第13回

第十三回

なつみお姉さんもあんなにとげとげしく、なるとは思わなかったんです。もう少し、まろやかでした。それが男を、変な捉え方をするようになってそれが最近さらにひどくなっています。まるで針鼠のように、表面的には愛想がいいのですが、心の中では戦争をいつもやっているのです。まるですべての男が敵でもあるように、ああやってなつみ姉さんは男を誘惑して日々を送っていますが、男を愛しているからあんなことをやっているんではないんです。男を憎んでいるから自分の身体を開いているんです」

川o・-・)紺野さんはまたお茶を啜った。その話しぶりはまるで悟りきった説教僧のようでもあった。

「男を憎んでいるから」

運命には翻弄されてはいるが永遠の愛の中にがっちりと包まれている滝沢は信じられないというような表情をした。

「そうなんです。なつみ姉さんは男を憎んでいるのです。このすべての地上の男というものをすべて」

川o・-・)紺野さんの話しは大時代的になってきた。余はまるで歌舞伎の芝居の長いせりふを聞いているような気になった。

「川o・-・)紺野さん、そもそもお前たちは妖怪ではなかったということなんだね。このいもりと遊んでいる(ё)新垣も妖怪だったということなんだね」

「そうなんです」

川o・-・)紺野さんはそこで一気にお茶を飲み干した。空になった湯飲みを催促をするように差し出すと滝沢繁明がその湯飲みの中にお茶を注ぐ。

川o・-・)紺野「私たちの産は中国です」

滝沢「きみたちは中国人だったのか」

川o・-・)紺野「ニイハオ」

余「チャイナドレスを着てくれ」

すると今まで水たまりの前でいもりと遊んでいた(ё)新垣がぎろりと眼をむいて余を睨んだ。

川o・-・)紺野「わたしたち三人は中国の山東省で今から数千年前に生を受けました。春秋戦国時代の戦国時代と呼ばれる時代の楚の国に生まれました。それから十年後に秦が中国を統一しました。楚の国の半分は秦の将軍、東陶文が支配していました。楚の国の人間はみんな生かされず殺されずという生活を送っていたのです。その国の中は悲惨な状況が満ち満ちていました。道のまん中に楚の国の人間がみせしめのためにさらし首にされていたということは日常茶飯事だったのです。特にこの国を支配した将軍の東陶文の個人的な性格に基づいていたのかも知れません。東陶文は残虐であると同時に色好みでもありました。楚の国の美女たちはあの男の宮殿に集められました。しかし、無数の美女がいたとしても、その男の精力には限りがありましたので、将軍は精力増強剤を無軌道なやり方で集めました。楚の国にある冬虫夏草も朝鮮人参もすべてとりつくされました。そのためその薬を頼りにしていた多くの病人たちは死にました。しかし、楚の国には伝説の精力剤があったのです。それが黄金味いもり一家(ё)新垣ファミリーと呼ばれるいもりだったのです。そのいもりは須弥山にある日月星辰沼という井戸の中で家族揃って静かにくらしていました。その井戸は蟷螂老大という仙人が守っていたのです。しかし、楚の国の言い伝えによればそのいもりの蒸し焼きを食した人間は五十才も若返り、水の中に潜って三十分も息を止めることができると言われていましたし、それを食した梧桐という羊飼いは百人の子どもを持ったと云われています。東陶文はその黄金味いもり一家(ё)新垣ファミリーに目をつけました。全軍を持って蟷螂老大にそれを進呈するように要求しました。蟷螂老大は仙人ではありましたが、むやみな争いをさけるために黄金味いもり一家を将軍に差し出しました。奸計を持ってしてあとで彼らを取り戻そうと思っていたのです。そして将軍がもうすぐ失脚することはわかっていたからです。しかし、それも失敗しました。将軍には魔女がついていたからです。戦術と魔術の戦いで仙人は負けたのです」

おにぎりを頬張りながら滝沢繁明は川o・-・)紺野さんの方を見た。また、(ё)新垣が余たちのほうをぎろりと睨んだ。

滝沢「どんな魔女に負けたのですか」

川o・-・)紺野「おにぎり名人、釈由美世という魔女です。わたしも数千年前にその魔女の姿をはっきりと見たことがあります。一度として忘れたことはありません。その魔女はおにぎり握るのが上手だった。いつも真っ黒でつやつやしたエナメルの身体の線がぴったりと出る服を着ていました。まるでプレーメイトのようでした。そして背中には裾が現代建築のよう急に曲がっているマントを着ていてこうもりに変身するのが上手だったのです。足には網タイツをはいていました」

すると滝沢繁明は驚いたようだった。

滝沢「偶然の一致です。このおにぎりは駅前の釈釈おむすびという店で買ったんですよ。そこの主人の名前が釈由美恵と云います。みなさんの食べているおにぎりもそこの女が握ったんですよ」

川o・-・)紺野「偶然の一致ではありません。わたしたちは運命の糸でつながれているのです」

世もそんな希代な因縁のおむすびを食べていたのかと思うと少し気味が悪かった。

余「それで」

川o・-・)紺野「蝙蝠魔女、釈由美世の魔術で悲しい事態が待っていたのです。蟷螂老大が将軍の城に忍び込むと黄金味いもり一家(ё)新垣ファミリーはすでに蒸し焼きにされ、黒こげとなり、大皿の中で焼きすぎためざしみたいになって将軍の食卓に上がっていたのです。蟷螂老大は月の光に化けて城の窓の中から将軍の食堂の中に忍び込んでいたのですが、あまりの事態に仙術の力が解けて姿を表すところでした。しかし、黒こげの死体を探すと(ё)新垣ファミリーの人数よりも一匹足りません。光となった仙人は地下牢に行きました。そしてその地下牢のおまるみたいな壺の中で一匹のいもりが元気に、無邪気に泳いでいました。その姿を見ると蟷螂老大は思わず涙が出そうになりました。老大はいもりに話しかける。家に戻りたいか。ニイガキ、ニイ、ニイ、モドリタイ、ニイ、ニイ。デモ、パパモ ママモ、イナイノハ、ドウイウワケダ、ニイ、ニイ、パパ、ドコダ、ニイ、ニイ、ママ、ドコダ、ニイニイ。そう言っていもりは父と母を捜したそうです。しかし、もちろんその問いに蟷螂老大は答えられるはずがありません。ここからその姿では帰ることは出来ない。パパもママも人間に姿を変えて街の食堂で一緒に食事をするつもりでさきに行っているのじゃ。人間に姿を変えるか。アンナ、ヘンナ モノノ スガタニ ナルノワ イヤダ、ニイニイ。しかし、そうしないと一緒に食堂に入れないぞ。シカタナイ ニイニイ。ニンゲン ノ スガタ ニ ナルゾ ニイニイ。そう言って仙人の術によって人間の姿に変身して首尾良く城を脱出したのですが、そこにパパの姿もママの姿もなかったのでした。そしてその思いのため(ё)新垣は妖怪に変わったのです」

滝沢「なるほど」

余「ふーむ」

余たちから離れたところで妖怪(ё)新垣は楽しそうに水たまりの中のいもりと語らっている。(ё)新垣の前身はいもりであったか。そこでまた余には疑問が生ずる。(ё)新垣の前身がいもりなら金魚を飼っている川o・-・)紺野さんの前身はなんなのだろう。人が死んでまた生まれ変わり、また死んで生まれ変わり、そんな営みを繰り返しているならそもそも未生以前の本体はないことになる。未生以前同士がある一点で接触することだけが生の営みということになるだろう。しかし、余の目の前にはれっきとして川o・-・)紺野さんの州浜のような顔がある。もしかしたら川o・-・)紺野さんの前身は和菓子だったのかも知れない。川o・-・)紺野さんは伏し目がちに、まったりとまたお茶を啜った。そのとき例の水槽の中でぴちゃりと音がして巨大な金魚が身をくねらせると川o・-・)紺野さんはふり返り自分の子どもを見るように目を細めた。それに呼応して金魚は巨大にもかかわらず小さな口から小さなあぶくをいくつか吹き出した。水槽の中の松藻が水中ダンスを踊っているように優雅に身をくねらせる。それを見て川o・-・)紺野さんはまたうれしそうな顔をする。

