Sword Confiscation people

@tunetika

第1話

Sword Confiscation people

世が乱れ、戦や略奪が日常茶飯の世になると、殺伐とした時代が訪れた。諸国の大名、豪族たちは武に秀でる者たちを欲した。武術の技も発展を遂げ、名だたる武芸者たちが輩出した。戦でつねに武芸者たちは必要とされたが、その過剰な供給は為政者にとっては必要のないことだった。むしろ害悪しかもたらさなかった。ここで武芸者始末人という職業が発生する。武芸者始末人は必ずしも武芸に秀でた者たちではなかった。むしろ、武芸をたしなむ者は少なかった。それなら武芸の達人をどうやって始末したのだろうか。権謀術策、寝込みを襲う、方法はどんなものでも良かった。武芸者始末人はむしろ今までこの国の主要な部分を担っている者ではないところから出て来た。新しい、埒外なやり方、権威や体裁から遠く離れたなりふりかまわない、武芸とは遠く離れた方法で技を一生をかけて磨いてきた武芸者たちを始末したのである。火薬職人、味噌職人、鍛冶屋、伴天連の通訳、炭焼き職人、薬屋等々と多様だったが、彼らが史書に残ることはなかった。彼らは大金を短期間につかむことが出来たが、すぐに身を持ち崩すのが普通だった。また、武芸者たちに返り討ちにされることも多く、その職業についてから五年のうちに足をあらわない限り、命を落とす者の方が多かった。そんな武芸者始末人のひとりに網野五郎座という男がいた。


 網野五郎座は懐中が暖かかった。ぬくくなったふところで蛸薬師を抜けて寺町通りを横切って錦天満宮のお水で口をゆすいでから、いつもの倍のお賽銭を投げ込むと小気味よく銭が賽銭箱の底に落ちてちゃりんとする音が聞こえた。

賽銭箱の横では野良猫がその音を聞いてニャ-と鳴いた。

拳大の頭をくるくると振って、そのたびにひげが上下に動いた。それから彼ら特有の娼婦を連想させる目で網野五郎座を威嚇した。

いつもだったらその猫を追い払ってしまうのだが猫が神牛の台座の下でこっちをじっと見ているのもまるで自分を同類と見ているのではないかという好意的な解釈をしてしまう。確かに彼らには彼同様の世の中からはじき出された者特有の亀裂が感じられた。

拝殿の横の方からこのあたりに住んでいるらしい男が野菜の切れ端を野良猫に差し出すと地面に落ちた途端に野良猫はそれをがつがつと食い始めた。

これから芝居を見物するか、それとも旨いものを食べるかどちらにしょうかと楽しい選択に迷っていた。

芝居の方は伊勢長三郎という役者の鮫行者天竺絵巻という演目が評判らしい。西の櫓でその芝居が上演されている。この前も刀の鍔を買った商人からその演目の汐汲みの翁が良かったという話しを聞いた。その翁は大和の人であるがまるで唐人のようであるということだった。翁が砂浜を歩いて行けば唐国にもたどり着けるようでもあったと言われた。

芝居もいいが、それともうまいものを食べようか、市にはいろいろな食材が集まり、それを料理して食わせる店があった。

とくに最近は半島の方から人が来てこの国にないような食材を運んで来た。その中には京の町で評判になり船商いで大儲けした堺商人もいるという噂だ。実際、市を歩いていてもこれをどう料理するのか想像もつかないような食材が置いてあったりする。

それを扱っている人間もときには大和の国でない人がいる。

その上途方もない値段のものもあって商人に聞くと、これは薬でもあるという返事が返って来たりするのだ。

網野五郎座は身体の疲れも感じていた。だから何か旨いものを食う方の選択をした。

網野五郎座はそのとき金持ちだった。

ひとつの請負の依頼をこなしたからだった。

仕事と言ってもそれは通常の請負ではない。

それは闇の請負である。

自分の身が危なくなることもある請負である。

それは多くの金子と同等のものである。

一つの仕事が終わると太刀数振り分の金子が入った。

  旨いものを食べようと思って市を歩くと近在の農民たちがやって来て彼らの収穫物であるまだ泥のついた蕪や青菜などを並べて商いをしていた。

背中に赤子を背負った頭にかぶり物をした近在の女がそれを買うように網野五郎座に話しかけたが五郎座はそれを無視した。疲れた身体を癒すには精力が足りない。

そしてその隣の隣のござには若狭の方から来たらしい男が魚の干物を並べていた。生きて泳いでいるときは丸々と太っていたに違いない魚はまるで脱皮を繰り返した蛇のようだった。

それがござの上で白濁してゆでた卵の白身のような目を上に向けている。

その隣に茶色の丸瓶が置かれていた。上薬がいい具合に焼けていていい色を出している。紫蘇の葉を薄くしたような色をしている。

丸瓶の後ろにはしなびた感じの中年の男が座って番をしている。

五郎座がその瓶の滑らかな紫がかった茶色の表面を眺めるとその男の死んだような目とかち合った。

 そのとき瓶の中から水の跳ねるような音が聞こえた。

五郎座はほくそ笑んだ。

その瓶の中を覗き込むと瓶の中程までにはられた水の中で五六匹のすっぽんが浮かんでいる。こっちを見ている。時々その中の数匹は何かを探すように水の中に潜ったりする。厚い皮で覆われたその亀たちは自分たちが食べられる運命にあるということも知らないようだった。

市と言ってもそこは掘っ建て小屋のような木を心棒として骨組みを作り、その上にござをかけただけの作りではない。

その通りのさきの方には道を挟んで両側に板葺きの屋根を持った住まいが並んでいる。その中で鍛冶屋や茶、味噌、うどんなども売られている。道の両側に並んだ低い屋根の向こうには立派な寺院の大きな伽藍が控えていた。またその背後には丸みを帯びた山々の稜線が空気の作用でぼんやりと見える。ここは北を小山に囲まれた盆地なのである。すぐそばにはその名残であるか、巨大な湖があった。

そして南の方にも山の名残のようなものがあり、だからこの地形は馬の蹄鉄のようなもので囲まれているといえないこともない。

背後に控える山々も田圃の中からひょこりと顔を出したようにも見える。

暑い、網野五郎座は一言つぶやくと首のあたりを自分の手で掻いてから再び瓶の中で泳いでいる面妖な亀たちを覗き込んだ。

最近、京の町ではこのすっぽんを食べることが分限者の間では流行っている。誰がこの変わった亀を最初に食べ出したのかわからないが、御所の方では秘密でかなり昔から食べられていたらしい。そして農民も田圃や川で見つけると食べていたらしい。

分限者はこれを朝鮮人参と一緒に煮込んで食べるらしい。

この亀は精力を増進させると言われている。

網野五郎座も分限者と同じものを食べられるだけの金子を持っていた。

網野五郎座にはそれを自分で買って食うべきか、それともどこかで料理されて出されたものを食うか、ふたつの選択肢があった。

とにかくこのしなびた木の根のような男に聞いて見ることにした。

「見たところ立派なすっぽんじゃないか、これは売り物だろう」

「あん、いや、もう買い手がついているんでがす」

「誰にじゃ、これを料理して出す商人がいるのか」

「いんや、三条大路に住む分限者があってな、その使いの者がまもなくやって来るじゃろう。もう売れておるんじゃ」

「売れてしまったものならこんなところに置いて置く必要もないじゃろう」

網野五郎座は目をむいた。

するとこの商人はへらへらと笑いながら瓶の縁のところを両手でつかみながらこぶしふたつぐらい前の方に身を乗り出して網野五郎座に話しかけた。

「しかし、この分限者はな、孫が死んだとかで一年のあいだは功徳を一日にひとつは施すのじゃて。お前さんは運がいいのじゃて。こうやって売れてしまったすっぽんをここに置いておくのもそんな意味があるのじゃよ」

「げせんな。どんな意味で言っているんだ」

「つまり、こういう事じゃ。ここにすっぽんを置いておき、買い求めに来た御仁を家に招待してこのすっぽんを料理して食べさせるという事を伝えてくれと言われたのじゃて。あんたがその最初の客だというわけじゃ」

