Chapter 19 青春の輝き-Youth shine-

紫叢紫璃。彼女もまた、僕の終局に大きく関わった忘れられない名前だ。


紫叢さんは、大学の避難施設で、足の悪い祖母と生活している


僕が彼女を知ったのはmutterだった。海里くんに参考書をあげた少しあと、ほんのわずかだったけど、僕は彼女とやり取りをした。


彼女の返答は丁寧だったが、どこか僕を遠ざけるようなものを感じた。


その時の僕は、まだ気づいてはいなかった。


彼女が抱えた、あまりに大きすぎるものを―――――


31日、終局の前日の朝になって、僕は仮眠室からようやく解放された。


僕を眠らせるために仮眠室に監禁していた看護師さんは、餞別とばかりに人参をくれた。とはいえ、本物のウサギではない僕は、生のニンジンなんて食べようがないのだけれど……ありがたくもらっておくことにした。


ちょうどその日は、mutterで繋がりのあった松井くんという大学生の呼びかけで、河川敷公園でバーベキューが催されることになっていた。これで使えばいいだろう。


病院を後にする前に、僕はクミちゃんの病室に通してもらい、2人きりで話をした。

他愛もない話だ。今までのこと、これからのこと―――楽しい時間だった。

疲れて眠ったクミちゃんの姿を見た後、僕は病院をあとにした。


その日は、夜までいろいろな場所を巡り歩いた。

僕は、生まれてこの方、旅行や仕事の用事以外で、この街を出たことがない。

人生のほぼすべてが、この街とともにあった。

辛いことも楽しかったことも、すべてこの街と一緒にある。

その思いでにバイバイとありがとうを言うために、ひたすらに歩いた。


そして、その夜、僕は河川敷のバーベキューに参加した。

たくさんの人がいた。松井くんやその彼女の渉さんをはじめ、mutterでしか知らなかった人もいたが、一番驚いたのは、赤頭くんとの再会だった。


赤頭君は、反転病になっていた。

はじめてあった時、見上げていた彼の体は、性別が反転したことで二回りほど小さくなっていた。顔立ちも、はじめて会ったときよりどこか優しい感じになっていた。

でも、反転したことで人の心根までが変わるわけじゃない。

彼の心は、あの日であった少年のままだった。


水月さんとも再会したが、アッと言う間に彼は姿を消してしまった。

水月さんを見たのは、この夜が最後だった。


海里くんとは、あの日以来の再会だった。

そして、僕はここで、海里くんと共に現れた少女が紫叢さんだと知った。赤頭くんは、二人と以前から縁があったようだった。


河川敷に姿を現した時から、紫叢さんの様子はどこかおかしかった。

確かに大勢の人が来ていたが、僕は彼女の反応が、人に怯えているとは、明らかに違うものに感じられた。

具体的に表現することはできないが、それでも、何かがおかしい。嫌な予感がした。


どこかへ走り出した紫叢さんとそれを追う海里くん、赤頭くん。

僕も彼らを追いかけて、走り出していた。


中央区。三人がたどり着いた場所だった。

僕は、三人の間に割って入ることができず、物陰からじっと様子をうかがっていた。

そして、そこで信じられない言葉を耳にした。


紫叢さんは、天使症だった。

彼女には、お腹の中に子供がいた。それは、海里くんとの間にできた子ではない。

彼女にとっては、辛い思い出だろう。そして、海里くんは、彼女の支えになるためにお腹の子の父親になることを選んでいた。


僕は飛び出した。海里くんと紫叢さんを引き離してでも、この場を収めないと…そんな思いがあったが、事態はもう僕にどうにかできるレベルを超えていた。


天使症は母体である紫叢さん自身を蝕み、彼女が必死に拒もうとした声、おそらくは、クミちゃんが「神様」と呼んだそれと同じであろうその声は、彼女の必死の拒絶もむなしく、確実に彼女を天使へと変えていった。


それを押しとどめたのが、海里くんだった。

海里くんは、河川敷のバーベキューの主催である松井くんと渉さんがみんなの前で結婚式を挙げるという話に着想を得て、紫叢さんに結婚しようと切り出した。


それは、天使になりつつあった紫叢さんにとって、全く予想外の申し出だったようで、彼女だけでなく、飛び出しても結局、何もできないままだった僕とずっと二人を見守っていた赤頭くんも、ただ驚くばかりだった。


しかし、それで一人の少女が救われたのだ。一時しのぎだったのかもしれないが、海里くんのやり方は、あの場では紛れもない正解だった。


僕はその後のことをうまく覚えていないが、海里くんと紫叢さんは家に帰り、赤頭くんも無事に夜を明かしたようだ。僕自身も、気が付いたときには夜が明けていた。やはり、看護師さんのいうとおり、もっとちゃんと寝ておくべきだったのだろう。


まだ眠気が勝っていたが、一つの奇跡を目撃したことだけはハッキリと覚えている。


僕の気持ちは晴れやかだった。


そして、2月1日。終局の日がやってきた。

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