第10回
第十回
やけに頬の肉をつまみ上げた手を、残念そうに放した親方は、棚の上から、薄っぺらな赤い石鹸を取りおろして、水の中にちょっと浸したと思ったら、それなり余の顔をまんべんなく一応なでまわした。裸石鹸を顔へ塗りつけられたことはあまりない。しかもそれをぬらした水は、幾日まえくんだ、ため置きかと考えると、あまりぞっとしない。
余が祖父もこのゆがんだ鏡の前に座って自分の頬をあっちへ引っ張り、こっちへ引っ張りされたのかと思うとこの髪結床の親父の作品制作の素材として提供されたわけで同類の憐れみを禁じ得ない。すでに髪結床である以上は、お客の権利として、余は鏡にむかわなければならん。しかし、余はさっきからこの権利を放棄したく考えている。鏡という道具は平らに出来て、なだらかに人の顔を写さなくては義理が立たぬ。もしこの性質がそなわらない鏡を掛けて、これに向かえとしいるならば、しいるものはへたな写真師と同じく、向かうものの器量を故意に損害したといわなければならぬ。虚栄心をくじくのは修養上一種の方便かもしれぬが、なにも己の真価以下の顔を見せて、これがあなたですよと、こちらを侮辱するには及ぶまい。今余が辛抱して向き合うべく余儀なくされている鏡はたしかに最前から余を侮辱している。右を向くと顔中鼻になる。左を出すと口が耳元まで裂ける。仰向くとひきがえるを前から見たように真っ平らに押しつぶされ、少しこごむと福禄寿の申し子のように顔がせり出してくる。いやしくもこの鏡に対する間は一人でいろいろな化け物を兼勤しなくてはならぬ。写るわが顔の美術的ならぬはまずがまんするとしても、鏡の構造やら、色合いや、銀紙のはげ落ちて、光線が通り抜ける模様などを総合して考えると、この道具その物からが醜態をきわめている。小人から罵詈されるとき、罵詈それ自身は別に痛痒を感ぜぬが、その小人の面前に帰臥しなければならぬとすれば、だれしも不愉快だろう。余が動ぜざること山のごとし高等数学でも記述できないような曲面を存した鏡の前で奇怪にゆがまされた余が顔と百面相の勝負をやっているとこの一筋縄ではいかない親方は余が首が土中に深く埋まった桜大根だとでも認識しているのか、引っ張ったりねじり上げたり、ほとんどプロレスをやっているのと変わりがなかった。余は思わず悲鳴を上げた。
床屋「旦那、こんなことぐらい我慢できないなんて首が生になっているんですぜ」
そう言う親方もこの肉体労働に疲労を感じたのか、あぐらをかいて、長煙管で、おもちゃの日英同盟国旗の上へ、しきりに煙草の煙をゴジラの怪光線のように吹き付けている。
床屋「旦那あ、あまり見受けねぇようだが、なんですかい、近頃来なすったのかい」
余「二三日まえ来たばかりさ」
床屋「へえ、どこにいるんですい」
余「志保田にとまつているよ」
床屋「うん、あすこのお客さんですか。おおかたそんなこったろうと思ってた。実あ、私もあの隠居さんをたよって来たんですよ。ーなにね、あの隠居が東京にいた時分、わっしが近所にいて、ーそれで知ってるのさ。いい人でさあ。もののわかったね。去年ご新造が死んじまって、今じゃ道具ばかりひねくっているんだがーなんでもすばらしいものが、あるてえますよ。売ったらよっぽどな金目だろうって話さ。それにあの家には変なしきたりや伝説がうようよしているって言いますぜ。お化けも出るって噂だ」
余「きれいなお嬢さんがいるじゃないか」
床屋「あぶねえね」
余「なにが?」
床屋「なにがって。旦那の前だか、あれでまだ十九、未成年ですぜ」
余「そうかい」
床屋「そうかいどころの騒ぎじゃねえんだ。本当なら東京で親と一緒に住んでいるのが順当なんだが、自分のじいさんのところに居候を決め込んで、ここの名家の跡取りと結婚するとかどうかとか一悶着があったんですぜ」
余「東京で何をしていたんだい」
床屋「映画に出ていたという話ですよ。ですがねぇ、あのちょっとき印で相手の男をひっぱたいて居づらくなって自分のじいさんのいるここに来て羽を伸ばしているんでさぁ。そいでもってこの那古井の名家の跡取りとくつっくは別れるわって一騒ぎを起こして。それもあの女の方から誘惑したという話ですぜ」
余「へえ。それでその跡取りってのはなんて名前なんだい」
床屋「たしか、滝沢繁明ってたなぁ。旦那、何をのんびりかまえているんですぜ、もう蝿が空を飛びながらおまんまの三品でも作りますぜ。あの宿にいるのはそんな孫娘なんですぜ。もうここに住んでいながら義理が悪いやね。誘惑された方の相手はすっかりしょげかえって隠居さんがああしているうちはいいが、もしもの事があった日にゃ、法返しがつかねえわけになりまさあ」
余「そうかな」
床屋「あたりめえでさあ。本家の兄きたあ、仲がわるしさ」
余「本家があるのかい」
床屋「本家は岡の上にありまさあ。遊びに行ってごらんなさい。景色のいい所ですよ」
余「おい、もう一ぺん石鹸をつけてくれないか。また痛くなってきた」
床屋「よく痛くなる髭だね。髭が硬すぎるからだ。旦那の髭じゃ、三日に一度はぜひ剃りを当てなくっちゃだめですぜ。わっしの剃りで痛けりゃ、どこへ行ったって、がまんできっこねえ」
余「これから、そうしょう。なんなら毎日来てもいい」
床屋「そんなに長く逗留する気なんですか。あぶねえ。およしなせえ。益もねえこった。碌でもねえものに引っかかって、どんな目にあうかわかりませんぜ」
余「どうして」
床屋「旦那あの娘は面はいいようだが、ほんとうはき印ですぜ」
余「なぜ」
床屋「なぜって、旦那。村のものは、みんな気違えだって言ってるんでさあ」
余「そりゃなにかの間違いだろう」
床屋「だって現に証拠があるんだから、およしなせえ、けんのんだ」
余「おれはだいじょうぶだが、どんな証拠があるんだい」
床屋「おかしな話さね。まあゆっくり、煙草でものんでおいでなせえ話すから。ー頭あ洗いましょうか」
余「頭はよそう」
床屋「頭垢だけは落としておくかね」
親方は垢のたまった十本の指を、遠慮なく、頭蓋骨の上に並べて、断りもなく、前後に猛烈なる運動を開始した。この爪が、黒髪の根をことごとく根こぎにされて、残る地面がべた一面に蚯蚓腫にふくれ上がった上、余勢が地盤を通して、骨から脳味噌まで震とうを感じたくらい激しく、親方は余の頭をかき回した。
床屋「どうです、いい心持ちでしょう」
余「非常な辣腕だ」
床屋「え? こうやるとだれでもさっぱりするからね」
余「首が抜けそうだよ」
床屋「そんなにけったるうがすかい。全く陽気のかげんだね。どうも春てえやつあ、やに身体がなまけやがってーまあ一ぷくお上がんなさい。一人で志保田にいちゃ、たいくつでしょう。ちと話においでなせえ。どうも江戸っ子は江戸っ子同士でなくちゃ、話が合わねえものだから。なんですかい、やっばりあのお嬢さんが、お愛想に出てきますかい。どうもさっぱし、見境のねえ女だから困っちまわあ」
余「お嬢さんが、どうとか、したところで頭垢が飛んで、首が抜けそうになったけ」
床屋「違えねえ、がんがらがんだから、からっきし、話に締まりがみえったらねえ。ーそこでその寺に泊まっていた文学士が逆せちまって・・・・・」
余「その文学士たあ、どの文学士だい」
床屋「観海寺に泊まっていた青なりの文学士がさ・・・・」
余「青なりも観海寺にも、文学士はまだ一人も出てこないんだ」
床屋「そうか、せっかちだから、いけねえ。東京から来た文学士で、やっぱりここに昔、偉い文学士が来たらしいって、そのことを調べに来ていた文学士なんだけど、ああ、話していてもあっしの頭の中はこんがらがっちまうよ。そいつがお前さん、レコに参っちまって、とうとう文をつけたんだ。ーおや待てよ。口説いたんだっけかな。いんにゃ文だ。文に違えねえ。するとーこうっとーなんだか、いきさつが少し変だせ。うん、そうか、やっぱりそうか。するてえとやっこさん、驚いちまってからに・・・・」
余「だれが驚いたんだい」
床屋「女がさ」
余「女が文を受け取って驚いたんだね」
床屋「ところが驚くような女なら、しおらしいんだが、驚くどころじゃねえ」
余「じゃだれが驚いたんだい」
床屋「口説いたほうがさ」
余「口説かないのじゃないか」
床屋「ええ、じれってえ。間違ってらあ。文をもらってさ」
余「それじゃやっぱり女だろう」
床屋「なあに男がさ」
余「男なら、その文学士だろう」
床屋「ええ、その文学士がさ」
余「文学士がどうして驚いたのかい」
床屋「どうしてって、駅で次ぎに来る電車を待っているといきなりあの女が抱きついて来てーうふふふ。どうしても狂印だね」
余「どうかしたのかい」
床屋「そんなにかわいいなら、このまま電車で私を遠くに連れて行ってって、だしぬけに原た泰三さんの頸っ玉へかじりついたんでさあ」
余「へええ」