余「(ё)新垣が妖怪なら川o・-・)紺野さんも妖怪であろう。川o・-・)紺野さんの前身は一体なんなのだ」

妖怪と云われて川o・-・)紺野さんは恥ずかしそうに目を伏せた。余は妖怪ということ自体が恥ずかしいということはないと思った。は恥ずかしがる必要もないのだ、川o・-・)紺野さん。それとも遠い昔を懐かしんでいるのだろうか。しかし、すぐにその目は悲しみの含んだものに変わった。川o・-・)紺野さんもまた余の知らぬ悲しい過去を持っているに違いない。

川o・-・)紺野「さっき、エロエロ光線発射、身体ぴったしハイレグワンレン魔女、釈由美世のことを言いましたよね。数千年前にあの女もわたしと同じ時代に生きていたことを話しました。それも将軍のお抱えの魔女として。世の人は勇将の下に弱卒なしと申します。エロエロ女、釈由美世もまたそうでした」







余「勇将の下に弱卒なし」

滝沢「エヘヘヘヘヘ」

川o・-・)紺野「笑うでない」

滝沢「おしお」

川o・-・)紺野「おしお、言うな」

川o・-・)紺野さんは手に持っていたうぐいす色の湯飲み茶碗を灰白色の砂岩の上に置くと滝沢繁明をきっとした目で睨み付けた。話しの途中を折られたのが気に触ったようだった。それほどその話しが川o・-・)紺野さんの大切な肌身離さず抱いていた思い出なのかも知れない。川o・-・)紺野さんのうしろに置かれている金魚も水槽に垂直の向きでじっと川o・-・)紺野さんのほうを見ている。

「わたしの生きている時代が戦国時代だったのに、どういうわけでしょうか。若くて美しい男をまるで高価な宝石のように珍重する風潮がありました。それは現代のアイドルをブラウン管や映画のスクリーンの中でもてはやすよりもさらに大変な騒ぎでした。殺伐とした時代だったのに美というものが異常に奇形のように発達したのです。世の中の勢力家が美しくて若い男を自分の所有する家宝のように集めだしたのです。しかし、変なことを考えないで下さい。軍閥たちはそれを物言わぬ至宝だと思っていたのです。兵隊達がそんな男を求めて街の中を群狼のようにうろついていたのです。わたしの家は家族で中華饅頭を屋台に積んで売っていました。その中華饅頭の製造もしていました。いつもわたしの家が屋台を出している寺の横で萌さんという一家がうどんをわたしの家と同じように屋台を出して売っていたのです。そこにわたしよりも二才年上の萌ゆうきという男の子がいました。萌ゆうきは美形でした。もし兵隊に見つかれば間違いなく東陶文の城に幽閉されて一生鑑賞物として終わったのに違いありません。もちろん生のある間だけですが。でも、どういうわけか萌ゆうきは兵隊にも見つからず、わたしの屋台の隣でいつも軽口を聞きあう仲だったのです。ゆうきはすいか畑の中に不思議な生物のいることを、彼は田舎出身なので知っていました。城に幽閉された美しい子どもたちは一生そこで生きていけるというわけではなかったのです」

余「城の中で殺されるのかな」

川o・-・)紺野「そうなんです。諸侯に食べたことのないような美味を所望された料理人が自分の息子の手首を切って唐揚げにして差し出した話しがありますよね。わたしの楚の国でも城の中では同じことが行われていました。それもその美少年たちが一番美しいときに料理にして殺して食べてしまうのです。その城内での風習はわたしが子どもの頃にはありませんでした。東陶文につれられて魔女がやって来たときからそんなことが行われ始めたのです」

滝沢「おにぎり屋の釈由美恵が、ですか」

川o・-・)紺野「おにぎり屋ではありません。蝙蝠魔女釈由美世が来てからです。蝙蝠魔女釈由美世は将軍にも勝るとも劣らず色好みでした。あの独特な服装をして、身体にぴっちりとするエナメルの水着のような服、胸のところは三十度の角度の切れ込みの入ったもので、胸の谷間のまん中よりも下のところに切り込みの頂点があります。そしてももの付け根のところは四十五度の角度になっていて、ももと腰の付け根が露出しています。そこから張りのある足が編みタイツに包まれて伸びていて、ふくらはぎをすっぽりと覆うコバルトブルーのブーツを履いていて、両肩の一番高くなっている場所に金色の大きな髑髏のボタンがついていてそこから内側が深紅の裏側が黒いこれも同じようにエナメルのマントをしています。空を飛ぶときはそのマントが風をはらんで生き物のようにたなびきますし、男を抱くときはそのマントで男を覆い隠してしまうのです。言い忘れましたが胸の前がそんなに開いているのに大事なものがぽろんとはみ出さないのは胸の前の開きを革ひもで編むようにしているからです。蝙蝠魔女、釈由美世は蝙蝠に変身することを得意にしていました。そして目からはエロエロビームというものを発射しました。この魔女が(ё)新垣ファミリーを黒焼きにしたことは前に言ったとおりです。わたしは隣のゆうきと恋いに落ちていたのです。なにしろ楚の国の中で一番美しい男でしたから、城に入れられないことが不思議でした。わたしとゆうきは一生を誓い合いました。そして兵隊が来そうなときはゆうきは屋台の陰で隠れるようにしていたのです。わたしが一家で中華饅頭を蒸かしていると近所の葉という子どもが走って来ました。兵隊が来るよ。兵隊が来るよ。魔女も一緒だよ。魔女も一緒だよ。ゆうき、隠れてちょうだい。わたしは言いました。ゆうきは急いで大きな瓶の中に隠れました。そこへあの魔女が太ももも網タイツであらわにして兵隊を従えてやって来ました。マントはやはり風にたなびいていました。その魔女は虫けらでも見るような目つきをしてそこを通り過ぎて行きました。そのあいだじゅう、魔女はエロエロ光線を発射していました。わたしがその女は通り過ぎて行ったと思い、安心して瓶の中へ ゆうき、安心して、魔女は行ってしまったわ。と言って瓶の中をのぞき込むと瓶の中は空っぽです。わたしは石畳の道の上で叫びました。ゆうき、ゆうき。すると古寺の離れた壁の曲がり角のところに黒いつやつやした塊がもごもごとうごめいています。わたしがそこへ走り寄ろうとするとその塊が急にぱっと開いて魔女がゆうきのくちびるを奪っていました。ゆうきは夢遊病者のように目を閉じていました。魔女の唇はぬらぬらと濡れていてわたしの方を見ると目を見開いてにたにたと邪悪に笑いました。お前達は恋いをしているね。ふふふふふ。恋いをしている男ほどおいしいものはない。この男は食べさせてもらうよ。そう言うとゆうきを抱いたまま城の方へ飛んで行きました。ゆうき、ゆうき、ゆうきー。わたしはその場にうずくまってしまったのです」

滝沢「信じられない」

たしかに滝沢繁明には信じられない世界に違いない。こんな理不尽なことがあろうか。愛し合っているものが別れてしまうことなんて。

川o・-・)紺野「わたしはその場にうずくまって涙をぽろぽろとこぼしました。すると前の方に落ちている石のほうから。許せん。という声がしました。そしてもう一度許せん。とい声が聞こえました。目の前を見ると一匹のカマキリがいるばかりです。そして煙が立ち上がり、一人の老人が立っているのです。それが蟷螂老大でした。娘よ。お前の恋人は蝙蝠魔女、釈由美世に連れ去られた。お前の一番愛するものを連れ去られた。お前の恋人を取り戻す。そして蝙蝠魔女を殺す。これは復讐戦じゃ。わしについて来る気があるか、わたしはもちろん、はい、と返事をしました。わしの衣の裾につかまれ、するとわたしの身体は空中を飛んでいました。そして城の中に降り立ったのです。蟷螂老大とわたしが降り立ったのは魔女の寝室でした。釈由美世はわたしのゆうきくんを裸にすると青い長いきれをゆうきくんの身体に巻き付けているところでした。わたしはこれがどういう意味があるのかわかりません。魔女、お前の悪事を精算させてやる。そしてその場で蟷螂老大と蝙蝠魔女との戦いが始まったのです。仙術と魔術の戦いでした。しかし、正義は勝つ。魔女は断末魔のうめき声をあげ、魔術エロエロ光線を最後に誰あろう、わたしのゆうきくんに発射したのです。蟷螂老大もゆうきくんに仙術をかけました。仙術、なんでも金魚化。それが蟷螂老大の究極の仙術ですべての魔術の攻撃から犠牲者の命だけは救うことの出来る仙術がこれでした。ゆうきくんは死なずにすみました。しかし、ゆうきくんは金魚になってしまったのです。魔女は死にました。お前の恋人は金魚になってしまった。そのときは小さな金魚だったのです。お前はこの金魚を育てていくつもりか。わたしは、はい、と答えました。いつか、わしよりも偉い仙人があらわれてお前の恋人を人間の姿に変えてくれる日がくるかも知れない。おこたりなく勤めるのだぞ。その日からわたしは金魚になったゆうきくんの面倒を見ているのです。それから数千年が経ちました」