網野五郎座は腑に落ちないものを感じたがすっぽんをただで食べさせてくれるならこの上もない。その分限者というものにも興味があったので使いの者が来るというまでここで待つことにした。

そのあいだにこのそばで馬を扱っている商人がいたのだが、その店の前に一匹の栗毛の馬がつながれていたのが買い手がついて手綱がほどかれどこかへつれて行かれた。

 一人の下人らしい男が向こうからやって来た。

膝小僧が丸くなっていて汚れた着物が膝小僧のすぐ上までまくりあげられている。男はこれも使い古されてぼろぼろになっている台車をひいて来た。

網野五郎座がこのすっぽんを最初に買おうとした客だということを理解した。

「どこに行くのだ」

「三条坊門小路でごぜぇますだ」

男は多くを語らなかった。

丸瓶を台車に荒縄で縛り付けると車の音をぎしぎしさせながら歩き始めたので網野五郎座もそのあとをついて行くことにした。

男はまっすぐに北の方角へ進んで行った。六角通りを過ぎ、それから三条大通りに出てからどちらの方向に曲がるかと思っていると西の方へ曲がった。右手に曲がれば、かも川の方に抜ける。

左へ抜け、松の木の並木を見ながらだいぶ歩いた。それからしばらく進むと土塀の途切れたところがあって、そこを右に曲がった。土塀のひなびた土台には雑草が生い茂っている。この土塀に囲まれた屋敷が誰の家なのか網野五郎座にはわからなかった。

土塀の上の瓦はだいぶはがれていた。瓦と瓦のあいだは隙間が出来ていて雨漏りをふせぐための藁と漆喰を混ぜたものの中からは雑草がぼうぼうと生えている。修復するゆとりもないようだった。そのさきを歩いて行くとこれは明らかに貴族の屋敷だと思える家があった。

「ここでごぜぇますだ。しかし、料理の出来るまで何もお聞きなさいますな」

男は玄関の木戸を開けながら顔だけを網野五郎座の方に向けて言葉を発した。この屋敷に人の住んでいた気配は微塵もなかった。しかし、ここが確かに公家の屋敷であることは確かであろう。下人たちの住む小屋は別に建てられ、台所は別棟になっていて廊下でつながっている。

大広間で待たされていた網野五郎座だったが、鍋のにおいがかすかににおってきた。やがて、くだんの男が土鍋のまますっぽんの煮えたのを持って来た。彼の前に土鍋が置かれ、それを取り分ける小皿も用意された。

「ここですっぽんを食っていなせぇ」

「主人はどうしたのだ」

「まもなく、お戻りになられますだ」

まだ焼け石のように燃えている土鍋の中には無惨にも切り分けられたすっぽんの肉がぐらぐらと揺れている。土鍋と肉汁が接している面からは蒸気となったあぶくが次々とういてくる。男は飯も盛って来た。網野五郎座はすっぽんの肉を箸でつまんで口の中に入れた。口の中が焼けるように熱くなったがはなはだ美味である。そのまま飯も口の中にほおばった。

滋養のあるすっぽんの肉汁もはなはだ美味である。

凝縮されたうま味が口の中にひろがる。百年の命を長らえるというこの亀の話ももっともと納得させられる。そして男は酒も盛って来た。しかしこの酒がはなはだ変わっている。見たこともないようなギャマンの透き通った器に盛られ、透明な紫色をしている。

「これは」

「南蛮から渡来した葡萄酒というものだそうじゃ」

それを口に含むとすっぱかったが口の中がさっぱりとした。ギャマンの器に盛られたそれを飲み干すと男はさらに一杯ついでもって来た。

酒の酔いもまわり網野五郎座はうつらうつらしてきた。

飯も腹一杯食べてくちくなった。この無人とも言える屋敷の滞留した空気も睡魔を誘う要因であった。さんざん食ってから五郎座は肘枕をして横になった。すると弧月に吠える虎の描かれた屏風の陰から人の気配がした。

「だいぶご機嫌のようですな」

網野五郎座は半眼を開けてその言葉をはっきりと聞いていた。

五郎座はあくまでも酔ったふりをしていただけだったのだ。

「内裏にお仕えする公達だとばかり思っていましたが、だいぶ風体が違いますな。亡くなったお子の供養のために功徳にあずかれる幸運だと思いましたが、これが幸運なのか、不幸なのか、どちらでございますかな」

「もちろん、幸運でございましょう」

「僥倖を運んでくださる方たちにしてはまた武骨一点ばりのような」

その影は三人いた。

一人は中年に近い老僧でふたりの岩のような身体つきの修行僧らしい若者を従えている。そのふたりの若い僧たちは六尺三寸、このような巨大な体躯の都人を見るのは網野五郎座は初めてだった。

「このようなおいしい料理を馳走するわれわれが悪人だとも」

「いやはや堪能させて頂きました」

立ったまま寝ころんでいた網野五郎座を見下ろしていた僧たちは腰を下ろして彼の前に座った。

「すっぽんというような珍味を用意させて頂ければ必ず貴公をつかまえられると思いました」

「よく私の性癖を調べ尽くしていらっしゃる。たしかに私は珍味には弱い。しかし、南蛮の天緑を何の目的もなく私にふるまうとは思えませんな」

網野五郎座は坊主たちを斜めに見上げながら言葉を発した。

「いかにも、あなたが武芸者始末人なればこそ」

「さて、これは面妖な。仏法に使える者が武芸者とどういう関わりがあるのでしょうか、まずあなた方から身分を明らかにして頂けることが礼儀かと、たとえすっぽんの恩義があったとしてもそれぐらいのことをして頂いても罰はあたりますまい」

「いや、もうしわけないが私どもの身分をすべて明かすことは出来ません、それは御門の治世をとやかく言うようなもの、かつてあった平安京の都を口汚くののしるものと同じことでございます。だから、ある寺のある宗門の話としてお聞きください。見たとおり私たちは仏に仕えております。これは紛れもない事実。この寺では後朱雀天皇の御代から武芸の奥義を探求してまいりました。そして唐国にも匹敵する武の術が確立していました。その技を使えばたとえ百人のもののふを相手にしてもひけをとるものではありません。その技を使い御門をお守りして来たのでございますよ。されど少し変わった事態が起こりました。ある日、わたしたちの寺にある商人の息子が入って来たのが三十年前、まだ小さな子供でしたが、父親が読み書き、数の勘定を習わせたいというので寺で預かったのでございます。寺の若い僧たちがおもしろがって武芸を教えたところ、その進歩は怖ろしく、瞬く間に私たち十傑に入るようになりました。それがその子供が数えで十一になる頃でございました。このまま行けば怖ろしいことになると思った管長はこの子供を寺からもとの家に帰すことにしました。そしてこの子供は商人として武芸とは縁遠い生活を始めたのでございます。わたしどもはこの商人の息子が武芸のことはすべて忘れたとばかり思っていました。しかし、その当時の寺でのこと、習え覚えた技などもを覚えていたに違いありません。寺の宝物の地図を奪われてしまったのです」

「宝物の地図とは」

「それを奪われたらわたしたちの誰もが太刀打ち出来ない武芸の奥義の秘密が隠されているものです。管長が隠しており、どこか遠くに移動するときは肌身離さず持ち歩いているのですが、その子供、いや、そのときから三十年も経っているのですから老年の商人になっております、管長の護衛にいつも五六人の術者を従えているにもかかわらず、その商人に皆殺しにされ、その地図も奪われてしまいました」

この坊主たちがすべて本質的なことを言っているかどうかは怪しいと網野五郎座は思った。大事なことはまだ話していないような気がした。

「その地図とは」

網野五郎座はその僧の背後に控えているような僧兵たちが殺されたのだからその商人は大変な使い手だということは想像出来た。

しかし、たちまちのうちに術者を五六人をうち負かすということと矛盾しはしないだろうか。その商人の息子は武芸の奥義書を必要とするのだろうか、すでにその商人は深奥を極めたと考えた方が当然だろうから。