床屋「めんくらったなあ、原た泰三さ。気違えに文つけて、とんだ恥をかかせられて、東京から来た文学士の面目もまるつぶれでさあ。いつも苦虫を噛みつぶしたみたいな顔をしていたのが、体面のやり場に困っちまって、とうとう、その晩こっそり姿を隠して死んじまって・・・」
余「死んだ」
床屋「死んだろうと思うのさ。生きちゃいられめえ」
余「なんともいえないな」
床屋「そうさ、相手が気違えじゃ、死んだって冴えねえから、ことによると生きているかもしれねえね」
余「なかなかおもしろい話だ」
床屋「おもしろいの、おもしろくないのって、村中大笑いでさあ。ところが当人だけは、根が気が違ってるんだから、しゃあしゃあして平気なもんでーなあに旦那のようにしっかりしていりゃだいじょうぶですがね。相手が相手だから、めったにからかったりすると、大変な目にあいますよ」
余「ちっと気をつけるかね」
余「それにしても最近、観海寺にきれいな女の人が泊まっているだろう」
床屋「観海寺にそんな女がいましったけ。あっ、あれかな。東京から来たとかいう。名前はなんだっけ。井川はるらなんて言っていたな」
余「彼女は何をしにここに来ているんだい」
床屋「骨董を調べるために来ているとか言っていましたよ」
その昔、画工のふりをしてこの那古井に来た文学士とはわが祖父のことなり、その祖父のことを調べている文学士がいるとは驚いた。祖父がここに来たことは波のないまつたりとした池の表に小石を一つ投げ込んだぐらいの作用は及ぼしているかも知れぬ。しかしあの余の枕もとに鮎の形をしたカステラ菓子を運んで来たショートカットとどういう因縁があるというのか、はなはだ余には理解しうる範囲のことである。そして余の憧れの井川はるら嬢の逗留している観海寺に文学士も泊まっていたということは少し気になる出来事ではあった。しかしそんな遠い日の恩讐も春風に流して、生温い磯だまりの中で小魚や小海老、小さな蟹、その他名前もわからないような節足動物たちがそこを自分たちの温泉だとでも思って日がな湯船につかっているのだろうか。塩気のある春風がふわりふわりと来て、親方の暖簾を眠たそうにあおる。砂川は二間に足らぬ小橋の下を流れて、浜のほうへ春の水をそそぐ。春の水が春の海と出会うあたりには、参差として幾尋の干網が、網の目を抜けて村へ吹く軟風に、なまぐさき微温を与えつつあるのかと怪しまれる。その間から、鈍刀を溶かして、気長にのたくらせたように見えるが海の色だ。今わが親方はかぎりなき春の景色を背景として一種の滑稽を演じている。のどかな春の感じを壊すべきはずの彼は、かえってのどかな春の感じを刻意に添えつつある。余は思わず弥生半ばにのんきな弥次と近づきになったような気持ちになった。このきわめて安価なる気炎家は、太平の象を具したる春の日にもっとも調和せる一彩色である。余が音楽の才を持っているならば春の浜辺の波の音の中にこの一彩色をアクセントとして加え得るであろう。
こう考えると、この親方もなかなか画にも、詩にもなる男だから、とうに帰るべきところを、わざと尻をすえてよもやまの話をしていた。ところへ暖簾をすべって小さな坊主頭が、小坊主「ごめん、一つ剃ってもらおうか」
とはいって来る。白木綿の着物に同じ丸桁の帯をしめて、上から蚊帳のようにあらい法衣をはおって、すこぶる気楽に見える小坊主であった。
床屋「了念さん。どうだい、こないだあ道草あ、食ってゲームセンターなんぞに入って、和尚さんにしかられたろう」
小坊主「いんにゃ、ほめられた」
床屋「使いに出て、途中でUFOキャッチャーなんかやってアフロ犬のぬいぐるみなんか、とって来て、了念は感心だって、ほめられたのかい」
小坊主「若いに似ず了念は、老師の好みがよくわかると言って、感心じゃ言うて、老師がほめられたのよ」
床屋「道理で頭に瘤ができてらあ。そんな不作法な頭あ、剃るなあ骨が折れていけねえ。今日はかんべんするから、この次から、こね直して来ねえ」
小坊主「こね直すくらいなら、ますこしじょうずな床屋へ行きます」
床屋「はははは歯が四つ、頭はでこぼこだが、口だけは達者なものだ」
小坊主「腕は鈍いが、酒だけは強いのはお前だろ」
床屋「べらほうめ、腕が鈍いって・・・」
小坊主「わしが言うたのじゃない。老師が言われたのじゃ。そう怒るまい。年がいもない」
床屋「ヘン、おもしろくもねえ。ーねえ、旦那」
余「ええ?」
床屋「全体坊主なんてえものは、高い石段の上に住んでやがって、屈託がねえから、自然に口が達者になるわけですかね。こんな小坊主までなかなか口はばってえことを言いますぜーおっと、もう少し頭を寝かしてー寝かすんだてえのに、ー言うことをきかなけりゃ、切るよ、いいか、血が出るぜ」
小坊主「痛いがな。そうむちゃをしては」
床屋「このくらいしんぼうができなくて坊主になれるもんか」
小坊主「坊主にはもうなっとるがな」
床屋「まだ一人前じゃねえ。ー時にあの原た泰三さんは、どうして死んだっけな、お小僧さん」
小坊主「原た泰三さんは死にはせんがな」
床屋「死なねえ? はてな。死んだはずだか」
小坊主「原た泰三さんは、その後発憤して、大阪国語研究所に行って研究三昧じゃ。今に近代文学の有数な研究者になるであろう。そしてここにやって来た英文学士が誰であったのか、明白にするであろう。結構なことよ」
床屋「なにが結構だい。いくら文学士だって、夜逃げをして結構な法はあるめえ。お前なんざ、よく気をつけなくちゃいけねえぜ。とかく、しくじるなあ女だからー女ってえば、あの狂印はやっぱり和尚さんの所へ行くかい」
小坊主「狂印という女は聞いたことがない」
床屋「通じねえ、味噌擂だ。行くのか、行かねえのか」
小坊主「狂印は来ないが志保田の孫娘さんなら来る」
床屋「いくら、和尚さんの祈祷でもあればかりゃ、直るめえ、まったく楠公が祟っているんだぜ。でなきゃ、一九才だからと言ってラブシーンの相手役をぶん殴って役を降りるなんてことがあるか」
小坊主「あの娘さんはえらい女だ。老師がようほめておられる」
床屋「小坊主さん、あの女にほれてんじゃないのかい。エヘヘヘ」
小坊主「いんにゃ、そんなことがあろうか」
余「観海寺にきれいな女の人が泊まっていますね」
小坊主「井川はるらさんのことですか。はるらさんは精力的に那古井の土地をまわっていらっしゃいます」
床屋「井川はるらにも、小坊主さん、ほれてんじゃないのかい」
小坊主「うそばっかし」
床屋「ほら、顔が赤くなってるよ。それにしても石段をあがると、なんでもさかさまだからかなわねえ。和尚さんが、なんていったって、気違えは気違えだろう。ーさあ剃れたよ。はやく行って和尚さんにしかられてきねえ」
小坊主「いやもう少し遊んで行ってほめられよう」
床屋「かってにしろ、口の減らねえ餓鬼だ」
小坊主「とっ、このかんしけつ」
床屋「なんだと」
青い頭はすでに暖簾をくぐって、春風に吹かれている。
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鏡が池の横を抜けると長良の乙女の眠る六輪の塔があるというので余はそこへ行くことにした。鏡が池の横の道には熊笹が多い。ある所は、左右から生い重なって、ほとんど音を立てずには通れない。木の間から見ると、池のみずは見えるが、どこではじまって、どこで終わるか一応回った上でないと見当がつかぬ。この池は非常に不規則な形でところどころ岩が自然のまま水際に横たわっている。池とその岸の境目が判然とせず、大雨がふればその境界線の形も変えるだろうし、今歩いている場所も池の中になるかも知れない。少しさきの場所に目をやると熊笹のやぶがいくつか重なった間から石段がついていてそこを上って行くと長良の乙女の六輪の塔がある場所に出ると余は聞いた。その熊笹の茂みの向こうの暗いところに椿が咲いている。椿の葉は緑が深すぎて、昼見ても、日向で見ても、軽快な感じはしない。ことにこの椿は岩角を、奥へ二三間遠のいて、花がなければ、なにがあるのか気のつかないところに森閑として、かたまっている。その花が! 一日勘定してもむろん勘定し切れぬほど多い。しかし目がつけばぜひ勘定したくなるほどのあざやかさである。ただあざやかというばかりで、いっこう陽気な感じがない。ぱっと燃え立つようで、思わず、気をとられた。あとはなんだかすごくなる。あれほど人を欺す花はない。余はいつも深山椿を見るたびにいつでも妖女の姿を連想する。黒い目で人を釣り寄せて、知らぬ間に、嫣然たる毒を血管に吹く。欺かれたと悟ったころはすでに遅い。向こう側の椿が目に入った時、余は、ええ、見なければよかったと思った。あの花の色はただの赤ではない。ぱっと咲き、ぽたりと落ち、ぱっと咲いて、幾百年の星霜を、人目にかからぬ山陰に落ち着きはらっている。ただ一目見たが最後! 見た人は彼女の魔力から金輪際、のがるることはできない。あの色はただの色ではない。屠られたる囚人の血が、おのずから人の目をひいて、おのずから人の心を不快にするごとく一種異様な赤である。