Chapter17 奇跡の時間 -Miracle time-
1月29日、僕はグリーンウッドを閉鎖した。
もうみんなは戻ってこない。
心のどこかではわかっていた。でも、認めたくはなかった。
でも、認めないと。前へ進まないと。
今は、ここで終局を待つより、何かをしたかった。
僕と出会った人たち、その誰か一人でも、僕のことを必要としてくれる人がいるなら、どこへでも行きたかった。
その時、最初に思い浮かんだのが御子神さんとクミちゃんだった。
今日が7日目。もしかすると、今日がクミちゃんとの別れになるのかもしれない。
考えたくはないけど、御子神さんとも。
クミちゃんは今、血液を入れ替えることで天使症を克服するための治療に挑んでいた。御子神さんは、博士から手に入れたという薬を使わずに、この方法でクミちゃんを救うことを選んだのだ。
医者でない僕が天使症候群の治療に役に立てるわけじゃない。
でも、ほんのわずかでも縁のあった子が、自分をかけた戦いに挑んでいるのだ。
その支えに少しでも慣れるのなら、僕に行かない理由はなかった。
旅立つ日、僕はグリーンウッドを掃除した。
そして、今までの思い出にお別れを言って部屋を出た。
もういないみんなに渡すはずだった絵本を手に。
「行ってきます」の一言を残して。
その時、後ろから「いってらっしゃい」という声が聞こえた気がした。
わかってる。誰もいない。空耳でもいい。僕には確かに聞こえたんだ。
北区の西病院は、様々な人が入院している。
天使症候群であるクミちゃんは、万が一のことを考えて、特別室に入院していた。
御子神さんに案内されるがままに入ったその部屋は、ほとんど牢屋のようで、幼い子供にはあまりに不似合いに感じられた。
それでも、クミちゃんは元気だったようで、僕が病室についたころには、歌い疲れて寝てしまっていた。
彼女に渡すつもりだった絵本は、カバンにしまったまま、僕は御子神さんといろいろな話をした。グリーンウッドを閉めた話もしたが、一番大事なのはクミちゃんだ。
クミちゃんは気丈だった。
もし何かあったときには、自分が薬で殺されることも覚悟していた。
クミちゃんはすべてを受け入れていた。それが何よりも驚きだった。
大人でさえ、泣きもわめきもするだろう。それでもこの子は―――
僕が想像しているより、目の前の小さな少女はずっと大人だった。
話をしているうちに、いつの間にか時間は発症から8日目に入っていた。
人間の力が、思いが、天使症を克服する力を手に入れたのか?
僕は、もしかして奇跡を見ているのだろうか?
そんな思いを抱く僕の前で、クミちゃんが目を覚ました。
久しぶりの再会だった。会ったのはたったの1回なのに、この子は僕が目の前にいることにとても喜んでくれた。
たわいもない会話をして、笑い合うことができれば……今はそれが何よりの望みだった。でも、違った―――
クミちゃんはまだ、自分が「天使になる」と思っていた。それも「黒い天使」「あくま」になるのだと……そんな。やはり天使症を乗り越えることはできなかったのか?
だが、事態は僕らの想像を超えていた。
クミちゃんは、自分に語り掛けていた神様に談判して「まだ天使にならなくていい」と言われたと言ったのだ。その言葉を聞いて、僕の緊張は一気に解けた。
クミちゃんが見てきた世界がなんなのか、僕には想像もつかない。
それでも、一つだけ言えることがある。
この夜、僕にとって二人の大切な人が救われたということだ。
安心しきってしまったせいか、僕には、このあとの記憶がない。
クミちゃんに絵本を渡したのは覚えている。だけど、また忌まわしい蘇生病患者の大群――ゾンビの大発生が起きて、その後の混乱のことは。
結局、31日の朝まで、僕は病院からは出られなかったのだけど、それは別の話だ。
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