話し終わった川o・-・)紺野さんは水槽の中の金魚を見ると、ゆうきくんと言葉をかける。すると金魚はうれしそうに尾っぽを振った。七十センチの金魚であるが数千年も生きながらえているならそのぐらいの大きさにはなるだろう。しかし余にはまだ疑問が残る。キリストが神であり、神の子であるマリアがキリストを生んだ。そしてマリアは大工のヨゼフを夫として処女懐胎をした、そしてキリストは神であると言われているような気がする。これがわたしの知っている歌手は私の姉のいとこの母親の家に通っていたカウンセラーの友達の子供だというようなものだ。さっぱりわからない。肝心の妖怪が出て来ない。そう(●´ー`●)安部である。そのことは余だけではなく、川o・-・)紺野さんも気になっているらしい。気になっているというよりも自分たちのことを話したので当然(●´ー`●)安部のことも話さなければいけないと思っているのかも知れない。しかし、あのひねくれた、ねじくれた(●´ー`●)安部の性格はどんなふうにして醸成されたのだろうか。その(●´ー`●)安部の肉体と借金証書に支配されている余であるが、知りたい。知れば、余は(●´ー`●)安部の優位に立てるのだ。いくら支配されているとしても心の中では ふん と舌打ちをしてやることも出来る。

余「(●´ー`●)安部のことだが」

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 そのとき余の携帯がけたたましく軍艦マーチを鳴らした。

余「ちぇつ、いいところなのに電話かよ。淫乱雌豚(●´ー`●)安部の弱点をつかめるところだったのに」

余は文豪の子孫だとも思えないような下品な言葉を発して舌打ちをした。携帯の通話スイッチを入れると、あみ子ちゃんが出て来た。

余「なんですか。あみ子ちゃん。余はみんなで錦帯橋を見にハイキングに来ているんですよ。途中の道でね。おむすびを食べているの。(ё)新垣も川o・-・)紺野さんもいますでちゅよ。なんなら代わりまちょうか」

すると電話口の向こうで罵声が聞こえた。

あみ子ちゃん「何、言ってるんだよ。このうすらとんかちのぼけが。顔を川の水で洗って目を覚ませって言ってるだろうが、この低脳のちんかす野郎が。パンツ、とっかえろ」

電話の向こうのあみ子ちゃんは怒り気味である。あみ子ちゃんが怒りながら電話をかけている様子が頭に浮かんだ。そのカメラの位置はあみ子ちゃんの額から垂直に伸ばした直線の延長上になければならない。そして髪はショートカットでなければならない。そして髪の先は気楽な子どもの揺らすブランコのように揺れていなければならない。そしてその位置からのカメラワークがあみ子ちゃんを一番可愛く写すのである。

余「あみ子ちゃん、どうしちゃったの。興奮して。いつものあみ子ちゃんじゃないみたいだよ」

あみ子ちゃん「(●´ー`●)安部が大変なことになっているんだよ。荒れちゃってひどいんだから。酔っぱらって狸の置物を壊したんだってさ。山海亭で酒飲んで暴れているらしいんだよ。もう銚子を何本もあけちゃったんだってよ。とにかく、戻って来い」

余はあみ子ちゃんとの夢の世界での会話から急に(●´ー`●)安部豚の固有名詞が出て来たので正気に戻った。それほど(●´ー`●)安部豚の名前は余を消沈させるものがあった。余は携帯を持ちながら(ё)新垣と川o・-・)紺野さんの方をふり返った。しかし余の精神には少しも沈鬱なものはない。(●´ー`●)安部の名前が余を消沈させるのと(●´ー`●)安部の行動が余を楽しがらせのは別の問題である。

余「(●´ー`●)安部が大変なことになっているらしい」

余は冷静を装っていたが(●´ー`●)安部が常軌を逸しているのを聞いて内心満足だった。

川o・-・)紺野「錦帯橋には今度の機会でも行けると思います」湯飲みを横に置いて川o・-・)紺野さんが余の方を向いた。

(ё)新垣「ニイガキ、ニイ、ニイ、林もアルデヨ」

余「でも、ふたりともあんなに楽しみにしていたじゃないか。たかが、(●´ー`●)安部豚なんかのために」

川o・-・)紺野「いいんです。(●´ー`●)安部ねえさんのために帰りましょうよ」

(ё)新垣「ニイガキ、林もアルデヨ。林モアルデヨ」

(ё)新垣も新しい言葉を覚えて同意したが、そのあと同じ言葉を繰り返しているので余は閉口した。

滝沢「山海亭に行かなければならないんですか。この舟に乗って行けばいいんですよ。川も下りだからすぐ着きます」

なぜか、滝沢繁明は心苦しいような表情をしていたが錦帯橋にはまたの機会に行けばいい。

余「滝沢殿、舟に乗せて下さるかな。山海亭まで運んでほしい」

われわれが舟に乗り込むと舟は川端を離れた。するすると舟は進んでいく。川波の上に踊るように。いつかあみ子が釣りをしていた公共の釣り場の船をつなぐところに着いた。われわれは例の石段を上がって行く。石段を登りきると駅が見えてその横には山海亭もある。山海亭の腰障子から明かりが漏れている。障子に描かれた山海亭の墨の文字が遠い昔の場面のようであった。障子の前にあみ子ちゃんが立っている。狸の大きな置物が不細工に倒れて首がごろりと転がっている。

あみ子「こっちよ。こっちよ。早く、早く」

店の中から誰かが断続的にどなっている声がする。そしてまたくどくどと酔っぱらいの堕事を繰り返しているのだ。聞き覚えのある声だ。(●´ー`●)安部の声である。

あみ子「なつみが酔っぱらって大変なのよ」

余は山海亭の障子を開ける。確かに倒れた銚子を何本も前に置いてよっぱらった(●´ー`●)安部豚がろれつのまわらない声で何かをぶつぶつと言っている。そのうしろには山海亭の女おかみが困ったような仕方ないような消極的な表情でこの場の一景色の中の構成物のひとつになっている。それにしても全くこんな醜態を晒して恥ずかしくないのだろうか。親が見ていたら泣くぞ。少しは室蘭のことを思い出せ。しかし、やはり(●´ー`●)安部豚である。お塩の家で夜を明かしたのもなるほどと思う。

うっぷして小刻みに動いていた(●´ー`●)安部が急にがばと顔を上げる。動物園で寝ていたライオンが急に起きて一声吠えたみたいでその場にいた見物人はあとずさりする。

(●´ー`●)安部「男が何よ。男が何よ。ふん、クレオパトラ以来の絶世の美女がここにいるのに気づかねぇのかと言っているんだよ。どこに目玉をつけているのかって言いたいよ」

そう言ってとっくりを木のテーブルの上にばんとたたきつけた。

なかなかの怪気炎である。落語の世界で八さんや熊五郎がくだをまいているのとほとんど変わらない。まだ、世間に対する鬱憤をぶちまけている。

(●´ー`●)安部「ふん、お嫁に行っちゃうぞ。この唐変木。あとで後悔したって知らねえぞ」

はなはだ下品な言い回しである。これが水もしたたる麗人がとち狂い、雨に濡れた海棠の花のように、悲しいさだめにしおれているなら色っぽいのだが、(●´ー`●)安部じゃあなあ。

と言いながら余は(●´ー`●)安部のスカートがめくれ上がって白いパンツの股間のところが丸見えだったので変に興奮をしてしまった。(●´ー`●)安部豚なかなか興味深い地球上生物である。

