Chapter 10 僕の人生の終わり方 -How to end my life-
奇病の足音は、ついに僕の目の前までやってきた。
ある保護者さんが、ハピネス症候群にかかったのだ。
奇病は、他人を害したり、意図せずとも害するが、ハピネス症候群は違う。
どんな状況でも、幸福感を抱く以外の反応ができなくなる。ただそれだけなのだ。
反転病もまた他人を害することはないが、壮絶な苦痛を伴う。じつは僕は反転病ともかかわることになるのだが、それはもう少し後の話だ。
子供から「親の様子がおかしい」と聞いていて、なんとなく嫌な予感がしていたが、こうして目の前で見ると、目を背けていた現実を突き付けられたような気分になる。
今まで、グリーンウッドは奇病とは縁のない場所だった。
だが、それはこれからも縁がないという絶対の保証ではない。
僕らもいつかなるかもしれないし、なって不思議なことなど1パーセントもない。
いや、気が付いていないだけで、もうそうなっているのかもしれないのだ。
また、僕の心に悪い病気が出た。
不安を埋めるように、その夜、仕事を終えた僕は、南区の映画館にまで足を向けた。
いわゆるシネコンと呼ばれるタイプのこの映画館も、ほかの多くの店と同じく、終局の混乱とは無縁ではなかったようだが、今なお営業を続けていた。
見たい映画などなかった。なんでもよかったのだ。
ただ、聖域だと思っていた場所に奇病の影が見えた。そらし切れてはいなかったけれど、僕は、その現実から目をそらしたかったのだ。
入場時間は、上映開始ぎりぎりだった。
少しだけ焦りながら、劇場に足を踏み入れる。その時、僕は彼と出会った。
久吹輔。それが彼の名前だった。
人がいることに気づいて、僕は安心していた。できれば、誰かのそばにいたかった。
たとえ、初対面の相手であったとしても。
近くに座ることを許された僕は、彼と一緒に映画を見ることになった。
一体どんな映画だったのか…少し説明には困る映画だが、ファンタジーの世界を舞台に、魔王がどんな日常を過ごしているかをたんたんと描いていた。
この不思議な映画を見ながら、僕は彼から大切なことを教えられた。
終わり方は、自分で選べるということを。
もう春はこない。映画の魔王のように、桜を見ることもできはしない。
それでも、目の前の状況を悲観して絶望するのではなく、前を向いて生きる。
笑って終わる。理想ではなく、笑って終わるのだ。
心の中の不安に支配されていた僕の中で、何かが変わった気がした。
映画が終わって、別れ際、彼はコイントスをしてくれた。
結果は「表」だった。
それが何を意味していたのか、その時の僕にはわからなかった。
でも、今ならわかる。なぜなら、僕は終わり方を選べたから。
それができたのは、この夜に、あなたに会えたからだ。
ありがとう。輔さん。
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