2-2 Rhapsodie~ラプソディ~
1
僕は焦っていた。
過去を責めることは無意味だ。
現在からの逃避に過ぎない。
それでも僕は悔恨の念に駆られる。
走れ。走れ。走れ。
どうして僕は…僕は。
目覚ましのアラームをセットしないまま寝落ちしてしまったのだろう。
僕は一年生、二年生と今まで無遅刻無欠席を貫いてきた。だから、自分が遅刻することに対してはとてつもない抵抗感がある。
学校に到着して玄関の扉を開き、これまでにないくらい急いで上靴を履いたので、
なんとか四階まで階段を上りきって、三年三組の教室に滑り込んだ。入ってすぐに僕の席があるのは幸いだ。
着席して、十秒も経たないうちにチャイムが鳴った。
…間に合った。
「ショウくん、おはよう」
その声を聞いた瞬間、昨日の下校途中に起こった出来事が蘇る。
僕とアキラが学校祭で連弾をするという、突飛な提案。
今朝は目覚めた時点で、通常なら朝食を食べ終える時刻をとっくに過ぎていた。
僕は普段、五時に起きて一時間半くらい勉強をしてから朝食を済ませ、身支度をする。
今朝は身支度以外をショートカットして、昨日のことを思い出す余裕も無かった。
「ショウくん?」
首を軽く傾げて僕の様子を伺っている目の前の彼を、すぐにでも問い詰めたい衝動に駆られる。
だが、もうすぐ中溝が来てSHR(ショートホームルーム)が始まる。昼休みなら時間はたっぷりある。
そう思って、僕はその場しのぎの笑顔で挨拶を返す。
「おはよう」
2
昼休みになり、アキラは早速弁当を広げた。僕も弁当を取り出して、アキラに昨日の続きを切り出そうとする。
「アキラ、昨日のことだけど……」
「ショウくん。昨日のメッセージ見てくれた?」
アキラは僕の言葉を自然に遮った。
昨日のように、会話の主導権を握られるのは避けたい。
「一曲目だけ聴いて、寝落ちした。それより、僕と連弾するってどういうこと? 前提として、僕がLSP団に出る予定は無いよ。まさか、もうLSP団の人に僕も出るって伝えたりしてないよね」
「まだだよ」
「それなら、別の人に頼んだらどう? 僕がピアノをやめてからもう四年目になるんだ」
「何十年ブランクがあっても、音楽の道は閉ざされない」
「論点のすり替えだ」
「四年間、一度も鍵盤を触らなかった訳ではないよね」
「学校祭まであと一ヶ月ちょっとしかない。この短期間で、LSP団のレベルに追いつけるとは思えない」
「追いつく必要、あるのかな。そんなに周りが気になる?」
アキラは責める様子でも、挑発する様子でもなく、ただ静かに問うて来る。
僕は言葉を失った。自分の一番痛いところを突かれたと思った。
「どうして。どうしてそこまで僕に拘るんだよ。そんなに連弾がしたいなら、僕じゃなくたっていい。アキラは知らないかもしれないけど、この高校にピアノが弾ける人は山程いる」
「ボクはショウくんとやりたいんだよ。それ以外に興味はない」
意味がわからない。学校案内をしたのが僕だから?
皆から高嶺の花のように扱われて、呑気にアキラのそばに居るような奴が僕だけだから?
僕だけが気の置けない友人だから? それは流石に自惚れか。たとえそうだとしても、ここまで僕との連弾に執着する理由にはならない。
少なくとも、僕の感覚では。
「場所を変えようよ」
「え、ちょっと」
アキラは僕の返事を待たずにさっさと教室を出てしまった。
ああ、もう!
僕はアキラを追いかけた。
僕の制止を無視して歩くアキラを追っていると、二階視聴覚室に辿り着いた。人が集まっている。一年生から三年生まで、ざっと数えて二十人。前には外山がいる。
「アキラ、まさか」
アキラは黙っている。
「では、時間になったので毎年恒例のLSP団の顔合わせを始めます。今年の団長を務める外山です。LSP団に入っている人も考え中の人も、集まってくれてありがとうございます」
やっぱり。
昼休みの途中からLSP団の集まりがあることは、きっと朝の放送で知らされていたはずだ。ギリギリに登校したせいで、聞き逃してしまった。知っていたら、アキラが教室から出た時点で気がつけたかもしれない。
寝坊なんて絶対にするもんじゃない。
外山が話している途中で退出するわけにもいかないので、仕方なくその場に留まることにした。アキラはそうなることを予想して、意図的に時間ギリギリに来たのだろうか。はめられた。
外山は、演奏時間や当日までの流れについて簡単に説明した。プログラムを作らなければならないから、曲目と演奏時間は当日の一週間前までに伝えて欲しく、クラスのシフトがある人はそれと被らないようにプログラムを組むということだ。
「これで終わります。気になることがあったら、遠慮なく連絡してください」
顔合わせが終わり、退出する人もいれば、まばらに集まって談笑する人たちもいる。外山は他学年の数人と話していて、こちらには気がついていないようだ。
僕が教室を出ると、アキラもついてきた。
「アキラ。僕は怒っている」
「怒らせている自覚はあるよ。すごく意味不明な主張をしているよね、ボク」
アキラは大真面目な顔で言った。
こんな強引な手を使っておきながら自分の行動を客観的に語るアキラに、なぜか笑えてくる。
「はは…まぁ、そんなには怒ってない」
「出てくれる気に、なった?」
いつも涼しげで余裕のあるアキラが必死さを隠せずに、おずおずと僕の顔色を伺っている。
アキラがこんな滅茶苦茶なことをするだなんて、この高校の誰が想像できるだろうか。
いつでも微笑の裏側を見せなかったアキラ。
こんなに滅茶苦茶で、必死で、なにかに怯える表情をひた隠しにしようとしている彼を、今、僕以外に誰が知っているだろうか。
僕はなんだか可笑しくなってきた。
「今すぐには決められない。一回冷静にならせて」
僕がそう言うと、アキラはぱっと顔を明るくした。
「じゃあ、とりあえず昨日ボクが送った曲を聴いてみない? プーランクの〈連弾ソナタ〉は聴いたんだよね。じゃあ、残ってるのは〈仮面舞踏会〉と〈マ・メール・ロワ〉。はい、これ」
普段は落ちついた口調のアキラから、矢継ぎ早に言葉を浴びせられて面食らう。勢いに負けて、差し出された左耳用のイヤホンもつい受け取ってしまった。
「はぁ。わかったよ」
教室に戻った僕らは、アキラの机に二人の椅子を寄せて、〈仮面舞踏会〉の有名なフレーズに聴き入った。
ハチャトゥリアン/仮面舞踏会より「ワルツ」(連弾編)
https://youtu.be/X12HaeyJxEE
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