第14回

第十四回

余「勘違いって、どんなことですか。はるら様」

はるら嬢は原た泰三の方を向いた。そしてお互いに目で合図をした。いよいよ、ふたりの婚約発表をするのだろうか。余は冷や水を浴びせられたような気持ちになった。しかし、原た泰三、この男の目の線は一体どこを向いているのだろう。家を建てるとき、最初に土台を作らなければならない。地面を整地して穴を掘って礎石を土に埋める。そのとき、大事なのは地面から水平線を引くことである。今はレーザーでその水平線を引くことが出来るが、バケツに水をくんでそこからホースをたらして、そのホースも透明なものの方が良いのだが、水の喫水面はいつもどこでも同じという性質を使って引くことが出来る。この古代人の目は水平線引き器みたいだ。どこにいても地面と水平線を保っているみたいだ。こんな男がはるら様のハートをとらえたなどとは世も末である。奇面組という漫画があったがその中でウルトラセブンみたいな顔をした登場人物がいたがそんな顔をしている。

はるら「あなたは何か勘違いをしているようですね」

余「何に対してですか」

はるら「わたしと原たさんの間の関係についてです。あなたは何かわたしと原たさんが特別な関係があると思っていたんじゃありませんか」

はるら嬢の声は三人が教会の聖堂にでもいるように神々しく響いた。

余「どういうことですか」

原た「あなたに前に会ったとき言いましたよね。わたしがこのひなびた温泉に来たわけは、ここに八十年ほど前にやって来た文学士のことを調べるためだと。井川さんも同じ目的です。わたしと井川さんは同じ学問的目的でつながっているというわけです。井川さんはわたしの一年先輩です。それに井川さんは超常現象にも興味を持っていますが。ふたりともここに仕事で来たんです」

余には突然のことだった。井川はるら嬢と原た泰三氏は恋愛関係にあるわけではなかったのだ。しかし、あまりに突然のことなので、それが余には朗報だとも思えなかった。

「はるらちゃん~。あなたは一体何者なんでしょうか」

余は心の中で叫んだ。

余「じゃあ、ふたりともその文学士のことを調べに来たんですか」

原た「そうです」

余「それで結果は出たのですか」

はるら「残念ですが、さきを越されました」

余「誰に」

はるら「安部さんにです。あの人はなかなか立派な明治文学の研究者なんですね」

余「あのヨゴレがですか」

はるら「あの人のことをヨゴレなんて言うとわたしたちはあなたのことを嫌いになりますよ。彼女は優秀な研究者なんですから」

余「それでなにか、結論が出たのですか」

はるら「出ました」

余「どんな結論ですか」

余は悪事を隠し続けている悪人のように内心怯懦していた。余には隠し続けなければならない秘密がある。余のじいさんのことが出てくることはなんとしてもさけなければならぬ。

 ここで少し話しは変わるが諸般の事情のため、ここであることを宣言しなければならない。それは作者が風邪をひき、高熱を出し、それも三十九度の熱を出し、ふとんの中で悪寒と戦いながらふとんにくるまって寝ているのでしばらく今回の戯れ言を中断することを宣言し、エスキモーの家のようなふとんの中から白旗を出すということではない。

 残念なことではあるが、諸般の事情から耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、ある人物の改名式をとりおこなわなければならない事情にあいなりました。

 では改名式を行います。

 安部なつみ の 名前は今日から 安部なつき に変わりました。

昨年はいろいろとこの名前で皆様方に可愛がって頂きましたが、改名、安部なつき

新生 安部なつきとして、今後ますます鋭意努力いたしますので、皆様のますますのご愛顧をお願いいたします。

 今年も残り少なくあいなりましたが、あらたまの年の初めのお寿ぎめでたく申し上げまほし。

 そして新生安部なつきは立ち上がった。

余「あの余の親戚の淫乱雌豚、安部なつきも関わっているんですか」

はるら「(●´ー`●)安部なつきさんが結論を出したのです。あなたはわたしたち、ふたりをだいぶ誤解していましたね」

余「なんで、はるらちゃん」

もうちょっと余のそばに来て話してもいいんだよ。僕ちゃんの耳元で囁いてね。

すると黙っていた原た泰三が話し出した。余ははるらちゃんの声が聞きたいのに、うっん、もう、古代人めが

原た「那古井市の市長の蛭子正和って人を知っていますか」

余がこんなひなびた温泉街の市長の名前なんて知るわけがないじゃないか。

原た「僕とはるらさんのふたりは蛭子さんから、相談を受けたんです。昔、明治の御代にこの温泉に、高名な文学士が来たということが昔から言われていたんです。でも、その人が名前を隠して逗留していたので、誰だかわかりませんでした。その人が誰だか、文学と歴史の研究をしている僕らふたりに調べて欲しいと依頼されたんです。ここ最近の不況で温泉に来る人の数も減っているそうなんです。それに旅行者の好みの変化もありますよね。何か、特徴がないとただ温泉が沸いているだけでは泊まりに来ないそうです。それで何かないかと市長と助役の人が頭をひねってここに昔、偉い文学士が来たことがあるという噂に目をつけたんですよ。それで僕とはるらさんは考古学的な視点や、文学史研究からその人が誰だか、特定しようとしてこの温泉街を歩きまわっていたんです」

それは何を隠そう余のじいさんの夏目漱石である。でも、でも、とすべて肯定、ハッピーエンドという結末を持つものではないが、そこが余の苦しい立場である。余の気持ちにはもやもやとしたものがあった。

余「その文学士ですが、いい噂しかないんですか」

原た「たとえば」

余「悪い噂はないのですかな。例えば、親の解らない子どもが一人生まれたとか」

原た「まさか、明治の高名な文学士ですよ。そんなことがあるわけがないじゃないですか」

余は下を向いて恥ずかしさに耐えていた。

余「それで結論は出たのですか。誰がここに来たのかと」

今度は井川はるら嬢が答えた。余は奇術師のように普段は絶対に動かない耳をぴくぴく動かすとはるらちゃんの方に十センチほどすり寄って行った。

はるら「わたしたちが出来ないことを(●´ー`●)安部なつきさんがやったのです。ここに明治時代にやって来た文学士の名前を特定したのです」

余「それで、その人の名前は」

余は沈んだ声で聞いた。

はるら「二葉亭四迷先生です」

余はびっくり箱の中の折り畳みピエロのように箱のふたを開けると同時にぴょんと飛び出した。

余「本当ですか」

余の声は喜びで打ち震えている。余のじいさんの名前は出ていない。助かった。胸をほっとなで下ろす。ぬいぐるみの人形が神のみしるしを確認して心安らぐようである。

原た「随分とうれしそうじゃないですか。何か、理由があるんですか」

余「いいじゃん。そうじゃん。勝手じゃん」

原た「あなたがあまりにもうれしそうな表情をしているからですよ」

余「それにしても渋めな文学士が出てきましたね」

ひと頃盛んにもてはやされた文学者でイプセンがいる。人形の家という作品のことが同じ時代の文学士の書いたものによく出てくる。ちょうど女性の地位向上の運動が起こった頃に書かれた作品で余のじいさんの書いたものの中でも少しイプセンについて言及している。それが文庫本からなくなって復活して欲しいと何かに書いている人の記事を読んだことがあるが、国語の授業で二葉亭四迷の名前を覚えて、坪内逍遙に師事し、浮雲を書き、言文一致運動に貢献したということを覚えている人もいるかも知れない。余節として外国航路の船の中で死んだという話しを国語の教師がしてくれたことを覚えているが確かではない。イプセンと同じように試験のために文学史で名前は覚えてもその作品まで読んだことのある人は少ないだろう。とにかく余のじいさんの名前が出てこないことはありがたい。有り難きかな人生。

はるら「(●´ー`●)安部なつきさんが二葉亭四迷が那古井に来たことを確かめてくれたんです」

余「どうやって」

はるら「二葉亭四迷の本名は長谷川辰之助というんですが、その本名で宿泊している宿帳が見つかったのです。わたしの古代史の研究手法でそれが正しいものだとは証明出来ました」

(●´ー`●)安部なつきがどんな方法を使ったのかはわからないが妖怪なんだからたぶん妖術を使ったんだろう。道端に落ちている石ころだって茶饅頭にしてしまうくらいだから、そんなことは朝飯前だ。余はすり替えがおこなわれたことは喜んだが(●´ー`●)安部の不正に対しては憤りを感じた。

原た「それに(●´ー`●)安部なつきさんって高貴な生まれなんですって」

余「なんだって」

余は自分の耳を疑った。

原た「今は華族の制度はなくなっていますが、昔なら華族としてわれわれ庶民がお顔を拝見出来なかったような方、さきの細川さんの娘さんの御学友の隣の席に座っていた娘さんの嫁ぎ先のペットウォーカーの恋人のアルバイトさきのおいに当たっているそうですね。つまり天皇家ともお知り合いだそうですよ。畏れ多いことです」

余「それがどうして天皇家と知り合いなんですか。細川さんの学友のなんとかのなんとかとか」

原た「だから、さきの細川さんの娘さんの御学友の隣の席に座っていた娘さんの嫁ぎ先のペットウォーカーの恋人のアルバイトさきのおいに当たっていらっしゃると言っているじゃないですか。天皇家と知り合いなんて当たり前ですよ」

余はそこにペットウォーカーと入っているのが怪しいと思った。犬を散歩させる人という意味だろう。

余「なぜ、あの女が天皇家と知り合いなんですか」

原た「でも、僕が今の天皇の前の天皇はなんというかと聞いたら、昭和天皇だとちゃんと答えられましたよ」

(●´ー`●)安部なつき、なんという厚顔ぶりだろう。そんなことは誰でも答えられる。そんなことが右翼にでも聞かれたら襲われてしまうかも知れない。

余「でも、あの女は室蘭の産ですよ。第一の故郷は中国ですが」

原た「人間に第一の故郷や第二の故郷があるんですか」

余「あの女の場合、いろいろと複雑な事情があるんですよ。とにかく、あの女は室蘭の産なんです。ずっと余はあの女を四六時中観察しているんですから、間違いはありません。室蘭だったら、どうして細川云々と関わりが出てくるのか余にはわかりませんよ。ほら、ここにあの女の観察記録ノートがありますから、なんなら見せましょうか」

余は小学生の使うような学習ノートを取りだした。そこには(●´ー`●)安部豚の観察記録がびっしりと書かれている。余は最近の(●´ー`●)安部なつきの情報を原た泰三に見せて彼らの妄想を晴らそうと思った。

以下は(●´ー`●)安部豚がほざいていることである。

今夜みんなのラジオに届けたい曲はですね、BOOWYの『わがままジュリエット』

っていう曲なんですけど、最近ですね....この、MDも、先週に引き続き発見い

たしまして、これは『JUST A HERO 』って言うね、アルバムなんですけども、中

学校二年生とか三年生の時にずっと聴いてた、自分の中では....すごい青春の..

..一枚なんですよこのアルバムはですね、学校で...すごいBOOWYがブームなって

て流行ってて、自分はね友達とか..男の友達とか、その先輩に借りて、聴いてた

曲なんですけど、そう学際とかでね...先輩がコピーバンドをBOOWYでやるんだよ

そのさ、すごい懐かしいって思う人いると思うんだけど、『IMAGE DOWN』とか、

「♪イメージダウンイメージダウン」とかさ、あとー、『NO! NEW YORK』とか、

『B・BLUE』とか、懐かしいでしょう?もうこの曲、を聴くとね、もう何て言うの

かな、いろいろその時いじめられてて「負けないぞっ」って頑張ってた時の事と

か、友達と一緒に帰ってた時の事とか、もういろいろ..思い出すのよ、でも一番

思い出すのは、恋してた時の、事なんだけどね、うんまあ、その中でも、思い出

が、駆けめぐった..この曲、一曲をお届けします。

BOOWYで『わがままジュリエット』


......この曲だけを聴くとやっぱり、今の曲なんかに比べたらさ使ってる音とか

が少なかったりするでしょう、ドラムだけとか、ベースとかギターとか聞き取り

やすい音だけ?、だけど!、またそれが、いいんだよね、ギターの..このギター

の切ないメロディーとかが、心に沁みますね。

お送りしたのは、BOOWYで『わがままジュリエット』でした。


 ボウイとはなんだろう。デビッドボウイのことか。そのグループ名の中にはギリシャ文字のプサイが使われている。この女はその中であつかましくもずうずうしくも

 思い出すのは、恋してた時の、事なんだけどね、うんまあ、その中でも、思い出

が、駆けめぐった..この曲、一曲をお届けします。

BOOWYで『わがままジュリエット』

 思い出すのは、恋いしてた時の事なんだけどね、などとほざいている。

この手のバンドかぶれの恋いというのはずばりセックスが伴っているのは世の周知の事実である。この男が誰か特定しなければならない。二葉亭四迷先生よりはその方が重要である。

 それにこのジュリエットという歌の題名、自分をジュリエットに模していることを意味しないか。すると当然、ロメオが出て来る。ロメオとは何者であるか。この事実は明らかにしなければならない。室蘭のジュリエットと室蘭のロメオの恋物語がどういう顛末になっているか、興味のあるものは多いだろうし、それが滑稽で悲劇的なら、さらに多くの人が喜ぶに違いない。これは引き剥がしの当事者を明らかにすることよりも重要な問題である。余は栗頭先生と化していた。そして頭を巨大にとんがりにして、前後にプルプルと振っておった。

 しかし、将来的には妖怪研究の一級資料となるべき、この淫乱雌豚(●´ー`●)安部言行録がまたおもしろい事実をわれわれに教えてくれる。それはお塩との接点である。お塩もロックかぶれのかぶき者である。ここでふたりの間に趣味の一致が別生物の距離を縮めたということは考えられる。バンドの話しで盛り上がったふたりが、プレステの話しになり、お塩のマンションになだれ込んだ筋書きは考え得る。ありがとう、(●´ー`●)安部言行録。歴史的事実は余の安部理解を一歩だけ進めてくれた。この真理を一つ余のノートに書き加えておこう。(●´ー`●)安部豚は恥ずかしくもなく、自分のことをジュリエットに模しているということを白状している。これは自分の恋物語を暗に語っているに違いない。

余「安部なつきはこんなことを言っているんですよ。ご学友とお近づきになれるはずがないじゃないですか」

はるら「市長の蛭子さんは(●´ー`●)安部なつきさんをすっかり気に入っているみたいですよ。いつの日が(●´ー`●)安部さんと一緒に春の園遊会に出るんだと言っています。その準備段階として天皇陛下の御影の刻まれた写真皿を頂けないかと(●´ー`●)安部さんに頼んでいました。わたしはその現場を見ました」

余はまたもや、憤った。(●´ー`●)安部豚。どうしたらそういう発想が浮かぶのか。なんでお前が春の園遊会に出られるというのだ。お前は三遊亭小園遊の落語でも聞いておればよろしい。

