第9回

第九回

山路を歩きながらこう考えた。

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。綺麗な花には陥穽がある。とかく人の世は生きにくい。生きにくいと感じると、やすいところへ引っ越したくなる。どこへ越しても住み難いと悟ったとき、詩が生まれて、画が出来る。そして余は過去に戻りたくなる。突然の美女に出会ったこと、そして最近、妖怪につきまとわれていることが余を哲学的にしていた。人の世の苦難や陥穽は人を哲学的にする。余はさらに考える

人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向こう三軒両隣にちらちらするただの人である。

ただの人が作った人の世が住み難いからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりも住み難かろう。その上美しい人が手招きすればもとの国にも戻りたくなるだろう。越すことのならぬ世が住み難ければ、住み難いところをどれほどか、くつろげて、つかの間の命を、つかの間でも住みよくせねばならない。ここに詩人という天職ができて、ここに画家という使命がくだる。あらゆる芸術の士は人の世をのどかにし、人の心を豊かにするがゆえに尊い。ただ最悪の場合、人の世を嫌悪するあまり妖怪の国に足を踏み入れるおそれもないとは限らない。危ない、危ない。

また遠い場所にあって向こうから弓でも鉄砲でも届かないふるさとを訪ねるというくつろぎかたもある。それが旅行である。住み難い場所にいては息抜きも必要だ。それが場所だけとは限らない。遠い昔に思いをはせるというのは身体の半分をつかの間の住みやすい場所に置くことでもある。その場所はすでに固まっている場所である。固定されて変化も進歩もない場所やものである。現実世界の余になんの弓矢もはなつことができない。お化け屋敷に入った観客がお化けや怨霊が実はアパート代も満足に払えない貧乏役者だったり、幼稚園の保母さんになるための学校に通っている女の子だということを知っている。つまり画や詩のほかにも便利な道具はある。考古学や歴史学というもそんなものだろう。しかしそこには創造はない。その場所に何かの乗り物に乗って行くだけだからだ。デイズニーランドに行ってビッグマウンテンや海賊屋敷に行くようなものである。

 芸術の面から言えば住みにくきおのが世から、住み難きわずらいを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに移すのが詩である。画である。あるは音楽と彫刻である。こまかに言えば写さないでもいい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌もわく。着想を紙に写さぬともきゅうそうの音は胸裏に起こる。丹青は画架に向かってとまつせんでも五彩の絢爛はおのずから心眼に写る。ただおのが住む世を、かく観じ得て、霊台方寸のカメラにぎょうき混濁の俗界を清くうららかに収め得れば足る。このゆえに無声の詩人には一句なく、無色の画家にはせつけんなきも、かく人生を観じ得るの点において、かく煩悩を解脱するの点において、かく清浄界に出入し得るの点において、またこの不同不二の乾坤を建立しうるの点において、我利私欲のきはんを掃討するの点において、千金の子よりも、万乗の君よりも、あらゆる俗界の寵児よりも幸福である。

 世に住むこと二十年にして、住むにかいある世と知った。二十五年にして明暗は表裏のごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。三十の今日はこう思っている。喜びの深きとき憂いいよいよ深く、楽しみの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。かたづけようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものが殖えれば寝る間も心配だろう。恋いはうれしい、うれしい恋いが積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろう。旅に明け暮れる気楽な日々が重なれば、妻や子供の拘束もうらやましかろう。うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽きたらぬ。存分食えばあとが不愉快だ。

 余の考えがここまで漂流してきた時に、余の右足は突然すわりのわるい角石の端を踏みそくなっ。平衡を保つために、すわやと前に飛び出した左足が、仕損じの埋め合わせをするとともに、余の腰は具合よく方三尺ほどな岩の上におりた。肩にかけたショルダーバッグが腋の下から踊り出しただけで、はるら嬢からもらった缶入りのお茶や大事なものはなんともなかった。

立ち上がる時に向こうを見ると、路から左のほうにバケツを伏せたような峰がそびえている。杉か檜かわからないが根本から頂きまでことごとく青黒い中に、山桜が薄赤くだんだらにたなびいて、つぎ目がしかと見えぬくらい靄が濃い。少し手前に禿げ山が一つ、群をぬきんでて眉に迫る。はげた側面は巨人の斧で削り去ったか、鋭き平面をやけに谷の底に埋めている。天辺に一本見えるのは赤松だろう。枝の間の空さえはっきりしている。行く手は二丁ほどで切れているが、高い所から赤い毛布が動いて来るのを見ると、登ればあすこへ出るのだろう。路はすこぶる難儀だ。

 土をならすだけならさほど手間もいるまいが、土の中には大きな石がある。土は平らにしても石は平らにならぬ。石は切り砕いても、岩は始末がつかぬ。堀崩した土の上に悠然とそばだって、われらのために道を譲る景色はない。向こうで聞かぬ上は乗り越すか、回らなければならん。岩のない所でさえ歩きよくはない。左右が多角って、中心が窪んで、まるで一間幅を三角にくって、その頂点が真ん中を貫いていると評してもよい。路を行くといわんより川底を渡るというほうが適当だ。もとより急ぐ旅でないから、ぶらぶらと七曲がりへかかる。

