1 ざわつく春夜
1-1 Étude~エチュード~
1
学年が上がり教室が変わると、最初の席順は出席番号で決められる。僕の席は廊下側の最後列だった。
この高校で男女が分けられるのは基本的にトイレと体育の授業くらいで、名簿も男女を区別しない。そのため出席番号順に席を並べると男子ばかり、女子ばかりが固まる場合もある。
僕の席も例外ではなく隣り、前、斜め前、全員が男子。そしてアキラは僕の隣りの席だった。
自己紹介を終えて席に着いたアキラをそっと盗み見る。175cmの僕より少し低いだろうか。
近くで見てみると、イケメンとかハンサムとかよりは美形という言葉がしっくりくる。
彼は真剣な表情で中溝の話を聞いていた。
2
昼休みになり周囲がめいめいに弁当を広げる中、僕が取りだしたのは弁当ではなく本だった。
四時間目の物理が始まる前にカロリーメイトを食べたので、空腹は感じていなかった。僕はその時の気分で昼休みの過ごし方を決める。今は本を読みたい気分だった。
だが僕が本を開くよりも中溝が声をかけてくる方が早かった。
「
「ええ、まあ」
「じゃあもし用事がなかったら、高峯くんに学校を案内してもらえませんか。僕は職員会議が入ってしまいまして…」
「別にいいですよ」
「ありがとう。助かるよ」
「でも中溝先生、どうして僕なんですか?」
確かにアキラの右隣の席は僕だが、左隣の席の
「なんとなくだよ」
中溝のような論理的な男から出た言葉に一瞬面食らうが、朝のホームルームで僕がアキラに微笑みかけられていたのを見たからだろう、と無理に納得する。
そして中溝が教室を出ていくと丁度そこにアキラがやってきた。
「高峯くん、もうお昼ご飯食べる? もしよかったら学校の中を案内するよ。中溝先生に頼まれたんだ」
「ありがとう。じゃあお願いしていいかな。お弁当はあとで食べるよ」
僕は体育館、コンピューター室、化学教室というように、三年三組の教室以外に授業でよく使う場所を案内した。
「あとは…忘れてた。高峯くん、選択授業は何かとってる?」
「うん。音楽を」
「じゃあ最後に音楽室に行こう」
音楽室に近づくにつれてピアノの音が聞こえてきた。
〈ベートーヴェン ソナタ第十七番〉。〈テンペスト〉の通称で知られる。第三楽章は音が切れ間なく動きまわるのが特徴で、最後まで緊迫感を維持して演奏しなければならない。
静かに扉を開けると、演奏が止まった。
グランドピアノの譜面板から、一人の女生徒が顔を出す。
「あ、高峯くんとショウだ」
「外山。練習中だった?ごめん、高峯くんに学校の中案内してたんだ。すぐ出ていくから」
「いいよいいよ。気にしないで」
「ねえ、高峯くんって中学一年生の時にジュニア音楽コンクールの中学生の部で全国優勝してたよね? 名簿見た時すぐにピンときちゃった」
「うん。昔の話だけどね。外山さんも出てたの?」
「まあね。県大会で銀賞だったから全国には進めなかったけど…。高峯くんの演奏動画見て、すごく感動したの。同い歳でこんなに弾ける人がいるんだって」
アキラはピアノが弾けるのか。それも相当な腕前らしい。ほんの少しだけ劣等感が刺激される。
肝心のアキラはというと、笑顔を貼り付けてはいるが僅かに表情が強ばっている。興奮して気がつかない外山は構わず話し続ける。
「私、近くで高峯くんの演奏聴いてみたいなぁ。昼休み終わるまでまだ時間あるし、少し弾いていかない?」
「うーん。最近あまり練習してないからなぁ」
「え? 高峯くん、二月末にあった全日本クラシックコンクールでも三位だったじゃない」
「まあまあ。高峯くんはまだお昼食べてないんだ。そろそろ戻った方がいいよ。ね、高峯くん」
僕がそう言うとアキラは破顔して「そうだね」と言った。
対照的に外山は、さっきまでの勢いはどこへ行ったのやら途端に申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「そうだったんだ。高峯くん、引き留めちゃってごめんね」
「大丈夫だよ。外山さん、練習頑張ってね」
「ありがとう!」
外山は本当に嬉しそうだった。
音楽室を出て教室に向かっている途中、外山はアキラのことが好きなのだろうかと考えた。そしてすぐにその考えを打ち消した。
外山はアキラに憧れている。それは間違いないが、ほんの数分の会話で恋愛感情の有無を見極められるほど鋭くはない。
「唐木田くん。何か考え事?」
気がつくと、僕はアキラの存在を忘れてズンズンと歩いていた。
「あ、ごめん。すごく速く歩いてた」
「それは気にしないけど…。ねえ、アキラ、でいいよ」
「え?」
「だから、名前。名字じゃなくて」
「あぁ。じゃあ…アキラ」
アキラは満足気に笑った。
「僕のこともショウでいいよ」
「ショウくん」
「うん」
教室に着いた。大半の生徒が昼食を食べ終えて、雑談に興じたり教科書を開いて問題を出し合ったりと、各々自由に過ごしている。
「ショウくん、案内してくれてありがとう。これからもよろしく」
アキラはすっと手を差し出した。同級生と握手をするのは初めてだったが、あまりに自然な動作だったので考えるより先にアキラの手を取った。
「よろしく」
嬉しそうに目を細めた穏やかな彼が嵐のような行動をとるとは、未来の僕が来るなどしない限り、予測できなかっただろう。
ベートーヴェン/ピアノソナタ第十七番テンペストOp.31-2
(このリンクから動画に飛ぶと、第三楽章から再生されます)
https://youtu.be/PeHA6cnAoRs?t=980
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