 ふたりがいつ帰るのか、聞かなかったが、目的が完遂したのだから大阪か、東京に近日中に帰るのかも知れない。余ははるら様の自宅の住所か、携帯の電話番号をそのうち教えてもらわなければならないと思った。はるら様。その麗しい言葉の響き、余を天上の楽園に誘って頂けます。

 ふたりが帰ってからしばらくするとアルバイトの女が帰って来た。アルバイトの女は大小二つの包みを持っている。包み紙からそれが菓子が入っているということはわかった。それもこの地方で売られているのだが、少量しか作らないのでなかなか手に入らないが美味なことで有名な菓子だった。

「親戚の姪御さんに届き物です」

余「姪御と言っても三人いるが、誰にだい」

アルバイトの女は包みに上書きされている宛名書きを確認する。

「安部なつきさんです。でも、この前までは安部なつみさんではなかったんじゃないですか」

余「いろいろ理由があってな。今は安部なつきと改名したのだ」

高知東急が高知のぼるに改名したようなもので、高地のぼるだったら登山家や僻地紀行文家になってしまうが。そういう間違いをおこしやすい危険をあえて冒しながら、高知のぼるがあえてこの危険でもあり、名誉ある撤退をしたのか、その理由に関してはなかなか部外者にはわかりにくい。近い距離にいていろいろな情報が入ってくるなら違うだろうが、その内部事情なんていうものは外部の人間にはなかなかわからないものだ。だからなんで安部なつみが安部なつきに改名したのか、この戯れ文を書いている本人がよくわからないのだから仕方ない。

「ありがとう」

余はそのふたつの包みを受け取った。(●´ー`●)安部豚の物は余のものである。主人という契約を結んだからにして。ただしその存在を(●´ー`●)安部なつきが知らないという前提のもとでだ。余はその差し出し主の名前を見てみた。両方の包み紙には松の図案がたくさん並んでいる。豚の鼻みたいな中にとげとげが五六本行儀良く並んでいる奴で少し榮太郎の図案に似ている。これが発売が朝の十時に始まってそれまで店の前に行列が二十メートルも並び、あっという間に品切れになって買えなかった客がとぼとぼとぶつぶつと言いながら帰って行く有名な和菓子だということを余は知っている。誰があんな(●´ー`●)安部なつきなんかに送ったのだろう。余は大きい方の表を見た。蛭子正和と大きく書かれている。正和と言えば美男俳優の名前だ。昭和平成を代表する美男俳優の名前だ。そう思うとその筆はすっきりとさわやかな筆様である。今度は小さい方の名前を見る。つんく乱心と書いてある。これは何者だろう。その名前の横の方に那古井市助役と書かれている。そこで再び、大きい方の名前の横を見ると那古井市長と書かれている。さっき(●´ー`●)安部豚が那古井市長に気に入られているということをはるら様から聞いたばかりだったが、一体あの豚はどんな方法を使ったというのだろうか。たぶん自分が高貴な生まれだとかなんとか嘘っぱちをまくしたてて、田舎の市長をだまくらかしたに違いない。厚顔無恥の卑劣漢のやりそうなことである。恥を知れ、安部豚。しかし、余はそんなことよりもこの箱の中身の方が気になる。思い切って開けて中身を食べてしまうべきか。なにしろ(●´ー`●)安部のものは余のものなのだから。

しかし、ここで余は躊躇した。この包みの存在をアルバイトの女は知っている。アルバイトの女を買収するだけの財力は余にはない。アルバイトの女はこの包みが存在することを(●´ー`●)安部豚に告げるだろう。(●´ー`●)安部豚は余の借金を肩代わりしなくなる。余は借金支払い能力がなくなり、禁治産者となり、一生、借金の支払いに追われることになる。それは避けねばならない。(●´ー`●)安部豚のところにこの包みを持って行って、(●´ー`●)安部豚がそれを開けたとき、さっとその目を盗んで、それを盗み食いすることに決めた。玄関のところにいると観海寺にお茶を習いに行っていたあみ子ちゃんが帰って来た。

余「(●´ー`●)安部なつきを知りませんか」

あみ子「(●´ー`●)安部なつきって誰ですか」

余「旧姓を(●´ー`●)安部なつみと云って、諸般の事情によって改名した女なんですが」

あみ子「なつみちゃんなら、裏の納戸にいますよ」

余「なんで、そんなところに」

あみ子「なにか、納戸を借り切ってやることがあるそうです。もう三日前から取り組んでいますよ」

余「何をやっているのだ」

余はあみ子ちゃんが裏の納戸にいるといったので下駄をつっかけると納戸に行ってみた。普段は臼だとか、千歯こきだとか、使わなくなった農機具なんかがしまわれていたが、そう云えば数日前にそれらを取り払ったとか、アルバイトの女が言っていた。それに大がかりな電気工事もわざわざ専門の業者を雇ってやったそうだ。ただの温泉の宿泊客のその上その宿泊客の居候の分際でなんという厚かましさだろう。ここは(●´ー`●)安部豚の面目躍如である。

(●´ー`●)安部豚、お前は何をしようとしているのか。納戸の前へ行くと戸は閉められていた。恐る恐る戸を開けると天井いっぱいにうめこまれている蛍光灯の光が漏れて来て、中にいた川o・-・)紺野さんと(ё)新垣がこっちを振り向いた。と同時に小さな生物の排泄物の匂いがする。納戸の中の壁際にはガラスの飼育箱がびっしりと並び、気味の悪い昆虫たちがうごめいている。奧の方に机があってモニターの前で(●´ー`●)安部なつきは座って何かしている。余はこの納戸の中に入った目的も忘れていた。大小ふたつの菓子箱を持ちながら(●´ー`●)安部豚の方へ行った。

余「(●´ー`●)安部さん、何をしていらっしゃるのでしょうか」

余の質問を無視して(●´ー`●)安部豚はモニターの方を向いてマウスをクリックしている。どうやらインターネットをしているらしかった。

余はまた憤った。妖怪の分際で、それも温泉客のそのまた居候の分際で(●´ー`●)安部豚、お前は何をしているのだ。その問いに安部は答えずに川o・-・)紺野さんが答えた。

「昆虫を飼っているんです」

余「なんで」

川o・-・)紺野「この昆虫でレースをするんです。昆虫がレースをする競技場も作る予定です」

(ё)新垣「ニイ、ニイ」

余「昆虫が真っ直ぐに進むという保証がどこにあるんだ。一心不乱にゴールをめざすとは考えられない。昆虫は飛んだり跳ねたり、もぞもぞと徘徊するだけの存在だぞ、真っ直ぐに進むのは闇夜の中を逃げるときだけだ」

川o・-・)紺野「一般的に虫というものはそういうものでしょう。でも多くの虫が世界中に生息しているでしょう。木の葉の形をしている虫や、牛の糞の中で暮らす虫もいるんです。わたしはファーブル昆虫記でそういう虫がいることを知りました。それでそういう性質を持つ昆虫を輸入するためにインターネットで探しているんです」

余「あほくさい、猫だって綱渡りをさせるのは大変なんだぞ。そもそも競技場を作ってそんなくだらない事をなんの目的でやるんだ」

余はそう言いながら気づいた。昆虫で競馬やドッグレースをやるつもりだなと。でも法律の後ろ盾がなければ金をかけてそんなことは出来ない。

川o・-・)紺野「蛭子市長が後ろ盾になっているんです」

川o・-・)紺野さんと(ё)新垣はインターネットをやっている(●´ー`●)安部豚の方へ行った。ひとり余を無視してモニターの方を見ている(●´ー`●)安部豚はそれで昆虫を探しているのだと思ったが、案に反してゲームをやっていた。モニターの中で色とりどりのサイコロみたいなものがたくさん離合集散して花火のように爆発して虹が出来ると、それを見ていた川o・-・)紺野さんと(ё)新垣は新しい遊びを始めた。それというのも奇妙なものだった。遊びというよりもパフォーマンスと呼んだ方が良いかも知れない。

 自分の左手の人差し指をおしりの穴にあてがって右手の人差し指を頭のてっぺんに突き立てて(●´ー`●)安部豚がマウスをクリックするたびにクリック、クリック、キュ、キュというのだ。これはプレガール、キュキュから発展したものに違いない。

 下品である。悪い影響を与えられている。これも(●´ー`●)安部豚のそばにいるからこんな品性のない遊びを覚えたに違いない。この幼い妖怪たちの不幸は計り知れない。

余「ふたりともやめないか。下品だ」

するとまたふたりはおしりの穴に指を突き立てて、クリック、クリック、キュ、キュと言うと不思議そうな顔をして余の方を見た。余は恥ずかしながら白状すると川o・-・)紺野さんと(ё)新垣の濡れた唇に色気を感じていた。

余「昆虫レースをやるとして、それは金をかけるのだな」

川o・-・)紺野さんの説明によると、はるらさんを通して那古井の市長に近づきになった(●´ー`●)安部豚は市長に公営ギャンブルの提案をしたそうである。それが昆虫レースというものになった。第一に施設費、維持費がかからない。第二にどこでもやっていない物珍しさがある。第三に昆虫語がわかる三匹の妖怪がいる。そして第四に安部がそのコマーシャルに出たとき、昆虫と並んだ(●´ー`●)安部には違和感がない。

 (●´ー`●)安部豚はとうとう那古井市長の愛人にまで上り詰めたに違いない。恐るべし、(●´ー`●)安部豚。その上昇志向にはとどまるべき壁もなし。欲望の権化、(●´ー`●)安部豚。

マウスをいじっていた(●´ー`●)安部豚だったが腕時計を見ると、

(●´ー`●)安部「時間だわ」と言った。何かの約束があるらしい。

(●´ー`●)安部「虫に餌をやっていてね」

すると川o・-・)紺野さんと(ё)新垣のふたりは脱脂綿に砂糖水をしめらした。そしてガラスの飼育箱の中に次々と砂糖水でぴちゃぴちゃしている脱脂綿を入れていく。余の存在も無視して(●´ー`●)安部豚は納戸を出て行った。余は(●´ー`●)安部のあとを追った。やはり妖怪は余の存在など眼中にないらしい。そして母屋の方に戻ると、いつだったか、あみ子ちゃんと衣装合わせをした部屋に入った。あみ子ちゃんの着物を代わる代わる来た部屋だ。そこには大きな鏡も置いてある。箪笥の並んでいる中に一つだけ姿見があり、なぜだかギリシヤの神殿で悲劇を演じている女優のように(●´ー`●)安部が見えた。鏡の前に座ると(●´ー`●)安部豚は自分の顔をじっと見つめている。余はもしかしたら、余が幽霊でなつきこそが人間で、余が想像の世界の存在であっちこそが実在なのかと思った。それほど(●´ー`●)安部は余の存在も眼中にないようだった。手探りをしてもその世界からなんの反応がなければ自分こそが虚仮なのだと思うだろう。余は(●´ー`●)安部の後ろ数メートルにいる。安部を映す鏡には一点の曇りもない。安部のまつげも余にははっきりと見える。豚だ豚だといいながら、安部の顔はよく見ると猫顔である。きれいな目をしている。そして髪はさらさらとしている。お塩にいやらしくなでられた髪だ。おー、忌まわしい。そして猫目を見ると、瞳の中にもうひとつの世界がある。それは安部の目に映った世界である。球面の中に世界を折り畳んで無理矢理押し込めなければならないからはじの方は曲がって一つの迷路の中に無理矢理織り込まれている。恥の方にも物がたくさんあるわけだ。安部の瞳は水で出来た惑星のようだった。もしかしたらこの顔は美しい部類に入るかも知れない。とふと余は思った。そして本人もそう感じているのかも知れない。だから自分の顔をじっと見ているに違いない。安部は鏡の横についている引き出しから口紅を取り出すと唇の表面に紅をひいた。血を吸ったかのように鮮やかである。それから髪をとかしだした。やはり猫の目をしている。それは思想家の理論武装であり、武将の鎧甲に花をさす行為のようだった。

そして自分でも満足したのか、バッグを取ると立ち上がった。そして安部は外に出て行った。

 余は安部の観察者としての人類全体の責任を負わされた使命がある。妖怪と人間の明らかな接点が起こす時間が流れている。いつの日か妖怪が人類に対して総攻撃をかけてくるかも知れない。そのときナメクジが塩をかけられて退散するように妖怪の弱点をつかめるかも知れない。余は同胞の安全のためにも微弱ながら貢献する義務があると心得る。余も安部のあとをついて外に出て行く。

 しかし、余の崇高なる覚悟にもかかわらず安部は余を全く無視している。余は自分で自分の姿を省みた。自分が透明人間ではないかと思った。途中で安部はあみ子ちゃんに出くわす。

あみ子「どこへ行くの」

安部「那古井ゴルフ場、市長が一緒にゴルフをしようと誘っているのよ」

***********************

 那古井ゴルフ場は天狗山の麓の方の高台のあるあたりにあった。人垣に囲まれて目の死んだ達磨みたいな男が中央に立っていて、安部が来ると満面を笑みにして迎えた。これが那古井市長の蛭子正和だった。余が安部のあとをついて入ろうとすると係りの男に止められた。

「あんた会員証を持っているの。会員証を持っている会員しか、ここでゴルフは出来ませんから」

まるで夢の中の世界のような気がする。

安部も市長もどんどん奧に入って行く。(●´ー`●)安部と市長の姿が小さくなっていく。安部の存在が急に遠く感じられた。そして安部が輝いて見えた。今まで余が豚だとか、妖怪だとか心の中で罵倒していたのにどういう心境の変化だろうか。余は安部の幻影だけを追いかけた。なつきは遠いところに行ってしまった。なつき。余はひとりつぶやいた。そしてまた改名前の名前でつぶやいた。なつみ。

仕方なく、余はゴルフ場近くにあるレストランに入る。カウンターに一人座ると、椅子を一つ空けて髪を金色に染めている男が酒を飲んでいる。少し酔っているらしい。余はウエーターがくるとクラブサンドを頼んだ。ホットコーヒも一緒に。

















 隣の男は昼間からやはり酒を飲んでいる。隣の男は余に話しかけてきた。

「娘なんて持つものでないですね」

娘というのは、はて、面妖な。と余は思った。まだ若い男だ。娘がいたとしてもまだ幼稚園か、小学校に通っている頃だろう。

余は無視してパンにかぶりついている。

「いつのまにか、色っぽくなって、御姫さまになっちゃうんだな。それで男を作って出ていっちゃうんだな。そいつが飲んだくれだって、競馬狂だって、とめられないよ」

若者のくせに花嫁の父親のようなことをぐだぐたと言い、ぶつぶつと言っている。

余は言ってやった。

「娘だから女になる。そして出て行くのは仕方ないでしょう」

若者にはその一言はだいぶこたえているようだった。

「大人にならない娘っていないかなあ」

「それは無理でしょう。あなたがそんなに悩むのはなぜかな。自分の胸に手を当てて考えてご覧なさい。あなたは本当に娘が大人にならないことを望んでいるのですかな。いや、こんなことを言うのも余が悲しい別れを今、してきたからなんですが、ぶすだ。ぶすだ。と思っていた小娘が意外に美人だったので驚いたりしてね」

