終章
最終話 後宮の守護剣姫
燦項馬による反乱が鎮圧され、五日が経過した。
この間に燦一族をはじめとする反乱分子が洗い出され、厳しい罰則や処刑の数々が執り行われた。
それらの中には、兄に先立たれた燦英蘭も含まれている。
国外脱出が失敗に終わり、項馬の反乱までもが不発に終わった。燦家による悪事は、隠しようもない事実として帝国中に知れ渡った。
龍琰の調べで、燦家が購入した呪具は
婚姻の儀で桃香が彼女の藤の
それらの証拠が出揃い、速やかに地獄牢から解放された奏桃香についてだが……地下牢での温度的な過ごしやすさは、龍琰の手で改善されていた。
だがそこで提供されていた食事は、辛うじて命を繋がせる最低限のもの。表立って支援出来なかったのもあるが、まともな食事を与えられなかった桃香は衰弱していた。
よって、身の潔白が証明された鈴綾と桃香の面会は後日という事になり、それが今日の昼だった。
「彼女とは、久々に顔を合わせる事になるね。少し緊張しているようだけれど……」
叡賦大聖宮のある部屋で、鈴綾と龍琰は待機していた。
これから身支度を済ませた桃香が来る予定なのだが、鈴綾はどうにも気分が落ち着かない。
ちなみに、今の鈴綾は『白鈴玲』としてではなく、『鐘鈴綾』としてここに居る。よって鈴綾が着ているのは後宮の女官服ではなく、陸家の邸宅で普段着としている襦裙である。
「それは緊張もするだろう! お前はどうだか知らんが、私はあれから一度も桃香と顔を合わせていないのだぞ? すっかり衰弱してしまっていたと聞いてから、私はこの五日間ろくに眠れていないというのに……!」
ただ座ってじっとしていても、そわそわしてしまって仕方が無い。
なので鈴綾は、この部屋に通されてからずっと忙しなく歩き回ってばかりいる。
そんな彼女の反応を見て、龍琰は微笑ましそうに眺めていた。
その時だった。
扉の向こうから、宮廷文官の声がする。
鈴綾と龍琰の視線が集まる中、開けられた扉の向こうには──
「鈴綾!」
「ああ……ああっ、桃香……!」
春を纏ったような、桃色の襦裙。
鈴綾が普段使いも出来るようにと贈った、金の腰紐。
そして、窮地から救い出したいと願ってやまなかった幼馴染の満面の笑みが、そこにある。
二人は互いに駆け出し、何千年振りの再会とも思えるような錯覚の中で、ひしと強く抱き締めあった。
腕の中に感じるのは、昔からよく知っている、大切な友の体温だ。
「鈴綾、わたくしっ……貴女ならきっと、成し遂げてくれると信じていたわ!」
「待たせてしまって済まなかった、桃香……! もう体調は大丈夫なのか?」
「ええ、もう随分良くなったのよ。それもこれも、陛下が手を尽くして下さったお陰で……」
「陛下が……」
鈴綾の声が少し曇る。それを悟った桃香は、ふと鈴綾の顔を見上げた。
「……わたくし達の潔白が証明されてから、陛下はわたくしの体調回復を第一に動いて下さったの。牢から出されてすぐ、直接謝罪にも来て下さったのよ」
だからどうか、あまり陛下の事を悪く思わないで。
……そんな風に言われてしまうと、鈴綾も何も言えなくなってしまう。
桃香はあのような目に遭ってもなお、皇帝を慕っている。恋する乙女の顔をした彼女を前にしてしまえば、反論する気力まで削がれてしまう。
現に桃香の顔色は良かったし、少し痩せたようではあるが、無理をしている様子は無い。皇帝自身も、彼女を大切にしてくれているのだろうと鈴綾は感じた。
すると、二人の再会を見守っていた龍琰が口を開く。
「そうだった、そうだった! 感動の再会に水を差して済まないが、君達に会わせたい人が居るんだ。早速ついて来てもらっても構わないかな?」
*
そうして二人は、龍琰に連れられて大聖宮の門を潜り、後宮の正門前を訪れていた。
「龍琰、私達に会わせたい人が居るというのは……?」
「あ、ほらほら! あの馬車に乗っているはずだよ!」
龍琰が示した先には、豪華な造りの馬車がこちらに向かって来ているのが見える。
馬車は門の前で停車し、籠の中から一人の女性が現れた。
その女性が纏うのは、朝霧のように澄んだ純白の衣。空色の
「ああ……ようやく
鈴綾達の鼓膜を震わせるその声は、誰もが思わず聴き入ってしまうような艶のある美声。
