1-3 Rigaudon~リゴドン~

        1

 手を膝の上に置くと、外山は再び静かに息を吐き出した。ペダルの具合を確認し、もう一度手を鍵盤の上に置く。


 〈ラヴェル『クープランの墓』よりリゴドン〉


 前半は快活で楽しげな主部から始まり、手を交差させる技法も見られる。

 

 歯切れのいいスタッカートで弾き続け、かつ和音をしっかりと取るには相応の技術が必要だ。ミスタッチがあるプロの録音も珍しくない。


 また演奏者によってテンポが大きく変化し、速い演奏をする奏者と遅い演奏をする奏者の間では一分程度の開きが出ることもあるらしい。僕がウォークマンに入れているモニク・アースの録音時間は二分半ほどだが、外山はそれよりも少しテンポを落としている。


 中間部になり、一転して憂いを帯びてゆったりとした曲調になる。外山は軽やかさを残したまま憂鬱な雰囲気を音に乗せる。


 そして、冒頭と同様に明るいフレーズで後半に入る。前半よりさらに軽快さを出し、失速することなく最後のアルペジオへ辿り着いた。


 コンクールでは拍手が起こらないこともあるが、僕は拍手をした。


 「やっぱり外山は上手いね」


 「でも、ラヴェルのミスタッチがなかなか無くならないなぁ」


 「でも気持ちのいい演奏だった。自信持って」


 「うん。聴いてくれてありがとう」


 「予選いつ?」


 「日曜日。明後日だね」


 「残念、模試があるな…見に行けないけど応援してる」


 残念と言いつつも僕は内心どこかで安堵していた。外山のことは応援しているが、コンクール会場の雰囲気はどうも苦手だ。


        2

 週明け、登校中にイヤホンをつけて歩いていると後ろから肩を叩かれた。イヤホンを外して振り返ると、外山がいた。


 「おはよう」


 「おはよう! 予選通ったよ! 」


 外山は跳ねるように僕の横に並んだ。


 「おめでとう。外山なら大丈夫だと思ってた。地区本選は違う曲を弾くんだっけ」


 「うん。二曲とも譜読みは終わってるけど、あと一ヶ月ちょっとしかないんだ」


 「一曲目は〈テンペスト〉?」


 「え、なんで知ってるの?」


 僕はアキラに学校案内をしている時に聴こえてきたと説明した。すると外山は俄に恥ずかしそうな表情になる。


 「あの時かぁ。高峯くんにあの演奏聴かれてたのは恥ずかしいな」


 その後は二人で他愛も無い話をしながら歩いていると、教室の前に着いた。扉を開けるとアキラはもう席に着いていた。


 「高峯くん、おはよう」


 「おはよう、外山さん。ショウくんも」


 「おはよう」


 外山は緊張した様子ですぐに自分の席に行こうとしたが、アキラがそれを止めた。


 「外山さん、毎日コンクール出るの?」


 その場から去ろうとしている人間にアキラがわざわざ話しかけるなんて、普段からは少し想像ができない。


 「え…? 昨日予選が終わって、地区本選に進むことが決まったところだけど…」


 案の定外山は一瞬驚いた顔をして、おずおずと答えた。


 「そうなんだ。予選通過おめでとう。急に話しかけてごめん」


 「ううん! 平気! 」


 外山は首をぶんぶんと振りながら平気では無さそうな返事をした。


 「高峯くんも毎日コンクール出るんだよね? ピアノの先生から聞いたの」


 「ああ、ボクも外山さんが出るってピアノの先生から聞いたんだ。ボクも出るよ」


 「私はf級だけど…高峯くんはg級?」


 「うん」


 「わあ、やっぱりすごいね。地区本選、もしかして同じ日かな?」


 「確か同じだったと思う」


 「じゃあ高峯くんの演奏聴けるんだ。楽しみだなあ」


 「お互い頑張ろう」


 外山はアキラと話して嬉しそうに席に着いた。


 僕はアキラの演奏を聴いたことがない。地区本選は聴きに行こうか…と考えているところに、アキラが今度は僕に話しかけてきた。


 「ショウくんは?」


 「え?」


 述部がすっぽりと抜けた問いかけの意味がわからず、僕は戸惑った。


 「コンクール。ショウくんは出ないの?」


 その言葉に一瞬ドキッとしたが、平常心で答える。


 「出ないよ。これでも受験生だからね。しばらくピアノに触ってないし」


 「忙しいもんね。でも、音楽は好きなんでしょう?」


 「え?」


 「ボクが転校してきた日の昼休み。ショウくんはラヴェ注1の本を読もうとしてた」



 見られていたのか。


 「まあ…聴くのは好きだよ」


 「弾くのは?」


 「弾くのは…どうだろう」


 僕がそう言うと、アキラはそれ以上追求してこなかった。少し寂しそうな表情が浮かんでいた気がしたが、気のせいだろうか。


 そして、僕はだいぶ後になってから不思議に思った。なぜあの場で気がつかなかったんだろう。あの時僕は少しも平常心じゃなかった。


 どうしてアキラは、僕がピアノをやっている前提で話していたんだろう?




ラヴェル/クープランの墓 4.リゴドン

https://youtu.be/jLSY0BafR6E


参考:https://ja.m.wikipedia.org/wiki/クープランの墓

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(注1)ラヴェル(1875〜1934)

フランスの作曲家。『ボレロ』『水の戯れ』『亡き王女のためのパヴァーヌ』などの作曲で知られる。

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