余はまたパンをがぶりとかじった。

「世の中に男が自分だけだったらなあ」

「同感です」

(●´ー`●)安部豚、お前はいつの間にか、さなぎが蝶になるように美しく変身していた。そして蝶には羽がついていて、どこまでも空を好きな場所に飛んで行ける。お前も飛んで行くのか。蝶は花を求めて飛んで行く。野の隅にはえる雑草には見向きもしないのだな。そしてふたりの妖怪の妹を残して。そして余は薄味のコーヒーをがぶりと飲んだ。口の中に詰め込んだパンを飲み下したいからである。

「あなたは競馬で大負けをしたような感じがします。あなたの背中がそう語っています」

隣の若者は余に話しかけた。正解ではないがぼんやりと当たっていると言えないこともない。

余「当たらずと言えども遠からず。すがりついても振り払われて遠くに逃げられてしまったのです。追う相手はゴルフ場の中に消えて行きました」

「あなたもゴルフ場の前で待ち人をしているのですか。実はわたしもそうなんだな。ゴルフが終わるまでここで待っていなければならない身でね。あなたは那古井の湯治客ですか」

余「ピンポーン。正解。そういうあなたは」

「あなたがただの旅人だと聞いて安心しましたよ。あなたがただの旅人だとして、わたしは気楽に話させてもらいましょう。わたしは那古井市の助役でつんく乱心と言います」

この男がつんく乱心か、余は心の中でげんこを手の平に打ち付けた。さきほど菓子の入った届け物を市長の蛭子正和のものと一緒に届けた男だ。助役というからにはもっと年をとった男だと思っていたが意外と若いので驚いた。余は自分がつんく乱心が菓子を届けた相手に関係のある人物だとはしばらく黙っておくことにした。

つんく「五十を越した分別のある男が二十歳前後の小娘にうつつを抜かしているのですから、処置ありませんや。今、その娘とゴルフをやっている最中なんですがね。間抜けたつらしてあの小娘と一緒に歩いていると思うと自分の住む市の市長なんですが恥ずかしいですよ。お前はここに待っていろというわけであのふたりのお楽しみが終わるまでここで時間をつぶしているという次第です。きっと市長はやにさがるだけやにさがっていますよ。ちなみにあっしはこの市で助役をやっています」

助役のくせにあっしはとはないだろう。

余「相手はなんという女なんですかな」

つんく「(●´ー`●)安部なつきって名前なんで。年は二十歳前後かな。この女の笑い方がまたこわいんです」

余「こわいというと」

つんく「なんとなく、こわいんですよ。表面的には笑っているんですが、前世でなにかがあったみたいに、そのあの世をひきずっているようなこわさなんですよ」

余「それはこわいですね」

相手は妖怪なんだから当然だ。そのうち本性を現して身の丈、十五メートルになって、頭からは角が三本生えてきて、身体中にはうろこが生えてきて、つんく乱心に襲いかかるかも知れない。

余「でも、ちょっと見には猫みたいな顔をしていて、少し可愛くはないですか」

余は自分の気持ちを押し殺して(●´ー`●)安部に対する賛辞を送ってみた。これもみんな相手から話しを引き出すためである。余が誉めれば、相手はそれを否定するために悪口を言うだろう。悪口、そのものが真実をついているとは言えないが真実を引き出すためのきっかけにはなる。その隠された骨組みを探し出すのは話しを受け取るほうの作業である。

つんく「可愛くなんかない。最低の女ですね。殷のちゅう王の愛人か、西洋の方で若い女を何人も殺してその生き血につかった女がいたじゃないですか。それと同じですよ」

それは少し言い過ぎだろう。しかし、それほど悪い印象を与えているということだろうか。

余「それほどひどくはないでしょう。少なくとも市長の心をつかんだわけですからね。でも、どんなふうにして市長をたらし込んだんでしょうか」

余はそのいきさつを知りたい。余は(●´ー`●)安部をちょっぴりきれいな女と認めている。その(●´ー`●)安部がどんなふうにして市長の蛭子に近づいて行ったのか。自分を市長の役に取り替えてみてその役を楽しんでみたいと思う気持ちも少しはあった。あの死んだ目をした、水ぶくれをした上の前歯が二本だけ唇からはみ出している男の代役を務めたいという気持ちである。

つんく「こけしを送ったんですよ」

その一言に余は頭の混乱を覚えた。あのこけしのことだろうか。

つんく「こけしって首をはめるとき、ろくろに胴をはさんだまま回転させて、頭についている首を胴に開いている穴に押しつけてはめ込むんですね。木でも熱を加えると膨張するんですね」

このこけしの製作法が本当かどうだか余にはわからない。両方が熱で膨張するのだろうから、その穴にうまく入るのだろうか。ガラスが曲がるというのに少し似ている。つんく乱心はどこか東北の温泉にでも行ったとき、そのこけしを作る様子を見たのかも知れない。

つんく「こけしを市長に送って、あの女は市長の気持ちをいっぺんにゲットしたんですよ。その理由はちゃんとあるんですが。市長はあんな脂肪肝みたいな顔をして頭も乾いたところてんみたいにもじゃもじゃとしていますが、女性に対しては臆病なんですよ。以前、若い頃に女にこけしを送ったことがありまして、そのこけしには自分の名前が彫り込んであって一生可愛がってくださいなどと書かれていたそうです。貰った女が気味悪がって地方新聞に投書して大騒ぎになったことがあるんです。それで一期、市長の職を棒に振ったことがあるんです。それを逆手に取ったわけですわ。そのこけしの底はねじると開くようになっていて、その中に付け文が入っていたそうです。でもどうやってそのこけしにまつわる市長のことを知っていたのかよくわかりりません」

これまでもたびたび書いてきたが(●´ー`●)安部は妖怪である。それくらいのことが出来ずに妖怪と呼べるだろうか。

つんく「それから、その女が市長のそばによく現れるようになったんですよ。本当に有権者になんとお詫びしたらいいんでしょうか」

余「市長は妻帯者ですか」

つんく「市長には子どもも妻もいますよ。それなのにおおっぴらに、あの女は市長のそばを付きまとっているんですよ。話しを聞けば温泉客のところに来た居候だというじゃないですか。この前なんか公衆の面前で市長がイヤリングを買ってきてあの女の耳たぶにつけていたんですよ。焼き飯もんですよ」

余「でも、そんな、こけしなんかで市長の歓心をすべて買うことが出来るんでしょうかね」

つんく「市長はあの女にすっかりと騙されています。あの女のふれこみを知っていますか。昔なら華族としてわれわれ庶民がお顔を拝見出来なかったような方、さきの細川さんの娘さんの御学友の隣の席に座っていた娘さんの嫁ぎ先のペットウォーカーの恋人のアルバイトさきのおいに当たっている。つまり天皇家ともお知り合いであると言っています。俺はそれが本当かどうなのか、よくわからないだけど、市長はそれにすっかりいかれちまったのさ」

余「でも、そんな女なら、助役であるあなたが市長から遠ざければいいじゃないですか」

つんく「それが出来れば、苦労はありませんさ。市長というのも俺の奥さんの親戚でね。市長が引退したら、俺が市長になるということに約束が出来ているんですよ。俺が助役になれたというのもみんな市長の後ろ盾があるから出来たことなんで、市長の気を損じて次ぎの市長の地位を危うくすることなんて出来ませんよ」

余「あなたが市長になることを諦めて市の職員としての襟を正すというのは」

つんく「なかなか、そうも行きません」

そこへドアが開いて、可愛くない太ったかわうそみたいな男が猫みたいな女と一緒に入ってきた。言うまでもなく、市長の蛭子正和と(●´ー`●)安部豚である。入り口のところで(●´ー`●)安部は蛭子に何か言ってそこで立ち止まらせると、ずんずんとレストランの中に入って来てつんく乱心が唖然としているのを後目に余の襟の下の方をつかむと便所にすごい力で余を運んだ。余は便所の壁際に妖怪の力で押しつけられた。

 余自身はこういう経験はなかったが知り合いの小学生がこんな経験をしている。その小学生が塾をさぼってゲームセンターに入ったときのことである。彼は宇宙攻撃船隊ムテキジャラジャラの絵の描いてあるゲームの機械を見つけた。彼は金がなくてもこの機械で遊ぶことが出来ることもあるのだということを知っていた。その考え方は穴の空いたテレフォンカードの穴をつめて外国人がその機能を回復させるのと同じ考え方だった。省エネと資源の活用を意味している。しかし悲しいことにそれは法律で保護されていない。そこで小学生はゲームセンターでお金を入れずにスマートボールをガチャガチャさせているとじっと見ている男がいた。その男は苦々しい顔をしていた。そして急に制服を着た店員が近寄って来て便所につれて行かれて往復ビンタをされたのだ。余はその話しを思い出していた。(●´ー`●)安部は余の襟をつかんで相変わらず壁に押しつけている。

(●´ー`●)安部「自分の立場を心得ている」

阿部は威嚇的な目で余を見つめた。

余は無言だった。便所の天井燈が白々と光を降り注いでいる。まるで麻薬の取引を扱った犯罪映画の一場面のようだった。廊下に髑髏マークの樽が転がっていないのが不思議だった。

(●´ー`●)安部「あんたは、わたしの使用人ということになっているからね。それからわたしの名前は安部なつきではない。綾小路なつきということになっている。わかったね」

余は無言で首を傾けた。妖怪に人間と同じ思考力があるだろうか、気高い道徳心があるだろうか、もしそうならとっくの昔に成仏している。地獄にも居住権が与えられずに地上にのこのこと穴から這い出している厄介者である。その横暴のレベルは自然災害の猛威をわれわれに与える。火事までなら人力で押さえられるが地震や猛吹雪を人間の手で防ぐことが出来るだろうか。氷山が溶けて海に流れ出すのも自然現象である。氷河が溶けて美しい風景を人類の目に現すのも神の御恵みである。人為の尺度で決して測られるべきではない。余はこの試練をじっと忍び耐えることにした。しかし、しかしである、この前、なつみからなつきへと名前を変えたのに、また改名とはなんと忙しいことだろう。ぐふぉ、ぐふぉ、余の気道は安部の怪力に圧迫された。

余「放せ」

余は何とかして人としての威厳を保っていた。余は安部につれられて外に出て行った。安部はまたあの背後に不気味さを秘めたニコニコ笑いを続けている。その安部豚を何も知らない不細工なかわうそが迎える。

(●´ー`●)安部「こちらにいるのが、わたしの身の回りの世話をしてくれる夏目です」

余は不承不承、頭を下げた。

(●´ー`●)安部「この前の歌会のときは夏目が赤坂まで送ってくれましたのよ。わたしは花の道ほかにも歌の道が得意ですのよ」

蛭子「そんなあなたから歌を送られるなんて、これほど名誉なことはありませんよ。それで歌詠みとしてはなんと名乗っておられるのですかな」

(●´ー`●)安部「綾小路というわたしの名前はわからないようにしています。でも、そのことを知らずに三丸物産の会長のお孫さんなんかは覆面のわたしに憧れていまして、社交界ではいつも殿方の間では私の噂で持ちきりですわ」

話しを聞きながら余の下におろした握り拳はわなわなとふるえていた。

余「わたくし目は失礼いたします。お嬢さまの食事の用意をしなければなりませんので」

 那古井の宿に戻ると宿の廊下の上の空中上一メートル二十センチのところで(ё)新垣が空中飛行していた。しかし(ё)新垣はなぜ上下方向に飛ぶことが出来ないのだろう。しかし、水平方向には自由に移動することができる。そして廊下のほぼ真ん中の位置を保って遊園地のゴーカートのように余はレストランでの不愉快な思いはあえて言う必要もないと思った。(●´ー`●)安部は余から遠くに行ってしまったのだ。(●´ー`●)安部が思ったより綺麗だったのでそれなりに接しておけば良かったと後悔する。しかし、いまは市長の愛人である。その目的も利益一方の商才ではあるが。自分のもとから離れたときはじめて余が(●´ー`●)安部に対して複雑な感情を持っていることを自覚した。ふすまを開けると机の前で川o・-・)紺野さんが正座して何かを見ていた。机の上には小さな楕円形の鏡が置かれている。鏡の周囲はからんだ蔦模様になっている。鏡の前にはちびた鉛筆が何本も平皿の中で色とりどりに重なっている。鉛筆の頭のところには川o・-・)紺野さんが噛みついた歯形がついている。紺野さんはどんな気持ちでこの鉛筆の頭に噛みついたのだろうか。紺野さんを後ろから見ると信号機のように見える。道路の上にある信号機ではない。鉄路の横に立っている信号機である。信号が青くなると列車が進行し、赤くなると列車は停止する。紺野さんの後頭部は顔よりも感情豊かにその中身を物語ることが出来る。男は背中で人生を語るというが紺野さんは後頭部で紺野さん自身を語る。鏡を見ながら川o・-・)紺野さんは何か自分に話しかけているのかと思った紺野さんの後頭部はボリショイ劇場でとりをとるようなバレリーナのようだった。その後頭部の芸術的表現のために川o・-・)紺野さんは日々研鑽を積んでいるに違いない。その紺野さんの後頭部から今日の川o・-・)紺野さんの感情を読み解くと飛ぶような踊るような夢みるような、田舎ものの持つぐるぐるのたくさんついた唐草模様の風呂敷が風にそよいでいるような感があった。そして開けた襖の間から(ё)新垣が空中浮遊から舞い戻って来て押し入れの前で着地する。川o・-・)紺野さんは余が入るとちらりと余の方を見るだけだった。

余「川o・-・)紺野さん、何を見ているのですか」

余が川o・-・)紺野さんに話しかけると顔を少し川o・-・)紺野さんは上げた。まるで川o・-・)紺野さんはマッチ箱の中箱の中にミクロの街を作ってその中に川o・-・)紺野さんの分身をたくさん住まわせてその中の様子をじっと見ているようであった。

余「それは」

川o・-・)紺野さんの顔は上気していた。川o・-・)紺野さんが見ているのは写真だった。それも何あろう、滝沢くんの写真である。余が押し入れの前でぐるるとか、ううと唸りながら座っている(ё)新垣を見ると、同じように写真を見ている。それもやはり滝沢くんの写真だった。押入の中のふとんは畳の上に出されて折り畳まれて、積み重ねられている。そのために押入の中は空になっていて二段ベッドのようになっている。

川o・-・)紺野「理想の男性ですわ」

(ё)新垣「ウー、ウー」

(ё)新垣も同意している。

余「でも、滝沢くんには、あみ子ちゃんがいますよ」

川o・-・)紺野「それでもいいんです」

いつものように 金魚と化したゆうきくんが大きな水槽の中でゆったりと泳いでいる。川o・-・)紺野さんには中国四千年の歴史のように数千年の愛を育んでいるゆうきくんがいるではないか、ゆうきくんの存在はどうなってしまうのだろう。解せない。そこで川o・-・)紺野さんに聞いてみた。