もしかしたらここに井川はるら嬢が出て来るのではないかと思った。しかし彼女はいなかった。その椿の固まりの向こう、古雅な話とはほど遠い場所に長良の乙女の墓はあるようである。余の散策コースとしてはこの石段を登って行くと観海寺の裏に出て、宿の方に戻ることが出来る。余はその石段を上がって行くことにした。熊笹の茂みをよけて石段を上がって行くとちっぽけなお椀のような山の一部をくり抜いたような広場に出て、その中央の昼なお暗い天上に茂る茂みの真下に六輪の塔はあるのだが、余が目には予想外の闖入者も入って来た。六輪の塔と言うのは石で作られたものではあったがその横で何かをしている人物がいる。余が彼の姿を認めたのに彼はまだ余の姿を認めていない。背後にすり鉢を逆さにしたような丘が重なっていてその丘が重なっているところを丸くえぐって長良の乙女の六輪の塔のある墓所がある。そこもやはりお饅頭を上から巨人の手の平で押しつぶしたようにぺちゃんこになっていて、そのぺちゃんこの一番高いところに石で出来た四角い傘を六つ重ねた長良の乙女の六輪の塔がある。五輪の塔というのが死者を弔う石塔では通常の話である。剣豪宮本武蔵の剣術指南書、いな、剣の極意書に五輪の書というのがある。余はその五輪を頭の中で数えてみた。オリンピックの五輪ではない、オリンピックの五輪は五大陸を表す。その創始者クーベルタン男爵がその参加国を表す五大陸を象徴した五つの輪を波のように合わせて五大陸の民族にその参加を促した。クーベルタンの発言にオリンピックは参加することに意義があるというのがある。してみると参加国を募ることがはなはだ困難な事業だったのかも知れない。現在のその祭典の隆盛からは信じられない事実である。オリンピックは五つの大陸であったが五輪の書はその大陸や海、つまりこの世界を作る五要素を表している。その五要素を頭の片隅の中に探してみる。もちろん五輪の書は密教の教えに基づいている。地輪、水輪、火輪、風輪、そしてあとの一個がなかなか思い出せない。頭の中にあるいろいろな家の戸を叩いてみる。たいていは居留守を使っているのか、本当に買い物に出かけているのか、出て来ない。こんなもどかしい気持ちを昨夕も味わったような気がする。宿の孫娘が青磁の菓子皿を置いて余が部屋を出て行った直後とつこつとして余が額に光るものがあった。空しく抜ける春風が、空しき家を、抜けて行き、それを迎える人の義理でも、拒むものへの面当てでもないと悟ったとき、詩境が人人具足の道であるという立脚地に立てば、無弦の琴を霊台にきくという心理の状態もありうるだろう。そしてあらゆる春の色、春の風、春の物、春の声を打って、固めて、仙丹に練り上げて、それを蓬莱の霊液に溶いて、、桃源の日で蒸発せしめた精気が、知らぬ間に毛穴からしみ込んで、心が知覚せぬうちに飽和されてしまって春と自己が同化されたと感じたとき、詩を作ってみようかとこころみた。写生帳の上に鉛筆を押しつけて、前後に身をゆさぶってみた。しばらくは、筆の先のとがったところを、どうにか運動させたいばかりで、ごうも運動させるわけにはゆかなかった。急に朋友の名を失念して咽喉まで出かかっているのに、出てくれないような気がする。そこであきらめると、でそくなった名は、ついに腹の底へ収まってしまう。葛湯を練るとき、最初のうちは、さらさらして、箸に手ごたえがないものだ。そこをしんぼうすると、ようやくねばりが出て、かきまぜる手が少し重くなる。それでもかまわず、箸を休ませずに回すと、今度は回し切れなくなる。しまいには鍋の中の葛が、求めぬに、先方から、争って箸に付着してくる。詩を作るのはまさにこれだ。
手がかりのない鉛筆が少しずつ動くなるように勢いを得て、かれこれ二三十分して
青春二三月。愁随芳草長。閑花落空庭。素琴横虚堂。瀟蛸掛不動。篆煙堯竹梁
と詩が出来た。そのときの心持ちのように思い出せない単語が出て来ないかもう一度こころみる。地、水、火、風、・・・・、地、水、火、風、と来て次ぎに来るのは天という単語が来た。しかし、何となく座りが悪い。天上と地上の対称としてはいいが、今ひとつ哲学的ではない。哲学的な感じがしてもうひとついい言葉がないか。そこで余は地、水、火、風、を存在としてとらえてみる、そこでその反対にあるのは無存在ということになる。つまり空。そういう手があったか。言葉としても座りが良い。地、水、火、風、空ということになる。それが五輪である。それにもうひとつ長良の乙女の墓には輪がひとつ余計についているのだ。余はそれを心ととらえる。心は動きである。捕らえようとしてもとらえることは出来ない。捕獲者の手をするりとすりぬけてしまう。動きは存在ではない、動きは状態である。物の存在と無存在を論じる言葉ではない。非人情の旅に出た余にとって象徴的な第六の輪だった。その長良の乙女の六輪の塔が目の前に立っている。その横にはまだ花の咲いていない野かん草の幹と草がすくっとけなげに立っている。その雰囲気を壊すように長良の乙女の塔の横には何やら怪しい男がその墓に何かやっている。余がそれをみていることにも気付いていないようだ。のふうぞうというのは歌の題名だがそういう草木があるなら、その男の印象はまさにそれだった。余が彼のそばに行くと現代的なクロマニヨン人はその墓に金属のようなものを使って何かをしている。
余「余の名前は夏目房の進である。そちは何をしておるのかな」
原た泰三「ああっ、びっくりしたあ」
クロマニヨン人は半歩後ろに下がって余の顔をしげしげと眺めた。彼の右手にはナイフのようなものが、そして左手にはガラス瓶が握られている。彼はしきりに頭を掻きながら目尻にしわを作りながら口元にはぎこちないほほえみを浮かべている。
余「そちは何をしているのかな」
原た泰三「実は俺、今度二種の測量技師の試験を受けようかなと思ってこの墓のかけらを持って行こうと思って」
森の石松の墓石のかけらを博打のお守りに持って行く話は聞いたことがあるが長良の乙女の墓石を試験のお守りに持って行く話は聞いたことがない。もしそうだとしても重要な歴史的建造物である、たとえこの墓を訪ねるものが一人もいないとしても明らかな犯罪である。余は低くうめいた。
余「逮捕する」
その余の声がこのクロマニヨン人は聞こえないのか、きょとんとした表情をして余が顔を眺めていたので余は連続して叫んだ。そして身体を自己の運動能力の限界まで各部の関節が動きうる範囲で動かした。
余「逮捕する」
余「逮捕する」
余「逮捕する」
余「逮捕する」
余「逮捕する」
・・・・・・・・
余「逮捕するーーーーう」
その言葉を五十回ぐらい叫んだあとには余ははなはだしい酸欠状態に陥り、ぜいぜいと息を切らした。するとそのクロマニヨン人は崩れ落ち、足はからんだ割り箸のように涙目で余の方を見つめた。
原た泰三「許してちゃぶだい」
余はすぐに閃くものがあった。この男こそ余がじいさんのことを調べおる文学士ではないかと。
余「あなたはもしかしたら、原た泰三さんではありませんか」
原た泰三「なんで私の名を」
余「床屋であなたの名前を伺いました。観海寺に逗留しながらここに八十年ぐらい前に来たという謎の英文学者のことを調べていると」
原た泰三「なんだ私のことを知っていたのですか」
余「でも何でここでこんなことをしているのですか」
原た泰三「実はこの墓の一部を削って資料として持ち帰り年代測定をしようと思っていたのです」
余「それが謎の英文学者のことを調べるのに必要なんですか」
原た泰三「ええ」
余が祖父と長良の乙女とどういう関係があるというのだろうか。
余「長良の乙女というの楠雅儀の子孫だそうですね、そして私は志保田の宿に逗留しているのですが、その孫娘が長良の乙女のそし楠雅儀の直系の子孫だそうですね」
すると原た泰三の顔は一瞬曇った。
余「いったいあなたが駅であの孫娘から抱きつかれたという話しを聞きましたが本当なんですか」
原た泰三「本当です。でも、あみ子ちゃんは僕が好きだから抱きついたというわけではありませんよ」
余「じゃあ、どんな理由からなんですか」
原た泰三「彼女は自分の家の言い伝えや伝説から自分が幸せな結婚が出来ないんじゃないかと悩んでいたんです。でも、僕がここの文学史の研究からそんなことはないと教えてあげたんですよ。それで彼女、うれしくなっちゃって思わず僕に抱きついたというわけで」
*******************
寒い。手拭いを下げて、湯壺へ下りる。