(●´ー`●)安部「好きなだけやらせてやると言っているだろう」

余「本当」

余は思わず自分の名前が指名されたような気がして酔っぱらっている(●´ー`●)安部の横に行って彼女の手を取ろうとすると思い切り跳ね上げられた。

(●´ー`●)安部「お前じゃ、ねえって言っているだろう。このぼけが」

すると(ё)新垣が満足したように笑い。覚えたての言葉を発した。

(ё)新垣「林モアルデヨ。林モアルデヨ」

余は思わず(ё)新垣をぶとうかと思った。

くだくだとくだをまき、酔っぱらっていた(●´ー`●)安部が急に顔を上げてわれら見物人の中にある人物の顔を発見すると。ある人物の顔を見て

「帰れよ。ウエーン」

と叫んでまた顔を突っ伏して泣き始めた。

余が後ろを振り返りその視線のさきを見ると滝沢繁明が居たたまれないという表情をして立っている。

あみ子ちゃんは(●´ー`●)安部のそばに行くと

「帰りましょう。(ё)新垣、なつみちゃんの肩を持って、アルバイトの女の子がタクシーを呼んだからね」

すると(●´ー`●)安部はあみ子ちゃんの言うことにすなおに従って立ち上がった。山海亭を出るとき、ちらりと滝沢繁明の方を見て、それからあみ子ちゃんの方をみて、

(●´ー`●)安部「いい人を見つけたわね」

とぽつりと言った。その言葉の意味をあみ子ちゃんはわからないようだった。もちろん余にもわからない。

あみ子「私たちはタクシーで帰るからあとから来てね」








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よっぱらった(●´ー`●)安部豚を見送りながら、余と滝沢と川o・-・)紺野さんは那古井の宿までの暗い道をぽつりとぽつりと歩いた。

「いい人を見つけたわね、ってどんな意味なんだ」

余は疑問を口にする。余と滝沢と川o・-・)紺野さんは横一直線になって歩いている。空には月がかかっている。

 余は今夜は興味深いものを見せてもらった。おもしろい生物である。セックス至情主義、わたしの肉体に男をすべてひざまずかせると言ったかと思うと、ぐでんぐでんに酔っぱらって滝沢繁明の顔を見て泣き崩れる。頭の中にはいくつもの電極がむきだしについていてどんな具合なのか、たぶん物理的な要因なのだろう。ある場所に導通すると怒ったり、泣いたりする。おもしろい。神様はわれわれ地球人におもしろいおもちゃを用意してくれた。われわれはこの生物から目を離さずに観察を続けなければならない。いつの日かNASAからこれまでの業績を顕彰され、感謝される日がくるかも知れない。

川o・-・)紺野「言ってもいいかしら」

川o・-・)紺野さんの横顔が月の光を浴びてきらりと輝いた。春の月はやさしい。その月が天上にあることを忘れさせる。

 春宵一刻値千金

中天には月が昇り、道の両側には香りそのものと思えるような花がさいている。沈丁花の匂いがする。沈丁花は匂いだけで語られる花かも知れない。花の姿が自分を主張しているわけではない。緑の葉に囲まれた中に慎ましやかな花がついている。この葉がなければこの花は自己本来の持ち味を生かさないのかも知れない。

 余は川o・-・)さんが話しかけて来たとき、(●´ー`●)安部のことを話すのかと思って期待した。川端で自分たちのことを話したのだし、(●´ー`●)安部の醜態を公の場にさらしたところである。妖怪仲間として自分としては恥ずかしい部分もあっただろう。少しはいいわけめいたことを言わなくてはならない気分になったのではと、思ったのだが。

川o・-・)紺野さんの魂胆はまったく別のところにあった。魂胆というほどではないのだが。余と滝沢繁明が歩いている少し手前を川o・-・)紺野さんは歩いていた。川o・-・)紺野さんは急に振り向いて余に話しかけてきたのである。川o・-・)紺野さんの横は駅のはじにあたっている。駅のはじには売店があっておじいさんが座っている。おじいさんの前には冷蔵庫があって紫や橙や白や、いろいろな色の棒状のアイスキャンデーが入っている。川o・-・)紺野さんはそれに目をつけたのだ。

川o・-・)紺野「アイスキャンデーを買ってくださらない」

余は三人でアイスキャンデーを買った。余はオレンジ味の、滝沢繁明はミルク味の、川o・-・)紺野さんはグレープ味のアイスキャンデーを買った。川o・-・)紺野さんはそれがうれしいのか、余たちのあとさきになりながらついてくる。

 余もまた内心うれしかった。(●´ー`●)安部豚が負けたからだ。あのセックス至情主義が負けたのである。山海亭でぐでんぐでんによっぱらっていたというのはそのために違いない。そのわけの詳しいところはわからないが(●´ー`●)安部豚のセックス至情主義はとん挫してしまったに違いない。そう思うとこの沈丁花の香りもまた清々しい。

 「あれ、あれ」

川o・-・)紺野さんが田舎道のまん中で指をさした。

川o・-・)紺野「あれで、遊びたい」

余と滝沢繁明が川o・-・)紺野さんの指をさす方を見ると幼稚園の庭の中にトランポリンが置いてある。しかし、幼稚園の門は閉められている。

余「門を乗り越えますか」

滝沢繁明も同意した。他人に迷惑をかけない範囲でたまにははめをはずすのも必要か。三人は幼稚園の門を乗り越えた。まるですいかどろぼうのようである。余がシーソーの片側で腰掛けていると川o・-・)紺野さんと滝沢繁明がトランポリンの上で飛び跳ねている。川o・-・)紺野さんがまだトランポリンの上で飛び跳ねているのを後目にして滝沢繁明はトランポリンから降りて余の横に座った。

滝沢「小学生の頃を思い出してしまいましたよ。小学生の頃が一番楽しかったな」

余「そりゃ、そうでしょう。一日中ただ遊んでいればいいだけなんですからね」

滝沢「あの頃に戻りたいな」

余「でも、きみにはあみ子ちゃんがいるじゃないか」

滝沢「えへへへ」

余は遊園地の遊具のことを思った。遊園地の遊具はジェットコースターにしろ、お化け屋敷にしろ、それを利用する客が浮き世の煩いから解き放されて子ども時代の精神状態に戻ることを面目にしている。それでなければわざわざ金を払って園の中に入る意義がないだろう。客がそういう状態に戻りたいと願うのも日々の生活に疲れているからである。動物は餌をとるために三割か四割のエネルギーと時間を使うのか、詳しいことはわからないが、その他の時間は寝て過ごしている。人間は五割のそれらを使っているのかも知れない。それで睡眠だけでは疲労を取りきることが出来ずに、わざわざ心を解き放す行為をしなければならない。睡眠を削り、労働時間を増やして遊びに時間と金を使っているということになる。そうなればそうなるほど高度に人間として発達しているということになる。そういう位置にある人間ほど社会的な地位が高いといことになっている。

 芸術もまた疲れた人の心を解き放すことを商売にしている。しかし、遊園地の遊具と絵画や詩が違うのは生活の陰が遊園地の遊具から排除されるのに、絵画や詩には生活の陰が落とされるものがあるということである。絵画や詩が生身の人間の生を写す一面があるからそれは当然だろう。

 しかし、絵画や詩の中にも人生の重苦しさからまったく離れたものと、積極的にそれを取り入れているものの二種類がある。

 天使のように、しかし神のようにと言ったら少し意味が違うが、人間が生活し、維持し、時間の波を泳いで行く障害からまったく自由で自由に現れ、自由に消え、いわば現実こそ架空の存在だったり、人間から離れた抽象的な秩序の中に美や喜びを見つける種類の人たちがいる。そういった人たちの作品は空中を自由自在に飛び回るような快活さがある。しかし、芸術はそれだけではない。重い人生の澱を器の底に沈めるようにして、その中にかき分ける快感を売り物にしているものもある。

 でも、作品だけでその制作者の人生が前者のようで後者であり、またはその逆。という結論は下せないに違いない。われわれはどうしたら真の自由を得ることが出来るか。地上でも天上でもない第三の道を選ぶことができるか。