そんな穢れの無い純白の美を持った美しい女性に、龍琰は親しげに語り掛けた。
「お帰りなさい、桧貴妃」
「こ、この方が……貴妃様……⁉︎」
このとんでもない美女が、今回の事件の中心人物──燦家の謀略によって暗殺されたはずの、桧
しかし、亡くなったはずの彼女が何故目の前に居るというのだろうか。
その疑問の答えは、にこりと微笑む桧貴妃本人の口から語られた。
桧貴妃が襲撃されたあの夜。
確かに祝籃は、呪術士が作った呪具によって命を脅かされた。
けれどもその直前、皇帝・嶺明によって贈られた藤の簪が彼女の命運を分けたのである。
その藤の簪には、龍琰の魔力と特別な術式が組まれていた。
それは『一度は仮死状態になるが、その後に命を吹き返す』という呪術対策が施された、龍琰の最新作の魔術具であったのだ。
当時貴妃の侍女だった黄玉や医官は気付いていなかったが、貴妃はそれによって奇跡的に命を繋ぎとめていた。
魔術具の発動を知った龍琰は、速やかにそれを皇帝に報告。
貴妃の遺体──実際には仮死状態であるだけ──は秘密裏に後宮から運び出されてた。
仮死状態が解けた後、暗殺者の正体が確定するまでの間、帝都より遠く離れた離宮に匿われていたのだという。
そして燦英蘭が何故犯行に及ぼうとしたのか。
その理由は、貴妃との食事会で違和感を覚えた英蘭が、祝籃の妊娠の可能性を考えたからだという。
胎の子ごと祝籃を殺してしまえば、次に位の高い自分が次代の皇帝の母となる──その予感は的中しており、祝籃は妊娠していた。
その後、鈴綾と龍琰の大活躍によって真犯人が暴かれた。事件の夜、龍琰の対処が早かったお陰でお腹の子も無事なのだという。
こうして桧貴妃は後宮へと舞い戻って来たのであった……が、しかし。
「あれ? 僕、貴妃が死んだなんて断言した事あったかなぁ? って、君ちょっと何するつもぐふぉおっ‼︎」
へらりと笑ってそう告げた龍琰の腹に、鈴綾は無言で拳をお見舞いした。
それぐらいの事は許されて然るべきだと思う鈴綾なのであった。
*
それから一節後。
厳しい冬は終わりを告げ、少しずつ春の穏やかな風が吹き始めた頃。
帝都・
それはこの日、叡賦皇帝・嶺明と、悲劇の美姫・奏桃香の婚姻の儀が執り行われるからである。
二度目となる婚姻の儀だったが、濡れ衣事件の始まりとなった一度目よりも多くの客人が集まっていた。
そこには当然、今回の事件を見事解決に導いた立役者の二人──鈴綾と龍琰の姿もある。
更には前回不参加であった後宮から、桧貴妃をはじめとする妃嬪の中から、代表者が数名参列している。
以前よりも多くの笑顔で満ち溢れた大聖宮で、嶺明と桃香は盛大な祝福を受けて夫婦となった。華絢宮上級妃嬪、奏淑妃の誕生である。
婚儀の後、鈴綾は桃香の元を訪れた。
今夜一晩限りだが、桃香は鳳仙宮で皇帝と共に夜を過ごす。なので隣には皇帝が居た為、鈴綾は正式な礼をして祝いの言葉を述べる。
「この度は、偉大なる皇帝陛下と奏淑妃の御成婚、誠におめでとうございます。お二人の末永き幸福、この鐘鈴綾が生涯を捧げて祈らせて頂く所存にございます」
「……面を上げよ」
「はっ」
嶺明に促され、鈴綾は顔を上げた。
改めて皇帝の顔を見るのは久し振りだ。
貴妃が襲われて気が立っていたとはいえ、桃香に謂れのない罪を被せてしまった男。それが、鈴綾の中での皇帝への認識だった。
「……
嶺明は続けて言う。
「二十年前の
「恐悦至極にございます」
そこでなのだが……と、言葉を更に続ける嶺明。
「鈴綾、其方には今回の働きに見合った褒美を取らせたい。何か望むものはないか?」
「褒美……で、ございますか」
そう言われて、鈴綾は無意識に桃香へと目を向けた。
この一節、鈴綾は実家の鐘家の屋敷に帰っていた。
もう身分を偽って後宮で働く必要も無かったので、陸邸を離れたのである。
尚官司の同僚や陸家の人々との別れは済ませていたが、実家に戻ればそう簡単に桃香とは会えなくなってしまう。
出来る事なら、これからも彼女の近くに居たいというのが本音だった。
けれども鈴綾は軍属の人間でもなく、帝都に屋敷を構えている訳でもない。ならば、帝都に家が欲しいと言えば桃香の近くに居られるだろうか?