三畳へ着物を脱いで、段々を、四つ下りると、八畳ほどな風呂場へ出る。石に不自由せぬ国とみえて、下はみかげで敷き詰めた、真ん中を四尺ばかりの深さに掘り抜いて、豆腐屋ほどの湯槽をすえる。槽とはいうもののやはり石で畳んである。鉱泉と名のつく以上は、いろいろな成分を含んでいるのだろうが、色が純透明だから、はいり心地がよい。おりおりは口にさえふくんでみるがべつだん味もにおいもない。病気にもきくそうだが、聞いてみぬから、どんな病にきくのか知らぬ。もとよりべつだんの持病もないから、実用上の価値はかつて頭のなかに浮かんだことがない。ただはいるたびに考えだすのは、白楽天の温泉水滑洗凝脂という句だけである。温泉という名を聞けば必ずこの句にあらわれたような愉快な気持ちになる。またこの気持ちを出し得ぬ温泉は、温泉として全く価値がないと思ってる。この理想以外に温泉についての注文はまるでない。すぽりとつかると、乳のあたりまではいる。湯はどこからわいて出るか知らぬが、常でも槽のふちをきれいに越している。春の石は乾くひまなくぬれて、あたたかに、踏む足の、心は穏やかにうれしい。ふる雨は、夜の目をかすめて、ひそかに春を潤すほどのしめやかさであるが、軒のしずくは、ようやくしげく、ぽたり、ぽたりと耳に聞こえる。立て込められた湯気は、床から天井をくまなく埋めて、隙間さえあれば、節穴の細きをいとわず、もれいでんとする景色である。
秋の霧はひややかに、たなびく霞はのどかに、夕餉たく、人の煙は青く立って、大いなる空にわがはかなき姿をたくす。酒に酔うという言葉はあるが、煙に酔うという語句を耳にしたことがない。あるとすれば、霧にはむろん使えぬ、霞には少し強すぎる。ただこの靄に、春宵の二字を冠したるとき、はじめて妥当なるを覚える。 余は湯槽のふちに仰向けの頭をささえて、透き通る湯のなかの軽き身体を、できるだけ抵抗力なきあたりへ漂わしてみた。ふわり、ふわりと魂がくらげのように浮いている。世の中もこんな気になれば楽なものだ。分別の錠前をあけて、執着の栓張をはずす。どうともせよと、湯泉のなかで、湯泉と同化してしまう。仙人の住む仙界というところはこんなところだろうか、すへてが湯気の中にぼうともやけている。どこかでひく三味線の音が聞こえる。美術家だのにいわれると恐縮するが、実のところ、余がこの楽器における知識はすこぶる怪しいもので二が上がろうが、三が下がろうが、耳にはあまり影響受けたためしがない。しかし、静かな春の夜に、雨さえ興を添える。山里の湯壺の中で、魂まで春の温泉に浮かしながら、遠くの三味を無責任に聞くのは、はなはだうれしい。遠いから何をうたって、何をひいているかむろんわからない。そこになんだか趣がある。音色の落ち着いているところから察すると、上方の検校さんの地唄にでもきかれそうな太棹かとも思う。夢見心地の中で湯に酔ってとろりとしていると、突然風呂場の戸がさらりとあいた。だれか来たなと、身を浮かしたまま、視線だけを入り口に注ぐ。湯槽の縁のもっとも入り口から、隔たりたるに頭を乗せているから、槽に下る段々は、間二丈を隔てて斜めに余が目に入る。しかし見上げたる余の瞳にはまだ何物も映らぬ。しばらくは軒をめぐる雨垂れの音のみが聞こえる。三味線はいつのまにかやんでいた。やがて階段の上に何物かあらわれた。広い風呂場を照らすものは、ただ一つの小さき釣りランプのみであるから、この隔たりではすみきった空気を控えてさえ、しかと物色はむずかしい。まして立ち上がる湯気の、こまやかなる雨におさえられて、逃げ場を失いたる今宵の風呂に、立つをだれとはもとより定めにくい。一段を下り、二段を踏んで、まともに、照らす火影を浴びたる時でなくては、男とも女とも声はかけられぬ。黒いものが一歩を下へ移した。踏む石は天鵞絨のごとく柔らかとみえて、足音を証にこれを律すれば、動かぬと評してもさしつかえない。が輪郭は少しく浮き上がる。余は画工だけあって人体の骨格については、存外視覚が鋭敏である。なんとも知れぬものの一段動いた時、余は女と二人、この風呂場の中にあることを覚った。注意をしたものか、せぬものかと、浮きながら考える間に、女の影は遺憾なく、余が前に、早くもあらわれた。みなぎり渡る湯煙の、やわらかな光線を一分子ごとに含んで、薄紅の暖かに見える奥に、ただよわす黒髪を雲とながして、あらんかぎりの背丈をすらりと伸した女の姿を見た時は、礼儀の、作法の、風紀のという感じはことごとく、わが脳裏を去って、ただひたすらに、うつくしい画題を見いだし得たとのみ思った。
そこにはここの孫娘のあみ子が一糸まとわぬ生まれたままの姿で余が眼前に立っておる。彼女の腰のあたりが湯気をとおして同じ高さに見える。自分の裸体を余の網膜に提供しようという意識が彼女にあるのか、どうなのか、余にはわからぬ。湯舟の中の湯を自分の身体にかけると湯は玉となってはじけた。ちらりと不敵な瞳をもって余の方に一瞥をくれたような気がする。今余が面前にひょうていと現れたる姿には、一塵もこの俗挨の目にさえぎるものを浴びておらぬ。常の人のまとえる衣装を脱ぎ捨てたる様と言えば、すでに人界に堕在する。はじめより着るべき服も、振るべき袖も、あるものと知らざる神代の姿を雲のなかに呼び起こしたるごとく自然である。孫娘はすらりとした足を湯槽のなかにつけるとするするとそのなかに入っていった。湯の面は波さえたてぬ。湯のなかの両端に余とあみ子は位置しておる。あみ子は無言である。首から上だけが湯の上に出ている。額のあたりに汗の玉が生じている。あみ子は余の方を向くと神仙にも似たほほえみを余に投げかけた。再び、あみ子は湯槽のなかから洗い場に出た。油を塗ったごとく湯玉が小さきつぶとなって背中に無数に付着している。首筋を軽く内輪に、双方から責めて、苦もなく肩のほうへなだれ落ちた線が、豊に、丸く折れて、流るる末は五本の指と分かれるのであろう。ふっくらとした二つの乳の下には、しばしひく波が、また滑らかに盛り返して下腹の張りを安らかに見せる。張る勢いをうしろへ抜いて、勢いのつくるあたりから、分かれた肉が平衡を保つために少し前に傾く。逆に受くる膝頭のこのたびは、立て直して、長きうねりの踵につくころ、平たき足が、すべての葛藤を、二枚の足の裏に安々と始末する。世の中にこれほど錯雑した配合はない。これほど統一のある配合もない。これほど自然で、これほど柔らかで、これほど自然で、これほど柔らかで、これほど抵抗の少ない、これほど苦にならぬ形態は決して見いだせぬ。余はあみ子の裸体が、桂の都を逃れた月世界の仙女が、彩虹の追っ手に取り囲まれて、しばらく躊躇する姿と眺めた。あみ子の姿はしだいに白く浮きあがる。いま一歩を踏み出せば、せっかくの仙女が、あわれ、俗界に堕落するよと思う刹那に、緑の髪は、波を切る霊亀の尾のごとくに風を起こして、ぼうとなびいた。渦まく煙をつんざいて、白い姿は階段をとび上がる。ウフフフと笑う女の声が、廊下に響いて、静かなる風呂場をしだいに向こうへ遠のく。余はがぶりと湯を呑んだまま槽の中に突っ立つ。驚いた波が、胸へあたる。縁を越す湯泉の音がさあさあと鳴る。その夜は夢見心地の気分が続いていた。自分の部屋に戻るとアルバイトの女の子がふとんを敷き終わっていた。余はふかふかのふとんの中に身体をすへりこませる。海の底に住むあなごが自分の巣の中に戻るようだった。余はふとんの中であみ子がなんで浴室に入って来たのか考えてみた。あみ子は床屋の親方が言うようにやはり頭の中がおかしいのだろうか。電気を消したふとんの中でまぶたをつぶってもあみ子の裸体が瞼の裏に浮かんでくる。突然、腕のあたりが痛んだ。余は押し殺したような悲鳴を上げた。誰かが余の二の腕をつねったに違いない。気がつくと余のふとんの両側に(●´ー`●)安部、(ё)新垣、川o・-・)紺野さんが座っている。余の横に座っている(●´ー`●)安部の片手は伸びて余のふとんの中に入っている。(●´ー`●)安部が余の腕をつねっていることがわかった。
余「妖怪、なんで、つねっているんだよ」
(●´ー`●)安部「あみ子のはだかを見てにたにたしていたでしょう」
(ё)新垣「にい、にい、にい」
余「そんなことお前たちに関係のないことだろう。妖怪」
(●´ー`●)安部「関係ないわけないだべ。わたし以外のはだかを見てなにが楽しいのよ」
(ё)新垣「にい、にい」
余「なつみ、妖怪のくせに何を言っているのだ」
(●´ー`●)安部「わたしたち以外の裸を見たらだめなの」
(ё)新垣「にい、にい、にい」
余「お前達の言っている意味がさっぱりわからない。余はお前たちと結婚しているわけではないぞ」
(●´ー`●)安部「わたしたちから、絶対に逃げられないわよ」
(ё)新垣「にいにい」
余「なんでだ」
川o・-・)紺野さん「あなたがわたしたちのご主人様だからです」
余「ご主人。・・・」
余ははなはだその言葉を解しかねた。ご主人様とはどんなことなのか。余が別に魔法のランプを拾ったといわけでもない。しかしその話しの途中ですでに安部なつみは服を脱ぎはじめている。余はあせった。そして余はふたたび魔法の言葉を唱えた。「お塩さま、お塩さま」すると三匹の妖怪は雲散霧消した。余は再び目がさめた。胸にはすっかりと寝汗をかいていた。