余「川o・-・)紺野さんにはゆうきくんがいるではありませんか。それなのに滝沢くんの写真なんかじっと見ていてどうしたんですか」

川o・-・)紺野さんの答えはまた女妖怪の複雑玄妙さを語るにふさわしいものだった。

川o・-・)紺野「女妖怪は生活と夢の世界を持っているものなんです。わたしのゆうきくんは現実の生活の大切なひと。そして滝沢くんは夢の中の生活の星のようなものなんです。ゆうきくんは手を伸ばせば届きますが、滝沢くんにいくら手を伸ばしても届きません」

余の考えではいつも滝沢くんとはこの那古井で一緒にいるのだから、手を伸ばせば届くような気がするのだが、その部分は余にもよくわからなかった。

しかし滝沢くんもずいぶん好かれたものだ。それも妖怪たちに。

余「でもその写真はどうしたんですか」

川o・-・)紺野「あそこ」

そう言って川o・-・)紺野さんは手で指し示した。そのさきにはブランド物の皮のハンドバッグが置いてあって、それは(●´ー`●)安部のものだ。どうやら(●´ー`●)安部のバッグの中には滝沢くんの写真が大量に入っているらしい。

 余が安部のハンドバッグの中を探ってみると、あるわ、あるわ。滝沢くんの写真がごっそりと入っている。右を向いているもの、左を向いているもの、正面を向いているもの、おにぎりを頬張っているもの、草笛を吹いているもの、微笑んでいるもの、怒っているもの、カップラーメンをすすっているもの、めんこをやっているもの、髪をすいているもの、パンツ一丁の姿、寝姿、等々、種種万端整っている。ハンドバッグを倒すとそれらがくずれて畳の上に広がった。滝沢くんの微笑みの洪水が広がった。(●´ー`●)安部豚の滝沢くんへの異常な執着である。そのくせ、蛭子市長との火遊びにふけっている(●´ー`●)安部である。これが(●´ー`●)安部豚が自分に利するために蛭子市長に密着していることは明らかである。余は(●´ー`●)安部の滝沢くんに対する執着、いや、恋着と呼ぼう、その事実を知ったときから再び、(●´ー`●)安部のことを(●´ー`●)安部豚と呼ぶことにした。ご主人様がいながら何という破廉恥極まりない女であろうか。

 その執着がどのくらいかはこの写真の量が

物語っている。しかし、いつからこの不純な独占欲に(●´ー`●)安部豚が乗っ取られてしまったのか、つらつらと考えて見るに、山海亭でぐでんぐでんに酔っぱらったとき、あみ子ちゃんの方を見ながら、「いい人を見つけたわね」と言ったときから(●´ー`●)安部の病気は始まっていることは明らかである。余は(●´ー`●)安部豚が滝沢くんとあみ子ちゃんの純愛に敗北をしたとき、愉快、愉快と拍手喝采したが、迂闊だった。それはまた(●´ー`●)安部の肉体提供がストップすることを意味しているではないか。

ほげぇほげぇ。

 しかし、これでまた新たな恋愛バトルがスタートしようとしていることを意味しないか。あみ子、滝沢、安部豚。この三人を頂点にして三角形を作ろうとしている。

 こわい。

と余は思った。

 不道徳。

と余は思った。

そして日本の将来を憂えた。

欲望と劣情に身をまかせるままの彼ら三人は一体どこへ行こうとしているのか。

「恋いはゲームよ」

余はどきりとして振り返ると真っ裸になった川o・-・)紺野さんが机の下から何かを出して、読んでいる。余はあまりの痛々しさに目を覆った。そして押入のほうを見ると(ё)新垣もやっぱり真っ裸になっている。

 余はこれは見たくはなかった。

余「川o・-・)紺野さん、なにをしているんですか」

余はそばにあったバスタオルを川o・-・)紺野さんの方に投げつけると、それで身体を覆うように頼んだ。

余「頼むから、川o・-・)紺野さん、露出している身体を隠してください。余は発狂してしまいます。それになんです。「恋いはゲームよ」だなんて。十六才の女の子が言うせりふですか」

余は川o・-・)紺野さんを叱責した。

川o・-・)紺野「だって、裸になってやる方が効果があると書いてあるんです」

さらに川o・-・)紺野さんは机の下の方をごそごそして何かをやっている。机の下にはなにかごちゃごちゃとたくさん入っている。どうも、みんな安部豚の所有物のようだった。

余「何を読んでいるんですか、川o・-・)紺野さん」

余が言うとバスタオルを巻いた川o・-・)紺野さんはおもちゃを取りだして余の方に見せた。それはゲームだった。それも家族団欒でやるようなゲームではなく、マンションの一室で男と女がやるようなゲームだった。なるほどやはり安部の持ち物である。余はその箱を川o・-・)紺野さんからひったくるようにして受け取るとその説明書きを読んだ。

 たしかに書いてある。裸になってやったほうが効果的である。さいころを転がしてマットの上でふたりの男女がマットの上の目印を両手、両足でゲットする。ふたりの距離が一気に縮まることは請け合い。裸でやるとさらに効果があります。

 余は茹で蛸のように顔を真っ赤にした。なるほど安部豚がこういうものを持っていることはいい。キャラに合っている。しかし、川o・-・)紺野さんや、(ё)新垣にこんなものを見せるのはどういうものだろう。余はしばしば沈思黙考していると、川o・-・)紺野さんはやはり机の下をもぞもぞともぐらのようにほじくっている。出るわ、出るわ。安部の悪趣味きわまる、男女不純異性交遊促進玩具がつぎつぎと出てくる。

 テクニシャンなのね。安部さんって。

余は文金高島田の頭をしながらふっつりとつぶやいた。

しかし、そんなことをしても安部の原罪が軽することはない。お前は現代に生まれ出たイブなのだから。

 口移しなんとかなんとかというものを川o・-・)紺野さんが引きずり出したとき、余はそれらを無理矢理奪い取った。

 しかし、川o・-・)紺野さんはまだやはり何かを見ている。一枚の紙だ。

余は川o・-・)紺野さんの保護者としての自覚にすっかりと燃えていた。

余「その紙もこっちに寄越しなさい」

余はその紙を川o・-・)紺野さんから奪い取った。そこには安部豚の筆跡が認められる。

余はその紙に目を近づけると、視力が零コンマ、ゼロゼロゼロゼロゼロの人のように読み出した。

余「なになに、滝沢くんとの一夜の計画。まず使用する部屋、この部屋」

この一語で余の頭部の血液は逆流した。余が借りている部屋ではないか。それを居候の分際で安部豚は何をしようとしているのか。

余「まず、うまい口実を作って、あのちょうちんあんこうや、麻美、理紗の三人を一日中外に出す」

無礼者、余をちょうちんあんこうなどと何を心得る。安部豚め。安部豚め。安部豚めーーー。

「それから、部屋にはふたりのムードを高める、エロティクな音楽をかける。そしてわたしが集めた数々のゲームをするの。ぐぶぐふぐふ。これで滝沢くんとなつみとのあいだの距離は一挙に短縮。ぐふふふふふふ」

ばかめ。利口そうに見えてもやはり妖怪である。浅はかである。単純である。単細胞である。そんなことであみ子ちゃんと滝沢くんのきずなが切れるものか、馬鹿者めが。愚か者めが。単細胞生物。ごきぶり女。性欲異常者。

雌豚。

 余は再び精神的優位を取り戻したる

余は再び問う。

剣を持って剣を持つ相手に対する心は。

敵の身の働に心を置けば、敵の身の働に心を取らるるなり。敵の太刀に心を置けば、敵の太刀に心を取らるるなり。敵を切らんと思うところに心を置けば、敵を切らんとするところに心を取らるるなり。我が太刀に心を置けば、我が太刀に心を取らるるなり。われ切られじと思うところに心を置けば、切られじと思うところに心を取られるなり。人の構えに心を置けば、人の構えに心を取らるるなり。とかく心の置きどころはないとある。がははははは。安部よ。恋いの悩みに迷うなら、余のところに救いを求めるべし。

がははははは。

余は安部豚に勝った。

余は周囲一望することの出来る高台に登り、百獣の王、ライオンのように雄叫びをあげた。

安部豚、破れたり、滝沢くんとあみ子ちゃんの勝利なり。

 余が思わず叫ぶと不思議そうな顔をして川o・-・)紺野さんがじっと余の方を見ている。

しかし、(ё)新垣はどうしたのだろう。余が押し入れの方を見るとカマキリの卵みたいな泡がみえる。中の方は透明のゼリーみたいだ。よく見るとその中に(ё)新垣が真っ裸でうごめいている。押入の中にその奇態な物体がうごめいている。なにかの間違いで殺した相手を押し入れの中にビニール袋で包んで入れてしまったようだった。

 余が観察のためにそのゼリー状のものに近づいていくと、川o・-・)紺野さんもそこに近づいて行った。

川o・-・)紺野「最近、こういうことがよくあるんです」

余「同じ妖怪仲間なのに、どうしてこういうことになっているのか、川o・-・)紺野さんもよくわからないのですか」

川o・-・)紺野「さっぱり」

そばに行くと真っ裸の(ё)新垣は身体をくねらせてこちら側を見た。しかし、余たちの姿を見てこちら側を見たというのは早合点だった。ぐじゅぐじゅのゼリーの中に入っている新垣の顔は目をつぶっている。それはまるで円盤の中で何万光年という航海をしている異星人が生命の維持に必要な栄養素のたくさんつまった液体の中で冬眠している姿に似ている。異星人はときおり寝返りをうつ。その顔の中には苦悶というよりも安心が、遠いうたかたの夢の世界を逍遥している趣がある。一体新垣はどんな夢を見ているのだろうか。口元が何か楽しいことでもあるようにかすかに動く。まつげのさきも微妙にふるえる。筋肉の弛緩がある。新垣の二つに分けて結んだ髪のほかは白い裸体が透明なシリコンの中に浮いている。新垣の身体は完全に無重力の状態である。その透明な粘液が(ё)新垣の小宇宙でもある。

余「よく、こんなことがあるのですか。余ははじめて見たが」

川o・-・)紺野「たびたびこんなことが」

(ё)新垣の生体活動にどせんな変化が起きているのだろうか。しかし、こんなことでもなければ妖怪だとは言えない。

 (●´ー`●)安部にしろ、川o・-・)紺野さんにしろ、外見はふつうの女だ。妖術を使わない限り、妖怪だと判然としない。しかし、(ё)新垣は違う。まず空中を浮遊する。水平飛行しか出来ないが。地上の一メートルと二メートルのあいだを地上のすべての物質が束縛されている重力というものから解放されている。これを万有引力の発見者のニュートン翁に見せたら自己の著述をすべてかき破って煩悶するに違いない。そして造幣局長官の地位も得ることが出来ずに、古典力学の集大成者としての栄光に満ちた生涯をのちの伝記作家は書くことも出来ないだろう。神秘主義思想家でもあったが、のちの相対論の道程を作ったニュートンを完全に精神的錯乱に陥れる(ё)新垣とは一体どんな存在なのだろうか。このまま一生この液体の中で眠り続けるのだろうか。しかし、(ё)新垣と眠り姫とではイメージが違いすぎる。そう思いながら(ё)新垣の様子を見ているとじょじょに(ё)新垣のまわりを包んでいるゼリーが空中に気化していく。その外形がみるみる小さくなっていくのがわかった。

川o・-・)紺野「滝沢くんの写真を見せるといつもこうなってしまうんです」

余「狼男が満月を見ると変身してしまうようにですか」

川o・-・)紺野「そうなんです」

見る見るうちに新垣を包んでいたものがすっかりとなくなってしまって床板をうつぶせになって抱いている全裸の(ё)新垣が姿を現した。二つに分けた髪ももとのままだった。つぶっていた目を開けてこっちを振り返ると川o・-・)紺野さんは(ё)新垣の服を投げ入れる。(ё)新垣はまたシャツの前のボタンを合わせ始める。

 余はまた妖怪たちの神秘を見せてもらった。よく局地へテレビの取材をして造化の

神の神秘を編集するテレビ局が、オーロラとか、巨大なアマゾンの淡水魚とか、お茶の間に提供するが、妖怪、(ё)新垣の存在はそれにまさるとも劣らない、珍奇なものである。こんな珍妙な珍獣を発掘してくれたテレビ東京、ありがとうございます。その苦労に感謝して深く頭を下げる余であった。

 玄関の方で中庭の五段の棚にならべられた五葉松の盆栽越しに、川o・-・)紺野さんや、(ё)新垣、そして余の名前を呼んでいるようだった。しかし、アルバイトの女がいないようなので返事をするものもいない。この部屋の住民にはその声も聞こえない。郵便屋さんだろうか。玄関では何の反応もないのであきらめて帰るだろうかと思いきや、訪問者は玄関の横の潜り戸を通って中庭の方に回ってきた。郵便屋なら不在者通知を置いて帰ってくるはずだが、ずいぶんと熱心なものだ。苔が一面に敷き詰められた庭先まで声の主はやってきた。そこでまた川o・-・)紺野さんたちの名前を呼ぶ。こんなところまでやってくるということは近所の知り合いが回覧板を持って来たのか、もしくはそのふりをした空き巣が人がいないか、様子を伺いに来たのかどちらかだろう。縁側の前でまた川o・-・)紺野さんの名前を呼んだ。そのときには川o・-・)紺野さんも(ё)新垣も服を着終わっていた。余たちが部屋の雪見障子を開けて縁側に出て行くと髪を金色に染めた男が立っている。余はその男を一目見て驚いた。ゴルフ場のそばのレストランで余の横に座って娘について語っていた男ではないか。

余「あなたは」

「あなたこそ」

余「つんく乱心」

「湯治客」

余「なんで川o・-・)紺野さんや(ё)新垣のことを知っておるのかな」

つんく乱心「市長の使いで来たんですよ。市長と云ってもあの女の使いなんですけどね」

余「どんな用件で、(●´ー`●)安倍が用があるんだと言うのですかな」

つんく乱心「そうです。有名なフランス料理のコックが来ているので、川o・-・)紺野さんや、(ё)新垣さん、それにあなたに料理を食べに来ないかと言いに来たんですよ。市長の別宅に来ているんですよ」