「ない」

余がそんなことをぼんやりと考えていると突然、声が聞こえた。

「ないんです」

川o・-・)紺野さんがトランポリンから降りてトランポリンの下あたりを探している。

余と滝沢繁明は川o・-・)紺野さんのところに行った。

川o・-・)紺野「ゆうきくんとわたしが一緒に写った写真の入っているペンダントがなくなってしまったんです。さがしてください」

川o・-・)紺野さんはコンタクトをなくした女の子のようにトランポリンのあたりで四つん這いになって地べたを探している。余と滝沢繁明も地べたを探った。するとそのペンダントはすぐに見つかった。

川o・-・)紺野「ありがとう」

余たち三人はまた塀を乗り越えて田舎道を那古井の宿に戻るたびにぽつぽつと歩き始める。川o・-・)紺野さんは道端に生えている草を摘むと鼓笛隊の先頭が旗を振るように振り回す。

滝沢「わらしべ長者のつもりですか」

川o・-・)紺野「わらしべ長者って」

滝沢「お百姓さんが仏さまにお願いして、最初に手にしたものを持ってろと言われて、わらしべを持っていたら、それが道で行き会う人とどんどん交換していって長者さまの娘と結婚できるという話しです」

川o・-・)紺野「わたしのゆうきくんも元の姿に戻るかしら」

余「なんか、かえるの王子さまの話しみたいだな」

さっきから道端では春の宵の中で蛙が春を鳴いている。田んぼの横には用水池があってその中に蛙がいっぱいいるみたいだ。もうすでにあたりは暗くなって田んぼもぼんやりとしか見えない。遠くで一軒だけ藁葺き屋根の家の明かりが見える。川o・-・)紺野さんは持っていた草を捨ててまた道端に行くと今度は違う草を持って来た。川o・-・)紺野さんと同じくらいの背の高さの草がたくさん生えている場所だ。

余「子どもなんだな」

滝沢「子どもなんですね」

川o・-・)紺野「見て、見て。草のさきっぽに固い珠がたくさんついているの」

余「これに糸を通すとネックレスになるよ。きっと」

滝沢「今は茶紫色をしているからいいんですが、もうすぐ灰色になるんであんまりきれいじゃないですよ」

川o・-・)紺野「わたしピストルの弾のネックレスが欲しいわ」

滝沢「ピストルの弾なんて、ぶっそうですね。そんなものが売っているんですか」

川o・-・)紺野「売っていますよ。材質は真鍮なのかしら。濁った金色をしていました」

余「ただで作れる方法を知っているよ」

滝沢「どうするんですか」

余「自衛隊の演習場に入って持ってくるんです」

川o・-・)紺野「危ないわ」

余「でも、どこかの国では戦車部隊の演習のあとで空の砲弾を盗んできて屑鉄屋に売るという話しがあるそうだよ。日本にもそんなことがないとも限らない」

川o・-・)紺野「そんな経験があるんですか」

余「自分自身はそんなことはやらなかったが、そんなことをやったという人の話は聞いたことがあるよ」

滝沢「それで弾丸のネックレスを持っていたんですか」

余「持っていなかった。うちのじいさんは千円札の表紙になっている男だったので、いろいろな人間が余の家に出入りしていたんだよ。彫刻家を志望しているという男が余の家に出入りしていることがあったんだ。その男が自衛隊の演習場に忍びこんで空薬莢を盗んでいたという話しを聞いたことがある。余が小学生の頃の話しだったよ」

川o・-・)紺野「その人は結局、彫刻家になったんですか」

余「ならなかった。もともと板前をやっていた男で、余がその男のアパートに行くと見知らぬ女がいた。余は子どもだったのでその女とその男がどんな関係になっていたのかはよくわからなかったが、六畳のアパートの中には絨毯が敷いてあって電気ごたつもあった。そんなちっちゃな空間に不釣り合いのように豪華な食器棚が置かれていたんだな。その中にはダイヤカットされたコップが置かれていた。そこで鍋を出されて黄色くて丸いものがたくさん入っていた。それはもつだったんだ」

川o・-・)紺野「食生活はまずしかったんですね」

余「貧しかったみたいだな。でも食器棚は立派だったよ。そしてその余には理解できない女の顔は今でもありありと思い浮かべることが出来るんだ。やたら色が白くて細面だった。美人だったということではもちろんないさ」

余は立ち止まって話したが、「歩こう」と滝沢繁明と川o・-・)紺野さんに促した。

余「それにしても、淫乱雌豚(●´ー`●)安部の醜態はひどかったな」

滝沢「ひどかった」

川o・-・)紺野さんは無言で数珠玉の枝先を振り回している。それを月がやさしく眺めている。この月はしょじょ寺の坊主や寺の庭先に集まった狸を見ているのと同じ月だ。

余「でも、なんで(●´ー`●)安部豚はあんな見境もないぐらいにぐでんぐでんによっぱらってしまったんだろう」

余は内心(●´ー`●)安部の醜態を思い出し、快感を感じながら言った。

 しかし、余はなぜ今まで気づかなかったのか、そのとき滝沢繁明の左手に包帯が巻かれていたことに気づいた。川o・-・)紺野さんが妖怪として再生した顛末について語っていたときにはすでに滝沢繁明は手にけがをしていたに違いない。しかし、そのときは気づかなかった。

余「滝沢さん、手にけがをしているではないか。包帯を巻いて、一体どうしたのかな」

滝沢繁明はそのことに触れられたくないらしい。

滝沢「なんでもないんです」

余の横では川o・-・)紺野さんが指をくわえながら余の横から隠れたり現れたりしながら、滝沢繁明の方を見ている。

川o・-・)紺野「言ってもいいんですか」

滝沢繁明は複雑な表情をした。

川o・-・)紺野「こんなことは言わなくてもそのうちわかることだから」

川o・-・)紺野さんは手を後ろで組みながら斜め上方、星空の方を見ていた。女子学生が友達と会話しながら登下校するときよくやるように、スカートの裾を三角に広げ、横を向きながら話しかけるという困難をらくらくとこなしていた。

川o・-・)紺野「自分で自分の手の甲をつねっていたからなんです」

余は自分の耳を疑った。

余「また、なんで」

川o・-・)紺野「自分の自制心を保つためです」

余「自制心」

余には全く話しの要領を得ることが出来ない。

川o・-・)紺野「なつみねえさんには、そんなことやめればと言ったんです」

それから川o・-・)紺野さんはその包帯の理由を余に話してくれた。余と純愛論で口論した(●´ー`●)安部は自分の説を主張するためにある行動に移った。余が純愛の権化と主張する滝沢繁明にその牙は向けられた。滝沢繁明は運命的に経済的に困窮している。そこで(●´ー`●)安部は変な仕事を滝沢繁明に要求したそうである。カラオケ屋の一室を(●´ー`●)安部は借り切って、滝沢繁明に料金を払うからカラオケの相手をするように要求した。何も知らない滝沢はそのカラオケ屋に入るとその部屋のドアを開けた。そこには信じられないような光景が待っていた。部屋の周囲、南東の二辺を周回している赤いソファーの上で(●´ー`●)安部が全裸で足を崩しながら待っていたのである。ソファーの上に(●´ー`●)安部の足はソファーの上に全部上がっていた。滝沢が部屋に入るやいなや、ドアをしめて、鍵を飲み込んでしまったそうだ。そしてなにあろう、(●´ー`●)安部のせりふは恐ろしいものだった。「一晩で身ごもろうと思うの。もちろん、あなたの子どもよ」そして(●´ー`●)安部は例のいかがわしい行為のオンパレードを始めたのだ。(●´ー`●)安部はすべてのテクニックを屈指した。滝沢繁明はその攻撃を受けた。滝沢繁明は理性を失わないために自分の左手の甲を自分の指でつねった。いつまでも部屋のドアが開かないことを不審に思ったカラオケ屋の従業員がドアを開けると半分意識を失った滝沢繁明がいた。彼の左手は損傷を帯び、病院での治療を必要とするほどだった。そして全裸の(●´ー`●)安部は泣き叫びながら部屋を飛び出して行った。永遠の楽園を追われたイブのように。考えても恐ろしい光景だったことだろう。しかし余の心は浮き浮きした。心の中で喝采を叫んだ。