 曲がる外周にかかると谷底が見える。谷底が崩れないように熊笹がはえている。人為的に生えたわけではなかろうが、これがなければこの余が立っている場所は地面全体がそっくりそのまま谷底に落ちてしまうかもしれない。そしたら余はここを現世とは感ぜずに地獄の閻魔大王の持ち場だと感ずるだろう。春雨が熊笹の葉の上に落ちて無数の珠粒を作っている。大気の中を漂う水のつぶが笹の葉を触媒にして無数の水の粒になったというか。人間の大きさの縮尺を変えればここが人の住みかとなるかも知れない。その笹の葉の下に小人でも住んでいないかと思って葉の下をのぞき込んで見る。余は熊笹の茂みの中に青いノートがうち捨てられているのを見つけた。青いノートである。まるで余に見つけられるためにここに捨ててあるようだった。このノートに意思があるなら余が来るまでここで待っていたのだろう。意思があっても移動手段はなかったから。その待っているあいだ一晩くらい雨にうたれたのかもしれない。そのノートは少しふやけている。取り上げて見るとたーちゃんの日記と書かれている。ノート自身に意思はなくても誰かの思いがこのノートに記されているに違いない。その内容はきわめて珍なるものだった。

たーちゃんの日記

 つばめくんが大好きです。僕はつばめくんがいなければ一日も過ごせません。つばめくんに初めて会ったのは公園デビューの日でした。僕もつばめくんもお互いに乳母車に乗っていました。ふたりは乳母車に乗ったままお互いに顔を見合わせました。つばめくんは幸せを運んでくる鳥です。つばめはせっせとせわしく絶え間なく鳴きます。つばめの鳴く声には休む暇もありません。つばめは空をどこまでも登って行きます。鳴きながら空を登って行きます。つばめはきっと空の中で死ぬに違いありません。つばめは口で鳴くのではないよ。魂で鳴くんだよ。魂の活動が声に表れたものであれほど元気なものはないよ。つばめは悲しみを歌う喜びに昇華して鳴くんだよ。

 僕はシレーのつばめの詩も好きだ。

前を見ては、しりえを見ては、物欲しと、あこがるるかなわれ。腹からの、笑いといえど、苦しみの、そこにあるべし。うつくしき、極みの歌に、悲しさの、極みの想い、籠もるとぞ知れ。

 つばめはなんでも知っている。喜びも悲しみも知っている。だから僕はつばめくんが好きなんだ。得意なときも不幸なときも絶頂のときもつばめくんさえそばにいてくれればなんでも出来るよ。悲しみのときは悲しみをいやし、幸せのときはしあわせを倍にしてくれる。

 だってつばめは幸福を運んでくれるからです。幸福の王子のお手伝いをしました。不幸な詩人のところに金の薄板を運びましたし、クリスマスプレゼントのもらえない女の子のところにも金貨を運びました。つばめ、幸せの運搬人。使徒。いろんな呼び方が出来るかもね。

 でもなんで僕はつばめくんを求めているんだろう。それは僕が幸せでないから。そう僕は幸せではありませんでした。幸せではない僕のところにつばめくんはやって来ました。不幸な思いに崩れてしまうかも知れない僕を救うための神様がくれたつっかえ棒なのかも知れないな。雨の日、風の日、曇りの日。いろいろな日々がありました。でも、僕に、もうつばめくんは必要ではありません。僕にも幸せが訪れようとしています。それは突然の出会いだったんだよ。でもずっと昔からその人は僕のそばにいたんだ。僕は魚ちゃんをみつけました。魚もまた神の贈り物です。魚ちゃんこんにちわ。つばめくんさようなら。ありがとうつばめくん。

 余ははなはだ解しかねた。このわけの解らないノートはなにを意味しているのだろう。最後のほうには僕の可愛い甥っ子のあすかくんへ、と書かれている。そしてその最後の五、六行のところには大きくばつが黒いマジックインキで書かれている。これを誰が書いたか想像してみた。少なくても那古井の住人のひとりには違いないだろう。この浮き世離れした温泉場に初恋にも似た純朴な感情の起伏を発見した。その感情の起伏というのも書かれている内容が喜びだとしたら、大きくばつてんをつけられている部分がその幸福である肯定的な感情を否定している部分であるということを意味していないか。これを書いている人間は突然の不慮の出来事に衝突して精神の断絶を味わい苦杯をなめたに違いない。余はこのノートを拾い上げてみた、なぜかここに置いて行くのは惜しい気がしたからだ。

 しかしまわりの景色はそんなことも余の頭のどこかに押しやってしまう。

しばらく路が平らで、右は雑木山、左は菜の花の見つづけである。足の下にときどきたんぽぽをふみつける。鋸のようなに葉が遠慮なく四方へのしてまん中に黄色な珠を擁護している。菜の花に気をとられて、踏みつけられたあとで、気の毒なことをしたと、ふり向いて見ると、黄色な珠は依然として鋸のなかに鎮座している。のんきなものだ。このノートを破り捨てた男か女の悲しみも無視して悠然とかまえている。世の時の流れと人の心の流れの時間の尺度はあまりにも違う。