その一点が疑問である。

「宝物とは一体何でござるかな。今さら技を加える必要もないのでは」

網野五郎座の内心の疑問に答えるように使者の坊主は苦笑いをしながら口元をゆるめた。

「貴殿はわが宗派には縁もゆかりもない人間、武芸者の世界からも枠外のお人、実を申しますと、武道そのものよりも、わが宗派の存続にかかわるゆゆしき事態でござります。宝物とはただの一枚の紙切れでございましてな。しかるに、その紙切れを所有している者はわが宗派の代表だと世間に喧伝することが許されるのでございます。辻に立たれてわが宗派の名を唱えて民草から金子を集めることは必定、わが宗派の名を汚されるはめになりましょう。その前に商人を始末しなければなりません」

この坊主たちは武芸で名高い福王寺の者たちだった。

網野五郎座はのちほどその事実を知った。

確かに江戸時代中期の神官須賀利義積の著した「武芸史或問」にはその商人のことがのっている。

武芸で有名な八幡の福王寺という寺に大黒屋小助という商人の息子がいた。武芸に優れ、寺内の誰もかなわなかった。十五になる前に寺を出る。若狭の国の猟師の妻が死んだとき、武芸の技を使い、妻を蘇生する。

とある。

「武芸史或間」にはその記述がある。そのことを網野五郎座は独自の情報網を使って知った。福王寺の坊主たちの話によると、とにかく大黒屋小助が宗門の認可状を手に入れる前に始末してくれという話だった。

手段はどんな方法を使ってもいいと坊主たちは断言した。

しかし、大黒屋小助はどんな技を使うというのだろう。その方法によってこちらも準備がいる。

とくにいったん死んだ猟師の妻を蘇生させたことが腑に落ちない。

どんな道具を使うべきか。家の中に置かれているいろいろな道具をひとわたり見回した。

死んだ猟師の妻を蘇生させたという事実、これが本来、人を殺すための手段である武道の技とどういうふうにつながっているのだろうか。今までの経験からもそんな武芸者はいなかった。

とにかく相手と面対して倒すことが可能な道具としは柳砲をつかうのが賢明であろうという結論を得た。

柳砲とは面対している相手に対して火薬の力によって数百の鋼鉄の玉をいっぺんに発射する火器である。鎧をとおしても鋼鉄の玉は貫通する。目の前の大きな角度で玉は飛んでいくのでよけようがない。その発射も連続して三度はできる。

攻撃方法のわからない相手に対してはこれが一番安全であろう。

柳砲を使うのは七ヶ月ぶりだ。その使ったのも実は人間相手ではない、若狭の海で得体の知れない海竜が出現して漁師が舟をひっくり返され、命も奪われるというのでその化け物を始末しに行ったのだった。そのときも柳砲はたよりになった。海に向けてその砲をぶちかますと海上に赤い色の液体が浮かんで来たが獲物は浮上して来なかった。紺碧の波間は泡立ちながらゆっくりと蠕動していた。しかし再び海竜は出現することはなかった。海の魔物を征伐するほどの武器なのだからましてや人間相手ならおくれをとることはないだろう。柳砲は部屋の隅で黒光りしながらじっとその出番を待っているように鎮座していた。

 それから四日後に福王寺の使いの者が来た。最初に網野五郎座にすっぽん料理を食わせたのと同じ面子だった。

連中の話によると大黒屋小助は認可状の隠されている霊場に向かっているそうだ。霊場のどこに認可状が埋まっているのかは官長が持っていた地図を参照しなければわからない。そしてその地図は今は大黒屋小助の手に落ちている。

大黒屋小助はその地図を手がかりにして認可状を手に入れるつもりだろう。

そして福王寺の寺の名を語り、世間に自分こそが福王寺を代表するものだと声高に喧伝するに違いない。

これは坊主たちの話しである。

網野五郎座は柳砲と他に二三の武器を入れた袋を背中に背負うと坊主たちと一緒に隠れ家を出た。

網野五郎座は始末を依頼された武芸者については考えないことにしている。どのような面についてかと言えば、その道徳性や社会的側面についてである。もちろんそういう考え方がはっきりとこの時代に現れていたわけではないが紙一重で命の交換を繰り返す武芸者始末人なればこそ、そんな考えに達するのである。果たして自分は正しいことをしているのかという。そのたびに切っ先が鈍ることもあった。だからあえて考えないのである。

もちろん武芸者の武芸そのものについては詳細に深慮をくわえなければならない。そうしなければ自分自身が命を落とすことになる。しかし今、導火線に火がついている状態の爆薬に爆薬自身の来歴などをとやかく語ることは出来ないだろう。それがどんな職人によって作られたか、どんな山の中で作られたか、どんな馬子によって運ばれたか、それらはすべて無意味である。網野五郎座が相手にしなければならない武芸者たちは導火線に火のついた爆薬である。彼らが町にいればまわりの人間たちが殺されていく。ただひたすらに危険な存在なのだ。

そして彼には関係のないことだが為政者にとってはこれほどやっかいな存在はない。安定したまつりごとをおびやかす存在だからだ。

言うなれば農業や牧畜で経済的に成り立っている地域にモンゴル馬に乗った元の軍隊がやってくるに等しい。

だから網野五郎座は依頼された対象である武芸者たちを機能でしか見ていなかった。

しかし、今回の場合、その機能もかなりあいまいである。今回の請負についても相手の武芸者のことも大黒屋小助という子供の頃に福王子で武芸を身につけた商人であるとしかわからなかった。

福王寺の坊主たちもやっきになって大黒屋小助を消したがっている。彼らは紙切れ一枚が小助の手に渡ったら大変なことになると言っている。彼らの言によれば、おそらく宗門の創始者の遺言か何かの紙に違いない。

その紙切れを手に入れれば大黒屋小助は福王寺の正式な継承者と言ってもいい身分になるのだろう。

そんな政治的な意味合いも網野五郎座には関係がなかった。

ここに不思議を集めた「春蝶拾遺集」という仏教説話を集めた資料がある。著したのは江戸時代初期の仁和寺の僧、栄戒である。民衆にわかりやすく仏教の教えを説いたものだが、伝説や口承を宗教的な結論を得るように話の筋を進めてある。その中には若狭の国で仙人からもらった魚を食べたために人魚になった分限者の娘の話が載っているが、そんな話の中に大黒屋小助の話も載っているのだ。

大黒屋小助という商人あり、医道もたしなむ。辻に立って患者を求む。疱瘡、はしか、腹痛、骨折、よろず治す。その方法は明らかならず。民のあいだでは大黒屋聖と呼ぶものもあり。

と記されている。町中で病人を見つけ、どんな病気でも治したようだ。しかし、その治療の現場は周囲を覆った小屋の中でなされたので見せなかったと記されている。そして患者自身も治療がはじまると夢見心地で大黒屋の顔が自分のそばに近付いて来たことしか覚えていないと言っている。このことは「武芸史或間」にいったん死んだ漁師の妻を蘇生させたことと一致している。しかし、その料金をとったのだろうか。大黒屋聖と呼ばれているのだから、たとえ治療費をとったとしてもそんな法外な料金を取ったとは思えない。

しかし、網野五郎座はそんな史実も知らなかった。

網野五郎座たちは馬に乗って、洛北の地へと向かった。僧兵たちが彼を先導した。

彼らの馬が到着した場所はまるで人工のため池のような湖があった。湖は何事もないように平らかである。その背後には小高い丘が続いていて、その丘の表面は黄緑色の縮緬縞の織物のように見えた。僧兵のひとりがここが福王寺の霊場であると言った。

馬を人目のつかない場所につなぐと、一番年上の老僧が言うには、ここから歩いて行かなければならないという。

また彼は馬の手綱を木の杭に結びながら網野五郎座の方を向いて言った。

「大黒屋小助を始末するのは大黒屋が福王寺の書き付けを掘り出してからにしてくれ」

と言った。

網野五郎座がどうしてかと問うと、今後似たようなことが起こるかも知れない、それならいっそうのこと、書き付けは謎の場所に埋めておくようなことはせずに、福王寺の本堂に安置しておくことにしたからだという話だった。

日はまだ高く上がり、霊場への道しるべとなる置き石はほとんど土の中に埋まり、その頭を少し地上に出しているだけだった。

石と石のあいだには古代の剣のような青々とした草が生い茂っている。道のあいだに生えている木の枝のさきから節足動物が細い糸にぶら下がって宙に浮いていた。道を造るために切り崩した崖はその上に草が生い茂り、土が表面に露出して顎の出た異様な男の横顔のようだった。