 セックス至上主義は純愛に負けたのだ。

 滝沢繁明は雌豚に勝った。

 雌豚は敗北した。

 滝沢繁明とあみ子ちゃんの愛の絆は(●´ー`●)安部のどす黒い、世界の安部の肉体による(●´ー`●)安部支配の危機をうち砕いた。

(●´ー`●)安部が身体を使えばなんでも出来るという浅はかな考えはひとまず敗北したのだ。

 しかし、それでよっぱらってぐずぐずになってしまうなんて。ほんのちょっぴり(●´ー`●)安部が可愛そうな気もしてくる。もしかしたら(●´ー`●)安部は寂しいのかも知れない。さびしんぼ。そんなにお塩が恋しいか。

しかし、正義は勝った。圧政に苦しむ民衆が縛り首に狂気するのは世の常である。

余は滝沢くんの快挙に拍手をしなければならない。そもそも(●´ー`●)安部の無知蒙昧さは内面の寂しさを無制限に男を食い散らすことで晴らそうとしていることである。ひとりを決めて肉体的精神的に満足感を得なければならないだろう。男、出来たかなぁ、とからかってみるスレ。

 しかし、滝沢くんは偉い。見上げたものである。余はにこにこしながら田舎の夜道を歩く。今夜は月も明るい。蛙が田んぼの中でケロケロ鳴いている。もうすぐ蛙の産卵が始まるのかも知れない。あのゼリー状の卵が春の泥水の中でプカプカと浮かんでいる光景が目に浮かぶ。

余「余の目に狂いはなかった。やはりあなたは純愛の権化ですな」

すると滝沢くんはびっくりした目をする。

滝沢「純愛、そんなたいそうなものではありません」

余「でも、きみは安部のセックス攻撃に負けずに純愛を貫いたではありませんか。きみはあみ子ちゃんのことを一度でも忘れたことはないんでしょう」

しかし、ただの若者だと思っていたこの滝沢が計り知れぬ男だということがやがて余にもわかってきた。滝沢繁明、決して一筋縄ではいかぬ男である。

滝沢「いつもあみ子ちゃんのことを思っていることに変わりはありません。あみ子ちゃんは僕にとって永遠の恋人だからです。永遠という言葉の意味はもう少し別な意味もあるのです。僕は中学生のときにどうすれば赤ちゃんが出来るかという性教育を受けました」

性教育と聞いて川o・-・)紺野さんが横を一列に歩いていたのが前に出て来た。そして滝沢くんの方に近寄って行く。そして犬のように鼻をくんくんさせて滝沢くんのにおいを嗅いでいる。

滝沢「女の身体の中には卵子というものがあって、男は精子を発射してその精子が卵子に到達して赤ちゃんが生まれます。その精子は何万匹もいて、そのうち一匹が卵子に到達するのです。世の中は強いものが生存していく。僕は最初そう思っていたんです。適者生存の法則ってありますよね。象の鼻がなんであんなに長いのかっていう問題。でも、それが生存のための手段ではないとどこかの生物学者が言っていたのを聞いたんです。それはたまたまの偶然なんだって。精子だってそうです。一回の行為で何万匹の精子が出て、そして何回その行為が行われるかということを考えると、僕があみ子ちゃんと出会ったのは筋書きのあるドラマではなくて確率の問題だということに気づいたんです。それだからこそ、あみ子ちゃんは僕にとって運命の人なんです。僕はあみ子ちゃんのことを一生思いながら生きていくんです」

蛙が春の田んぼ道の中でケロケロと鳴いた。

哀れな女、(●´ー`●)安部、お前がいくら滝沢くんのことが好きだって、滝沢くんはあみ子ちゃんが好きなんだよ。

***********************************************

 (●´ー`●)安部の泥酔、敗北事件から(●´ー`●)安部はしばらく静かになっていた。あの醜態がよっぽど恥ずかしかったのかも知れない。那古井の宿で余が腹這いになりながら遠良天釜をめくっていると玄関の方で呼ぶ声が聞こえる。誰も宿の中に居ないのかも知れない。そう言えばアルバイトの女も買い出しに行くと言っていた。余は玄関に出て行った。

「井川はるらと申します」

余の失恋中の心の中に鈴のような声が玲ろうと響いた。もちろん相手ははるら嬢である。余はあの日のショック以来、そのショックの事件もいくつか重なっていたのだが、井川はるら嬢のことを考えるのも苦痛だったが、突然の彼女の出現はショック療法のように意外と余の心を平静に保たせた。

「こんにちわ」

玄関の陰からのっそりと骨太の古代人が姿を現す。古代人は照れくさそうにしきりに頭をかいている。

「まだ滞在していらっしゃると聞いたので、お伺いしたのです」

はるら嬢と古代人は国勢調査員のように余の目に映った。しかし、こんなきれいな国勢調査員はいないが。

「とりあえず、上がりませんか」

余が下駄箱に置いてあったスリッパを玄関の上がり口に置くとふたりはその履き物に足を通した。玄関の上がり口に構えている大きな朽ちた桜の木の根っこをぴかぴかに磨いて焼いた銀杏の皮みたいな色に照り輝いている置物の前を右に曲がって、すぐに庭を見渡せる縁側に出た。そこを左に曲がる。縁側の左に並んでいる和室の障子はすべて閉められている。余しか泊まり客はいないのだから当然のことである。

 二つ目の部屋の障子を開けた。欄間にはあみ子が貰った色紙がまじないのお札のように飾られている。その文言を声に出して読んだなら梁の上に積もった塵も感動に身を震わせて畳みの下に落ちるかもしれない。部屋の中には箪笥が置かれ、その横には折り畳み式の本箱が置かれていて余が今さっき読んでいた遠良天釜がもとあった場所に戻されている。高僧もあみ子に自分の言葉を読まれるとは思わなかったことだろう。これはあみ子が普段読んでいる本である。恋いの悩みを超克するためにあみ子はその本を読む。部屋の中央には鉄瓶にお湯を沸かしておくだけの目的で藍色の火鉢が置かれていた。火鉢の中では燃えているのか、消えているのかわからない墨の火が灰の中に埋まっている。しかしその炭が燃焼中だということは息を吹きかけると白い灰の薄皮に包まれた炭素の塊が切れかかった電球のような色で全体がほんのりとだいだい色に輝くことからわかる。余は部屋に入ると隅に重ねてある座布団を客人たちが座るだろう位置に投げ置いた。もちろん投げたわけではないが、そんな感じだった。余はその座布団が巨大手裏剣のように思えた。その手裏剣は投げられたが最後、その行く手をふせぐものも現れない、山中に立っている木の幹に当たれば木の幹をなぎ倒さずにはおかない、巨石に当たれば巨石を砕かずにはおかない。そんな巨大な手裏剣を投げるためには小手先だけではだめだ。身体全体のありとあらゆる筋肉を使わなければならない。投げ終わったあとにはその反動で身体が半回転する。余がその座布団をふたりの客人の足下に投げ終わったあとには余の脳髄に行き渡るはずの血液は不足してよろよろとよろめいた。

古代人が言った。

「座布団を配るだけで、なに、ふらふらしているんですか」

「すいません」

 余は井川はるら嬢の訪問を受けてうれしい反面、おもしろくない面もあった。余の古傷をうずかせる井川はるら嬢であったがやはり目の前にその実物がいるのはうれしい。しかし古代人がお荷物についている。はるら嬢の横にこの古代人が座っていることははなはだ目障りである。その上このふたりが並んで座っている姿にはある調和がある。余は内心腹を立てていた。なんでこの原人と現代人の合いの子が井川はるら嬢について来るのだろうか。もしかしたら余に彼らの婚約発表をここでするつもりかも知れない。もし、そうだとすると大部なことだ。無神経である。余の失恋の傷を治らないうちにその傷の上をさらに引っ掻こうというつもりなのだろうか。そのことに関して井川はるら嬢は同意したのだろうか。はるら嬢もあまりにも無神経である。残酷である。だから(ё)新垣なんかにプレーガール、キュキュなどと揶揄されるのだ。しかし、真に美しい花は自分の美しさに自覚がないのかも知れない。いつも決まった道筋を美しい人が歩く。そのことを習慣や義務にしている。その道筋を歩くのは彼女の自由だが、その人の姿を瞼の裏に焼き付ける男がいる。ここに恋いこがれる者と恋いこがれられる者の関係が出来る。れとられの違いであるが大きな違いである。

 はるら様

余が中天を見つめて忘我脱魂の物思いにふけっていると、トイレのドアを閉めずに入っていたのに急に開けられて睨んだ男の顔をして古代人が余の顔をじろじろと見つめた。もちろん落とし紙は片手につかんだままである。