山に登ってから、馬には五六匹あった。あった五六匹は皆腹掛けをかけて、鈴を鳴らしている。今の世の馬とは思われない。

やがてのどかな馬子歌が、春に更けた空山一路の夢を破る。哀れの底に気楽な響きがこもって、どう考えても画にかいた声だ。声を先導にして馬の姿があとから現れる。山路をひとり馬子が馬をひいてくるのかと思ったらそうでもなかった。白い中に青や赤、黄といろいろな色が混じっている。そのうしろからは紋付き袴を着た人たちがついて来る。馬上には晴れ着を着た花嫁が乗っていた。角隠しの下の白く塗った顔が喜びを押し隠すようにつつしみ深く下を向いている。口元には晴れの日の喜びがおのずと表れている。馬に乗って嫁入りをするのはこのあたりの風習か。余はこの花嫁がお互いに好きあった相手と結ばれているに違いないと確信をした。その美しさに見とれてしばしその場に立ち止まってしまった。幽玄なる風景にあでやかなる色彩を加えた見事な一幅だった。そして花嫁の華やかさはけっしてこの景色の調子を壊すほどの強さはない。そして余の前を大名行列のようにその一行は通り過ぎて行く。余はそこに木瓜の白い花を見るような気がした。木瓜はおもしろい花である。枝はがんこで、かつて曲がったことがない。そんなら真っ直ぐかというと、けっしてまっすぐでもない。ただ真っ直ぐな短い枝に、まっすぐな短い枝が、ある角度で衝突して斜にかまえつつ全体ができあがっている。そこへ、紅だか白だか要領を得ぬ花が安閑と咲く。柔らかい葉さえちらちら着ける。

評してみると木瓜は花のうちで、愚かにして悟ったものであろう。世間には拙を守るという人がある。この花嫁はその拙を守る人であろう。人格が匂うということがある。その精神作用が外見として、表情言葉使いに表れるのはもちろんであるが、匂いとして表れることはないだろうか。それは大気を通じてなされるのではない。その人のおこないを見たときいつか嗅いだことのある花の香りが懐かしく思いだされるのだ。余は久しぶりで良い心持ちになった。つい数分前になにかの精神の破綻をきたした軌跡のあらわれたノートを手にしたことが嘘のようである。余は通り過ぎる美しい色彩と図の調和を見送った。

 そして余はこの馬子が通り過ぎたあとに、この東洋的美意識に支配されている一幅の漢詩のような景色の中に、異物となる点景を発見した。

 さるすべりの木の根本が草が生えていず土があらわになっている場所がある。立っている場所からほんの十メートルも離れていない場所だったが、そこでひとりの若者が冬眠中のひぐまのように背を丸めて地面の上に枯れ枝を使って画を描いている。余はそのそばまで行ってみた。その姿はすっかりといじけていた。その地面には一筆書きでおさるの画が描かれていた。余がそばに行くまで若者は余の存在に気づかぬようだった。彼が視覚的に支配する領域に余の汚れた靴が侵入したとき若者は目を上げた。

余「見事ですな。そのお猿の画は」

若者「このお猿の画は中国まで行って修行をしました」

余「誰に師事したのかな」

若者「ヤーニちゃんです」

余はなるほどと思った。ヤーニちゃんとは、巷間でヤーニちゃんのお猿として知られている。古今を通じてお猿の画では第一級の画として知られている。ヤーニちゃんはまだ十三才の少女である。十三才にしてお猿の神韻を会得していた。

余「やはり、そうでしたか。中国に修行に行かれたのですか」

余は尊敬の気持ちがふつふつと起こってきた。しかし、そこに調和した精神の安息がなく、雑音のようなものが存在していたこともまた事実なのである。彼の心はなにによってかき乱されたのであろうか。この画を描いている若者の精神そのものを表しているようだった。

余「今、馬の背に乗った花嫁が通りましたね。花嫁姿のお猿を描けばいいのに」

するとどうしたことだろう。若者の目はしぼったスポンジのようにみるみるとうるみはじめた。そして余が持っていた捨てられていたノートに彼の視線はすいつけられた。

若者「なんで、そのノートを持っているんだよ。捨てたのに、返せよ。返せよ」

若者は余に飛びかかって来た。余は身をかわした。

余「十円玉でも、一円玉でも、拾ったもののものなんだよ。ガチャポンのおまけだってそうなんだよ」

余もなんだか悲しくなって目からは涙が流れてきた。

若者「忘れたい思い出だから、捨てたんだよ。燃やしちゃえば良かったんだよ。拾ったものはおまわりさんに届けなければだめなんだぞ。そうしないとおまわりさんにつかまっちゃうんだぞ」

余「なんで、そんなもの人の目につくところに捨てたんだよ。中身も読んじゃったよ。幸せいっぱいの内容がうしろの方でバツテンがひいてあるじゃないか。急に不幸になったんだな。もっと説明しろよ」

若者「幸せそうな花嫁が通ってうるうるしていたのに、悲しいことを思い出させやがって。ひどい。ひどすぎるよ。それは甥っ子の夏休みの宿題の作文を代わりに書いてやったんだよ。でもでも、そのあとで悲しいことがあったんだよ。それで、それで」