翌日、観海寺の裏のほうから寺へ行くことにする。例の池の横を通ることになる。一寸あまりの青黒い岩が、まっすぐに池の底から飛び出して、濃き水の折れ曲がる角に、ささと構える右側には、例の熊笹が断崖からの上から水際まで、一寸の隙間もなく叢生している。上には三抱えほどの大きな松が、若蔦にからまれた幹を、斜めにねじって、半分以上水の面へ乗り出している。湖の面は鏡のようである。少し観海寺へ行くのに遠回りして見ようかと思う。もちろん、井川はるら嬢に会うためである。観海寺へ行く小道の入り口がふたまたに別れていて左に曲がると観海寺、左に曲がるとこの湖に注いでいる水の源流につきあたるそうである。この源流を訪ねてみようかと思った。井川はるら嬢に会う楽しみはあとにとっておくのもよい。その源流を訪ねてから観海寺のほうにまた曲がっていけるという話しである。左の小道に入ると胸をつくような傾斜の階段になっていてそこにはいつも水が流れていて青い苔が生えている。その苔が余の足裏を滑りやすくする滑り台の役割をしている。あやうく何度も足をすべらせそうになる。あわてて路の横に生えている細木の幹に絡まっている蔦をつかんでころばないようにする。余は歩くことに関しては足のつたない乙女のようだった。からまった枝と枝の隙間から源流の水の流れが聞こえる。たしか源流だと聞いたが、源流がこんなに大きな音がするのだろうか。きっと余がアルバイトの少女に池の源流のことを聞いたとき、滝のことと勘違いしたのかも知れない。階段のような急な斜面の下のどこかには地下水系があってその水の路が池につながっているのだろう。しかし、水の流れはそこだけではなくてこの斜面の上にも常時水が流れている。水は堅い岩の上の土を流して灰色のような緑の岩の表面を表している。この水の流れている斜面の上を歩くのはかなり難儀なことだった。
トリストラム・シャンデーという書物のなかに、この書物ほど神のおぼしめしにかのうた書き方はないとある。最初の一句はともかくも自力でつづる。あとはひたすら神を念じて、筆の動くにまかせる。何をかくかは自分にはむろん見当がつかぬ。かく者は自己であるが、かくことは神のことである。したがって責任は筆者にはないそうだ。余が渓流のぼりもまたこの流儀をくんだ。無責任の渓流のぼりである。ただ神を頼まぬだけがいっそうの責任である。スターンは自分の責任をのがれると同時にこれを在天の神に嫁した。引き受ける神を持たぬ余はついにこれをどぶの中に捨てた。
石段を登るにも骨を折っては登らない。骨が折れるくらいなら、すぐ引き返す。一段登ってたたずむときなんとなく愉快だ。やすみやすみ登る。まるでアマゾンの奥地を旅しているような気持ちになる。遠くでは滝音にまじって鳥の鳴き声が聞こえる。天然の石で出来たウォータースライドのようなところを登り切ったところで砕かれた石がばらまかれているような場所に出た。
天蓋は名の知らぬ木で囲まれている。ここだけをきれいに掘った巨大なプールのようだった。そのプールの背後は灰色の岩石で囲まれている。その背後の一番高いところからいきおいよく人の胴ほどある水が滝壺に注がれていた。その滝壺のところで素足の女がなにかを追っていた。腰のところには竹を編んで作った駕籠をくっっけていた。あみ子は素足にわらじをつけて水の中に入っていた。
余「あみ子ちゃん、なにをやっているんだい」
あみ子は突然の余の出現にはなはだ驚いているようだった。
あみ子「こんなところになんで来たの。朝、観海寺に行くと言っていたじゃないですか。ここだと観海寺に行くのは遠回りですよ」
あみ子はやはり背を曲げて水のの中の石の裏なんかを探っている。あみ子の手に赤いものがちらりとするとそれをすぐに竹駕籠の中に入れた。それが余にも赤い沢ガニだということはわかった。水に濡れた黒い岩、緑の水、赤いかに、それらはいい色の対称をなしていた。余は滝壺の中に手を入れてみる。少し冷たい。あみ子の水に濡れているふくらはぎのあたりはいつもよりも少し白くなっている。
余「こんなところがあるなんて想像もしませんでしたよ。でも、あみ子ちゃんはなんでここで沢ガニを捕っているんだい」
あみ子「餌にするのよ。これでひらまさを釣るつもりなの」
余は沢ガニでひらまさを釣るという話しははじめて聞いた。つりきちあみ子は川釣りではなく、海釣りにも手を出していたのだ。
あみ子「午後から釣りに行くつもり、あなたも行きますか」
余はもちろん同意した。
あみ子「うちでは海釣りのための舟も持っているんです」
余はあみ子の沢ガニ取りにつき合うのは途中でやめにして滝を下りていった。
観海寺の山門に立つと海のほうが一望出来た。遠くに浮かぶ島がまるで石膏やモールで作った模型のように見える。山門の敷居をまたいで寺の庭の中に入るとくねくねと曲がった松の木の幹のところに毛虫が一匹はりついていた。この松の木の幹を大蛇の腹と形容するものもいる。松の木の根本には針をぱらぱらとまいたように松の葉が落ちている。石畳を途中で曲がって裏の方に行くといろいろな道具類の入っている納屋の前を通る。そこに本堂と庫裡を結んでいる太鼓橋のような廊下があって、その下をくぐると禅宗の教義を表現している庭に出る。その庭を見渡せるところに縁側があり。その縁側の上で井川はるら
嬢が庭の中の池を見ながら足を伸ばしてくつろいでいた。横にはほこりを被ったような本が置かれていた。余は庭の方から縁側に入って行って井川はるら嬢の横に腰掛けた。
余「妖怪というのは夜中に出るのでしょうか」
井川はるら「なんで、突然、そんなことを聞くのですか」
余「はるらさんは妖怪を見たことがありますか」
井川はるら「それは私が妖怪の存在を信ずるか、どうかということ」
余「それでもいいですけど」
井川はるら「それなら、わたしは妖怪の存在を信ずるわ」
余「妖怪、というのは死なないんですかね」
井川はるか「妖怪は無限の命を持っているんじゃないですか」
余「そうしたら世の中は妖怪でいっぱいになってしまいますよね」
井川はるら「でも、妖怪の活動を封ずることは出来るとおもいますよ。殺生石ってあるじゃないですか。鳥羽天皇の后が殺されて毒ガスを出す石になったという話しや、九尾のきつねがその妖力を封印されて石になってしまったという話し、石になっても妖力を持っているって話し」
余「それはすごく興味があります。どうやれば妖怪を封じこめることが出来るんですかね」
井川はるら「まるであなたが妖怪につきまとわれているみたいですね」
余は少しあわてふためいた。
余「そういうこともないんですが。妖怪というのは必ず人間に害をなしますよね」
井川はるら「その妖怪の誕生の秘密に関わっているんじゃないかしら。人間にひどく虐待された結果妖怪になったとしたら、きっと人間に害をなしますよ」
余はこの会話を妖怪に聞かれていないかと危ぶんだ。周りを見回しても妖怪らしいのはいない。井川はるら嬢はうしろをふり返るとふすまに描かれた竜の画を指さした。
井川はるら「この竜の画は珍しいでしょう。水竜ですよ。だいたい竜は雷雲の中で手足を八方に伸ばしているのが多いのに」
井川はるら嬢はまるで妖怪評論家のようだった。
そのふすまががらりと開いて、小坊主が顔をあらわす。
小坊主「ちょうどよいところに来なさった。志保田の家に逗留しているお方。志保田の家に行こうかと思っていたんでごじゃります。これです。渡そうかと思って」
余「なんですか。小坊主さん」
小坊主「誤配の手紙でございます」
余は小坊主の了然から誤配の手紙を受け取る。差し出し人を見ると夏目ひで子となっている。余の母親である。井川はるら嬢もその手紙を興味深げに見つめた。余はすぐに手紙の封を切った。どうせ大したことは書かれていないだろう。女ずわりをした井川はるら嬢は余の手紙をのぞき込んだ。
「おじいさまの土蔵の中の金目のものを売って家を新築しようという計画をお父さんと一緒にしていたのをあなたは知っていますね。あれほど土蔵の中に入ってはいけませんと言っていたでしょう。それなのにあなたは土蔵の中に入っておじいさんの遺品をいじくったでしょう。あれは全部、わたしたち夫婦のものです。わたしたちが死なないかぎりその権利はないとおもいなさい。もう好事家に売りつける計画は立っているのです。あなたに財産を譲らないと言っているのではありません。おじいさんの使った火鉢だとか、紫檀の机だとか、漱石さんぼうのロゴの入った原稿用紙だとか、売って現金化して時期がくればあなたにそりなりの取り分は与えます。もちろん、家を新築した費用の余った分をです。あなたがおじいさんの遺品に手をつけたことはわかっています。とにかく、持って行ったものは返しなさい」