網野五郎座はこんな場所こそ古代の集落の王が住んでいた場所ではなかったのではないかと思った。道の両側にはところどころ苔むした石仏が立っている。

今、歩いている道の片側が少し、傾斜していて、そのさきの方は木の枝に蔦が幾重にもからんだ藪が生い茂っていて見えないのだが、その隙間からなにやら涼しげな空気が流れてくるようで、耳を澄ますと清流が岩にぶつかって囁くような音がする。どうやらこの近くに渓流があるようだった。渓流の中には水を住処とする生き物が住んでいるに違いない。

現在の状態としては、清流の横をつかずはなれず進んでいるようである。さっきも言ったように耳を澄ますと水が流れる音が聞こえる。

網野五郎座は都大路の喧噪から離れて神韻とした気を吸って深呼吸でもしたような気持ちだったが、僧兵たちはずんずんと進んで行く。 やがて道は奇妙な輪のかたちをした門にたどりついた。その門をくぐり抜けるとき僧兵のひとりが網野五郎座のほうを振り向いて言った。

「ここから霊場でござる」

今までゆっくりとした上り道だったのが今度は下り道になった。それも左の方に蛇行している。先に進むにつれて沢の音が大きくなる。杉木立のあいだからその音が漏れ聞こえる。道がゆっくりと蛇行しているのでどちらが北でどちらが西なのかさっぱりとわからなくなった。そのうちに道の両側に熊笹が生い茂っている場所に出て、明らかに人の手が加えられたように竹林になっている場所に来出た、一段低いところに藁葺きの屋根が見えた。しかし、変わっているのはその屋根の上に多数の黒い影が点在していることである。

ゆるやかに曲がって、その藁葺き屋根の家の前に来ると髪を後ろで束ねた白髪の薄気味悪い老婆がにたにたして出迎えた。

老婆はくすんだ色のうぐいす色の着物を着ている。

「ねね殿、大黒屋小助は来たか」

「うんにゃ、まだじゃ」

老婆だったが、彼女もまた、福王寺の流れをくむ武道の達人らしかった。

「こちらが、武芸者始末人、網野五郎座殿だ」

「屋根の上の鴉たちは」

「うんにゃ、あれは鴉ではないぞえ、山鴉じゃ」

そう言えばふつうの鴉に比べると小さいように見える。

藁葺き屋根の上を真っ黒にしてこちらを見ている山鴉の姿は不気味だった。人の心を見透かすような黒光りした目玉がいっせいにこちらを向いている。そして鳥類特有の首をぐるぐると動かす動作を繰り返している。まるで首に関節がないようにだ。

気味の悪い婆が指を立てると、鈍く低い羽音をたてていっせいに山鴉たちは飛び立った。この家の前は庭になっていたがその真上を黒く染めて庭が一瞬暗くなった。

そして山鴉たちは三重の輪の形で飛んだり、全くの乱雑な体勢をとって羽をばだばたさせたりした。

ばさばさという羽音が夏の夕立のように網野五郎座の上に降り注いだ。

鴉の不気味なところはその色と身体のわりに大きな頭部、さらに輪をかけて大きな嘴、それに付け加えると無表情な目かも知れない。それらの禽獣が婆の指一つで動いていた。

「山鴉がいつもここを見張っている。大黒屋小助が来てもたちまちわかるぞえ。くははははは」

老婆は不気味に笑った。

「この山鴉たちがいれば百人力じゃ」

「まことにな、今までもこの霊場に紛れ込んで、山鴉の餌食になったものがいくらでもいるのじゃろうな、ねね殿」

坊主の頭が調子を合わせると老婆はかかと笑った。

かけている歯をあらわにしてまことに無気味な笑いだった。

鴉たちの無気味さにもかかわらず渓流から発生する清冷とした気がこの一郭を覆っている。

この庭の回りを囲っている竹林も外の熱をおさえて、涼やかな風だけをここに送っている。

婆は藁葺き屋根のこの小屋の縁先に座り、網野五郎座たちは庭先に置かれた床机に座っていたが、婆は立ち上がると庭のすぐ先を流れている小川の方へ降りて行った。この庭先から小川の方に降りて行ける石段があって、婆はひょこひょこと昔話の翁のように川へ洗濯へ行くみたいにして降りて行った。そしてすぐに庭に戻って来たときには片手に縄で縛られた瀬戸物の器をいくつも持っている。

縄からは渓流の冷水がしたたり落ちていた。

網野五郎座が婆の持っている瀬戸物が何だろうかと思って見ていたが坊主たちはそれが何であるか知っているらしかった。

「婆、すまんな」

「いんや、わしも食おうと思っていたところじゃ」

婆は瀬戸物の口のところに結びつけられている縄をほどくと竹で出来た小さなしゃもじのようなものを奥の方から出して来て網野五郎座の方に差し出した。

「これは」

網野五郎座がしゃもじを片手にその容器の中をのぞき込むと瀬戸物の瓶の中には透明な黒蜜の中に葛を固めたものが浮いている。

網野五郎座は竹の箸でそれをつまむと口の中に入れた。

「これは、うまい。これは黒蜜ではございませんか。しじゅう、こんなものを食べていられるのかな」

網野五郎座は器から顔を上げると婆の顔を見上げた。

黒蜜は大変に高価なものである。

「うんにゃ」

網野五郎座にはこの寺がこのことからも大変な財力を持っていることは想像出来た。

しかし、これが通常の手段によって得た財産かどうかということははなはだ疑問である。

実はこの時代に日本に来た宣教師がイエズス会の本部に戻ってから

福王寺と大黒屋小助について報告しているのである。

宣教師は福王寺については否定的であり、大黒屋小助については好意的に報告している。日本の宗教家は遠い古代の時代から中国から伝わった仏教を国教としている。国の統治のために全国に寺院が建てられた。寺は統治の仕事の一部の役割も負っている。歴史的にも美しい宗教施設が多く建てられていたり、美しい信仰の対象、仏像が制作されている。

この国の宗教は偶像崇拝である。これらの施設はときの為政者、貴族の援助をもとに建てられている。これらの施設で働く宗教家たちは民衆の方に目を向けていない。主に貴族の病気などのときに加持祈祷を執り行う。そして季節行事の一部も担っている。

それも貴族の生活の彩りをそなえるために行われていたり、ときには政敵を呪い殺すために宗教上の秘儀がとりおこなわれる。

わたしははなはだ変わった寺院について見聞した。福王寺という京都北洛に位置する寺であるが、幻術の研究に夜も日も上げず費やしている。そのためにときの貴族から有力な援助を受けている。貴族たちはこの寺に加持祈祷を依頼することが多い。それも表だっては言えない理由からである。

ここに町民でありながらこの寺で子供時代を過ごした大黒屋小助という商人がいる。彼もまた祈祷、呪術の業にたけていたが、京の町でたびたび不思議を起こす。病人を無料で呪術を使い、治すので、大黒屋の聖と呼ばれる。もっとも彼らの宗教活動は神の業にあらず、原始的宗教と呼ばざるを得ない。大黒屋小助と福王寺のあいだにはしばしば宗教的対立があった。しかし民草は大黒屋小助の方を支持していた。

とある。

この宣教師の目には武術のことは理解出来なかったようだ。そして大黒屋小助の方を支持している。

またこの宣教師の記録はポルトガルにある。

それによれば少年時代に仲間たちと海に漁に行って嵐に遭い、奇跡的に助かったときに宗教的啓示を受け、宣教活動に入ったと伝えられている。

純粋な宗教的動機から日本に来たこの男にとっては民衆から大黒屋の聖と呼ばれているこの商人の方が貴族たちの依頼を受けて加持祈祷を行っている福王寺の坊主たちよりも支持する理由があったのだろうか。

その一方でこの宣教師の違う記録も残っている。

つづれ峠の記という醍醐寺を放逐されて隠者のような生活をしていた吉野益積の書いた随筆によれば、京の町で疱瘡が流行って女がこの宣教師に現世的な利益があるなら、この疱瘡を治してくれと言ったとき、たまたまそばにいた福王寺の坊主の一人が呪術を使って女の頬についていた疱瘡のあとを跡形もなく治したので、宣教師はこれはまやかしの技にほかならないと騒ぎ立てたと書かれている。