余「それで、どうしたんだよ」

若者「悲しいことがあって、バツテンをひいたんだよ。俺には魚が逃げたんだ。うううううううう。ばかばか。ばかやろう」

最後には若者の言葉は言葉にならなかった。

余も油断をしていた。若者は余の持っていたノートを奪い去ると全速力で逃げて行った。

そのときには余の目は真っ赤に泣きはらしていた。余は自分が高校生のときにポケモンが虐待されているかどうかで同級生と激論の果てに殴り合いのけんかまでしたことを思い出していた。


余はふたたび山道を歩き出した。余は絵の中を散策している。雲煙飛動の趣に身をゆだね、蕭々としてひとり春山を行くわれもまたただ詩中の人にあらず、歩き疲れて、足にまめができたのかも知らん。満目樹梢を動かす雨雲が四方より顧客にせまる。一休みしようかと思った。そばにわびさびた茶屋がある。まるで炭焼き小屋のようだった。

 「おい」と声をかけたが返事がない。

確か、ここは余の祖父がその昔、手には絵の具箱に画布、心には堯季混濁の俗界をうららかに収めうる霊台方寸のカメラを持って訪れたことのある、影絵のように雨に包まれて薄き墨で描かれた折り重なる山々の姿を背景にたたずむ茶屋ではないか。軒下から奥をのぞくとすすけた障子が立てきってある。向こう側は見えない。五六足の草鞋が淋しそうに庇からつるされて、くつたくげにふらりふらりと揺れる。「おい」とまた声をかける。返事をして首を振り向いてこっちを向いたのは土間の隅に片寄せてある臼の上に、ふくれていたにわとりが目をさました奴だけである。そしてその鶏はククク、ククク、と騒ぎ出す。かまうことはない、上がるか。余がじいさまがその昔、鶏の踏みつけた胡麻ねじと微塵棒をくり抜き盆の上に入れて差し出された茶屋である。そのくらいのことは許されるか。無断でずっと入って、床几の上に腰をおろした。菓子箱の上に銭が散らばっているところを見ると茶菓子を出して商売をやっているのだろう。なかから一人の婆さんが出る。これがうちのじいさんが八〇年前に出会った婆さんの孫だとすればまたおもしろい。興がわく。年をとった唐子のようである。

「お婆さん、ここをちょっと借りたよ」

「はい、これはいっこうぞんじませんで」

「だいぶ降ったね」

「あいにくなお天気で、さぞお困りでござんしょ。山道を歩いて来なさったのかな。おおおおだいぶおぬれなさった。今火を焚いて乾かしてあげましょ」

余は写生帳を取りだして婆さんの横顔を写していると雨があがったのか鶯が一鳴きした。竈から煙突を伝って出た青い煙が軒端に当たって崩れながらに、かすかな痕をまだ板庇にからんでいる。

「閑静でいいね」 

「へえ、ごらんのとおりの山里で」

外には逡巡として曇りがちなる春の空を、もどかしとばかりに吹き払う山嵐の、思い切りよく通り抜けた前山の一角は、未練もなく晴れ尽くして、老婆の指す方に峻厳と、荒削りのごとくそびえる岩がある。

「あの岩は何と言うんだい」

「あの岩は天狗山と申します、ここいらのものは雅儀の岩とも申しております」

「また何で雅儀の岩と言うんだい」

婆さんの話で大部時間を逆行している気分になる。

「楠雅儀があの天狗岩の中の洞窟に隠れていたという言い伝えがあります。」

楠雅儀といえば南北朝の立て役者、楠正成の三男だが。鎌倉時代のどろどろとした権力争いの影響もこの人里離れた湯治場にはあるということと思える。余はその天狗岩の来歴が忘却され、土中に深く埋められて自分の存在意義を問いただそうとしている欠けた古伊万里のような気がしてそれを問わずにはいられなかった。

「何で、その中に隠れていたんだい」

「戦でけがをして湯治に来ていたという言い伝えであります」

湯治場がどこにあったのかは知らないがあの岩から湯治場へ行くのはかなり難儀なことだろう。

「ここいらで宿のある湯治場といったらどこなんだね」

「ここいらでは志保田さんの宿と決まっております」

楠雅儀も志保田の宿のそばの湯治場へ傷の手当てに通ったのだろうか。

「話はそのあとがございます」

「楠雅儀の話かい」

「楠雅儀のひそんでいる洞窟に村の娘が手助けにまいりまして、その娘は身ごもったそうでございます。そして生まれたのはこの余のものとも思われない美しい娘でした。それが長良の乙女でございます」