 無礼である。無礼である。古代人の分際で。なるほど彼は縄文式土器を作ったり、黒曜石の切り欠けで犬の肉を切ったりするのは達者であろうが、はるら嬢に、この温泉街に静電気の火花みたいに突然に現れて婉然と微笑むはるら嬢を賛美する歌を歌うことが出来るか、しかるに原た泰三とはるら嬢の仲が親密に見えることは悲しい。

 余はふたりに茶碗の三分目しか入っていない茶を勧めた。茶の道具は部屋に置いてある。ただ茶菓子はない。アルバイトの女が戻ってくれば買ってきてもらうのだが、もしくは台所の戸棚のどこかに入っているらしいのだが、どこに入っているのか、余にはよくわからない。

「それで」

余は借地料の滞っている若夫婦から重大な案件を突然うち明けられた地主のようにおごそかに口を開いた。

 しかし、古代人は背中を丸めて口に手を当ててさかんに笑いをこらえている。余が古代人の方をきっと睨むと彼は左手で口を押さえたまま、右手でしっかりと余の方に指をさした。

「青海苔が、青海苔が」

「青海苔がどうしたというのかな」

「歯に青海苔がついています」

「失礼な」

余は余の歯に付着している青海苔のありがたさを原た原人に言う気になった。

「この宿で作っている焼きそばが全国一おいしい焼きそばに選ばれたというのをご存知かな。その焼きそばを食べたところなんだよ。それがこの青海苔に表現されている。この青海苔もそんじょそこらの青海苔とは違う。燕の巣を取るのよりも、もっと大変なところで得られる青海苔なんだ。ときにはそれを取る海女が海底の恐ろしい怪物の餌食になることもある」

原た「なんでここの宿の焼きそばが全国一おいしい焼きそばだってわかるのですか」

余「今まで黙っていたが、余は焼きそば評論家というものもやっている。食い物屋で出されている焼きそばはもちろんのことだが、即席焼きそば、フリーズドライ焼きそば、すべてを網羅している。その焼きそばを訪ねる旅は北は足摺岬から南は沖の鳥島まで及んでいる。足摺岬では猛吹雪に会い、沖の鳥島では軍事機密を盗む国際的なスパイと間違われて海上自衛隊の巡洋艦に三日もとどめ置かれたこともあった。それもみんな日本で一番おいしい焼きそばを見つけるためなんだな」

古代人はやはり心に引っかかることがあるらしく、その行為を余が行う意義について問いただしてきた。古代人はやはり古代人である。意義がなければその行為が行われないと思っているらしい。意義と言っているが、それは古代人にとっては古代人にどんな利益をもたらすかということらしい。古代人の頭は単純である。しかし、原た泰三のように悟りきらない人物と余のように悟りを開き、日々、額の上方三十センチに真理の電光を見る人間を同一に扱うわけにはいかない。意義があればそれを始めるときに決心がつくだろう。その途中で失意挫折のときには元気を回復するための滋養物になるだろう。余の輝かしい成果を示さなければならない。

余「ひとりの足の悪い少女の命を救ったのだ」

原た「少女というからには幼い女の子のことですか」

余「もちろんだ。この話しは話すと少し長くなる」

原た「どのくらい長いんですか」

すでにはるら嬢は足をくずしていた。

余「原稿用紙で二枚半ぐらいだ」

原た「聞きますか」

原た泰三は横にいるはるら嬢の方を向いて同意を求めた。

はるら嬢「ご自由に」

はるら嬢の冷たい挨拶が余の闘争心にむらむらと火をつけた。話すぞ。話さずにはおくものか。でも、あなたはいつも冷たいんですね。はるら様、はれほろほー。

原た「はれほろほーってなんですか」

余「余の心のむせび泣きだ。しかし、そんなことはいい。原たさんは三重県の尾鷲町ってご存知かな。知っていても知らなくてもいい。原稿用紙の二枚半しか持ち分はないのだから話しをさきに進めるのだ。それでいいのだ。尾鷲町は港町である。そこに船乗りを夫として持ったが夫を嵐で失い、お茶漬け屋で生計を立てていた、出し殻舟、六十四才、女がいたのだ。港でとれた魚介類を焼いてお茶漬けにして出していて、船乗りに結構人気があった。しかし、舟にある日不幸がおそった。舟が台所に出てみると、床の上で黒いすいかの種よりも少し小ぶりなものが何匹もびょこびょこはねている。それはよく見ると虫だった。米櫃をのぞき込むとそれが無数にいて、米粒の上でぴょこぴょこはねている。舟は天下の一大事と思ったからすぐにテレビのスイッチをひねった。すると尾鷲町公営テレビニュースというのが流された。アナウンサーは絶叫していた。尾鷲町もこの世の終わりです。尾鷲町に米搗きバッタが大量に発生しました。尾鷲町の米は、米は。というとアナウンサーは涙ぐんだ。尾鷲町の米は全滅です。舟にとっては自分の夫が死んだとき以来の呆然自失とした出来事だった。しかし、舟は冷蔵庫の中に焼きそば用のそばとオイスターソースが入っていたことを思い出した。冷蔵庫の中には港に上げられた魚介類がある。米がなくてもそばがある。舟はそこで焼きそばを作った。その焼きそばの評判が良かったので余はそこに行った。焼きそば評論家たるもの、うまいという噂があれば、嘘か真かそれを確かめに行かなければならない。その噂は本当だった。それで三年前の、午後三時半の奥様にという番組で余がその焼きそばを紹介したのだ。たまたま、その番組を絵本作家の瀬戸もの子という絵本作家が見ていて、その女も焼きそばには目がないものだから紀勢本線を乗り継いで舟の店にまで焼きそばを食べに行った。その焼きそばに感動した瀬戸もの子はその焼きそばをヒーローにした絵本を描いた。それが焼きそばマン、正倉院御物を守るという絵本だ。二年前に評判になったのだが覚えているかな。その中に歴史的建造物のことが詳しく載っていて、それらを修復保存しようという運動がさかんになったのだ。しかし、その技術を持っている大工は少なくなっていて、その運動をしている連中はそんな大工を一人でも多く求めていた。その中でいろいろと探し求めた末に白井権八郎という大工が一人みつかった。そして今までには想像も出来ない手間賃を貰うことが出来て、白井権八郎は今まで飼いたいと思っていたが飼えなかったセントバナードを飼って六くんと名付けていた。その六くんはなかなか頭がよくて主人がいなくても勝手に散歩をして家に帰ってくるのだったが、いつもの散歩をしている道を渡ろうとしているとき、足の悪い女の子も同時に渡ろうとしていた。その女の子は考えごとをしているようで車道の方に一歩踏みだそうとしたとき、向こうからタクシーが猛スピードで走ってきたのだ。だから六くんはその女の子のスカートのはしをくわえた。タクシーは間一髪のところでその女の子をはねずにすんだ。これが余が三年半前においしい焼きそばを見つけた功徳である」

どうも、原た泰三もはるら嬢も余の話しを半分聞いて、半分聞いていないようだった。つまり全然熱心に聞いていなかった。

原た「あなたの歯に青海苔がついているのは違う理由だと聞いていますよ」

余「どんな」

原た「あなたが、あるカルト教団の秘密を暴いた結果だと聞いていますが」

余は自分の記憶を探ってみた。焼きそば評論家とカルト教団の秘密を暴く正義の探偵、当然、後者の方が格好良い、余は後者を選択することにした。

余「画龍点睛を欠くということわざがあるが、びんづる聖者の頭のてっぺんが光らなければ、そのありがたみはない。焼きそばの青海苔は後光のようなものである。紅生姜も大切だが、青海苔は焼きそばに風格を与える。二百円で売っている焼きそばが青海苔ひとつで二百五十円にも売れるのだ。これは蕎麦が海苔をかけているとざる蕎麦と呼ばれ、海苔がかからないともりそばと呼ばれる。余はいつも天ざるよりも天もりを頼むことにしているが、そば自体、一番粉を使う、二番粉を使うという区別もあったのだが、今はそれも曖昧になっている」