実際、宣教師と福王寺の坊主のあいだにはしばしば布教活動で対立があったようである。

しかし、網野五郎座にとって大黒屋小助が誰に支持されていようが大きな問題ではない。大黒屋小助がどんな武術の技を使うかが問題なのである。そのために網野五郎座は柳砲などと言うはなはだ無粋な武器を持って来たのだった。

それでも安心出来なかった。とにかく大黒屋小助の手の内を知りたいと思った。

「あらためてお聞きしますが、大黒屋小助はどんな武術を使うのですか」

その問いについても坊主たちの話しははなはだあいまいだった。大黒屋が福王寺の当主を殺した状況もまったくわからないらしかった。

「大黒屋は年端もいかない子供の頃に十傑に入った男、福王寺に伝わる秘技を使ったとしか思えませんな」

その秘技とは果たして何であるのか。それこそが網野五郎座が知りたいことである。

そのとき、藁葺き屋根の上空で例の鴉が一匹旋回している。

ねね殿と呼ばれる婆が空を見上げた。

婆は坊主たちの方を見るとにやりとした。

「大黒屋が現れたぞえな」

なぜだかそのとき網野五郎座の頭の中には惨殺された福王寺の当主たちのむごたらしい死体の図が頭に浮かんだ。

「大黒屋がどこにいるのか、わかるか。ねね殿」

坊主の長がそう言うと、ねね殿は耳の後ろを片手で覆って何者かの声を聞くかのようなふりをしていたが、ふたたび、彼らの方へ気味悪く微笑んだ。

「宝物の頂きへいたるけもの道の途中だ」

網野五郎座にはある企みがあった。それを試すにはちょうど良い状況である。なにしろその武術も大黒屋の姿もまだ見たことがないのである。

「大黒屋小助の姿をこちらの姿を知られずに盗み見る方法はありますか」

「この霊場のどこからどこまでもすみずみにわたるまでわしは知り尽くしている。けもの道もすべてじゃ。山鴉たちがわしに教えおったその場所のこともわしは知っておる。大黒屋小助に知られず、あやつの姿を盗み見ることの出来る場所をわしは知っておる。けけけけけけ」

婆はまた気味悪く笑った。

「それは好都合。それで婆殿に頼みたいことがある。いまだ大黒屋小助の手の内をわしは知りません。どんな武術を使うのかもわかりません。そこでじゃ、頼み事というのは婆の手下の山鴉を使って大黒屋小助を襲ってもらいたのじゃ、さすれば大黒屋がどういう武術を使うのかわかります。わしの持って来た武器で事足りるのかどうかもわかります」

網野五郎座ははなはだ不安だった。たしかに柳砲はかなりの武器である。目の前にいるのが人間ならばたとえ彼が武芸者だとしても、そして、鎧に身を固めていたとしてもひとたまりもないだろう。

しかし、大黒屋小助は未知の相手である。そもそも大黒屋が武芸者としてのくくりでとらえられるのかも疑わしい。

ここで山鴉に大黒屋を襲わせるのは多いに意味がある。少なくとも彼の術は赤日のもとにさらされるのである。

網野五郎座はねね殿がなんと答えるか、その口元を見つめた。

「へへへへへ、いいじゃろう。山鴉に一働きしてもらうことにしようじゃえ、ただし、間違って大黒屋を殺してしまって、わしの仕事がなくなったと騒ぎ立ててもあとの祭りじゃぞ、くけけけけけけけけ」

老婆はまた気味悪く笑った。

しかし同行している坊主たちはそんなことはあるまいという顔をしていたが何も言わなかった。

「こっちに来るのじゃ、大黒屋の姿を覗き見させてやる」

人工的に作られた竹林のあいだをすり抜けるとふたたび渓流沿いの道に出た。左手には川が流れている。水の浸食作用で土手は削られて弧の字になっている。それでも崖が崩れないのは土手、いや崖の上の方に生えている植物たちが根を張っていにるからだろう。網野五郎座が歩いている足下には浦島の釣り竿という植物が生えていた。そのまむしの腹にも似た縞模様の花からたれている雌しべの一部の器官が変異したものは気味が悪かった。寝ているときに巨大な毒蛾が顔に張り付いたようである。この道はだいたいの感じとして霊場を右回りに回っているようだった。大きな立木の下には落ち葉が一面を敷き詰めているのだろうが雑草がむせるように茂っていて地面までは見えなかった。右手の方に立ち木のあいだの空いている場所があり、その小道は昼間なのに夕暮れのように暗かったが霊場を預かる婆はずんずんと進んで行った。坊主たちも網野五郎座もそのあとを黙ってついて行くしかなかった。鬱蒼とした山の中の小道にはひんやりとした風となま暖かい風が交互やって来た。やがて樹陰の間を抜けると眺望はいっぺんに開けた。どうやら小山の側面に網野五郎座たちは立っているようだった。

「あそこじゃ」

妖怪じみた婆が指さす方を見ると人影がぽつんと点として見えた。網野五郎座には点としか見えないが武術家である婆や坊主たちには原寸大とし見えるのだろう。

「大黒屋小助じゃ」

婆はさも無関心でもあるかのようにつぶやいた。

大黒屋小助は山道を登っていた。片側には渓流の流れが見える。

大黒屋小助は網野五郎座が歩いている山よりも一段低い山の麓を歩いている。その山の頂上あたりのどこかに福王寺の認可状が隠されているに違いない。大黒屋小助がその山の麓を歩いているのだから、そうであるに違いない。

その小山は四方をそれより高い山の頂に囲まれている。

その小山を四方の山が守っているように見えないこともない。

しかし、肝心の大黒屋小助の姿はその顔形どころか、胴体の方もはっきりとは網野五郎座にはわからなかった。

網野五郎座はねね殿や坊主たちのように武術の達人だというわけではなかったからだ。

婆や坊主たちには大黒屋小助の目鼻形もはっきりとみえるのだろう。小助が山道を歩いている姿を凝視している。

網野五郎座は背中に背負った武器袋の中をごそごそと探った。

そして中から二つ目の遠めがねを取りだした。

これは京の都にはない。ポルトガル人が片眼の遠めがねを持っているのを工夫して作ったのである。単眼のものよりも暗い場所でも明るく見える。

ガラス玉の中から大黒屋小助が現れた。

その姿は隠居するか、しないかの平凡な老年の商人だった。小太りで中背の萌葱色の着物を着ている。帯のあいだに懐剣を挟んでいる。山道が太った身体には辛いのか、さかんに首のあたりの汗を拭いている。顔は縦よりも横に広がっていて赤ん坊のように血色の良い顔にたれた目と意外と上品な唇がついている。耳は福耳である。

「あれが大黒屋小助でござるか」

「どうやら、認可状の埋まっている場所を見つけたようでござるな。あの男が認可状を手に入れたら大変なことになるわ」

つれの坊主たちも憎悪のこもった目で大黒屋小助を見ている。

網野五郎座は双眼の遠めがねから目を離すとそんな坊主たちの姿がすぐ横に見えた。

そしてまた網野五郎座は大黒屋小助の姿を双眼を通して見つめた。この男が子供の頃にすでに福王寺の十傑と呼ばれた男なのかと言うのが素直な印象である。小聡い商人にしか見えない。

双眼を上の方に戻すと黒い影、婆のしもべである山鴉が宙を漂っている。

そして鴉たちは大黒屋小助のそばに舞い降りた。

大黒屋小助はその悪魔の使いたちにも気がついていないようだった。

「大黒屋小助の正体を暴いてやるわ」

婆はそう言うと頭上に手をかざした。

大黒屋小助は目の前の古木の枝に多数の鴉たちがとまって、こちらを見ているので気味が悪かった。どうやらさっきから自分の頭上を飛んでいた鴉たちではないのかと思った。

しかし、その鴉たちと自分のあいだに何の因果関係も見つけられなかった。自然の摂理にしたがっている鴉たちがどうして自分のそばを飛んでいるのだろう。

そして今は自分の行き先をさまたげるように目の前の巨木の枝すべてにまるでそこが彼らの寝場所でもあるかのように羽を収めてじっとこちらを見ているのだった。

黒い不吉な鳥たちすべての目がこちらをじっと見ている。なぜだろう。大黒屋小助は自分が福王寺の認可状を掘り出しに行くことと関連をつけてみた。この薄気味悪い鳥たちが自分にこの山の神体の代わりとして警告を与えているのだろうか。大黒屋小助は顎の下あたりを流れ落ちる汗をふたたび拭った。