「この村にはそんな美しい娘がいたんだ」

「ところがその娘に二人の男が懸想して、あなた」

「なるほど」

「ささだ男になびこうか、ささべ男になびこうかと、娘はあけくれ思いわずらったが、どちらへもなびきかねて、とうとう

あきづけばをばなが上に置く露の、けぬべくもは、おもほゆるかも

という歌をよんで、淵川へ身を投げて果てました」

余はこんな山奥へ来て、こんな婆さんから、こんな古雅な言葉で、こんな古雅な話しをきこうとは思いがけなかった。

「これから五丁東へ下ると、道ばたに五輪塔がござんす。ついでに長良の乙女の墓を見てお行きなされ」

余は心のうちにぜひ見て行こうと決心した。婆さんは、そのあとを語りつづける。

「志保田の家はその長良の乙女の子孫でございます。今の志保田のお嬢様と前にいた志保田のお嬢様は村の占い師の話によると一番、長良の乙女に似ているそうでございます。わたしのお婆さんが昔、東京からいらした絵描きさんにそんな話をしたことがあると言っていたのを思い出しました」

「それから、ばあさん、話しは変わるがそばで変な男に出会ったよ。お猿の画を描きながら泣いているんだ」

「それなら、滝沢のおぼっちゃまですよ。まだ、志保田のお嬢さまのことが忘れられないでございますね。おほほほほ」

ばあさんはそう言って巾着袋のような口をすぼめて笑った。

「みんな昔、ここに来た絵描きさんが悪いんでございますよ」

その東京から来た絵描きというのは余がじいさんの夏目漱石なり、そのことを言えば婆さんの目がまわるのではないかと思い黙っていた。しかし、余のじいさんをばあさんはなんで悪者扱いするのか、そこがわからない。

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 昨夕は妙な気持ちがした。まず、井川はるら嬢の投宿する観悔寺へ行ってみた。井川はるら嬢は相変わらずきれいだった。なぜか井川はるら嬢は下はジーパンに上は男物のシャツを着て観悔寺の納戸に入ってほこりだらけになりながら寺の骨董を調べていた。余ははるら嬢と寺の縁側にすわりながら庭にあった大きな石を見ながら言った。

はるら嬢「房の進さん、あそこに大きな石がありますわよね」

余「ええ、ええ、あります。あります」

余は井川はるら嬢に声をかけられてうれしかった。

はるら嬢「大きな石のあそこに渦巻きがありますね」

余「あります。あります」

はるら嬢「あれがなんだかわかりますか」

余「石だって最初は液体だったんじゃないですか。滞積岩として出来たものではないですよね。だってあの文様には平行な成分がないもの。だから高温のマグマの状態のときに冷えていた小さな岩の固まりが入ったとか」

はるら嬢「違います。あれはある生命体の痕跡なのです」

余「生命体というと、化石ということですか」

はるら嬢「化石というのは死んだものですね。もう生き返ることが出来ない。でもあの渦巻きは生き返ることが出来るのです。不滅の生命体です」

余には井川はるら嬢の言っていることの意味が全くわからなかった。しかし、はるら嬢がその目的がなんであるか仕事に来ているということの証拠のように思えた。彼女に男の影はない。決して男に会うためにここに来たのではないのだ。余は安心した。

宿へ着いたのは夜の八時ごろであったから、家のぐあい庭の作り方はむろん、東西の区別さえわからなかった。なんだか回廊のようなところをしきりに引き回されて、しまいに六畳ほどの小さな座敷へ入れられた。今様の旅館とはまるで見当が違う。晩餐をすまして、湯に入って、部屋へ帰って茶を飲んでいると、アルバイトらしい若い女が来て床をのべよかと言う。どうやら学校の春休みをとってこの湯治場にアルバイトに来ているらしい。どうやらこの宿に泊まっているのは余一人らしい。雀のお宿と言う絵双紙の世界に余は投げ込まれたような心持ちがした。

宿のそばを少し散歩してふたたび余の部屋に戻って来るとすでにふとんはしかれていた。例のアルバイトの学生がしいたのかも知れない。しかし余は入り口のふすまのところで思わず絶句して立ちすくしてしまった。余のふとんの枕のところで枕の四方から枕の形を整えている女がいる。一つのところで枕の端をとんとんと叩くと逆の方へ行き、また枕の端をとんとんと叩く、今度はその隣の端を叩くというように四方を叩いて枕を四角にしている。そしてたまに枕の上のところを赤ちゃんをあやすように手の平で叩いているのだ。