余「毒味係りはいますかな」

つんく乱心「なんですって」

余「毒味係はいますかな、と聞いたんですよ」

つんく乱心「また、なんで」

余「この前なんか、ここに小荷物爆弾を送って来た人間がいるんですよ。事前に発火装置を解除したもんですから、良かったですがね。こう見えても実はわたしは医者なんです。それも産婦人科医をやっています。四十八年前に亀戸の厚生福祉病院というところに勤務していました。そこで大変な事実を握っているんです。あけぼの銀行の若い後継者がいますね。最近不審な死を遂げた。名前は琴頼実数という奴ですよ。あの男は実は先代の琴頼整数に恨みを持っている男の息子なんですよ。実は赤ん坊のとき故意に取り替えられたんです。恨みを持っている男は摂津極基地というんですが、摂津極基地の店をつぶした男なんです。琴頼整数というのは、つまり自分のためにその土地がどうしても欲しくて奸計を持って摂津極基地の店をつぶしたんですな。そこで極基地は遠大な復讐計画を立てました。自分の生まれたばかりの赤ん坊を取り替えて成人して跡取りになったとき、そのコンツェルンをめちゃめちゃにしようと思ったんです。そこであけぼの銀行の跡取りに就任しようとしたとき、実の身分をその子供に知らせて復讐劇に荷担させようとしたんですが、息子が現在の身分の方が復讐劇よりも重要だと思って拒否したのでね摂津極基地はかっとなって琴頼実数を殺した。しかし、この物語はフィクションであって現実の実名とは関係がありませんよ」

つんく乱心「じゃあ、作り話だと言うんですか」

余「違いますよ。本当の話ですよ。わたしは亀戸の病院に勤めていたんです。関係者に迷惑がかかると思って偽名にしているんですよ。わたしはそんな重要な秘密を知っているものですから、命を狙われているんですよ」

そう言ってから余は用心深く周囲を見回した。

つんく乱心「その話は聞いたことがある。昨日の社会派サスペンスドラマでやっていたものではありませんか」

余は下を向いてじっと下唇をかみしめた。実は昨夜の九時からやっていたドラマだということは事実だった。川o・-・)紺野さんや、(ё)新垣と一緒にポテトチップをかじりながら見ていたテレビドラマだったが、余は本当のことだと思っていたのだ。

余「認めないからね。全部だよ。全部。(●´ー`●)安倍と市長の結婚なんて認めないよ」

余の頭の中で変なところの神経回路がつながって大きな声を出した。

つんく乱心「誰も市長と(●´ー`●)安倍豚の結婚なんて望んでいませんよ」

余「聞いちゃった。聞いちゃった。自分の娘のくせに(●´ー`●)安倍豚なんて。嫌っているんだ。嫌っているんだ」

するとつんく乱心は指を唇に立てた。

つんく乱心「しー」

むずかしい政治関係の言葉でダブルスタンダードという言葉がある。日本語に直せば二重基準、すべてに敷衍させることがものの道理である。例外を認めずに何にでも使えればそのほうが良い。二重基準とはその反対の方向を言っている。だから否定的な言葉として政治上は使われるようである。余の頭の中でもこのダブルスタンダードが存在する。助役のつんく乱心と娘の生みの親としてのつんくである。しかし、いみじくも、つんく乱心は(●´ー`●)安倍のことを安倍豚と呼び、安倍を嫌っていることを世間に暴露してしまった。これはえこひいきである。生みの親が自分の娘をえこひいきしてしまった。だから誰がお気に入りかと言えば余の知り得る範囲を超えている。しかるに親と呼ばれたり、指導者と呼ばれるものにもっとも必要とされる資質は娘を同等に扱うことである。しかし、つんく乱心は安倍を嫌っていると公言してしまった。もちろん面と向かって言っているのではない。しかし、言ったと同然である。十数人の娘に取り囲まれているつんく乱心の言う言葉だろうか。それからさらに人数が増えるというではないか。つんく乱心はこの乙女の園にいらぬ波風を立てて何がおもしろいのだろう。

 しかし、余は通りすがりの湯治客である。つんく乱心と娘たちとなんの利害関係もない。そこで相談だが十数人も娘がいればお好みの娘もそうでないものもいるのは人の常である。理屈で人が動くものではない。情もあるだろう。余は娘とはなんの関係もない。そして自慢ではないが口も堅い。誰に口外する心配もない。心に抱いていることを言わないのは腹ふくるる業であろう。つんく乱心が安倍を嫌っていることはわかった。ではほかに誰が嫌いなのか、余に教えて欲しい。それを口外して波風を立てたいというのではない。つんく乱心がストレスがたまるのをうえるのである。

余「言いましたね。安倍豚と。その言葉を聞いてすっきりしました。余はあなたと友達になれるような気がします。あなたの高邁な精神の息吹を感じました。それであと誰が嫌いなんですかな」

つんく乱心「あなたは何か勘違いをしているようですね。たしかにシャランQにつんくという人物がいて、娘をプロデュースしました。でもわたしはつんく乱心でつんくではありません。でも安倍豚が嫌いだということは事実です。それにあなたの話は昨日のテレビドラマじゃありませんか」

余の頭の中はこんがらがってきた。では余の横にいる川o・-・)紺野さんは一体誰なのだろう。それに(ё)新垣もいる。(●´ー`●)安倍にいたっては肉体関係まで結んでいるというのに。(●´ー`●)安倍、帰って来ておくれ。余は待っているよ。お塩に捨てられる前に戻ってくるのだよ。

つんく乱心「さっきから言っているではありませんか。市長の別宅に高名なフランス料理のコックが来ているからごちそうを食べに来ませんかって」

余「今、言ったでしょう。余はここに小包爆弾まで送り届けられるくらい重要な秘密を握っている人物である。それにえびすという名前が気に入りませんよ。なんで恵比寿と書かないんですか。最初、余はひること読んでいましたよ。ひるこだったら妖怪と仲良く出来るわけがないんですから。ほとんどの人はわからないでしょうけど。ひるこという名前は妖怪と相性が悪いんです。だから、(●´ー`●)安倍と仲良く出来るわけがない」

横でひるこだとどうしてわたしたちと仲良くなれないんですかと川o・-・)紺野さんが聞いてきた。それは妖怪ハンターひるこという映画があったからだよ。川o・-・)紺野さん。あまりにくだらないおちですいません。

つんく乱心「わたしだってあんな(●´ー`●)安倍豚の使いでこんなところまで来たくないですよ。でも、妖怪ってなんのことですか。それにおいしいフランス料理を食べたくないんですか」

フランス料理と聞いて、川o・-・)紺野さんと(ё)新垣がぴくりと耳を動かした。

川o・-・)紺野「わたし、行きたい」

(ё)新垣「ニイガキ、ニイニイ」

つんく乱心「外に車を待たせてありますから」

 蛭子市長の別宅は山間の炭焼き小屋があるようなところにあった。しかし、その場所に行けるように舗装はされていなかったが道は整備されていた。田舎家の木曽の合掌づくりのような建物で駅のそばにある山海亭よりもさらに立派で豪壮な建物だった。この中で(●´ー`●)安倍は市長の愛人として収まっている。売春行為から足を洗ったことは喜ばしいが、(●´ー`●)安倍は遠くに行ってしまった。

つんく乱心「市長、帰って来ましたよ」

ドアが開くと着飾った(●´ー`●)安倍が姿を現した。

(●´ー`●)安倍「あさみ、理紗も来たのね。あら、あんたも来ていたの」

(●´ー`●)安倍は余のそばに来るとそっと耳打ちをした。

(●´ー`●)安倍「わたしは綾小路なつきということになっているからね。わたしの本名を言ったら承知しないからね」

どうやら(●´ー`●)安倍はやはり天皇家のお知り合いのふりをしているらしい。おそれ多いことである。この天然の詐欺師女はどうしたらこういうペテンの種を見つけてくるのだろう。

 それから市長のひるこではなく、蛭子が出てくる。毎晩、この男が(●´ー`●)安倍豚の肉体をまさぐっているのかと思うと敵愾心がむらむらとわき起こってくる。つい最近までは余がこの女妖怪の身体の所有者だったのだ。ああ、あの頃が懐かしい。帰って来ておくれ。(●´ー`●)安倍。

蛭子「みなさん、よく来てくれました。フランス料理界の巨匠、不穏度望さんが来ているんですよ。なつきのお友達を呼んでフランス料理を楽しんでもらおうと思って呼んだんですよ」

蛭子市長の文末はぐるぐると丸く折り畳まれて、外側には伸びていかない。上唇から二本だけ歯が出ていてあとの歯は口の中に収まっているのと同じだ。二本だけ歯が出ているとビーバーというあだ名がつくだろうが、この男には間違ってもそんな可愛いあだ名はつかないだろう。こんなヌーボーとした男がなんで市長までのぼりつめたのか不思議である。目が笑っているが一歩間違えば凶悪犯人のような表情になる。

 一言で言えば犯罪者の顔である。「断定」

もっとも(●´ー`●)安倍とはおそろいである。(●´ー`●)安倍と並ぶ男には爽やか系は似合わない。お塩と別れて正解である。ぐだぐたと崩れて腐臭を発するくらいの恋愛劇を演じなければならない。あみ子ちゃん、滝沢くん、のプラチナトライアングルの三角関係に参加するためにはキャラがあまりにも違うのである。(●´ー`●)安倍が滝沢くんに好かれる道理がない。(●´ー`●)安倍よ、自分を知れ。そして余のもとにまた戻ってくるのだ。ひるこ市長の愛人に収まっているのが席の山である。それにしても(●´ー`●)安倍はどこに行ってしまうのだろうか。

 蛭子「みなさん、こっちの部屋に来てください。そっちの方で料理が出来ていますからね」

(●´ー`●)安倍は蛭子市長の横で市長夫人のようにふるまっている。余たちとつんく乱心は蛭子市長のあとをついて行った。

 この合掌作りは外見と中身は随分と違っていた。

外側は田舎風だったが、中は白木を多用していてまるで神殿の中にいるようだった。そして余はその廊下を歩いていて気づいたことだが内部のところどころに監視カメラが用意されていて、物陰には警察の格好をした黒い陰がちらついている。

 蛭子市長が最後に案内する部屋の中に入るとそこには大きなテーブルが置かれていて、テーブルの上には色とりどりの花が飾られていて銀の食器が並べられている。外は床から天上までつながっている大きな窓ガラスがはめ込まれていて外にはいろいろな食材、おもに香草類が栽培されている。どうやら窓ガラスは防弾の二重ガラスのようだった。

 それよりも変なところはこの部屋の一角に神棚がおかれていてそこにはサツマイモが一個飾られていることだった。

市長が席に座るように言ったので余たちは着席した。

すると前菜が運ばれた。余たちはスプーンを取り上げた。

川o・-・)紺野「おいしい」

と一言発する。

川o・-・)紺野「でも、なんでこの部屋には神棚があるんですか。それにサツマイモが一本だけ飾られている」



***************************************************

川o・-・)紺野さんがそう言うと蛭子市長は満足げな笑みを浮かべる。(ё)新垣はただがつがつとスープを食べている。そのうち皿にかぶりついてがつがつとかみ砕き始めたが誰も注意を向けなかった。それほどこの部屋に置かれた神棚とそれにその上に置かれたサツマイモに注意をひかれたからだ。待ってたとばかり、いつの間にか、蛭子市長と長年連れ添ってきたと言わぬばかりに(●´ー`●)安倍豚が前に進み出てくると口を差し挟んだ。

(●´ー`●)安倍「市長は市長なだけではありません。おさつ教の教祖でもあり、開祖者、おさつ大明神でもあらせられるのです」

川o・-・)紺野「おさつ大明神」

(●´ー`●)安倍「ここに奉られているおさつはただのおさつではありません。遠い昔、楠正成公が兵をあげてからごく少数の手の者をつれてここに立ち寄ったことがあります。ここの温泉の霊験があらたかなる噂を知っていたからです。それと言うのも後醍醐天皇の挙兵のみことのりのあと、大楠公は皮膚病を患ったことがあったからです。その治療のためにこの温泉に来ました。しかし足利尊氏の手の者が密かに大楠公を付け狙っていたのです。ごく少数のつれの者しかつれていなかった大楠公は身の危険を感じて舟で沖の小島に逃れて様子を見ることにしました。そこで漁師に舟を出すように言いましたが漁師は金を出さなければ舟を出さないと言います。ちょうどそのとき大楠公はお金を持っていなかったのです。困った大楠公が地面を見ますとさつまいもの種が地上に少し顔を出していて茎が一本だけ出ていて葉が一枚そのさきで広がっています。そしてわたしを使って下さいという声が聞こえました。そして大楠公がそのさつまいもを手にとると種から葉のさきっぽまで金色に輝いています。さこで種を少しちぎってみると確かにそれは金だったのです。その金を漁師に渡して沖の小島に身を潜めた大楠公は命拾いをしました。そのさつまいもがそこに飾られているおさつなのです。おさつに選ばれた方がそのおさつを持つと金色に輝き金とかわるのです。代々そういうお方がこの那古井の地に現れました。その最初の方が大楠公であらせられます。その方はおさつ大明神と呼ばれる現人神でもあらせられます。そこでこの霊験灼かなみしるしに目覚めた蛭子市長はあさつ教を始めました。市長はおさつ教の教祖さまでもあります」

(●´ー`●)安倍は教祖の妻であるかのように神の言葉を吐く、市長の人間語への翻訳者であるかのようだったが、地上をつちのこのようなものが一瞬よぎったような気が余にはした。そのあとで大きな神棚の上で変な毛虫みたいなものが上に横たわっていて毛虫の口からさつまいもの葉っぱが一枚だけ出ているのは前衛的な生け花のようだった。余は(ё)新垣がそのさつまいもを食ってしまったということがすぐにわかった。すると大統領警備の警官みたいな人間たちがどかどかとこの神殿の間に入って来て、神棚の上でビキニの水着を着たプレーボーイのモデルのような格好をしながら口からさつまいもの葉っぱを出している(ё)新垣を引きずりおろすと数人で羽交い締めにした。

(●´ー`●)安倍「お前なんてことをするの」

(ё)新垣「キュウ、クルクル」

またわけのわからない新垣語である。蛭子市長はお供えの破魔矢を三本ほど束ねるとばきっと音をさせて折ってしまった。

「御神体を。御神体を」

蛭子市長の声はわなわなと震えている。

「あんた達、帰ってよ」

(●´ー`●)安倍がいらって声を荒げた。そして新垣に罵声を浴びせる。

余は紺野さんと一緒に帰ることにした。おそるおそる五六人の屈強な男たちに組み敷かれて手だけかろうじて出ている新垣をつれて帰ろうとすると蛭子市長がそいつだけは帰すわけにはいかないと言ったのでこそこそと余と紺野さんはその屋敷を出て宿へ向かう田舎道をとぼとぼと歩いた。

「新垣はどうなるのだろう」

「妖怪は不死身ですわ。ブラナリアという生物を知っていますか。いくら細切れにされてもその分身が成長して同じものがいくつも現れるのです。新垣はブラナリアと比べようもない生命力を持っています」

「じゃあ、新垣は死んでしまうことはないんだね。むしろにぐるぐる巻きにされてコンクリートで固められて海の底に沈められてしゃこや手長海老の餌になってそのうち苔や珊瑚が生えて来て光合成を始めるなんてことはないんだね」

