第3話 飛び出す彼女
はじめて彼女を目にしてから1週間が経った。
今日の彼女は、明らかにいつもと様子が違う。
今まで微動だにしなかった彼女が、なんと歩道を歩いているではないか。
時刻は20時30分。
コンビニから道路を挟んだ反対側の歩道にいるのはいつも通り。
彼女は、歩道を駅のほうから住宅街へ向かってゆっくり歩いていた。
ちょうどコンビニの正面あたりに差し掛かり、彼女の姿が街灯の明かりに照らされる。
黒いワンピースに黒のロングヘアー。細く白い手足。
いつもは見えなかった顔が、今日は見える。
これまで僕が出会ったことのないほど、美しく整った目鼻立ち。
化粧をしていないのか、あどけなさがほんの少し。
歳は、10代後半くらいに感じる。
なんというか、想像していた顔の中でも最上位のそのまた上だ。
そろそろ学生や社会人の帰宅ラッシュも収束に向かう時刻。
歩道の人影はまばらになり、店内には誰もいない。
自然と僕の視線は、彼女の姿に釘付けになった。
大型トラックが目の前を通り過ぎ、一瞬、彼女がコンテナの後ろに隠れる。
再び彼女の姿が現れると、その身体はこちらを向いていて、反対側の歩道からこちら側に向かって歩きはじめていた。
目の前の道路は片側1車線ずつあって、道幅は10メートルほど。
コンビニの正面に、横断歩道は無い。
こちら側へ渡る場合、普通なら50メートルほど離れた場所にある横断歩道を使うだろう。
深夜ならともかく、まだこの時間帯は交通量も多い。
けれど彼女は、左右を確認するでもなく、まっすぐとこちらを向いたまま、一歩、また一歩、ゆっくりとこちらに向かって道路を横断しようとしている。
まるでスローモーションを見ているような、普通の人が歩くスピードに比べてはるかに遅い。
彼女の身体はすでに歩道から車道へと踏み入っている。
住宅街のある左手から白い乗用車を先頭に、3台の車がスピードをゆるめずに通り過ぎる。
彼女はまだ反対側の車線にいるので轢かれることはない。
そのまま中央分離帯まで歩いて、立ち止まる。
そして再び、彼女はいつものように動かなくなる。
今なら車は来ていない。
渡るのなら、そのまま渡りきれば良いのに。
しかし彼女は、中央分離帯から動こうとしない。
−−まさか。
もしかして、彼女、自殺をする気ではないだろうか。
そんな考えが僕の脳裏をよぎる。
そんなまさか、でも、そうだ。きっとそうに違いない。
それなら、何の目的も持たずに毎日あんなところに立っていたことにも説明がつく。
彼女はただ立っていたのではない。
死ぬことに、なかなか踏み切れずに葛藤していた。
そして、いつも踏ん切りがつかずに諦めて家に帰り、また次の日にやってくる。
それを毎日繰り返していたのだ。
あんなに美しい少女がなぜ自殺をするのか理由は分からない。
でも、きっと何らかの事情があるのだろう。
そして今日、ついに覚悟を決めて第一歩を踏み出した。
通り過ぎる自動車へ飛び込むために、中央分離帯までたどり着いた。
そうだ、そう考えれば辻褄が合う。
左手から、さらに数台の乗用車が通り過ぎる。
ドライバーは彼女のことを気に留めていないのか、誰もスピードも緩めない。
タイミングを合わせてトラックなどの大型車に飛び込んでしまえば、終わりだ。
−−このままでは危ない。
僕は慌ててコンビニの外に出て、彼女に向かって叫んだ。
「危ないですよ!そこでじっとしていてください!」
咄嗟の行動だった。
この行動に一番驚いているのは僕だ。
人目もはばからず大声をあげてしまった。
正直なところ、僕はこの数日で彼女に多少の親近感を抱くようになっていた。
はじめに抱いていた不気味な印象も今はそれほどでもない。
ひとりきりで立ち尽くす彼女を見ているうちに、なんとなく自分と重ねていたのかもしれない。
僕はこの街に来てからずっとひとりだった。
大学受験に失敗した僕は突発的に家を出て、知り合いの誰もいないこの街に来た。
もともと人と接するのが苦手な性格で、同年代の同僚とも馴染めていない。
しかも、小さい頃からずっと勉強ばかりの生活だったので、たいした趣味もない。
アパートとコンビニを往復するだけの毎日。
大学に落ちた時点で、目的や目標を失ってしまっていた。
やりたいこともなく、生きているのに死んでいる、それが僕だった。
そんなとき、彼女を見つけて、なぜか少しほっとする自分がいた。
自分以外にも孤独な人間がいるのだと。
きっと彼女も自分と同じなのだと。
褒められた考えではないけれど、彼女に親近感を抱く理由としては十分だった。
ようやく自殺の覚悟を決めた彼女にとってはとても迷惑な話だが、今、彼女に死なれるのは僕にとって喜ばしいことではない。
僕の発した大きな声に、彼女は少しだけ驚いた顔をした。
それから数秒、間を置いて、僕と視線を合わせる。
なぜか彼女は微笑むような表情を浮かべていて、焦る僕とは対照的だ。
僕の落ち着きを待つかのようにしばらくこちらを見つめる。
しばらくして、彼女はゆっくりと口を開く。
「……あなた、やっぱり……………ね」
通り過ぎる車の音にかき消されて、僕には彼女が何を言っているか分からなかった。
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