余「川o・-・)紺野さん」

川o・-・)紺野さんは不思議な表情をしてこちらを向いた。

余「なんでここにいるんだ。妖怪。料亭山海亭に出現したと思ったらここに来たのか。妖怪、帰れ」

川o・-・)紺野さんはまだ自分がなにを言われているのか、まったく理解できないような様子でこちらを見ている。余の右手には力が入って自然とグーが出来ていた。そして下におろしているその右手はふるえている。余は右手でグーを作ると肩の上に上げた。ぶつよ。ぶつよ。余は心の中で叫んだ。最近のことだが妖怪、川o・-・)紺野さんには苦々しい思い出があった。余が自分の事務所でソファーに身を持たせながら、マジンガーゼットの主題歌を聴きながらくつろいでいると突然、長ふし剛のマネージャーが顔を真っ赤にしながら余の事務所に怒鳴り込んできたことがあったのである。あんた、どんな、落とし前をつけてくれるんだ。余「なんですか。急に。わたしはあなたなんかとなんの面識もないんですから」それから長ふし剛のマネージャーは早口でいろんなことをまくし立てた。余の事務所にある水槽の中に入っている熱帯魚もぽかんとして口をあけて呼吸をしているようだった。話しも前後していて感情的になっていていまいちよくわからなかったのだが、要約してみるとこんなことらしかったのだ。長ふし剛のコンサート会場での出来事らしかった。長ふしのファンたちがコンサートの入場を待って長蛇の列を作っていた。そこに出店が出来ていて、その一角が空いていた。きっと誰かがそこに出店を出すのだろうがまだ来ていないのだろうと思っていたそうだ。すると案の定やがてリヤカーを引いた中学三年生らしい女の子がやって来てそのスペースの前でリヤカーを止めた。そしてチョコバナナの屋台を作り始めた。それが出来るとチョコバナナを売り始めた。ファンたちはチョコバナナを買い始めた。それで店がそこそこ盛況になってくると突然、五本ののぼりをたてた。そののぼりが見物だったのだ。そののぼりには長ふち剛、CD不買運動とでかでかと書かれている。それをみた長ふし剛のファンがいきりたった。長ふちのファンがその女の子のまわりを取り囲んだ。その女の子はチョコバナナを両手に持つと凍ったようになってしまった。そして大きな黒目がちな目で彼らを見つめた。そして関係者、つまり長ふし剛のマネージャが飛んで来たのだ。「お嬢ちゃん、なんでこんなことをするんだよ」「・・・・・」「とにかく、こんな変なのぼりは片付けようね」「だめです」「なんでだめなんだ」「おこられちゃいます」「片づけんだよ。この小娘」「だめです。だめなんです」「たとえ、こののぼりを片づけると巨大隕石が明日地球に衝突すると言っても片づけさすからな」「いや。いや」マネージャーは手を焼いた。しかしその緊張が一時くずれる場面があった。後ろには大きな水槽があって、七十センチの金魚が優雅に松もをゆらゆらさせながら泳いでいた。女の子は時計を見ると、時間だわと言って便器を洗うナイロンたわしがさきについた柄付きのものを手にとると水槽の中に入れて水槽の内側を掃除し始めた。「こうしないと水槽の内側に苔が生えちゃうのよね」とか、なんとか言っていた。てこでも動かない女の子をどかすにはこれしかないとマネージャは気づいた。マネージャーが命令して若いものが何人か水槽のところに行き、五、六人で水槽を持ち上げようとした。すると女の子の瞳はみるみる潤んでいったのである。女の子の名前は川o・-・)紺野さんと言った。

川o・-・)「やめてください。金魚が死んでしまいます」

「じゃあ、どけよ」

川o・-・)「こんなに大きく育つまでどんなに大変だったか」

水槽の中は清涼な水がたたえられていて金魚は銀色かつ赤い鱗をガラスや銀食器よりも美しく輝かせていた。その中の一人が

「残り物のジュースを入れちゃうぞ」

川o・-・)「やめてください。この水槽の水が汚れるとき金魚は死にます。そしてわたしも死にます」

川o・-・)紺野さんの瞳からは涙が一筋頬を伝わった。

「だったらなんでこんなことをするのか、おじちゃんに教えてね。」

すると川o・-・)紺野さんは黙って名刺を差し出した。

川o・-・)「この人に頼まれたんです」

それで長ふし剛のマネージャーが余の事務所にどなり込んで来たわけだ。これが長ふし剛にけんかを売った女、川o・-・)紺野さんの顛末だった。いい迷惑だった。このことをこの場にいる紺野さんは知っているに違いない。

余「妖怪、余がお前たちのためにどんな迷惑をこうむっているのかわかっているのか」

川o・-・)紺野さんは余をじっと見つめた。しだいに目がうるうると潤んでくる。余も少し哀れの感情が浮かんで来た。妖怪と云ってもまだ子供である。

余「だいたいお前たちは何者なんだ」

すると川o・-・)紺野さんの姿は霧のように

消えてしまった。

 しかし、なぜ妖怪モンモン娘たちが余のまわりに出現するのか、理由がわからない。妖怪というものは人間に害を加えるものである。しかし、彼らが余に害を加えていると結論づけることが出来るだろうか。(●´ー`●)安部なつみは余に一夜の楽しみを与えようとしたのかも知れない。あゆ釣り場で(ё)新垣が余を襲ったのも塩焼きされている鮎を食べようとしただけかも知れない。そして川o・-・)紺野さんにいたってはまくらの形を整えてくれたのである。余には妖怪たちの真意は測りかねた。妖怪だから真意などないのかも知れない。ただ気圧によって台風が移動するように彼らも人間界を移動しているだけなのだろうか。

 すやすやと寝入る。夢に。

楠雅儀と長良の乙女が大きな白鳥に乗って天狗岩の頭上を周遊している。そのうちに白鳥は地上に降り立つと長良の乙女を湖のほとりに降ろした。そこには大きな水に沈まぬ葉があって親指姫よろしく乙女はその上に優雅に座って余の方を見て微笑んでいる。