紺野さんは確信を持って言い切った。

「新垣は不死身です」

その紺野さんの言葉が嘘でないということはしばらくするとわかった。余と紺野さんがのこぎりみたいな葉をしたタンポポが脇に生えている田舎道を歩いていると杖をつきながら新垣がとぼとぼと歩いて来た。余と紺野さんは思わず後ろに見える新垣のところに駆け寄って言った。

「新垣」

余は絶句した。

(ё)新垣「ニイガキ、ニイニイ」

左目を腫らし、おでこのところには青あざの出来ている(ё)新垣が笑った。この道を通ることは知らないはずだ。どうやって余たちがこの道を歩いていることを知ったのだろうか。それよりも不思議なのはあの屋敷をどうやって抜け出して来たのだろうか。余はまたここで自然の玄妙にして霊的な神秘を感じる。それにしてもあの連中にはだいぶやられたみたいである。百メートルの高さから落下しても傷一つ負わないはずの(ё)新垣が杖を突き、びっこを引いて歩いて来たからだ。しかし、そんなことも関係のないように(ё)新垣は背中に背負った風呂敷包みを指さしている。

(ё)新垣「ニイガキ、ニイニイ」

余がその風呂敷包みの中を探ってみるとごろごろしたものがたくさん入っている。

「あっぱれ。新垣」

余と紺野さんは思わず手を叩いて喜んだ。(●´ー`●)安倍豚と蛭子市長たちのリンチを受けながら、その手を逃れてその上ににぎりめしまでかすめて来るとはここ掘れワンワンと吠えて金の小判の詰まった瓶を花咲かじいさんに教えた犬よりももっと忠犬である。

余たちは道端に生えている一本の木の根本に座って新垣が蛭子の屋敷から盗み出して来たにぎりめしをほおばることにする。この木の下には何が埋まっているのだろうか。新垣が持っているにぎりめしの包まれた笹の葉の上にあるたくあんをひとつまみ手を伸ばして捕ると余はそれを口の中に入れた。あんなに目にあざを作り、びっこまで引いていた新垣の怪我がみるみる間に直っていく。月の満ち欠けや海の潮のようにそれが決まっているできことでもあるようだった。余たちは下を向いてにぎりめしをむさぼり食っていたが、涼やかな声が聞こえてくる。

「みんなでハイキングですか」

余も紺野さんも新垣も顔を上げた。そこには余の憧れの人、井川はるら様がお立ちになっているではないか。

「座っていいかしら」

余たちがにぎりめしを半分口にくわえたままではるら様の顔をじっと見つめていると余たちの返事を聞かないまま新垣の横に腰をおろした。原た泰三がいないことは何よりも好ましい。そして前の方の杉木立の向こうに見える春の山を見ながらにぎりめしのひとつをつまんだ。

「家族っていいわね」

はるら様は相変わらず涼やかな目で前方を見ながら誰に聞こえるでもなくつぶやく。

まったくはるら様は妖怪たちと余の関係をどういうふうに感じているのだろうか。余と彼らが契約を交わした間柄であるという事実を知らないのだろうか。もちろんそんな秘密を言うことは出来ない。つまり彼らとの間には夫婦としての契約も成り立っているのだからだ。

「夏目さん」

「なんでしょうか」

「わたしには家族がいないのです。わたしの実の父も母も外国航路の船の旅の途中で突然の事故で死んでしまったのです。叔父の家に養女として入って育てられたのです。でも、勘違いしないでください。そこでわたしがいじめられたというわけではありません。叔父は充分わたしを可愛がってくれました。でも、違うのよね。どこかが。やっぱり本当の家族ではないということを感じることがあります」

やはりはるら様はどこか遠くを見ている。

「でも、家族だって仲がいいというわけではない人たちもいますよ。その反対に他人でも仲のいい人たちもいますよ」

「でも、あなたたちは仲がいいのでしょう」

「余たちがですか」

余はこいつらは人間じゃなくて妖怪で、余は人間であるからして水と油である。それよりも何よりもあの(●´ー`●)安倍豚の無軌道な行動を見たのかと言いたかった。まだ妖怪契約を結んでいるのに市長の愛人に収まってやりたい放題のことをやっていると。

「暖かいスープ。暖炉の火。家族揃って初詣に行くこと。そして家族みんなが健康で長生きが出来ますようにと祈ること。芝生のある家に住んで自分の子供をそこで遊ばせるの。そんなことをやって見たいわ」

そう言って新垣の頭をぽかりとやった。

「でも、遺伝学の研究から人類はみんなアフリカにあるひとりの母から生まれたのだということを聞いたことがあります。だから、みんな家族だということも言えますよ。それをたどっていくと一つの脊椎動物に行き着くわけですが」

余があまりにももんきり型のことを言い、建前だけのことを述べていると川o・-・)紺野さんが余の脇腹をつついた。そして妖怪の特技であるテレパシーを使って余に話かけてくる。

川o・-・)紺野「ご主人さま、チャンスです。チャンスです。はるら様は精神的に不安定な状態になっています。そんな家族のことを話題にするのははるら様が何かを求めているのに違いありません。ご主人さまおわかりになりませんか」

余は改めて川o・-・)紺野さんの横顔を眺めた。

余と夫婦の関係にありながらこんな忠告を与えてくれるなんてなんて可愛いしもべなんであろう。余は焦って声がのどにひっかかる。そして突然くだらない質問をしてしまった。

「原た泰三氏はどうしたのですか。最近仕入れた情報なんですが、あの人、結婚しているんですってね。それもできちゃった婚らしいですよ」

すると余は自分の失敗に気づいた。急にはるら様の表情はみるみる曇っていったのである。

「私、帰ります」

そう言うと急に立ち上がりぷいと向こうを向いてずんずんとどこかに行ってしまう。

「何か、変なことを言ったのかしら」

余には見当もつかない。

「紺野さん、余は何か変なことを言ったのでしょうか」

川o・-・)紺野さんも沈黙したまま、何も答えようとしない。もちろん、(ё)新垣が答えられるわけがない。しかし、原たという言葉を聞いた途端にはるら様の態度は豹変した。その言葉にそれほどの影響力があるということである。もちろんその言葉にあらわされる実物によってである。余の心の中でふたたび原た泰三の存在が大きくなる。春の一日に余の心の中には木枯らしが吹きすさぶ。

「今度から余のことをおとたまと呼んで欲しい」

「おとたま」

「おとたま、にいにい」

傷のすっかり直った(ё)新垣がつぶやく。

「はるらさまぁぁぁ~あ」

余は心の中でブルースを唱った。

 余はすっかりニヒリズムに陥っていた。生きることになんの価値があるのだろう。

 宿に戻る途中の駅の公衆電話の前に川o・-・)紺野さんがつんく乱心を発見して余の腕を引っ張る。余は言いたいことがある。お前が市長の変な晩餐会に招待するから、(ё)新垣だってリンチにあって、こんなに顔だって傷だらけじゃないか。と詰問したかったが振り返って(ё)新垣の顔を見るとすっかり怪我も治って何事もないようになっている。

 不死身なり、(ё)新垣。

そこでそのことについては責任を問えないことに気づいた。しかし、つんく乱心の方は余たちに気づいていない。少し離れた駅の公衆電話のところに行くともう一つの公衆電話の方に十円玉を十個ほど入れた。川o・-・)紺野さんがこの前、発見したことだがこの電話でつんく乱心のかけている方の電話番号を回すと向こうの話している電話が聞こえることを発見した。その電話番号を回す。つんくの声が聞こえる。

「今、温泉にいる。那古井という温泉だよ。地図にも載っていないぐらい辺鄙なところだ。でも、今の僕にはそれがぴったりだ。心が落ち着くよ。娘も連れて来たかったな。それで娘はみんな集まっている。そう。****だけがいない。いいよ。それでも、じゃあ、みんなに僕の声が聞こえるんだね。娘たち、元気かな。****だけはいないって聞いたけど。まあ、いいや。この前、(●´ー`●)安倍に関して変な噂が立ったのを聞いたかも知れない。俺が安倍豚なんて言ったなんてことを言っている奴がいるらしい。そのうえ俺が娘たちの仲で好きな奴と嫌いな奴がいるなんて噂を流している奴もいる。・・・・・・・・・・」

そこでつんく乱心の言葉は途切れた。

「娘。娘がおれにとってどんなものか。俺の遺伝子の一部みたいなものだということは明らかだ。そう、お前らは深い海に沈んでいた真珠だった。そして俺は素潜りで真珠を取る漁師みたいなもんだ。俺は深い海の底に光り輝くものを見つけた。俺が娘のひとりでも嫌いになるなんてことがあると思うか。娘を嫌いになるなんてことは自分の手や腕を切り落とすことみたいじゃないか。俺は娘がみんな好きだ。ひとりも嫌いな奴なんていない。そう安倍のことを俺が安倍豚なんて言うわけがないじゃないか。ふたたび言う。俺は娘が好きで好きで仕方ない。・・・・・・・・・・・・・娘たち、俺について来てくれるか」

電話の向こうではすすり泣きの声が聞こえる。あほの石川なんかは滂沱の涙を流しているようだ。

そしてつんく乱心は電話を切った。そこでまたあわてて電話番号を回す。電話のベルの鳴る音がして向こうの相手が電話に出る。

「もしもし、あら、つんくさん」

第一声で余にはわかった。それがモーニングむすめっこの一員であることを。そしてつんくさんと言う声の調子にどうしようもなく艶っぽい部分がある。それもさっきの電話には出て来ない娘である。****である。しかし、余はその名前を挙げることが出来ない。つんく乱心の声はやたらにはしゃいでいるし、うれしそうだった。

「今、那古井って温泉にいるのよ。どういう風の吹き回しかわからないけど、ここで市の助役をやっているわけ。今日は暇なの。どう来ない」

「なんで助役なんてやっているんですか」

「あの変な漫画家、知っている。蛭子とかいう。あいつが市長をやっているわけよ。まあ、そんなことより、いつになったら、僕のプロポーズを受けてくれるのかな。もう告白してから半年になるよ。ほかのメンバーは客観的に選んだけど、****だけは私情から選んでいるって知っているよね。最初から何年か後には僕のお嫁さんにするために選んでいるんだからね」

「でも、ほかのメンバーに対して悪くって」

「****が遠慮することはないさ。みんな幸福になる権利があるんだからね」

「でも、つんくさん、あなたの気持はよくわかるんですが。わたしのことを愛してくださる。でも、まずい、メンバーのひとりが入ってくるので電話を切ります」

その電話を聞きながら余は怒りで胸がわなわなと震え、身体中の胆汁が頭部にまわって顔は土気色になった。(●´ー`●)安倍から逃げられ、はるら様の心の秘密の銃弾に脳髄を撃たれ、虚無的無政府主義者に陥っているというのに、余はデカブリストの乱を勃発させたい衝動で血液が逆流した。余はつんく乱心のところにずかずかと進みよるとわめいた。

「ペテン師、色男、蜘蛛男。****が好きなら好きだって、正々堂々と言えよ。そんなに娘の中でも****が好きなのかよ。じゃあ、早く、****を娘から脱退させて結婚しちゃぇばいいだろう。お前のお嫁さんにすればいいだろう。えこひいき。えこひいき。えこひいき。可愛子ちゃんに囲まれていながらそんなことをするなんて、世間は絶対許さないからね。あほの石川が泣いているじゃないか」

ここで石川の名前が出て来た。そして余の隣には川o・-・)紺野さんと(ё)新垣がいる。そうすると****は一体誰なのだろうか。消去法で答えを見つけるしかない。

まず、石川が抜ける。そして川o・-・)紺野さんと(ё)新垣が。すると残りは、保田、ここにはいないので当然、(●´ー`●)安倍は入る。飯田、矢口、吉沢、辻、加護、高橋、小川、その中にいることになる。

誰なのだ。余は自分の不幸も忘れてこの問題にすっかりと心をとられていた。

「****、ひとりのために他のメンバーをみんな犠牲にするのかよ。なんのために歌や踊りのレッスンをしてきたんだよ。この青ひげ、石川を泣かせた男」

そう言いながら横ですすり泣きの声が聞こえる。横で川o・-・)紺野さんが余の袖をひっぱりながらもうやめてという合図を送っている。あの下等生物の(ё)新垣までもが泣きながら余のズボンを引っ張っている。こんなあどけない娘の澄んだ瞳を濁らすことなんてこんなペテン師のつんく乱心なんかに出来るはずがない。お前なんか、****と裏で楽しくやりながら娘たちをだまくらかしていろ。余はつんく乱心にかかわることがひどく下等なことに思えてその場を離れることにした。つんく乱心はまた****に電話をかけなおしているようだった。

 滝沢繁明、純愛を貫く立派な男である。

 つんく乱心、娘をだまくらかして****だけをえこひいきしている悪い男である。

駅の横を通り、山海亭の横を通ると看板を業者が掛け替えている。驚いたことにその掛け替えようとしている看板を見て驚いたことにはその店の名前が安倍亭に変わっていることだった。その様子を元の店の主人が見ていた。

「なんで山海亭という名前を変えちゃうんですか」

「蛭子市長のせいですよ。市長のところに変な(●´ー`●)安倍とかいう愛人が入って来て、入れ知恵をしたんですよ」

それから詳しい法律の話になってきて余にはよくわからなかったのだが(●´ー`●)安倍がこの店の名義を買ったらしい。安倍、出世したな。余は余のもとを去った安倍に聞こえないだろうがつぶやいた。蛭子市長と結託した安倍の那古井支配は着々と進もうとしていた。

 それから数日後、信じられない光景を余はテレビで見た。ウインブルドンで優勝した日本人テニスプレーヤーが招待されることが話題になっている天皇陛下の催される春の園遊会をカメラが映しているときだった。そのテニスプレーヤーをカメラが追っているとき、その横に誰あろう安倍豚と蛭子市長がモーニングを着て突っ立っているではないか。あの(ё)新垣リンチ事件から数日しか経っていない。どうやって潜り込んだのだろうか。信じられない。余は自分の目を疑った。

 その夜、見知らぬ男から電話がかかってきた。蛭子市長のことを調べているフリーライターだという話だった。昔から蛭子市長にはいかがわしい噂しかなかったらしい。蛭子市長の悪行には余は興味がなかった。その男が注目しているのは最近、身元不明の綾小路なつきという女が市長の愛人に収まっていて、さらに市長の不正行為が度重なっているとい話だった。そして調べていくとその女の本名が安倍なつきといい、温泉客のところに着た居候だということを確かめた。そしてその温泉客というのが余のことだとわかったというのだ。どうやらその男は安倍豚のことも直接対談したらしい。その話によると安倍豚は自分が天上人になった気分でいるらしい。そして市長の権力をかさに着て弱者を随分と泣かせているらしい。昔の江青婦人のようだと言っていた。しかし、少し、救いのあるのは初恋の人のことを忘れていないようだということである。その初恋というのもほんの数週間前のことであるが。その人の名前は滝沢繁明ということも教えたらしい。しかし、その人のことは調べるなと釘をさしたらしい。