余はその文面を見ながら恥ずかしくなった。仮にもお札の顔になった人間の子孫である。家の改築費用がどうだとか。余は照れ笑いをしていると、井川はるら嬢が複雑な顔をしている。
井川はるら「おじいさんの遺品をいじったのですか」
余「ええ」
井川はるら「そのときから身の回りでなにか変化が起こったというようなことはありませんでしたか」
思ったより井川はるら嬢は真剣な顔をしている。そこで余は自分の指を折ってじいさんの遺品をいじったのがいつだったのか、計算してみた。すると意外な事実が出て来る。ちょうどそのときから余の周囲に妖怪モンモン娘が出現し始めているのだ。しかし、井川はるら嬢にそのことを言うのはためらわれた。そんな話しを余がすれば余は井川はるら嬢に変な人と思われてしまうに違いない。それよりも余はもっと気になることがある。井川はるら嬢がなぜここに来たかということだ。こんなきれいな人に男の影がないというのはどういうことだろうか。余は気になった。そもそも誰の紹介で井川はるら嬢はこの観海寺に泊まることになったのだろう。
余「井川はるらさんは、どういう手づるでここに宿泊することになったのですか」
その問いに、彼女は答えず、横にいた小坊主の了然が答えた。
小坊主「英文学士の原た泰三さんだよ。はるらさんは泰三さんの昔からの知り合いなんだよ。原た泰三さんがここに来るように頼んだんだよ」
余はしだいに無口になった。原た泰三とはあの原始人のような顔をした英文学士のことか。列車の中でも出会ったし、五輪の塔でもであった。余の知らない青春の日のひとこまの中で原た泰三は井川はるら嬢とどんな関わりをしていたのだろう。余の心の中にねたみの気持ちがむくむくとわき起こってきた。澄んだコップの水の中に黒い墨汁を一滴たらしたようだった。そしてその汚れはコップ全体に広がって支配した。
山の方からトロッコのような電車に乗って下りて行くと港に出る。港は入り江に作られていてまるで金魚鉢の中の鏡のようだった。そんな小さな港だったが近くの島を回遊する連絡船があり、それは車も二、三台載せることが出来るフエリーボートだった。志保田の家で所有している舟は港のはじにつながれている。余はさっきの井川はるら嬢のことですっかり気分がめいっていたが、電車を降りて港まで行くとそれなりに意識は高揚した。つりきちあみ子はそのボートのところで出航の準備をしている。昼間、滝のところでつかまえた沢ガニをボートに積み込んでいるところだった。あみ子は若者らしく大きく手を振って余に合図をした。余が乗り込むとそのボートは沖に向けて出航した。舟に乗っていると前に進んでいるという意識が希薄になる。周りに距離感を計るべき目標物がないからだろう。泳いでいてもそんなに感ぜずとも水の抵抗とはすごいものに違いない。ボートのとものほうには水が飴菓子のようにうねっている。あみ子はボートのハンドルを握っている、女ながらに大したものだ。それにまだ若い。無言でボートのハンドルを握るあみ子を見てそう感じた。港の方が小さく見える。港に面している民宿の看板の文字も見えないくらいだ。家の背後に広がる濃い緑色がさらにこくなる。海にしては静かである。余は舟の中に浮き輪があることを確認して安心した。
余「ここで、なにを釣るんですか」
あみ子「ひらまさよ」
余「沢ガニなんかで釣れるんですか」
あみ子「釣れるわよ」
塩水の中で沢ガニが生きていけるのか余にははなはだ疑問だった。
余「どこでボートの運転を習ったんですか。すごいですね。余は感心しました」
あみ子「東京よ」
ボートは海の上で停止している。そこでいかりをおろした。ボートはゆっくりと上下に揺れているが前に言った理由で平面的にはどうなっているのかわからぬ。遠くにある小島はエクレアのように見える。空は春らしく薄曇りである。けい人が自分の天上で産するうすぎぬの着物を脱いで透明な天蓋にかぶせたようであった。夜はむしろこういう日のほうが漁果があがるなどということを子供の頃に聞いたことがあるような気がした。余の素人なりの考えであるが天気の良い日、悪い日、太陽の光線が海の下どのくらいまで届くかで餌が浮遊する場所がまた変化するのではないか。全くの素人考えである。そして魚には時間感覚があるのかどうかということも考えてみた。雨戸を開けて日が射し込めばまぶしい光にいたたまれなくなって目を覚ますだろう。曇りの日は魚も明け方だと思うのかも知れない。もちろんそれは魚が明け方に食事をするからという話しでである。海に出た人は地球が丸いということを実感するというが言われて見れば水平線が少し曲がっているような気がする。海に出てみると海の水が液体であるとい事実が感覚と一致しないような気がする。海の水はゼリーのように何メートル四方の四角い箱のような固まりになっているのではないか。そのゼリーがいくつも積み重なって海を作っているような気がする。そしてゆっくりとブロックごとの振動が次々と伝わって行って波が起こるのだ。だから海の上のほうと下の方の波では揺れかたが違う。余はそんなことを考えていたが、つりきちあみ子は沢ガニを針に引っかけて海の中に落としていた。水の近くではかにの姿が見えるがすぐに見えなくなった。かには足をさかんに動かして海の中に入って行くことを楽しんでいる。かにが餌とい感覚がなく、海底に沈んでいる水死体者を探している潜水夫のような感じがする。水の中で自由に動けたらどんなに素晴らしいことだろうか。人は空を飛べたらと夢想してきたが、どんな深海にでも自由に入れることも素晴らしい。空を飛ぶことはあらゆる束縛から解き放たれる自由を意味しているが、海の中を自由に移動することは自分の姿を完全に隠すことを意味していないだろうか。海の表面のほうは太陽の光でその姿を隠すことは出来ないが海の底のほうは光が届かない。まるで忍者のようだ。人間のおおもとは海から生まれたという、母なる海という。あみ子にはそんな能力があるのではないかと、余は思った。四国のどこかでは水の中に潜って大きな魚を抱いてとる漁があるという。つりきちあみ子ならそんな芸当が出来るのではないかと余は夢想した。水の中で巨大な魚の腹にだきついて身体をくねらせて魚が格闘する力の弱まるまで身をまかせているあみ子の姿が目に浮かんだ。余はあみ子のように釣り竿をたれていたがボートの喫水線の向こうに見える海面の少し波が荒くなって舟の汽笛の音がした。見ると小舟の左の方から観光用の舟が寄って来る。余はその舟の方に顔を上げた。あみ子もその舟の方を見た。するとその舟のデッキのほうに乗務員の服装をした若い男が立っている。その男の視線はあみ子の方に向かった。あみ子の方でも視線を返した。すると両人しかわからない愉快の感情がわき起こってふたりは至福の喜びに顔をゆるめた。若い男のほうは手まで振っている。余はその男の顔を見たことがある。山を登ったときに泣きながら余からノートを奪い去った男だ。あみ子は余が彼女の横顔を見つめていることに気づくと失態をしたというように唇をかんだ。
あみ子「わたしがあの男の顔を見て笑ったと思いますか」
余「そう判断しました」
あみ子「あの男が誰だかわかりますか」
余「あなたの恋人、もしくは婚約者」
あみ子「かつてはそうでした。でも、わたしと結婚しようとしたとき、あの人は手形詐欺にあって、一財産失ったのです。それで生活にも困って観光船の乗務員をやっているのです」
フェリーはボートを残して過ぎ去って行くが若者はやはりあみ子の方を向いてばかのように手を振っていた。
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お茶のご馳走になる。相客は僧一人、観海寺の和尚で名は大徹、その従者の小坊主、床屋に頭を剃りに来た了念、俗一人、二十くらいの若い男である。若い男はあのノートの男だった。老人は客が来たときあたりを見回した。
老人「あみ子が見あたらないようじゃが、繁明くんが来たんで、あみ子を呼んで来よう。あみ子はどこにいるか、わかるかな。」
余はあみ子が今さっきまでこの宿のいけすの前でさかなに餌をやっていたのを見ていたので老人の孫娘を呼んで来ようと言った。
余「私が呼んで来ましょう」
小坊主「私も行きますがな」
小坊主の了念もあとからついて来た。この宿は山の斜面に建てられていて後ろは羊歯や名前のわからないようなぜんまい、蕨などが群生している。それらがみずみずしい深いみどり色をしているというのもこの山のわき水がそこから出て来るからだ。それを採って料理にも使う。昨日の晩飯には膳の左の隅にそのぜんまいのおひたしが載っていた。食べてみると葉がぷりぷりしていてそれがとれたてだということがわかる。箸でそのぜんまいをつまんで見て、その色に感心した。太陽の光を浴びた緑色とも違う。透明な水をどんどん凝縮していったらこんなエメラルドのような緑色になるのではないか、宝石とは違って透明ではないが深い緑色だった。奥深い山に住む妖精を連想させる。そのわき水を山の斜面から大きな竹の節を抜いたやつでいけすにひいている。いけすは底はそれほど深くはないが広さは畳八畳ほどある。いけすの内側には苔がびっしりとはえているが、たえず山の清水が注ぎ込まれているので水は澄んでいる。その中を魚が悠々と泳いでいる。いけすの中には魚のための橋や家が落としてあるのだが、このいけすの持ち主がしゃれで入れたのだと思う。そしてそれらは水苔ですっかりと毛だらけになっていてまるで半魚人の王宮のようになっていた。そのいけすの前でここの宿の孫娘が魚に餌をやっていた。