そこで目がさめた。脇の下からあせが出ている。寝返りを打つと、いつのまにか障子に月がさして、木の枝が二三本斜めに影をひたしている。冴えるほどの春の夜だ。

 気のせいか、だれか小声で歌を歌っているような気がする。夢の中の歌が、この世に抜け出したのか、あるいはこの世の声が遠き夢の国へ、うつつながら紛れ込んだのかと耳をそばだてる。その歌声は春風が木の葉にささやいているのかと思われる。この細くつややかな調子は男性か、女性か。余はたまらなくなって、われしらず布団をすり抜けるとともにさらりと障子をあけた。

向こうにいた。花ならば海棠かと思わるる幹を背に、よそよそしくも月の光を忍んでもうろうたる影法師がいた。しかし誰であるか、判然としない。あれかと思う意識さえ、心に浮かばぬその刹那、廊下の角をまがって余の視界から消え失せた。余の見た景色ははなはだ詩趣をおびている。ー弧村の温泉、ー春宵の花影、ー月前の低唱、ーおぼろ夜の姿ーどれもこれも芸術家の高題目である。例の写生帳を枕元に取りだして一句ひねってみる。

 海棠の露をふるふや物狂い

それから七八、発句づいてみたが眠くなって寝てしまった。ここにいた女が長良の乙女に一番似ていると言われている志保田の一人だけいる跡取りの孫娘だということをのちほど聞いた。しかしまだ現物にはお目にかかっていない。障子がすっかり陽光でいろが変わってから寝床から抜け出した。夢の名残がまだ残っているうちに右側の障子をあけて、昨夜の名残はどの辺かなと眺める。海棠と鑑定したのは、はたして海棠であるが、思ったよりも庭は狭い。五六枚の飛び石を一面の青苔が埋めて、素足で踏みつけたら、さも心持ちがよさそうだ。那古井はどこもかしこも山間の湯治場である。しかし海も近い、従って宿は傾斜地に建てられるということになる。温泉場は岡の麓ををできるだけ崖へさしかけて、岨の景色を半分庭へ囲い込んだ一構えであるから、全面は二階でも、後ろは平屋になる。縁から足をぶらさげれば、すぐと踵は苔に着く。道理こそ昨夕は梯子段をむやみに上ったり下ったり、異な仕掛けの家と思ったはずだ。

今度は左側の窓を開ける。自然とくぼむ二畳ばかりの岩の中に貼る水がいつともなく、たまって静かに山桜の影をひたしている。二株三株の熊笹が岩の角を彩る。向こうにくことも見える生け垣があって、外は浜から、岡へ上がる岨道か時々人声が聞こえる。谷の極まるところにはまた大きな竹藪が、白く光る。竹の葉が遠くから見ると、白く光るとはこのとき初めて知った。藪から上は、松の多い山で、赤い幹の間から石塔が五六段手にとるように見える。おおかた寺だろう。あれが昨日訪ねた井川はるら嬢が投宿する観海寺である。

家はずいぶん広いが、向こう二階の一間と、余が欄干に添うて、右に折れた一間のほかは、居間台所は知らず、客間と名がつきそうなのはたいてい立てきってある。客は、余をのぞくのほかほとんど皆無なのだろう。しめた部屋は昼も雨戸を開けず、あけた以上は夜もたてぬらしい。これでは表の戸締まりさえ、するかしないかわからん。非人情の旅にはもって来いという屈強な場所だ。余が祖父もここに泊まったのもさもありなんという感想だ。ここの娘と余がどんな因縁で結ばれているのやら。

 突然襖があいた。寝返りを打って入り口を見ると、因果の相手のショートカットが敷居の上に立って青磁の鉢を盆に乗せたままたたずんでいる。余はふたたび驚いた。つりきちあみ子がそこ立っているではないか。

あみ子「まだ寝ているの。昨夜は廊下で歌なんか歌っていてご迷惑だったかな。あなたはすっかり寝ていらっしゃると思っていたんですもの。障子が開いてびっくりしたからすぐここを離れたのよ。だって歌を聴かれたと思うと恥ずかしかったんですもの」

余「いいえ。それより、びっくりしたな。つりきちあみ子、いや、鈴木あみ子さんがなんでここにいるのだ」

あみ子「鈴木というのは戸籍上の名前、ここらへんの旧家はみんな昔から続く屋号を持っているのよ。わたしの家は志保多」

女は余が起き返ろうとする枕元へ、早くもすわってあみ子「まあ寝ていらっしゃい。寝ていても話はできるでしょう」とさもきさくに言う。余は全くだと考えたから、ひとまず腹這いになって、両手であごをささえ、しばしば畳の上に肘壺の柱を立てる。

あみ子「ごたいくつだろうと思って、お茶を入れに来ました。」

余「ありがとう」

この女とは千年の知友のような気がする。これも非人情の世界に生きて利害損得の圏外にこの世界を鑑賞しうるの宝珠にほかならない。

菓子皿の中を見ると、カステラの魚が皿の上で泳いでいる。牛皮をどらやきで包んだお菓子だ。皿の中に適度な隙間をあけて置いてあるのと皿の青い色が作用して涼しげに見える。