 余の心の中には木枯らしが吹きすさぶ。滝沢繁明とあみ子ちゃんは純愛を貫くことによって、井川はるら様と原た泰三氏は学問的興味によって結びついているのだろう、たぶん。そして安倍豚にいたっては市長の愛人に収まることによって権勢を思うままにふって楽しんでいる。

 しかし、余は不幸である。(●´ー`●)安倍においていかれたふたりの妖怪たち、川o・-・)紺野さんと(ё)新垣も不幸である。

このやるせない精神状態をいかにしたものだろうか。余が温泉からあがって自分の部屋に戻ると川o・-・)紺野さんと(ё)新垣はすやすやと寝息をたてている。まだ目が覚めていて眠りにつけないので手元にあった漫画雑誌をぱらぱらとめくる。その話がまた余の心をなえさせるものだった。話は暴力団の話である。組長に若くて美しい愛人がいる。その暴力団の下っ端の方に若い男がいる。愛人は気晴らしに若い男を誘惑する。若い男と愛人は逃避行をする。若い男は命がけの仕事だったが、愛人にとっては気晴らしにすぎなかった。あきた愛人はみずから組長のところに自分の居場所を告げる電話をかける。そして若い下っ端は組に見つかりリンチを受けて死んでしまう。愛人はもとのさやに収まる。別にこれは暴力団だけの話ではないような気もする。余にはその愛人の顔と(●´ー`●)安倍豚の顔が重なった。しかし、そんな性悪女の(●´ー`●)安倍豚も今は余のそばにはいない。そんななえさせるような内容の漫画を見たあとでどういうわけだろうか。夢の中で余は(●´ー`●)安倍と中学の教室の中で見つめ合っているのだ。そのときの空を飛んでいるような不思議な気持は何とも例えようがない。あまりにいい気持だったのに目が覚めてしまう。そこでそれが夢の中のできごとだったことを覚った。それからまた眠りにつく。今度は祖父の夏目漱石が出て来た。そして漱石が余に問うた。

「自分の心の中を探って見ろ。本当はお前は(●´ー`●)安倍が好きなのではないか」

「はい」

余はなんとなく返事をした。

「お前を見ていると心細い。余が孫子や孔明の研究から得た知識を授けよう。(●´ー`●)安倍は市長の愛人になって権力を得た。そして何でも出来る気分でいる。しかし、(●´ー`●)安倍の心の中には空隙がある。市長の愛人になったからと言っても出来ないことがあった。それは滝沢くんの愛を得ることである。そこでお前が余の子孫としてあまりにもほっとけないほどたよりにならないのでいい知恵を授けよう。これを落とし穴、ポッの軍様という。まず、滝沢くんと(●´ー`●)安倍をふたたび近づけるのだ。そして(●´ー`●)安倍をその気にさせる。つまり滝沢くんが自分のことが好きなのではないかと思わせるのだ。そして落とし穴、ポッ作戦だ。実は滝沢くんはあみ子ちゃんのことが好きで(●´ー`●)安倍のことなんてなんとも思っていないということを実感させる。そこで(●´ー`●)安倍は落とし穴に落ちるわけ。そのときお前が行くのだ。手をさしのべるのだ。すると孤独な(●´ー`●)安倍の魂はお前に近寄って行くというわけ。世話の焼ける子孫だな」

「ありがとう。ご先祖さま」

余はご先祖さまの話を聞きながら涙がこぼれてきた。あんないかめしい顔をして千円札の表紙になっているわりには余に経済的な御利益をくれないご先祖さまでしたが、やっばり余のことを考えてくれているのですね。早速、その作戦をやってみます」

余はその作戦を実行することにする。すぐに蛭子市長の別荘に電話をかける。最初、お手伝いさんが出てくる。多少の押し問答の末、(●´ー`●)安倍豚本人が出て来た。

(●´ー`●)安倍「誰かと思ったらお前かよ。このゴミが」

余「そんな言い方はないと思います。一応戸籍上は夫婦ということになっていますから」

(●´ー`●)安倍「お前なんかと口を聞くのもわずらわしいんだよ。一体、わたしを誰だと思っているの。この平民が。昔だったら、打ち首にしても文句は言えないんだよ。このかすが」

余「ごもっともでございます。春の園遊会の姿を御覧しましたよ。また一段とお美しいお召し物でありましたね」

(●´ー`●)安倍「お前なんかにほめられたってちっともうれしくないと言っているだろう。このぼけが」

余「実はわたしのことではないのです。滝沢くんのことなんですが」

(●´ー`●)安倍「えっ、繁明さま。繁明さまのことなの」

余「滝沢さまのことでございます」

(●´ー`●)安倍「早く、教えて。ねえ、早く、早く」

余「実は滝沢さまはあみ子さまとお別れになりました」

電話の向こうで下品な笑い声が聞こえる。

(●´ー`●)安倍「どうして。どうして。原因は。原因は」

こんな単純に喜ぶなんてやはり妖怪は人間よりも単純に出来ている。

余「実は滝沢さまの本心があみ子さまに伝わってしまったのです。その本心というのも滝沢さまが本当に好きなのは」

(●´ー`●)安倍「本当に好きなのは」

余「安倍さまだということがわかってしまったからです。それで滝沢さまから余のところに話がありました。一度ゆっくりと安倍さまとお話がしたいと」

また電話口の向こうから下品な笑い声が聞こえる。そこで電話を切った。それから余は川o・-・)紺野さんと(ё)新垣を余の前に座らせた。

余「愛しているよ。娘たち」

川o・-・)紺野さんは恥ずかしそうに顔を赤らめた。(ё)新垣はグルグルと唸った。

「おとたまの一生のお願いだよ」

川o・-・)紺野「大人も子供もすぐ一生のお願いなんて言うんですね」

「本当におとたまの一生のお願い」

川o・-・)紺野「おとたまが、そんなに言うんなら、聞いてもいいかなあっと」

(ё)新垣「ニイガキ、ニイニイ」

余「妖怪は何でも出来るよね」

川o・-・)紺野「出来ることと出来ないことがあります」

余「余の姿を滝沢くんの姿に変えてもらいたい。明日、一日だけでいい」

余はふたりの妖怪に頭を下げた。

川o・-・)紺野「なぜですか」

余「理由は聞かないで欲しい」

川o・-・)紺野「いいですわ。おとたまの言うことを聞いてあげる」

(ё)新垣「ニイガキ、ニイニイ」

ありがとう。我が娘たちよ。血を分けた娘たちではないが余はきみたちのような娘を持って幸せ者だ。

余「ふたりとも、かき氷、食べに行く」

余はふたりを連れだってかき氷を食べに行くことにする。近くの小川の端を歩いているとむぎわら帽子を被った男が網を打っている。そのそばで腰をかけた女がその様子を見ている。

「房之進さん」

余たちの姿に気づいた男が手を振る。女の方も振り向いた。

滝沢繁明くんとあみ子ちゃんだった。余の計略のことを思うと少し心苦しい。相変わらず仲の良いふたりである。苦しいことはあっても幸せそうである。余は心の中でふたりに幸あれと祈る。

「これから、三人でかき氷を食べに行こうと思って。滝沢くんは何をしているんですか。あみ子ちゃんも一緒に。相変わらず、仲がいいですね」

「つりの餌をとりに来たんですよ。あみ子ちゃんの指導のもとですが」

ふたりはすっかりとくつろいでいた。ああ、幸福なふたり、幸福とはこういうものを言うのだろうか。その姿を見ながら余は何か崇高なものでも見たように胸が熱くなるものがあった。ふたりとも幸福で良かったね。こんな姿は江戸時代から、いや、もっと前から続いていたに違いないのだ。どんな社会体制でも歴史的背景があっても、一瞬でもこんなまどろみがあるに違いない。余は幸福な気分に浸りながらかき氷屋に入った。

****************************************************

 なんだかわけのわからないものを奉っている神社の裏にあるわき清水が貯まって小さな池になっている場所の前に余と川o・-・)紺野さんと(ё)新垣は立っていた。

川o・-・)紺野「おとたまのお願いというのでは仕方ありません。でも、どうしてそんなことをしようと思ったのですか」

(ё)新垣「ニイガキ、ニイニイ」

湯治客もこんなところにまでは来ない。あたりには人もいず、空を覆う神木の茂みの隙間からはちらりと空が見えるだけで隙間からはその姿を見せない空を飛ぶかっこうの声が聞こえるばかりだった。かっこうは地上の人を笑っているのか、はたまた神が姿を変えてその自分の存在を森の住人たちに知らせているのか。翼を広げて森のすべてを覆っているような錯覚を余に与える。昨日の夜から今日の明け方にわたって降った雨は足下の土を適度に湿らせている。池のまわりには奇態なかたちをした岩が取り囲んでいる。池というよりも水たまりと言ったほうがいいかも知れない。池の直径は五メートルぐらいしかない。その池の最大の、ちょうど真ん中をとおる径の水際の両端から大人が抱え込もうとしても出来ないような太さの杉の白木の柱が空に向かって立っている。その柱は上の方で直立しているほうと同じくらいの太さの二本の柱でつながっている。池をめぐる岩も平均して並べられているわけではなく三人の立っているわほうから向こうに行くにつれて高い峰を象徴するように高くなっている。

川o・-・)紺野「おとたま、わたしたちの妖術を変なことに使わないと約束してくれますね」

(ё)新垣「ニイ、ニイ、ニッ、ニッ」

余「もちろんだよ。おとたまの一生のお願い。どちらかというと人助けの面もあるんだよ」その人というのは他人ではない。もちろん自分自身のことである。あの安倍豚を余のほうに連れ戻すのだ。安倍豚カムバック、ツウミー。

余「でも、ふたりとも随分と変な場所を見つけて来たね」

川o・-・)紺野「わたしたちの妖術を使うには最適な場所です。ここが結界の切れる場所なのです。この地に眠る墓の住人の陰界と湯治場の住人の陽界の微妙な霊のバランスにおいてお互いが霊的に行き来することが出来る場所です。そして霊たちが交流する活気を四つの聖なる神獣たち、竜、麒麟、鳳凰、亀たちが姿を変えた気に守られている場所でもあります。人間にこの場所を教えることもつれてくることもめったにありません。邪気に満ちた人間がこの霊的な地の神秘的妖力を悪用することをおそれるからです。しかし、おとたまの願う、変身の妖術のためにはこの場所を選ぶほかに方法はありません。わたしたちが数千年の齢を生きてきた妖怪だと言ってもこの変身の妖術を使うには土地の地霊や四匹の霊獣の手助けを得なければなりません。なつみねえさんに較べてまだわたしたちの妖力は弱いからなのです。おとたま、目をつぶってください。目を覚ますとおとたまは滝沢くんの姿に変わっていることでしょう。ただし、その効力は二十四時間しか持ちません。では妖力、みんな滝沢くんになってしまえ、るるるるるるる」

川o・-・)紺野さんの声と(ё)新垣のうなり声が最後に聞こえた。目が覚めると列車の中にいる。その列車はまだ那古井の駅に停まっていた。余の横には自分のショルダーバッグが置かれている。あわててバッグの中から手鏡を出して自分の顔を見てみる。なっている、なっている。余の外見は滝沢くんになっている。その鏡に映っている自分の顔を見ながら夢の中にいるような気持が半分と変な期待の気持が半分いりまじって余は犯罪者めいて気味悪く笑った。余はふたつの意味で犯罪者となる道の手助けを得ている。ひとつは美形アイドルの外見を得たということである。これは社会的に非常に有利に働く、世の女性は美形アイドルが好きだからである。そして美形アイドルのうちでも滝沢くん系は変なことをしないという世の女性たちの暗黙の了解がある。安心感がある。滝沢くんはいいものである。正義の味方である。しかし、美形アイドル系でも変なことをしそうな系統もある。そういう系統には女性は警戒心を抱く。しかし、これはあくまでも少数派でだいたいが有利に働くにほかならない。そこでまた余は自分の顔を見てにやにやと犯罪者のように笑う。気味が悪い。外見は爽やかだが内心は犯罪者である。こういうのは社会から隔離しなければならない。そして犯罪を誘発する第二の要素は自己は余本人でありながら、外見は滝沢くんという実在する他人だということである。この借り着を外にさらしている限り他人は余のことを滝沢くんだと思い、余が何かをしても滝沢くんだと思うだろう。たとえばパチンコ屋に入ってパチンコ台の二重のガラス窓の上からスピーカーからはずしてきた磁石を持って来て落ちて行くパチンコ玉の流れをちょっと変えてチューリップの方に誘い込むとする。そこへ店員が来て控え室に連れ込まれてぐいぐいとねじられたら、泣きながら、うちに来てください、弁償しますから警察につれて行かないでくださいと涙ながらに訴えて、本当の滝沢くんの住所を言ってごまかしてその場を逃げる。そして余は罪にとられることはない。余はまた気味悪く笑った。

 そこへこの湯治場に遊びに来ている女子高校生らしいのが三四人乗り込んで来た。列車の中に入って左右を見渡して余の存在、つまり滝沢くんの姿をした余を見つけた。途端に黄色い嬌声がわき起こる。そし手を口の方に当てて余の方を見つめる。余の期待したとおりの出来事である。これこそ、滝沢くんの外見をかりている醍醐味である。

「きゃー、嘘。滝沢くんよ。滝沢くんよ。本物よ。なんでこんな辺鄙な湯治場にいるのよ。きゃー。こっちを見ている」

余の期待はいやがおうでも高まる。余は前科一犯になっていた。余はにたにたとしながらいやらしく女子高生の方を見る。

「きゃー。滝沢くんがこっちを見ている」

余の口の端からはよだれがひとしずく落ちる。それでも女子高生はまだ余のことをスターの滝沢くんだと思っている。余は口からよだれをたらしながら女子高生の方へ手招きしてみる。

「きゃー、やだ。滝沢くんが手招きしているわよ」

「えへへへへへ」

余は言葉もなく、ただ至福に酔いながら欲望に身をまかせて女子高生をながめている。

「行く、行ってみる」

「どうする」

「だって、滝沢くんが手招きしているじゃないの」

「けい子が行くなら、行く」

「じゃあ、行くわよ」

余は手招きを続ける。

余の座っている隣に女子高生が座る。

「滝沢くん、なんでこんなところにいるの」

「えへへへへへへ」

余は気味悪く変な期待をしながら笑う。

「やっぱ、格好いいわ。滝沢くん。実物のほうが数千倍もいい」

その言葉に余は歓喜して口を半ば開けながら、ズボンのチャックも半分あいていた。ズボンのチャックの隙間からはユーフォーのような奇形したおいなりさんが出ていた。そのおいなりさんは冬に植物のたねでサボテンみたいなかたちをしていて、セーターにくっっくものがあるがそんなものにも見える。そして口の端からこぼれているよだれは下につたわって上着の胸のあたりに落ちた。