そこまで思考が巡った時、嶺明はこんな提案をしてきた。
「……其方が良ければ、なのだがな?」
ちらり、と鈴綾の背後に視線をやる嶺明。
「そこの陸太師と共に、これから
「えっ……龍琰? どうしてお前までここに……!」
振り返ると、そこには腰まである長い白髪をゆったりと垂らした紅目の術士、陸龍琰が笑顔で手を振っていた。
「いやー、実はさっきから姿を消して待機してたんだよねぇ!」
「どんな待機だ……!」
「まあまあ、そう怒らないでおくれよ。でもこの話、君にとってそう悪くはない話じゃないかな?」
「それは……まあ、多分……そうなのだろうが……」
皇帝の下で働くというのであれば、以前の蘭白州での暮らしよりも桃香に近い場所に居られる事になる。
すると、嶺明は具体的な捕捉説明を始めた。
「今回の事件では、其方による後宮の中からの動きと、龍琰による外からの動きによって事体が解決に導かれた。故に朕は考えた。朕の後宮には、
「私が、後宮で目を光らせる役割を……?」
「左様。此度の其方は、後宮に潜んだ邪なる花を摘み取り、桃香や祝籃といった麗しの花々の命を救った」
──この先もその類稀なる剣の才を、後宮の為に振るってはくれぬだろうか?
皇帝のその提案は、鈴綾にとって願ったり叶ったりのものだった。
これからも後宮で働けるのであれば、自分はいつでも桃香の身を護る事が出来る。
それに加えて、尚官司で知り合った黄玉や、尚食司女官の
そして──
「僕の家の皆も、鈴が居なくなってしまって大荒れでねぇ……。君が戻って来てくれるなら、僕も彼女達もとても喜ぶのだけれど……どうかな?」
貴妃暗殺未遂事件を解決に導いた相棒、龍琰とも共に居られる。そう思うと、自然と胸が高鳴るのを感じた。
彼から問われた鈴綾の口元には、柔らかな笑みが浮かんでいる。
その笑みは、相棒そっくりのへらりとした笑顔であった。
*
その後、後宮には新たなる役職『妃嬪守護』が置かれる事となった。
執務室は尚官司のある場所と同じ、後宮東の青龍殿。
皇帝からの厚い信頼の証である紫の襦裙を纏い、腰に長剣を
珍しい役職であるものの、彼女と親しい尚官司女官と協力し、近々華やかな催し事が執り行われる事が決定している。
その催しというのは、此度の燦家反乱の解決祝いを兼ねた宴会である。
それは妃嬪だけでなく、日々の業務を行う女官や宦官に至るまでを労う特別な席。その提案をしたのは、件の剣姫守護の武官であるという。
彼女は特例として、後宮と大聖宮とを自由に行き来する権限を持った武官であり、女官や妃嬪達からの信頼も厚い。今回の催しを切っ掛けに、宦官からも一目置かれる存在となるのではないかと噂されている。
そんな最中、どうやら太師と好い仲なのではないかと囁かれている女武官は、俗にこう呼ばれ親しまれている。
──後宮の守護
【完】
後宮の守護剣姫 〜陰謀渦巻く後宮にて、友の処刑を回避せよ〜 由岐 @yuki3dayo
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます