頭が真っ白になるようになった。初めの一回は赦してくれた周囲の目も、段々と冷ややかになっていった。ステージに立つのが怖くなって、大好きだったピアノからも逃げ出したくなった。そして、ピアノをやめた」


 本当に怖かったのは、周囲の目じゃない。


 ピアノが思うように弾けなくなればなるほど、自分がますます空っぽになっていく気がして、怖かったんだ。何もかもが中途半端になっていく自分が、許せなかった。


 もう全て忘れてしまいたかった。


 最後のコンクールのことも、それまでに貰った賞のことも、十年間をともにしたピアノとの生活も、全て。


 「ピアノを無理に避けた時期もあったけど、やっぱり音楽が好きなのは変わらなかった。妙な劣等感のせいでピアノの話題を避けたりもしたけど、密かにピアニストのCDを集めたりするようになった」


 そんな時に、アキラは現れた。


 周りが気になるか、とアキラに問われたあの日、否が応でも思い出してしまった。


 そして、アキラの演奏を聞いたあの日、もう一度向き合おうと、思ってしまった。


 忌々しい記憶。


 「僕は、ステージでのあがり症を克服しないままピアノから離れた。だから明日の本番でも、アキラとの練習を無駄にしてしまう、って不安になった。長くなったけど、これが全てだよ」


 「ごめん、ショウくん。ごめん」


 それまで黙っていたアキラが言葉を発した。俯いていて、顔はよく見えない。


 どうしてアキラが謝るんだろう。


 僕はわけがわからず、ただ彼の手を見つめる。


 「ボクはショウくんに『こうやって演奏して欲しい』とか、逆に『好きなように演奏して欲しい』とか、言わない」


 「それは、僕に期待できなくなったってこと?」


 違うとわかっていつつも、問いかけずにはいられなかった。


 我ながら意地の悪い。


 「もちろん違う」


 予想通り、否定が返ってくる。


 さあ、どう出るか。


 「ショウくんが失敗しようが、周りがとやかく言ってこようが、ボクには関係ない」


 「ちょっと酷くない?」


 「ボクは。ショウくんが隣でピアノを弾いてくれたら、なんでもいい。それだけで、いいんだ」


 恥ずかしげもなく口にされる言葉を聞いて、呆気に取られる。


 「周りは関係ない。結果もいらない。余計なことは考えなくていい。何かに気を取られてしまうのなら、ボクのことだけ考えて」


 「アキラのことだけ? 僕が酷い演奏をしても、アキラはいいの?」


 「構わない。ボクも、ショウくんのことだけ」


 「はは…。人たらしって言われても否定してあげないから」



ガーシュイン/「アイ・ガット・リズム」変奏曲 

https://youtu.be/LOOTE0wXErQ



 

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