あみ子「こんなのが川の方に行くと泳いでいるんですよ。あなたも昨日見たでしょう。でもこの前、変な妖怪が出て来てあゆの塩焼き食べれなかったでしょう。そのかわり」

余「うん、なかなかみごとだ」

夏になればこんなのをつりに川は結構繁盛するのかも知れない。

あみ子「昔、あなたのおじいさまがここに泊まったことがあるんですって」

意外なところから矢が飛んで来た。余はそれにかかわらず青磁の皿をじっとみつめる。

余「これはシナですか」

あみ子「なんですか」と相手はまるで青磁を眼中に置いていない。

余「どうもシナらしい」と皿を上げて底を眺めて見た。

あみ子「話しを途中で変えるのね。まあ、いいわ。そんなものが、お好きなら、見せましょうか」

余「ええ、見せてください」

あみ子「家が古いですからそんなものはたくさんあります。それに変な家訓も、伝説も」

余はそこで長良の乙女の伝説を思い浮かべていた。目の前に立っているこの女が楠雅儀の直系であるというからこの家は鎌倉時代から続いていたことになる。

あみ子「あなたのおじいさまがここにいらしたときやはりいろいろと骨董をお茶と一緒にお見せしたそうですね。」

茶と聞いて辟易した。しかし余がじいさまも茶をすする犠牲を忍んで骨董を見せて貰ったのだろうか。余が辟易した顔をしていると風流を解せぬ男と思ったのだろう。

余「お茶って、あの流儀のある茶ですかな」

あみ子「いいえ、流儀もなにもありゃしません。おいやならのまなくってもいいお茶です」

余「そんなら、ついでに飲んでもいいですよ」あみ子「ウフフフフ。おじいちゃんは道具を人に見てもらうのが大好きなんですから・・・・」

余「ほめなくっちゃあ、いけませんか」

あみ子「年寄りだから、ほめてやれば、うれしがりますよ」

余「へぇ、少しならほめておきましょう」

あみ子「負けて、たくさんほめてあげてください」

余「はははは、時にあなたの言葉は田舎じゃない」

あみ子「人間は田舎なんですか」

余「人間は田舎のほうがいいのです」

あみ子「それじゃ、幅がききます」

余「しかし東京にいたことがありましょう」

あみ子「ええ、いました、それも東京の中心で電波を出すところにいました」

余「夜も昼も電車が地面をせわしくまわっている場所ですね」

あみ子「電車にはあまり乗りませんでした。おもに自動車で、タクシー券をよく使いました」

余「ここと都と、どっちがいいですか」

あみ子「同じことですわ」

余「こういう静かな所が、かえって気楽でしょう

あみ子「気楽も、気楽でないも、世の中は気の持ちよう一つでどうでもなります。蚤の国がいやになったって、蚊の国へ引っ越しちゃ、なんにもなりません」

余「蚤も蚊もいない国へ行ったら、いいでしょう」

あみ子「そんな国があるなら、ここへ出してごらんなさい。さあ、出してちょうだい」と女は詰め寄る。はたのものが見ていたら兄弟げんかだ。

余「長良の乙女の伝説を聞きましたよ。あなたは長良の乙女の、つまり楠雅儀の血を引いているそうですね」

あみ子「まあ、そんなつまらないこと」女は急に不機嫌になった。

*****************

床屋「失礼ですが旦那は、やっぱり東京ですか」

余「東京と見えるかい」

床屋「見えるかいって、一目見りゃあ、ー第一言葉でわかりまさぁ」

余「東京はどこだか知れるかい」

床屋「そうさね。東京はばかに広いからね。ーなんでも下町じゃねえようだ。山の手だね。山の手は麹町かね。え?それじゃ、小石川?でなければ牛込か四谷でしょう」

余「まあそんな見当だろう。よく知ってるな」床屋「江戸っ子がなんでここにいるんでがす。旦那に似た人をどこかで見たことがあるな」

余はぎくりとした。何もこの親方が握っている刃のこぼれた髭擦りのためばかりではない。

床屋「あっしも前の親方から聞いたことなんではっきりしたことじゃないんでがすが、この床屋もずいぶんと由緒のある床屋だそうでがすよ。自分の働いているところでなんでがすが」

余「どういうふうに由緒があるんだい」

床屋「その昔絵描きのふりをして偉い英文学士がひげをそりに来たという話を聞いたことがありますよ」

余「その英文学士の名前はわかるのかい」

余は冷や汗が出た。ここでわがじいさんの幻影と遭遇するはめになるとはここに入るまで予想もしなかった。

余「おい、もう少し、石鹸をつけてくれないか、痛くっていけない」

床屋「痛うがすかい。私ゃ癇性でね、どうも、こうやって、逆ずりをかけて、一本一本髭の穴を掘らなくっちゃ、気がすまねえんだから、ーなあに今時の職人なあ、するんじゃねえ、なでるんだ。もう少しだがまんおしなせえ」

余「がまんはさっきから、もうだいぶしたよ。お願いだから、もう少し湯か石鹸をつけとくれ」

床屋「がまんしきれねえかね。そんなに痛かあねえはずだが。全体、髭があんまり、延びすぎてるんだ。」


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