第8話 思い出せない彼女

「き、記憶がないって、生前の?」


「気がついたときにはこの街にいたわ」


「死んだときに記憶がリセットされたとか?」


「はじめはそういうものかと思ったわ。誰も私の存在に気が付かなかったし、私の声も届かない。ああ、もしかして私は幽霊なんだなって」


彼女は話を続ける。


「でも、そういうことじゃないの。うまくは言えないんだけど、何かを忘れているって感覚があるのよ。思い出せそうで、出せない感じね」


「だから、記憶喪失か」


「そうね、だから私は協力者を探していたの」


そう言って、隣に座る彼女がこちらを見た。


「え、協力者?」


僕は、自分のことを指差して、彼女に確認する。

彼女は、当然のようにうなずく。


「そう、協力者。だって、この世界で私とコミュニケーションのとれる相手がいなければ、私は何もできないのよ」


「ああ、確か他の人には君が見えないんだっけ」


「そう、まずは私のことが見える人間を見つけようと思ったわ」


「そっか、じゃあ、コンビニの近くで何時間も立ってたのは、君のことが見える人を探してたってこと?」


「そうね。この1週間ずっと駅から歩いてくる人たちを観察していたのだけれど、私と目が合ったのはあなただけだったわ」


なるほど、そういうことか。

昔から幽霊と目を合わすと取り憑かれるって噂はあるけど、そういう理由なんだな。

僕は運がいいのか、悪いのか。


「はは、でも名前がないままってのはこの先ちょっと困るよね」


「なら適当に呼んでもらって構わないわ」


「適当にって言われても。じゃあ……」


僕は何かいい名前はないかと考えるが、すぐには思いつかない。


「じゃあ、ひとまず、『君』って呼ぶよ」


「なによそれ、まあいいわ。じゃあ私も、『あなた』でいいわね」


「うん、いいけど」


どうせ彼女は僕にしか見えないし、僕も彼女くらいしか話す相手もいない。

だったらわざわざ名前で呼び合わなくても問題ないだろう。

記憶喪失なら、そのうち本当の名前を思い出すかもしれない。


「というわけで、あなたにはこれから協力してもらうわ。見たところ、彼女もいなそうだし、どうせ暇でしょう」


「し、失礼な。まあ、事実だけど」


記憶喪失の幽霊の記憶を取り戻す協力者、か。

生きる目的も目標もない今の僕にとっては、ちょうどいいのかもしれない。


僕はベッドから立ち上がると、部屋の入口に無造作に置かれたコンビニ袋を拾い上げる。

中には、もう冷めてしまったお弁当が入っていた。

いつもアルバイトが終わると、お弁当を買って帰るのだ。

うちには電子レンジがないので、温め直すことはできない。

再び彼女の隣に座り、少し遅い夕飯を食べながら話を続ける。


「でも、これからどうするの?」


「そうね、協力者は確保できたし、次は……」


そこで一旦、言葉が途切れて沈黙が続く。

僕はお弁当を食べながら、彼女の続きを待つ。

ちらっと彼女のほうを見ると、目を閉じてうつむいている。どうやら、考え事をしているようだ。


「ごちそうさまでした」


僕はお弁当を食べ終わり、プラスチックの容器をコンビニ袋に入れて、袋の口を結んだ。

彼女のほうを見ると、まだ彼女は目を閉じている。


「で、次は?」


僕の声がけに反応して、彼女はゆっくりと目を開ける。

そして真っ直ぐに僕を見て、言った。


「次にどうするかは、協力者様の腕の見せどころね」

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