大黒屋小助は歩みを止めた。

鴉たちは一斉に羽を羽ばたかせた。


「大黒屋の奴、逃げまどっておるわ、くっははははは」

婆は大口を開けて笑っている。

坊主たちたはその様子を無言の行でじっと見つめていた。

網野五郎座もその様子を双眼のガラス玉を通して見つめた。

一体、どうしたことだろう。坊主たちの手ほどきもほとんど受けずに福王寺の十傑に入ったという武術の達人が。

今は為す術もなく、鴉たちに追い回されている。

大黒屋小助は頭をかかえて鴉たちに本当に追い回されているのだ。邪悪な狩人たちはこの堺商人を追い回している。

商人は帯に挟んでいる懐剣も取り出すことはしなかった。

鴉たちの攻撃に耐えかねて大黒屋は渓流の方へ渓流の方へと転び、追われつし、ほうぼうの態で逃げて行く。

「大黒屋の正体、わかったぞえ」

婆がそう言うと僧たちは無言だったが同意せざるを得なかった。

婆が指を動かすと鴉たちは一斉に飛び立ち大黒屋のもとを去った。双眼に映った大黒屋の姿は安堵しているようだった。

渓流まで来た大黒屋は諸肌を脱いで鴉に襲われて嘴でつつかれたあとを手ぬぐいを出して拭っている。まるで女のようなもち肌の上についた痣を手ぬぐいでさかんに拭いている。

網野五郎座には「やれ、やれ、助かった。難儀した」と安堵の声を出している大黒屋小助の声が聞こえるような気がした。

しかし、武術の奥義を究めた大黒屋小助のあれが本当の姿なのだろうか。屈強の警護の者たちを付き従えた福王寺の貫首が惨殺されている。それも一人残らずである。だから大黒屋の手の内もわからなかったのだ。だが、大黒屋が手を下したことは確かである。しかし、どんな武術を使ったかはわからないが今はただ逃げ回っているだけである。手の技なのだろうか。足技、いやそれとも隠し持った飛び道具、しかし、この場で懐剣すら使わなかったのは何故なのだろうか。

「大黒屋小助の手の内、わかりましたかな」

「だいたいは、私の持っている得物で始末することが出来ますでしょう」

しかし、なぜなのだろう。何故、懐剣すらも使わなかったのだろう網野五郎座には疑問が残った。

網野五郎座はここに来るまでに大黒屋小助の武術よりもさらに自分の心の壁の内側を刺激してくる問題があった。

ここに来る前に伝え聞いたことだった。

大黒屋小助が病人やけが人を多く助けているらしいという噂である。それは本当なのだろうか。

「武芸史或間」や「春蝶拾遺集」にはその辺の事情が確かに記述されている。

自分は大黒屋の聖と呼ばれる人物を始末することになるかも知れないのだ。

宗門内部の話しは詳しいことはわからない。

福王寺が貴族に近い立場にあることには違いない。

そうでなければギヤマンの器に注がれた葡萄酒などというものを自分に振る舞うわけがないだろう。

大黒屋小助は果たして武芸者と呼べるのだろうか。

むしろ彼の男は医術の道にたけた男と呼ぶべきではないだろうか。

もし、彼の男がこのさき生きていれば多くの病人やけが人、それも金がなくてそういった手当を受けることが出来ない民衆たちが多く恩恵を受けることになるかも知れない。

そもそも大黒屋小助は何故、福王寺の認可状を必要とするのだろうか。そのことも疑問だった。福王寺の認可状というものは福王寺の権利権限の一切を委譲されるというものなのか。つまり大黒屋小助は福王寺の坊主のような生活を望んでいるということか。

そのとき僧の長が言った。

「大黒屋小助を始末するのは彼の男が認可状を掘り出してからという約束、お忘れくださるな。今回のことがないようにわが宗門で認可状を保管することに決めましたのでな」

川の端でのんきな百姓のように手ぬぐいで身体を拭いていた大黒屋小助は一段落が済むと着物に袖を通して腰に下げた竹筒の水を一飲みすると山の頂上の方に目をやった。

すると色がつくか、つかないような紫色の霧のような流れが、数え切れないような無数の蛇のように山の麓の方にうねりだし、まるでその流れは多重紋のように折り重なった。その生き物のような気体は大黒屋小助のまわりをうねり歩いているようだった。それは彼に付き従っているのか、それとも称えているのか。空には清水の中に墨を流したような暗雲が男の横わけした前髪のように右斜め上からその逆の方向に流れ、雲に隠されていない空の部分はそれほど明るいわけでもないのに雲に隠されている部分がやけに暗いので、その効果で障子紙の後ろから電灯を照らしたように明るくなっていた。まるでこの世界が水を張った巨大な水槽で天上の巨人が墨を流したようである。その背景の中に大黒屋小助が登ろうとしている山がある。

その様子を網野五郎座は双眼の遠めがねで眺めていた。

大黒屋小助は懐の中から坊主から奪い取った寺宝の地図を取りだしてその山を眺めている。

この天候の変化に疑問を抱いた網野五郎座は隣の福王寺の坊主たちを横目で見ると婆は彼が聞きたいことを理解したのか

「山ではこんなことはよくあることじゃ。山の雲は、山の霧は生き物じゃ、奴らは好き放題に山の中を自由に動き回るのじゃ。そして人間に対していたずらをする。そのいたずらで人間は命を落としてしまうのじゃ。しかしな、雲も霧も婆の知り合いじゃて、くははははは」

と言った。大黒屋が動き出したので坊主たちも移動を始めた。大黒屋の方は少しも彼らの存在に気づいていないようだった。

網野五郎座は歩きながらある寺の寺宝というものが馬のかたちをした青銅の一枚の飾り細工だということを聞いたことがあるのを思い出した。それは自分の鎖蜘蛛の網という鋼鉄製の武芸者を威嚇するための武器を共同で作った鍛冶屋から聞いた話である。福王寺の仏具を修理に行った鍛冶屋が坊主にその仏具の細工の素晴らしさを誉めると坊主はこの寺の寺宝はこんなものではない、馬の形をした青銅の細工でな、それは一度だけ見たことがあるが素晴らしいものだと言ったという話しをたたらのふいごを吹きながら語ったのだ。それが福王寺の認可状だということではない。あくまでも自分は知らないが由緒ある福王寺の寺宝だということだ。そのときは福王寺と関わるとも思わなかったので、それが何故、寺宝なのかは網野五郎座は知らなかったし、興味もなかった。

「大黒屋は馬に乗れるのじゃろうか」

坊主の中のひとりが言うと坊主の長は余計な事を言うというような表情をして舌打ちをした。

そう言えばここに来るあいだも福王寺の坊主たちが馬を自由に扱っていることが不思議だった。

どこででも馬を調達出来るようだった。馬が疲れるとすぐ代わりの馬を用意出来た。

さきに述べた宣教師のことを調べているポルトガル人がいて福王寺のことも詳細に調べている。福王寺が京の御所からいろいろな厚遇を受けていることがわかっている。

その中でも特に優遇されている部分は馬を自由に調達出来たことだろうというのだ。この時代にもっとも有効な交通手段と言えば馬である。しかし、馬は当然、生き物なのでどこまでも走っていけるというわけではない。そこで替えの馬がいる。その替えの馬をどこでも調達出来る権利を福王寺は朝廷から授かっていたというのだ。その時代にはこの権利は最大の厚遇と言わざるをえない。この時代には遠い場所の移動がほとんど不可能だったが福王寺はこの特権を手に入れていただろうというのだ。そして認可状というのはこの権利を与えるものでそれが青銅の馬の細工だったというのだ。