余は自分で一番粉、二番粉と呼んでいるがその意味もよくわからなかった。ビールで一番しぼりとかそんなものがあるがそんなようなものだろう。

「そもそも、おにぎり屋でも天丼屋でも、お付けものという別メニューがあって、小皿に漬け物がちよぴっとしかのっていないのにお金をとられる。あれはどういうものだろうか。金持ちは漬け物を頼んで貧乏人は漬け物を頼まず、店の経営がうまくいくということなのだろうか」

余は語りながら自分でも何を言っているのか、わからなくなっていた。

余「原たさん、あなたが焼きそばそれ自体よりも、それの上に座っている青海苔が大切であるということにはよく気がついた。しかし、余の活躍談を得々として話すのは心苦しい。原たさんから井川はるら嬢にもわかるように話して頂けますかな」

原た「はるらさん、この人はあるカルト教団の悪事を暴いただけではなく、その悪事の道具を利用してここの青海苔、それも良質のものをです。発見出来た初めての人なんです」

余「ふむふむ」

余の記憶の中には覚えはないが確かにそんなことをしたような気がする。原た泰三は余よりも余のことをよく知っているのかも知れない。

原た「この温泉街に終末かたるという予言者めいた男が現れたのを知っていますか。あの安土桃山時代の山賊みたいな風体をしているくせに、あと五年で日本は海中に沈没するとこの街の住人を煽動している男です。この男の言うことを真から信用している信者が海出散歩という海洋工学者を誘拐した事件がありました。海出散歩を誘拐しただけではなく、彼の発明した海中散歩機まで持ち去ったのです。ここにいる夏目さんはその組織に忍び込んで海中散歩機だけ取り戻して、海出散歩のことは忘れていました。そして海中散歩機をつけるとここの海に潜って青海苔をたくさん採集しました。海中でその味見もしました。それで歯に青海苔がついているのです」

余は思いだしていた。海に潜って青海苔を採集していたことを。それで余の歯には青海苔の破片が付着しているのか、余は納得した。余はしばしば感慨に耽った。余の活躍を認めていた人物がここにいたのか。しかし原た泰三はなにあろう、冷めた目で部屋の片隅にある紙でこよりを作ってそれを編んで、その上にニスを塗って固めて作ったゴミ箱の上から顔を出しているカップ焼きそばの箱をゆびさした。

原た「でも、本当はあなたはあのカップ焼きそばを食べたんでしょう。あの焼きそばは青海苔がたくさん入っていることで有名なんですよね。僕はあなたの妄想につき合ってあげただけなんです」

何を言うのだ。この古代人は妄想などと、それに僕なんい言い方をして、井川さんに与える印象の点数を上げようとしているのではないか。余が妄想、妄想を抱いている愚物だと井川さんに知られたら余は井川さんに嫌われてしまうではないか。ひどい、ひどい、ひどすぎるよ、原た泰三。余はその場に居たたまれない気がしていつもなら何かを言って恥ずかしさを紛らわすのだが、その元気もなく、陸に揚げられた蛸のように意気消沈してぐにゃりとなっていた。話しは変わるが、烏賊の頭のように見えるところは実は下半身で、足がある方が上半身だって知っていた?。この事実は蛸については確認していない。余はその蛸の頭に見えるところをぐにゃりとさせてしおれていた。漁師の運転するディーゼル漁船の甲板の上で陸揚げされ、料理を待つ蛸のようにである。

 しかし、そこは井川はるら嬢である。余の虚言を追求するようなことはしなかった。

(●´ー`●)安部なつみとは大違いである。

はるら「あなたのところに来たのはそんな話しをするためではありませんの」

では、なんの話しをするためなのだ。井川はるら嬢と原た泰三の婚約発表に来たのだろうか。それもあんまりだ。余の井川はるら嬢に対する気持ちも知らずにそんなことをするなんて。

はるら「(●´ー`●)安部なっつさんてあなたにとって何に当たっているのですか」

余はそのことをはるら嬢に言ったことがあるような気がしたがもしかしたら言っていないのかも知れない。それに(●´ー`●)安部なっつなんて変な呼び方までしている。まあ、(●´ー`●)安部なっつでもいいが、表向きは余の親戚となっているが、余の周りに出没する妖怪である。余と彼女たちは契約を結んだ。永遠に余をご主人様として仕えるという契約書を取り交わしたが、余の借金や(●´ー`●)安部のセックス攻撃によってその関係は逆転しつつある。いや、今は完全に逆転している。

余「あの、ヨゴレですか」

余は(●´ー`●)安部の前では安部さまとか、なつみ様と呼んでいるが、それも皆、あの女から金を借りていること、セックスの提供を受けているからにほかならない。その反動であの女妖怪のいない前ではヨゴレと呼んでいる。

 しかし、(●´ー`●)安部のことをヨゴレと呼んだときの目の前にいるふたりの皿の上に焼きたてのさんまを出された子猫のようににやりと笑った顔は忘れられなかった。

(●´ー`●)安部、その存在はたしかに妖怪という異性物である。いつの時代かは知らないが地球に降り立ったエイリアンである。そのエイリアンも今は帰郷する円盤もなく、地球でわれわれ地球人の観察の対象となっているのだ。ありがたいことである。まず第一に動物園に飼育され、観察される生物の種類が一種類増えている。動物園にパンダを見にきたお子たちの喜ぶ顔が目に浮かぶ。しかし、安部がその子どもたちに粗相をしないかという心配も余の脳裏をかすむ。自分の**を幼稚園児たちに感情の赴くままになげつけないか、仏頂面をしていないか。ちゃんと芸をしてくれるか。そして第二に生物学者の研究材料が一つ増えるだろう。これで向学研究の熱意に燃える学徒がひとり救える。そしてなによりも(●´ー`●)安部がいなければ地球上の生物と異星の生物の違いはわからないだろう。そして(●´ー`●)安部を観察することによってわれわれ地球人はわれわれが何者であるかをますます知るようになり、同胞としての連帯感も高まるというものである。このふたりもそんな観察生物を発見した喜びを感じているに違いない。

余「あのヨゴレですか。一応、余の親戚ということになっています。あの女に興味があるんですか」

はるら「あります。興味津々ですよ」

余「余の観察していたところ、この前ラーメン屋に入って味噌ラーメンを食べてから、やはり味噌ラーメンは北海道でなければならないとか、なんとか、偉そうにほざいていました」

はるら「北海道、出身なんですか」

余「室蘭出身でね。あの女を喜ばせるなんて簡単なんですから。室蘭にガラス細工美術館というのが観光目的であるんですけど、それの初代イメージガールに選ばれたのが自慢なんですよ。それでミス、ガラス細工なんて言うと喜ぶんですよ。それから子どもの頃、海の中に潜って貝なんかを取って来て浜辺で焼いて食べたなんて話しをすると食いついて来ますよ。ふへほほほほ」

余は薄気味悪く笑った。

しかし、(●´ー`●)安部は今どこにいるのだろうか。ヨゴレなどとあの女の本質をつくようなことを聞かれると、やばい。余は用心深くあたりを見回した。

余「でも、どうしてあんなヨゴレなんかに興味を持っているんですか」

はるら「あなたみたいに、(●´ー`●)安部さんと交換日記をしたいと思って」

余は口に含んでいた茶をあわてて吐き出しそうになった。

余「交換日記、交換日記なんてしていませんよ」

余は(●´ー`●)安部との肉欲にまみれた日々を思い出していた。あの妖怪とのセックスの泥沼に陥りながら余は(●´ー`●)安部豚を侮蔑している。いや、侮蔑しようとしている。(●´ー`●)安部豚と余の関係はセックスと借金しかない。

余「余とあのヨゴレをつないでいるのは借金しかないんです」

さすがに(●´ー`●)安部との間のセックスまみれの関係については言えなかった。そんなことを言えば余は不潔な男としてはるら様に嫌われてしまうかも知れない。

余「恥ずかしいですが、親戚の女の子に借金をしていまして、交換日記なんていうそんな清らかな関係ではないんです」

はるら「それだけ、でもなんであなたはヨゴレだとか、(●´ー`●)安部豚とか、変な呼び方で安部さんのことを呼ぶのですか」

はるら嬢の目が少し真剣味を帯びている。

余「だって、あいつは人間じゃ、人間じゃないんで、もっと下等な生き物なんです・・・・・・・」

余は危うく安部の正体を明かしそうになる。

はるら「あなたが何か勘違いをしているようなんで、そのことを言いたい気持ちもあったんです」

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