「なんか、この滝沢くん、きもい」

「やだー。よだれが。変質者みたい」

「えへへへへへへへ」

「やだー。この滝沢くん、変なおいなりさん持ってる。きもい。きもい。おいなりさん引っ込めろ」

余は周囲の状況を全く把握できなかった。自分がやはり滝沢くんの外見を持っているのか把握できない。

「きも滝よ。きも滝」

「これ、本当の滝沢くんかしら」

「えへへへへへへ」

「ちょっとほっぺた、つねってみれば」

女子高生のひとりがおそるおそる手をさしのべると余のほっぺたをつねって見る。

「本物の皮膚みたいよ」

「えへへへへへへへへ」

女子高生のふっくらした指先の感覚が余のほっぺたにつたわった。

「けいこばっかり、ずるい。わたしにも触らせてよ」

ひとりが勇気を持って手を出して来たのでもうひとりはもう少しだいたんである。急に余の目の前にウインナーみたいな指をさしだしてきた。余はその指をばっくりと口に含む。地を揺するような叫び声が起きる。

「きゃー」

「きゃー」

「きも滝に指食われた」

女子高生たちの皮のかばんが一斉に余の顔面に飛んでくる。

「きもたきーーーーーーー」

女子高生達はさけびながら列車を出て行く。余の頬は皮の鞄の洗礼をうけ、赤くなる。

列車は扉をしめ、静かにすべりだす。余はまたかばんの中から手鏡を出して余の顔を眺めた。

***************************************************

 鏡に映ったその顔はやはり美しい。右目をつぶってウインクしてみる。右目の目尻のところに少ししわが出来て左目が微妙にかたちがくずれる。やはり美しい。自分で自分に恋してしまうような気になる。もっともこの顔は借り物であるが。二重の目には力がある。自分で自分は滝沢くんなのだと言ってみる。よく見ると左目の少し下のところに小さなほくろがある、このほくろが顔を柔らかにしている。この手鏡のまわりには唐草模様がついていてその唐草模様に囲まれた楕円の中に余の顔でもある、滝沢くんの顔がある。少し流し目をしてみる。しなくても流し目をしているような感じである。こんな目に見つめられたら女の子はどんな気持になるのだろうか。恋しないだろうか、恋するに違いない、反語表現、この顔は焼き菓子をそっとかじってみるとさらに引き立つような気がする。そのまわりは秋色の風が漂っていなければならない。

鏡一枚で余の美しさを確認する。もしかしたらこの鏡は何らかの電気装置で理想的な美を鏡の表面に映し出しているだけなのかもしれない。皮膚一枚だけをそれによって表現しているのかもしれない。この鏡に映った美術品が余の顔であるとどうして確認出来るのだろうか。それは余の顔ではない。滝沢くんの顔でもない。まず第一に左右が別だ。余の顔の裏側から見たものを鏡に映しているだけだとも言える。そして鏡がなければ余、つまり滝沢くんの美しさは知ることが出来ない。さっきの女子高生がいなければ滝沢くんの顔の効力を知ることが出来ない。余がなにも言わないうちから近づいてきた女子高生、滝沢くんの美の効力である。

 効力はまた権力につながる。この滝沢くんの顔があればなんでも出来る。渋谷のセンター街で一晩に女子高生を千人ぐらいつることが出来る。まったくおそろしいことだ。余が余の外見を持っていたら決して出来ることではない。昔、漢文の授業で野鳥が人の庭のそばに巣を作るのはなぜかという、文章が載っていた。それは人がその鳥を襲わないという安心感があるからだという話だったと思うが、その結論として苛政は虎よりも猛し、とい結論が導かれていた。滝沢くんの美しい顔はある意味では苛政である。その使い方を間違えれば大変なことになる。

 もし、ここに「確実に千人の女の子を結婚詐欺で騙す方法」という本があるとする。余がその本を読んでいたとしてそれを横目で見ている人間は余のことを冷笑するだけだろう。しかし、滝沢くんがその本を読んでいるとしたらそれを見た人間は驚愕し、恐怖を抱くのに違いない。その本を余が持った場合は駄菓子屋でおもちゃの鉄砲を持ったに過ぎないが、滝沢くんにとってはロシアからの秘密ルートでトカレフを持ったと同じことである。そして滝沢くんが無邪気に自分の美しさに気づかないとき、その害悪は最大にたっする。

 美は罪悪である。

ごく親しい年少の知り合いがこのモンモン娘に出てくる色ボケ女たちをさしながら、どの人が善玉なの、どの人が悪人なのと聞いたことがある。年少の者には悪玉、善玉の色分けがはっきりしているとわかりやすいらしい。余はすぐに安倍豚を指さして、悪人であると指摘した。そして余や、川o・-・)紺野さんや、(ё)新垣は善玉であると言った。その意味は前出したようなものである。余も川o・-・)紺野さんも(ё)新垣も被害者なのである。社会的権勢ははなはだ微かなのである。それにひかえて(●´ー`●)安倍豚にいたっては市長の愛人にまで上り詰めてその横暴を思うがままにふっている。苛政は虎よりも猛し。(●´ー`●)安倍豚の悪人説はその論より来ている。その意味で滝沢くんも危ないのである。

 このトカレフやルノーやニトログリセリンになりうる外見が手鏡の中に映っている。余は下の方に鏡を持って行く。さっき開けておいたズボンのチャックがまだ半分開いていておいなりさんが一個だけ出ている。あの奇妙な宇宙船のようなかたちをした雑草の種の名前を思い出したい。冬枯れている雑草が立ち枯れしている荒れ地の中にあってセーターを着ているとくつっくものなのだが。その部分を手鏡で拡大して見てみる。これが滝沢くんのおいなりさんなのだろうか。おいなりさんも美しい。それからまた手鏡を離して余の全体像を映してみる。上には美しい顔が、そして下にはチャックから半分出ているおいなりさんが。普通の人間が同じ格好をしていれば見るに耐えないものだろう。しかし、相容れないと一見思えるものが同じ場所に映っているのにうつくしい。ここで余はあるラーメン屋に対する賛辞を思い出していた。ある店のラーメンに惚れた俳優が自分の家でもそのラーメンを食べてみたいと思い、麺とスープを持ち帰って食べてみる。そしてある日、麺のほうがなくなっていて、出来合の麺でそのスープに入れて食べてみる。これでうまくなるのかと思っていた俳優は言う。やっぱりうまいんですねぇ。滝沢くんの顔とおいなりさんはこの関係のようだ。きれいなものと一見きもいものが一緒に映っているのに美しい。

 しかし、花は咲くのが道理である。半分出ているものはもう一方も出るのが道理である。余は滝沢くんのもちもののもう一方のおいなりさんも外界に出してみた。するとどうだろうそのあいだにはさまれている長い棒状のものも呼びもしないのに出て来たのだ。余はこれを神柱と名付けることにした。神柱と名付けるにふさわしい、諏訪の湖に供えても恥ずかしくない清々しいものだった。

 そして余は大変な発見をした。見えないてぐす糸が存在するのだ。余の両手の指と神柱とおいなりさん二個はつながれている。余が右手を引っ張ると右のおいなりさんが動く。親指と人差し指をひねると右のおいなりさんが回転する。見えない糸でつながれているとしか思えない。今度は左手を動かしてみる。すると今度は左のおいなりさんが動く。目の錯覚だと思って両手を引っ張ってみると今度は神柱が動いた。両手をうまく動かして、三つを手前に動かす、すると三個ともこちらを向いておじぎをする。そして今度は向こうにそらしてみる。エッヘン。まるでそれら自身が人格を持っているようだった。もし、これが消防士だったらどうだろうかと思ってみる。火事が発見される。消防自動車がサイレンを鳴らしながらやってくる。おいなりさんと神柱を左右に揺らす。火事の現場に到着しました。消火ホウス接続。放水はじめ。余がかけ声をかけると神柱のてっぺんから消火液がちょろちょろと出てきた。すごい浄瑠璃人形である。人のかたちに似せて芝居をさせる人形はある。しかし、消防士の放水活動まで出来る人形は古今東西を見渡しても存在しなかっただろう。今度はアラビアンナイトのお芝居をさせてみる。王様と大臣のひとり二役である。王様であるおいなりさんと神柱が砂漠をとぼとぼと歩いている。神柱のさきが頭を振っている。そこでおいなりさんが立ち止まる。そこでひとり二役、もうひとりの役になる。「王様、あそこにかまどの明かりが見えます。あそこで少し休みましょう」そこで股間の主はまた王様になる。「休もう」股間の主は頭をふりふりしながら砂漠の家の戸を叩く。中から女主が出てくる。ここで股間の主は女主人の役を振り分けられる。「旅の人、ここには何もありませんよ」

「お湯を一杯もらえればいい」

中から子供の騒ぐ声が聞こえる。王様と大臣が部屋の中に入ると女主人は急に戸を閉めた。そして女も子供たちも真っ赤な大きなさそりに姿を変えて、王様と大臣を襲った。しかし、王様は指になんでも冷たい氷にして固めてしまう魔法の指輪を持っていたので大きなさそりの姿をした女と子供ちを凍らせてしまった。「お前たちは旅人を襲って金目なものを奪っていたのだな。なんでそんなことをする」

すると頭のところだけ凍らされていない女が答えた。「みんな王様が悪いんだ。こんなことでもしなければ生活していけないよ。それでさそりに姿を変えたんだよ」

「さそりの毒も少量では薬になると聞く。お前たちを余の宮殿の薬局に勤めさせよう」

そこでさそりの一家は王様の宮殿に勤めて心臓の悪い人間の薬を作る仕事で一生を終わったのさ。ここで余は自由に操れる余、つまり滝沢くんの股間の主を使って存在しない観客に向かって一礼させる。余が自分の両手を使って神柱とおいなりさんをおじぎさせると拍手がパチパチと起こった。

 横を向くと(ё)新垣が座っている。さっきからずっとこの股間芝居を観劇していたらしい。

「(ё)新垣、いつからここにいるのだ」

(ё)新垣「にい、ににに」

「さっきから、ずっとだって。最初から見ていたのか。なに、この股間芝居が好きなのか。もっと見たい。三匹の子豚を見たい。それから、銀のおの、金のおのも見たい。不思議なリュックも見たい」

どうやら(ё)新垣はこの股間芝居を気に入っているらしい。次の駅に停まるまで余はこの股間芝居を滝沢くんのおいなりさんを使いながら続けていた。(ё)新垣はそれをじっと見つめ、目をきらきらさせながら滝沢くんの股間を見ている。つぎの駅に着くと(ё)新垣は空中をふらふらと浮遊しながら綿帽子のようにどこかに行ってしまった。余はこの滝沢くんの姿をしながら(●´ー`●)安倍豚が蛭子市長に囲われている別荘に行く。駅から降りると杉木立に囲まれた大きな道が一本、山の方に向かって走っている。この道をまっすぐ行き、中学校の横の道を曲がって別荘地帯に続く、畑道を歩いて行くと(●´ー`●)安倍の別荘があるらしい。空には青空が広がっている。余は駅を出てとぼとぼとその道を歩いた。横に生えているキャベツみたいな葉はしおれていてたくさん積まれている。畑の横の用水路には藻がさらさらと漂っている。道祖神のさきを少し進んで中学校の角に着いた。ここを左に曲がるらしい。都会の方の中学校では学校の塀が高く囲んでいるのが常だがこの中学校の塀は大人の腰のあたりしかない。乗り越えようと思えば乗り越えることが出来る。余が体育館の横を歩いているとバスケットのゴムボールが床をタンタンと叩く音がする。道路に面した方の体育館の扉は広く開け放されている。余は塀を乗りの越えてその体育館の中をのぞき見る。中ではバスケットボールのネットの前でゴールをうっている女がいる。名前がわからない頭からすっぽりと被る上着を着て、ジーパンを履いている。最初にうったシュートはゴールの丸い金具に当たってはじいて落ちた。そのバウンドしたボールをとって猫みたいな顔をした女がこつちを向いた。そして滝沢くんである余のほうを向いてにっこりとほほえむ。それから体育館のはしの方に走り寄って来て叫んだ。

「滝沢くん」

(●´ー`●)安倍豚は余のことをすっかり滝沢くんと間違えているらしい。

「なんで、ここにいるの」

(●´ー`●)安倍はバスケットボールを両手でかかえている。どちらが(●´ー`●)安倍の頭なのか、ボールなのか、よくわからない。

「安倍くん、きみと話したいと言ったじゃないか。きみの家に行こうと思っていたんだよ」

「急に来る気になったのね」

「きみこそ、なんでこんなところにいるんだ」

「ちょっと用事があってここを通ったらこの体育館がまだ昔のままあったから、懐かしくて、人もいないようだったから上がってみたのよ。ちょうどいい具合にバスケットボールも出し放しになっていたので、ちょっと遊んでみたの」

体育館の方でのボールの音に気づいたのか、校舎の側から入る入り口から頭が半分はげた用務員が入って来た。

「勝手にここに入ってもらったら困るじゃありませんか。それにボールも勝手に使っちゃって」

安倍は悪びれる表情もなかった。

「ごめんなさい、体育館の扉が開いていたので、つい懐かしくなって入ってしまったんです。ここの卒業生なんです」

用務員は安倍の顔を上から下までじっと見ていたが、急に気づいた。この女が市長に関係している人物だということを。

「ああ、市長の親戚のお嬢さんでしたか。前もって用務員室に顔をとおしてくださいね」

「ありがとう」

用務員はそのまま行ってしまった。安倍は自分の手に持っていたボールを籠の中に返した。体育館の風を通すための出入り口の外に自分の靴を置いていた。安倍は腰をかがめるとその靴を履いて外に出てきた。松の木のそばに安倍はやって来た。

「きみの家に行くつもりだったけど、ここで会えればちょうどいいや」

「わたしに会いに来たのね」

安倍は滝沢くんである余の方を向いてほほえんだ。

「うれしいわ」

安倍も滝沢くんである余もあみ子ちゃんのことは口に出さなかった。

「うれしい」

安倍はまたそういうと滝沢くんである余の腕を持ってまわりをくるくるとまわる。

効果絶大なり、滝沢くんの外観。余はうまくしなくても安倍を取り戻すことが出来そうだ。思わず、余の顔にいやらしく笑みが浮かぶ。靴を履き終わった安倍は余の腕に腕をからめながら

「ねえ、梅巌寺に行かない。行きましょうよ」

とねだって来た。

「梅巌寺。それはなんだい」

「もう、忘れたの。滝沢くんの中学校のときのことよ。ほんの三ヶ月だけだったけど、黒い網タイツを履いていた蛭子なつみって言う転校生のことを覚えていないの」

「蛭子なつみ」

余はそれは市長に関係した女なのだろうかと思った。

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