このポルトガル人の日記の欠落した部分を発見した現代のポルトガル人は日記の欠落した部分から青銅の馬のレリーフのことが書いてあり、その馬の意味を知りたがった。宮中行事で比叡山のわき水を一晩馬を走らせて取りに行くという催しが三年に一度開かれる。たまたま日本に来ていたポルトガル人はその行事にたまたま出くわした。そのとき使者が神社の宮司に馬のレリーフを見せると馬を与えられるという場面を見た。昔からこの行事を見物している人間なら見慣れた風景に違いないのだが、彼はその場面を見て疑問が氷解した。そもそも朝廷の施設につながれている馬を自由に使えるという許可証のようなものだということがわかった。その現代のポルトガル人と網野五郎座は同じことを知っている。

すると埋まっている認可状の中には青銅の馬の細工も入っているかも知れない。大黒屋小助はそれも欲しがっているということか。

目の前を見ると山道を登って行く坊主たちの背中が見える。

彼らは気がせくのか網野五郎座のことも関心がなく、認可状と大黒屋小助のことで頭の中が一杯になっているようだった。

「大黒屋小助は何を欲しがっているかわかるか、けけけけけけけけけけ」

すぐ横を歩いている気味の悪い婆が網野五郎座に話しかけた。

「光撞たち、やっきになっておるわ。認可状を取られたら大変なことになるからな、くけけけけ」

前の方を歩いている坊主たちは後ろを振り返ることもなかった。

「この霊場に埋まっているのは、本当に福王寺の認可状なのか」

「わしは知らん。認可状が埋まっているのか、奥義書が埋まっているのか、福王寺がどうなろうとこの婆は知らん、そのときはもうわしはこの世にはいないわ。それよりも大黒屋小助が何を欲しがっているか、わかるかな」

「そう聞くなら婆は大黒屋が何を狙っているのか、わかるのか」

網野五郎座は前を歩いている坊主に聞かれないように小声でたずねた。婆は坊主たちに話しを聞かれないという状況では微妙に今までとは違っていた。

「わしは福王寺の世話になっておるが本当はどちらでもいいのじゃ、福王寺でも、大黒屋でも」

「それはどういう意味だ」

「お前は福王寺に雇われているが福王寺が本当に仏の功徳を施していると思っているのか」

「福王寺が幻術、呪術の研究に世も日も開けぬという噂は聞いたことがある。しかし、そんなことは拙者にとってはどうでも良いことだ。謝礼さえ貰えればな。拙者はそれを商売にしている」

「へへへへ、それなら大黒屋を討てば、そちは地獄に堕ちようぞ。大黒屋を討てればのことじゃがな」

「婆は福王寺の世話になっていながら大黒屋の肩を持つではないか」

「わしがこんな役をしていなければ大黒屋の肩を持とうぞ。大黒屋は城下でなんと呼ばれているか知っておるか。大黒屋の聖と呼ばれておるのじゃぞ」

「大黒屋が何と呼ばれておろうが、拙者には関係ないわ。確かに大黒屋が金のない病人の病気をただで治しているという噂は聞いたことがあるが」

網野五郎座は歩きながら婆の顔を見た。

「大黒屋は福王寺の後がまに座ろうとしているわけではないからな。大黒屋が欲しがっているのは認可状ではない。大黒屋が何を欲しがっているかわかるか、大黒屋は駅伝の許可状が欲しいのじゃ。大黒屋はたくさんの病人を治してきた。朝廷の許可を得て自由に馬を使ってどこにでも行けるようになれば京の都に来られない病人も治すことが出来るようになるからな。そこに大黒屋の企みがある」

「婆、罪じゃぞ。わしの打ち出すからくりの技もにぶろうというもの、そんな内実を耳打ちされればな、何で婆は大黒屋の肩を持つのじゃ」

「へへへへ、わしはこんな妖怪みたいな婆じゃが、可愛い孫娘がおってな」

ふたりが何を会話しているのかも知らず一心にずんずんとさきをさきをと急いでいた福王寺の坊主たちが突然振り返った。

「おい、大黒屋が現れましたぞ」

前を歩いている坊主たちが振り返って網野五郎座の方を見た。網野五郎座たちも頂上が平らになっている霊山の頂に達していた。

大黒屋小助はもちろん頂上にすでに来ていた。霊場は内裏ほどの大きさがあり、土地を平らにされたらしくほぼ平らである。うち捨てられた巨岩がごろごろと転がっている。霊場の中央には日時計のような花崗岩を細工したものが設置してあり、霊場の四隅には同じようなかたちをした大きさを小さくしたようなそれが置かれている。その周囲は崖になっていて木や草が茂っている。カルデラのような形をしていて周辺が盛り上がっているというわけだ。網野五郎座たちは洗面器のへりのようなところで草木に隠れながら、洗面器の中にいる大黒屋小助を見ているということだった。洗面器の中にも草木が覆っていたが庭のようにそこには人の手が入ったことは明らかだった。人が歩きやすいように所々に花崗岩の敷石がとびとびに置かれている。何かの区画を示しているように人の肩くらいの土壁が半ば朽ちたままでところどころに建っている。

大黒屋小助は紙を取り出すといろいろな地点を示し合わせている。

「大黒屋はわれわれに気づいておりませんな」

坊主のひとりが言った。

大黒屋小助の横には土を掘るための鋤が置いてある。

「この場所のどこかに福王寺の寺宝が埋められているというわけですが」

坊主たちはやはり大黒屋小助が灌漑奉行のように貫首から奪い取った地図と霊場を見比べているのをいらいらしながら見ていた。

大黒屋小助が目的の一点を発見出来ていないことは明らかだった。網野五郎座が双眼の遠めがねを通して見られる大黒屋小助の表情には明らかに戸惑っている様子がはっきりとあらわれていた。

「どうも、まだ、埋めた場所を特定出来ないようでござるな」

「くれぐれも寺宝を掘り出してから大黒屋を始末して頂きたい。寺宝のありかがわからなくなったら元も子もなくなってしまいます」

「それにしても地図を持ちながらまだ隠し場所を特定出来ないのでござろうか」

そのとき紫色の霧が晴れてついさっきまでは日が頭上高く、彼らに日の光を降り注いでいたが、ふたたび怪しい雲行きになってきた。

巨大な雨雲が西の方からそっくりそのままかたちを変えずに巨大な船団よろしくのっそりと移動して来たのである。その船団も微妙なかたちを複雑に組み合わせて雲の小さなふくらみのひとつひとつが巨大戦艦の砲身のようだった。雨雲の中には雷が多数に隠れていた。ちょうど黒雲群が頭上に来たとき、自然の微妙な均衡が破れて、一瞬光の導線が天と地を結び、それを合図にしたように黒雲の中から地上に向けて雷雨が降り注いだ。あまりの短時間の変化のために大黒屋はその場を動くことも出来なかった。雨は大黒屋を頭のてっぺんからずぶぬれにした。大黒屋の着ている着物は黒っぽい色に変わって、袖口から水が滴り落ちた。そして大黒屋の持っている地図も濡らした。しかしその雨もものの五分と経たないうちに嘘のように雲が行き過ぎ、雨もやんだ。

すると明らかに大黒屋の表情に変化がもたらされた。

まだずぶぬれになったままで大黒屋は立っている場所と奇妙なかたちをした五本の日時計をしきりに見つめている。

「水に濡れて地図に何かが浮かび上がったのではござらぬか」

「たぶん、そうでしょう」

「寺宝の埋めた場所が見つかったか、くへへへへへへへ」

鍬を持った大黒屋小助は中央の日時計から東の日時計に向かって歩き出した。そして歩数を数えて、今度は南と西の日時計のちょうど真ん中の方向に向けて歩数を数えて歩いた。

そんな作業を何度か繰り返してついに大黒屋小助は目的の一点を見つけたらしい。その場所には合図になる何かが埋め込まれているようだった。鋤を手にとるとその場所を掘り出した。

「ついに見つけたようですな」

その言葉を聞くまでもなく網野五郎座は背中におった袋の中をごそごそと探り出した。

まず柳砲をとりだし、その銃口の手入れを始めた。柳砲は真四角な木の台の前方に三つの朝顔型の鉄の筒が平行についている、そこから三回にわけて数え切れない鋼鉄の玉が三回発射される。木の台の後ろには二つの肩当てが伸びていてそれを持ったとき、両肩に支持するようになっている。前の方の三連の鉄の筒には横に串刺しにしたように鉄の棒が通っていて両手でその棒を握るようになっている。鉄の棒のさきには弾を発射するための引き金がついている。

