4 アディクション

4-1 Ballade~バラード~

        1

 朝の音楽準備室は無人だった。


 僕たちは、ここのアップライトピアノを使って練習している。


 アキラが来るまでに、楽譜の準備をしておく。


 僕たちが弾くのは、プーランクの〈連弾ソナタ〉の第一楽章と、ラヴェルの『マ・メール・ロワ』より第四曲〈美女と野獣の対話〉、第五曲〈妖精の園〉。


 『マ・メール・ロワ』は、マザー・グース(英米を中心に親しまれている伝承童謡の総称)が題材になっている。


 たとえば、第四曲は題名からもわかるように『美女と野獣』から。


 子供好きだったラヴェルは、友人の二人の子のために、『マ・メール・ロワ』を作曲した。そのため、ラヴェルの作品の中ではかなり技巧的に易しい。


 『マ・メール・ロワ』は外山いわく、「ほわほわーっとしている」。確かに、随所に暖かみや愛しさのようなものを感じる。


 としてはいても、決して曖昧ではない。そこがラヴェルの個性だと僕は思う。


 演奏順は〈連弾ソナタ〉、〈マ・メール・ロワ〉。


 ピアノ教師なども来るとはいえ、前提としてステージは学校祭。


 音楽室に来てくれた人たち全員に楽しんでもらうためには、ピアノにそこまでの関心が無い生徒や保護者の心も掴まなければらない。


 〈連弾ソナタ〉でインパクトを与えて、〈美女と野獣の対話〉ではガラリと変わって暖かみと優しさを表現、〈妖精の園〉で幸福感いっぱいに終了、という寸法だ。


 ガラガラとドアが開く。


 「お待たせ」


 アキラが来た。


 「楽譜は準備しておいた。今日は何からやる?」


 「まず一度、通して弾こうか」


 僕は全体を通してプリモを担当することになっているので、高音側の椅子に腰掛ける。


 合わせの練習を始めてからおよそ十日。

 

 僕の個人練習の必要性はあれど、二人の息はだいぶ合っているように思う。


 練習中のアキラは、とても生き生きとしている。


 パートナーの僕とは実力差があるにも関わらず、楽しくて仕方がないという表情を隠そうともしない。


 上からではなく、同じステージに立って的確なアドバイスをくれる。


 僕が今できる最高のパフォーマンスを引き出そうとしてくれる。


 アキラとピアノを弾く日々は、まるで違う自分を発見するかのようで新鮮だった。


 だから僕も、ピアノの楽しさ、ピアノにかける熱意を思い出すことができた。


 そして日常生活でも、一緒にいながらもどこかよそよそしかった二人の距離が縮まった。


 以前なら躊躇っていた「友人」という言葉にも、いつの間にか抵抗が無くなっていた。


 僕たちは二人組デュオだった。


        2

 「外山。購買で画用紙買ってきた」


 「ありがとう。領収書、そこの机に置いといて」


 「了解」


 七月の頭にあった定期テストを終え、学校祭まで二週間を切った。三組三組はカジノ出店に向けた準備を、本格的に進めている。


 外山に指示されたとおりに、領収書を置く。


 その時、机にあった一枚のメモが目に入った。


 「ん? どうしたのショウ。固まっちゃって」


 「こ、これ…化粧?」


 そのメモ(外山が書いたと思われる)には、ディーラーの当日準備の流れが記されている。


 着替え、ヘアセット、そこまではいい。


 『化粧←男性用も用意しておく』。


 ディーラーは女子が四人、男子が二人。男性用というのは、まあ間違いなく僕とアキラ用ということだろう。


 「ああ、言うの忘れてた。カジノって、言っちゃえば非日常な世界じゃない」


 「言いたいことはわかる」


 「私たちのテーマは『異空間』。だから、大道具も小道具も妖しさとか、きらびやかさとか、演出できるように準備しているでしょ。そうなると、人にも、仕込みが必要じゃない? 来てくれた人が、異空間に没入できるようにするには」


 なるほど、筋は通っている。外山は責任感も強いし、一度やると言ったらとことんこだわるタイプだ。責任者として、いい出し物を作ろうと本気で考えているのだろう。


 化粧か。似合わないかもしれない。少し抵抗感が…。そういう不安が顔に出ていたのだろうか、外山は慌てたように手のひらを顔の前でぶんぶんと振った。


 「いやいや、全然濃い感じのメイクじゃないよ! というか、拒否っていいよ! 女子のみんなは乗り気だったから調子に乗っちゃった、ごめん」


 「え、この話、もう皆にしてたの? アキラにも?」


 「うん。高峯くんはやってくれるって」


 「…それなら僕もやるよ。僕だけがしてなかったらなんか不自然だし。でも知識とか全然無いし、外山に任せるからね」


 「うぅ、優しい。ショウありがとう」


 「そういえば、LSP団のプログラムってまだ出てないんだっけ。被らないようにシフト空けないとね」


 「うん。出たらすぐ知らせる。それにしても、ショウがLSP団に出てくれるなんてね。しかも、高峯くんと連弾かあ」


 「本当に。毎日コンクール全国大会出場者・高峯アキラの偵察目的で来る人もいるだろうし、その連弾の相手が僕だなんて、事情を知らない人達からしたら──いや、僕本人からしてもやっぱり不思議だ」

 

 アキラはあの演奏で地区本選を見事一位で通過し、全国大会への切符を掴んだ。外山は全国大会には一歩届かなかったが、本選優秀賞を受賞した。


 「それは……羨ましいような、羨ましくないような」


 外山は苦笑して続けた。


 「でも、ショウがやるなら見苦しいものにはならないでしょう? 楽しみにしてる」


 「はは、そうなればいいけど。善処するよ」

 

 どうしてなのか、外山はまるでずっと考えていた問題が解けた時のように、嬉しそうに微笑んだ。



ラヴェル/マ・メール・ロワ より パゴダの女王レドロネット 、美女と野獣の対話、妖精の園

https://youtu.be/tVRM7hp2J8c


(以下のリンクをブラウザにコピーアンドペーストすると、第四曲〈美女と野獣の対話〉から再生されます。)

https://youtu.be/tVRM7hp2J8c?t=202

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