小坊主「あみ子さん、滝沢くんが来ているがな」
余が何かを言う前に小坊主の了念が口を開いた。そのときの女の表情は見物だった。女は魚を見ながらうすら笑みを浮かべている。しかしそれが人を馬鹿にしているものではなくてある悲しみを底に秘めていることがわかる。口は一文字に結んで静かである。しかしそれは話すことがないからではなく、話すことが思いが籠もっていることを知ってそれをあえて口に出さないようにも見える。額は広く前に飛び出し、目はいつも笑っているようだった。まだ十九才の少女ではあったが眉は美しく整えてある。鼻ばかりは軽薄に鋭くもない、遅鈍に丸くもない。画にしたら美しかろう。容貌はきわめて現代的な少女だったが、それが魔境を箱庭にしたようないけすの前に立っているのが妙ちくりんな対照を与えていた。元来は静であるべき大地の一角に陥欠が起こって、全体が思わず動いたが、動くは本来の性にそむくと悟って、つとめてむかしの姿にもどろうとしたのを、平衡を失った紀勢に制せられて、心ならずも動きつづけた今日は、やけだからむりにでも動いてみせるといわぬばかりの有様がーそんな有様がもしあるとすればちょうどこの女を形容することができる。それがこの女がいけすの前から動くに動けぬ理由だろうか。それだから軽蔑の裏に、なんとなく人にすがりたい景色が見える。人をばかにした様子の底に慎み深い分別がほのめいている。才に任せ、気を追えば百人の男子を物の数とも思わぬ勢いの下からおとなしい情けがわれ知らずわいて出る。どうしても表情に一致がない。それはこの小坊主が滝沢が来ていると言ったときからその表情に表れていた。余は滝沢という若い男とこの孫娘にどういう詳しい因縁があるのか知らぬ。あの海でのできごとしか知らぬ。悟りと迷いが一軒の家の中にけんかをしながらも同居している体だ。
あみ子「わたし、今、魚にえさをやっているから行けませんと伝えて」
小坊主「へえ、わかりました」
小坊主の了念は番頭のような口調で答えた。老人の部屋は、余が室の廊下を右へ突き当たって、左へ折れた行き留まりにある。大きさは六畳もあろう。大きな紫檀の机をまん中にすえてあるから、思ったより狭苦しい。それへという席を見ると、布団の変わりに花毯が敷いてある。むろんシナ製だろう。まん中を六角にしきって、妙な家と、妙な柳が織り出してある。周囲は鉄色に近い藍で、四隅に唐草の模様を飾った茶の輪を染め抜いてある。シナではこれを座敷に用いたものか疑わしいが、こうやって布団に代用してみるとすこぶるおもしろい。インドの更紗とか、ペルシアの壁掛けとか号するものが、ちょっと間が抜けているところに価値があるごとく、この花毯もこせつかないところに趣がある。花毯ばかりではない。すべてシナの器具は皆抜けている。どうしてもばかで気の長い人種の発明したものとほか取れない。見ているうちに、ぼおっとするところがとうとい。日本では巾着切りの態度で美術品を作る。西洋は大きくて細かくて、そうしてどこまでも娑婆っ気がとれない。まずこう考えながら席に着く。若い男は余とならんで、花毯の半ばを占領した。
和尚は虎の皮の上に座った。小坊主の了念はその横に座った。虎の皮の尻尾が余の膝のそばを通り越して、頭は老人のしりの下に敷かれている。老人は頭の毛をことごとく抜いて、頬と顎へ移植したように、白い髭をむしゃむしゃと生やして、茶托へ載せた茶碗をていねいに机の上へならべる。
老人「今日は久しぶりで、うちへお客が見えたから、お茶を上げようと思って、・・・・」と坊さんのほうを向くと、
坊主「いや、お使いをありがとう。わしも、だいぶご無沙汰をしたから、今日ぐらい来てみようかと思っとったところじゃ」と言う。坊主「ときにあみ子ちゃんは」
小坊主「お嬢さんは魚に餌をあげていて来られないそうです」小坊主の了念が居酒屋の小僧のように言った。すると若い男の顔に一瞬もの悲しいような表情がやどるのを余は見逃さなかった。
坊主「そうか、仕方ないのう」達磨のような坊主は何もかもわかったような調子でうなずく。この僧は六十近い丸顔の、達磨を草書に崩したような容貌を有している。老人とはふだんからの昵懇とみえる。魚のカステラを載せた青磁の菓子皿を予がほめたのを、孫娘がこの老人に伝えたのではないかと余はよんだ。
坊主「このかたがお客さんかな」
老人はうなずきながら、朱泥の急須から、緑を含む琥珀色の玉液を、二三滴ずつ、茶碗の底へしたたらす。清い香りがかすかに鼻を襲う気分がした。
坊主「こんな田舎に一人ではお淋しかろ」と和尚はすぐ余に話しかけた。
余「はああ」となんとこかとも要領を得ぬ返事をする。淋しいといえば、偽りである。淋しからずといえば、長い説明がいる。
老人「お客さんが、青磁をほめられたから、今日はちとばかり見せようと思うて、出しておきました」
坊主「どの青磁をーうん、あの菓子鉢かな。あれは、わしも好きじゃ。時にあなた、画を、西洋画を描きなさると聞いたが、西洋画で襖などはかけんものかな。かけるなら一つ頼みたいがな」
かいてくれ、ならかかぬこともないが、この和尚の気に入るか入らぬかわからない。せっかく骨を折って、西洋画はだめだなどといわれては、骨の折りばえがない。
余「襖には向かないでしょう」
坊主「向かんかな。そうさな、このあいだの繁明さんの画のようじゃ、少し派手すぎるかもしれん」
余「あなたも画を描かれるのですか」余は若い男に聞いてみた。
滝沢「和尚さんの言っているのは鏡が池を描いた絵のことでしょう。私のはだめです。あれはまるでいたずらです」と若い男はしきりに、恥ずかしがって謙遜する。
余「鏡が池、私も行きました。幽すいなところですね。あそこの横の石段を上がって行くと長良の乙女の六輪の塔がありますね。それから横に行くと滝に出る」
坊主「六輪の塔のさきの道を左に曲がると観海寺に行くのじゃ。滝にもいける」
余「なんという名前の滝なんですか」
坊主「天女の杯というきれいな名前がついている。観海寺もいいところじゃよ。わしのいるところじゃ。海を一目に見下ろしてのーまあ、逗留中にちょっと来てごらん。なに、ここからはつい五六丁よ。あの廊下から、そら、寺の石段が見えるじゃろうが」
余「もう、お伺いしました。井川はるらさんというきれいな女の人が逗留していますよね。またおじゃまにあがってもいいですか」
坊主「ああいとも、いつでもいる。ここのお嬢さんといえばあみ子さんもここに来ればいいのに。さっき、魚に餌を与えておったと言っておったか。アハハハハ。そうそうあみ子さんはなかなか足が強い。知っておったかな。ハハハハハ。このあいだ法用で礪並まで行ったら、姿見橋のところで、橋の手すりに身体をくっっけながら大きく両手を振っている女の子がいるではないか。どうも、よく似とると思ったら、あみ子ちゃんよ。ジーンズにパンプスをはいて薄い水色のサマーセーターを羽織っていた。和尚さん、何をのんびりと歩いているの。どこへ行くんですか、といきなり驚かされたて、ハハハハ。お前はそんななりで、じたいどこへ、行ったのぞいときくと、都会では何とかドーナツというのが、今、流行っているらしい。捻りかりんとうみたいなもんじゃろうが、和尚さんに少しあげると言うて、いきなりわしのたもとに袋に入ったドーナツを三四個押し込んだ。ハハハハハ」
小坊主「和尚さん、僕、それ、食べてない」小坊主の了念は泣きそうな表情をした。しかし僧はそれを無視した。
老人「どうも、・・・・・」と老人は苦笑いをしたが、急に立って「実はこれをごらんに入れるつもりで」と話をまた道具のほうへそらした。
老人が紫檀の書架から、うやうやしく取りおろした紋緞子の古い袋は、なんだか重そうなものである。
老人「和尚さん、あなたには、お目にかけたことがあったかな」
坊主「なんじゃい」
老人「硯よ」
坊主「へえ、どんな硯かい」
老人「山陽の愛蔵したという・・・・」
坊主「いいえ、そりゃまだ見ん」
老人「春水の替えぶたがついて・・・・・」
坊主「そりゃ、まだのようだ。どれどれ」
老人は大事そうに緞子の袋の口を解くと、小豆色の視覚な石が、ちらりと角を見せる。
坊主「いい色合いじゃのう。端渓かい」
老人「端渓でくよう眼が八つある」