網野五郎座は柳砲を両手で持つと肩に当て何も知らずに鋤を動かしている大黒屋小助の方に向けた。

しかし、ここで引き金を撃つわけではない。柳砲はかなり近い距離でなければ敵に命中しないのだ。

「これだけでは役に立ちませぬよ」

福王寺の坊主たちがここで引き金を発射するのではと危惧しているのを網野五郎座は否定した。

「まだ、てずまの種を持っているのでござりましてな」

ふたたび網野五郎座は地べたにおろしている袋の中をごそごそといじっていたが、中から幾十にも折れ曲がっている棒に黒い布がからみついているわけのわからないものを取り出したが、福王寺の坊主たちはそれが何だか想像もつかなかったのでただ目を見張って見ているだけだった。

「てずまの種とは自分でもうまい言い方だと思いますな」

網野五郎座はそれの複雑にからんでいる紐をほどくと今度はその紐を引っ張った。すると折れ曲がっていた棒がところどころ一直線につながって巨大な、人の身長の三倍ほどあるとんび凧のようなものが出現した。

「それは」

「私が寝ているとき蝙蝠の化身が夢の中に現れましてな、教えてくれたのでございますよ。これを背に負うと空を飛ぶことが出来ます。いや飛ぶというのはあまりにもだいそれた言いようか、空を滑るように地に降りて行けるのでござる、ちょうどこの場所は大黒屋が穴を掘っているところよりもちょうど良いくらいに高い、飛び栗鼠のように一瞬にして大黒屋のところに行けます。そして拙者がこれを背負って飛ぶにあたってこの柳砲もかまえております、大黒屋の頭上へ行ったとき、ずどんと一発」

網野五郎座は柳砲を構えた。

福王寺の坊主たちは網野五郎座の作戦を了解した。

「大黒屋が福王寺の寺宝を掘り出したら寸発を入れず手前どもが合図を出しますから、柳砲をずどんと一発するのはどうでしょうか。わたし達は大黒屋のそばまで知られないように近付いて行きます。福王寺の武術の技を使えばそれも容易なこと」

「では、そうして頂けますか。あなた方の合図にしたがって拙者はここを飛び立ちます」

福王寺の坊主たちは目で合図をすると崖から下へ音も立てずに降りて行った。

網野五郎座は背中に巨大な凧を背負い、それを身体に固定した。

結局のところ大黒屋小助がどんな方法を使い、福王寺の貫首たちを惨殺したのかはわからなかったが、この請負が成功することを網野五郎座は確信していた。大黒屋小助がいかに武術の達人であろうともうすぐ血の海に横たわることは間違いない。

大黒屋小助の武術の秘技についても、大黒屋小助の求めていることについても網野五郎座の頭の中からは失念していた。

今は背中に背負った飛び栗鼠をうまく操って大黒屋の至近距離に近づくことだけである。

「大黒屋小助、大黒屋の聖だとまで言われた男、その手の内、まだ知らぬうちに飛び栗鼠を使うのか、まして、大黒屋の欲するところも知らぬのにな」

網野五郎座は背中に背負った飛び栗鼠を調整しながら婆を横目で見た。

「婆、お主はどちらの味方なのじゃ。婆も見たであろう。山鴉に為す術もなかった大黒屋の姿を、大黒屋は所詮、堺の商人なのじゃ、まして大黒屋が福王寺の寺宝を掘り出して何をしようと企んでおっても拙者の知らぬことじゃ」

「婆にはこう見えても器量よしの孫がおってな」

「一度、その器量よしの孫娘に会って見たいものよ」

網野五郎座は穴を掘っている大黒屋の方を双眼の遠眼鏡を使って覗くとまだ一心に鋤を動かしている。堺の商人には重労働すぎるのか、すぐに手を休めて手ぬぐいで汗を拭っている。

遠眼鏡の向いている位置を少しずらすと草むらに福王寺の坊主たちが身をひそめている。人としての気を消して物と同化しているので腕の届くくらいの距離まで来なければ坊主たちの存在も気がつかぬはずである。実際、大黒屋は気がついていなかった。

大黒屋は鋤を動かしていたがその手が止まった。

鋤のさきに何かが当たったらしい。

今度は鋤を振り下ろしている手を止めて、鋤の先を横にして、振り下ろすのではなく、なぞるようにして土を掘り出した。そして木製の棺のふたが出現すると、鋤を放り投げて、蓋の上に上がって両手で土を払いのけた。

棺の蓋の端の方が一部開いているようだった。

大黒屋小助は狂喜して蓋の透き間に指をかける。

草むらに隠れていた福王寺の坊主たちが崖の上の網野五郎座の方を向いて合図をした。

双眼の遠眼鏡の鏡玉の中いっぱいに福王寺の坊主たちの顔が並んだ。

崖の端に巨大な鳥が立った。鳥は胸のところに黒光りした鉄の武器を抱いている。

「五郎座、後悔するなよ」

「婆、へらず口をたたくな」

網野五郎座の身体はその瞬間、宙を飛んでいた。重力の桎梏から解放されてするすると彼の身体は水平に滑空していく、大黒屋は振り返った。

あっという間に視界の中の大黒屋小助の顔は巨大化した。

「今だ」

網野五郎座は柳砲の引き金を握った。

そのときである。

振り向いた大黒屋小助の口が開かれると、

大黒屋小助は叫んだ。

「殺」

という言葉が発せられ、その「殺」は巨大化して網野五郎座の方に向かって飛んでくる。「殺」という文字のまわりには渦巻き状の灰色の地獄の雲のようなものがつきしたがっていて、それは人魂の炎のようだった。五郎座が柳砲の引き金を引いたのと同時の出来事だった。

柳砲の砲身から無数の鋼鉄の玉が大黒屋めざして向かった。

両者が放った「殺」と鋼鉄の玉は空中で衝突して、「殺」のほうは軌道をそれて五郎座の身体のそばを通り、飛び栗鼠の羽に大きな穴を開け、はるか向こうに飛んで行った。羽根を失った五郎座の身体は地上に落下した。五郎座はしたたかに、腰を打った。

それはまばたきするぐらいの出来事だった。

土の上に転がった五郎座はもう一度、大黒屋の「殺」を身に受けたら身体は粉々になるに違いないと思ったが身体の感覚もなく、立ち上がることも出来なかった。

「大黒屋~~~~」

叫ぶ声が聞こえた。

福王寺の坊主たちが寺宝の穴の場所にいた。

大黒屋小助は坊主たちの方を振り返るとまた口を開いた。

すると巨大なエネルギーのかたまりが大黒屋小助の口から発射された。

「殺」

大黒屋の口から地獄の炎のような「殺」の文字が発射される。

福王寺の坊主たちは全員で巨大な鏡を支えていた。棺の中に入っていたものである。

「殺」の巨大な文字は鏡に衝突すると霊場は光の固まりのように明るくなった。坊主たちの身体はその衝突に耐えられなく宙に飛んだ。

「殺」は鏡に反射されて隕石のように大黒屋の方に飛んで行く。

大黒屋の身体は炎に包まれた。

大黒屋の身体は黒びたミイラのように燃え上がった。

炎となった大黒屋の身体は呪いの人形のように奇妙な仕草をして、ばったりと倒れた。

やっと身体のしびれの戻った網野五郎座は黒い山椒魚の干物のようになってぷすぷすと煙を上げている大黒屋小助の遺体のそばに行くと、吹き飛ばされた福王寺の坊主たちもやって来てその黒炭化した遺体を見下ろした。

「福王寺の武術の奥義、招魂剣を体得した大黒屋小助を倒すにはこれしか方法はありませんでしたわ。あの鏡こそ、福王寺の寺宝、招魂剣返しの鏡、したがって招魂剣の技はあっても、招魂剣の技を会得した人間はいないのでございます。招魂剣を会得した時点でその武芸者はこの世にいてはいけないのでございます」

坊主のひとりが言った。

そこへのこのこと婆がやって来た。

「これでまた貧乏人がひとり医者にもかかれず、死んで行くぞえな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Sword Confiscation people @tunetika

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る