くよう眼というのはすずり石の中に入っている円い斑紋のことでこれが多いほど稀少価値がある。
「八つ?」と和尚は大いに感じた様子である。八つもくよう眼のある硯、それも端渓となるとめったに出ないものである。稀少価値に重きを置くのとよく稼いでくれる競馬馬に惚れ込むのは万人の常である。
老人「これが春水の替えぶた」と老人は綸子で張った薄いふたを見せる。上に春水の字で七言絶句が書いてある。小坊主の了念は骨董に興味を持っているのかしきりに見たがった。
小坊主「和尚さん、ふたが立派ですがふたがないとこの硯の価値はないんですか」
坊主「当たり前だ。ふたと揃いになっているんじゃ。ふたがないと価値が半減するのじゃ。それにふたには宗教的の意味合いもある」
余はどういうことかよくわからなかった。
「そしてこれが端渓」老人が緞子の袋を取りのけると一座の視点はことごとく硯の上に落ちる。厚さはほとんど二寸に近いから、通例の倍はあろう。四寸に八寸の幅も長さもまずなみといってよろしい。それからふたをとった。下からいよいよ硯が正体をあらわす。もしこの硯について人の目をそばだつ特異の点があるとすれば、その表面にあらわれたる匠人の刻である。まん中に袂時計ほどな丸い肉が、縁とすれすれの高さに彫り残されて、これを蜘蛛の背にかたどる。中央から四方に向かって、七本の足が湾曲して走ると見れば、先にはおのおのくよう眼を抱えている。残る一個は背の真ん中に、黄な汁をしたたらしたごとくにじんで見える。背と足と緑を残して余る部分はほとんど一寸余の深さに掘り下げてある。墨をたたえるとこは、よもやこの塹壕の底ではあるまい。たとい一合の水を注ぐともこの深さをみたすには足らぬ。思うに水うのうちから、一滴の水を銀杓にて、蜘蛛の背に落としたるを、とうとき墨に磨り去るのだう。それでなければ、名は硯でも、その実は純然たる文房用の装飾品にすぎぬ。
老人「この肌合いと、この眼を見てください」
なるほど見れば見るほどいい色だ。寒く潤沢を帯びたる肌の上に、はっと息をかけたなら、ただちに凝って、一だの雲を起こすだうと思われる。ことにおどろくべきは眼の色である。眼の色といわんより、眼と地の相交わるとこが、しだいに色を取り替えて、いつ取り替えたか、ほとんど我が眼をあざむかれたるを見いだしえぬことである。形容してみると紫委の蒸し羊羹の奥に、隠元豆を、透いて見えるほどの深さにはめ込んだようなものである。眼といえば一個でも二個でも大変に珍重される。八個といったら、ほとんど類はあるまい。しかもその八個が整然と同距離にあんばいされて、あたかも人造のねりものと見違えられるにいたってはもとより天下の逸品をもって許さざるを得ない。
余「なるほど結構です。観て心持ちがいいばかりじゃありません。こうしてさわっても愉快です」と言いながら、小坊主の了念がしきりに見たがっているので硯を渡した。
小坊主「和尚さん、確かにこれも立派ですが、くよう眼が十二もあるのもあったんでしょう」
するとただちに老人の顔に不快の色が広がった。和尚もその大徹という名前に似合わず、精神の動揺を表して、どうこの場をとり扱っていいかわからないという表情をした。若い男の態度こそ見物であった。別にそれがこの男の責任でもないだうが、しきりに恐縮している。
坊主「全く、了念、よけいなことを言いおって」
今にも小坊主の頭をはたきそうな調子であった。
「だって、和尚さまが八十年前には、志保田の屋敷には十二眼のくよう眼の端渓があるのじゃ、と言っていたではありませんか」余はそれがどういうことなのか知りたいと思った。老人は居住まいが悪いのか、おしりの下に敷いているシナ製の虎の敷物の上でもぞもぞと腰を動かしている。小坊主の了念は自分が不当にしかられたのでさかんに抗議の瞳を老師の方に向けている。非人情の旅に出た余だったが志保田の宿の端渓の硯には何か因縁があるのかも知れない。
老人「わしの自慢の品の鑑賞をするつもりが、とんだ昔話をするはめになってしまいましたな、と言ってもこれはわしが直接に体験した話というわけではないのじゃが、前のじいさんから聞いた話じゃ、今から八十年も前の話じゃ、この那古井の志保田の家に画工と名乗る男が来たのじゃ、そのとき、志保田の家には那美という、あみ子の祖祖母に当たっている娘がおった。それがわしの母親なんじゃが、ひどく機ほうのするどい女だったそうじゃ、わしのじいさんはその画工を茶に招いてくよう眼の端渓を見せたそうじゃ、その後、この志保田の家にあったくよう眼の端渓はなくなってしまったそうじゃ」
小坊主「それでもってね。原た泰三さんが言っていたんだけど、そのくよう眼の端渓の硯を見付けることは自分の説の証明になるんだって」
何の証明か、余にはわからなかったがたぶん原た泰三が主張している画工と偽ってここにやって来た余のじいさんのことだろう。
どうも老人はまだ何か知っているのに言わないのかも知れない。ぽかんと部屋へ帰ると、なるほどきれいに掃除がしてある。他の座敷は、近頃客が来ない、ゆえに、掃除がしていないので、ふだん使っているこの家の孫娘の部屋でがまんしてくれと言われた。風呂場の湯煙を共用したあみ子嬢が昨夕は自分の浴衣を取りに余が休んでいると入って来た。その用箪笥の余った片側に書物が少々つめてある。いちばん上には白隠和尚の遠良天釜、その間に何か薄い本が一冊、そして草枕が置いてある。余は部屋のまん中にごろりと大の字になって上の方を見ると、欄間に、朱塗りのふちをとった額がかかっている。文字は巨大で視力がコンマ一の人間でも読める。ほとんどとうもろこしぐらいの筆で書かれた文字だった。人間、元気が一番。元気だったら、何でもできる。ーそこで一行、行が変わっていて、あみ子ちゃんへーと書かれている。余は書において皆目鑑識のない男だが、その書の横には大きな手の平のあとが墨をべったりとつけて押されている。その手の平も常人よりはずっと大きく、相撲取りのサインかも知れない。ここの孫娘が東京の方で映画に出ていたということだから、その方の関係かも知れない。その額を見ながら鼻毛を三本ほど抜いていると金魚鉢越しに見える球面にゆがんだおおきな顔でここの孫娘が上から余の顔をのぞいていた。
あみ子「おじいちゃんのところに行ったんだ」
余「あみ子ちゃんは何故来なかったのかな」
あみ子「魚に餌をやっていたから」
余「滝沢という若い男がいましたよ」
あみ子「何をやっていたんですか」
余「いえ、何も」
あみ子「知ってるわよ、硯を見ていたんでしょう」
余「小坊主の了念が昔はもっといい硯があったと言っていました」
あみ子「八十年も前のことでしょう、志保田の家とくよう眼の硯とは深い関係があるの」
余「それはどんな」
あみ子「遠良天釜の隣りにある本に全部、書いてあるんです」
余は手を伸ばしてその小冊子を取り上げた。あみ子嬢は膝をかかえながら座って苔の生えている庭の方を見ている。
あみ子「五百年にわたる滝沢家と志保田の家の関係が書かれているの。おじさんは峠の茶店で楠雅儀の伝説を聞きましたか」
余「長良の乙女の歌を歌ってくれた」
あみ子「この志保田の家が楠雅儀のおとしだねなら、滝沢家は後醍醐天皇のおとしだねなんです。そして四代目ごとに両家は婚姻を結ばなければならないんです。それもただの婚姻ではなく、滝沢家には代々伝わるくよう眼の端渓の硯を志保田の家に収めなければならないんです」
余「また、どうして」
余にはひどく時代錯誤のことに思える。
あみ子「その本に書いてあるからです。そうしなければ、両家には不幸が訪れるからです。あみ子は子どもの頃からその本を繰り返し、読んで来ました。そして、滝沢家の男性と結婚すること、滝沢家から端渓の硯を送られることを頭に想い浮かべないことは一日だってなかったのです」
余「その結婚相手って、あの滝沢という若い男のことかな」
あみ子「そうです。でも志保田の家に送られることになっていた端渓の硯が八十年前に盗まれてしまったんです」
それで余にも納得がいった。硯の話をしたとき、老人が不快な表情をして、若い男が申しわけなさそうな様子だったのを。
余「でも、どうして、そうだと両家が不幸になると結論するんですか」
あみ子「その本に書いてあることは五百年にわたる確かな記録なんです。その取り決めを守らないときは不幸になっているんです。原た泰三さんも確かだと言っていました。そしてその言い伝えのこともすっかり忘れていて、くよう眼のすずりがなくなっているのに、私と滝沢くんはある夜、結ばれてしまったのです。幼なじみにして初恋の相手、そうして永遠の伴侶だと思っていました。そうしたらそのすぐあとに、滝沢家では手形詐欺にあって大損をしてしまったのです。言い伝えは本当だったのです。それで両方の家でこの結婚はやめようって」
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