第3話 糸

 屋敷の規模は、陸家の邸宅より一回り小さいぐらいだろうか。

 高い塀に囲われた建物が店として使われ、その一部は商人の生活圏となっているのだろう。人数はまだ分からないが、相手はそれなりに魔術を扱える者が複数居るはずだ。

 二人は姿消しの魔術によって屋敷に接近し、ひとまず入り口の方から調べていく。

 やはり見張りの姿は無いようだが、龍琰がすぐに罠を発見した。山の中にも仕掛けられていた、感知系の術式である。

 ここを通れば、敵襲であろうとも来客であろうとも、商人達には筒抜けとなる。

 巧妙に仕掛けられていた門の罠を解除する。龍琰を先頭に、鈴綾も彼の後に続いて屋敷の敷地内へと侵入していった。



 塀の内側には、屋敷と畑が広がっていた。

 そう易々と山を降りると足がつくと考えたのか、ある程度の食糧は自家栽培で賄っているようだ。肉や魚が欲しければ、狩猟や釣りで手に入る山の中。

 流石に米までは育てていないようだが、米は買い溜めておけば頻繁に下山しなくて済む、保存のきく食材だ。それらを置いているらしい食糧庫らしき蔵も、この畑の奥に建てられているのが見えた。

 ……しかし、それでも妙だな。畑には作物が実っているが、収穫時であろう野菜が手付かずのままだ。

 ここで暮らす人数が少ないのであれば、そんなに必要としていないだけなのかもしれない。それにしても、朝に水やりをした様子も見られなかった。土が乾ききっている。


「…………」


 声を出しては、術が解けてしまう。

 鈴綾は無言でそれを確認した後、龍琰に視線を向けた。

 やはり龍琰も、畑の様子に疑問を抱いているようだ。何か……ここでは何かが起きている。そんな風な事を考えている顔していた。

 二人はより警戒を強め、屋敷の周辺から探っていく事にした。



 屋敷の周囲をぐるりと見回ってみたところ、鈴綾達が入って来た門以外に、出入り口となりそうな場所は無かった。

 建物自体は年季の入ったもののようである。一応は店として使用されているからか、手入れはされているらしい。

 しかし、それまでの間に人影らしきものは一度も見られなかった。ここで誰かが生活している痕跡は、そこかしこにあるにも関わらずだ。

 そして遂に、二人は屋敷内部への侵入を試みる。

 ここでするべき事は、目当ての呪具と、顧客名簿の発見。そして、燦家に呪具を売った疑いのある商人の捕縛である。

 玄関口は施錠されていたが、ここも龍琰が魔術を使って解錠した。物理的な鍵を必要とするものではなかったので、ある程度の魔力を注いで開ける種類の扉だったようだ。

 術士の家や研究棟などではよく使われているものらしいのだが、魔力を持つ者は限りなく少数派。鈴綾に馴染みが無いのは勿論、侍女や女官の出入りする扉にはこういった魔術錠は設置されていない。

 そんな扉を開けて、龍琰と鈴綾は屋敷の中へと足を踏み入れた。

 ……掃除が行き届いている。埃を被った家具等は見当たらない。やはり、ここには『誰か』が居るのだ。



 それから幾つか部屋を見て回っていったが、どこにも人が居ない。

 半分程は居住用の部屋だったようだ。けれども、個人の私室であろう部屋にも、その主は不在。

 流石にこれだけもぬけの殻なのはおかしい。だが、次に発見した部屋はまた雰囲気が異なっていた。

 大きな室内には、これでもかと棚や机が並んでいる。そこには黒っぽい人形や、歪な形をした金属製の置物。それ以外にも様々な──呪具の数々が陳列されていた。

 魔力を持たない鈴綾でも分かる程、この室内には禍々しい気配が満ちている。ただ呼吸をするだけで、少しずつ生気が吸われていくのを実感してしまう。

 すると龍琰が、背後の鈴綾に手で合図を出した。


『ここで待っていて』


 そう言っているのだと理解した。

 鈴綾は頷き、部屋の外を見張っておく事にする。少し部屋の外に出るだけで、重圧からの開放感がある。

 龍琰は鈴綾の顔色が多少良くなったのを見て、安心したように微笑んだ。そのまま彼は、呪具の置かれた部屋の探索を開始する。

 多種多様な呪具。程度の差はあれど、見渡す限り本物の呪いの品だった。

 簡単に使用可能なものから、生贄の命を必要とする呪具まで、幅広い品揃えだ。……まあ、これを利用したいとはとても思えないが。



 間も無くして、龍琰はある一つの呪具を発見した。

 それは、椿の花があしらわれた筆だった。

 側から見れば、美しい高級品であろう筆。けれども龍琰は、何重にも隠された強烈な呪いが掛けられた品だと直感した。

 龍琰は懐から一枚の布を取り出し、素手で直接触れないように椿の筆を手に取る。そのまま布で包み込み、筆ごと懐へと仕舞い込んだ。

 すぐに龍琰は部屋を出て、鈴綾と合流する。安心させるように笑う龍琰に、鈴綾は彼が目当ての品を入手したのだと悟った。

 さて、ここからは顧客名簿の捜索だ。



 二人は呪具の部屋を離れ、引き続き顧客名簿……もしくは、呪具商人を探していく。

 龍琰の様子から察するに、先程の部屋に顧客名簿は無かったらしい。

 屋敷の半分以上は探索してきたはずだが、外にも中にも商人らしき者は見当たらない。残る部屋のどこかに、燦家が関わっていた証拠と商人が隠れていると思うが……。




 *




 ここで最後、か……?

 結局、屋敷の全ての部屋を探し回る事になってしまった。

 目の前の扉が、まだ入っていない唯一の部屋だ。


「…………」


 意を決して、龍琰が扉を開ける。鈴綾も剣を構え、いつでも鞘から抜き出せるよう準備していた。

 そして──



 屋敷の一番奥の、薄暗い場所。

 龍琰がその扉を開けると、そこは部屋ではなく、地下へと続く階段がある小部屋だった。

 となると、この屋敷に居た者達はこの下に……?

 鈴綾は、こちらに振り向いた龍琰と視線を交わす。

 ……やはりここは、行くしかない。

 二人の意見は、一言も発さずとも一致していた。

 灯りをつける訳にもいかないので、次第に何も見えなくなっていく暗がりへと、静かに突き進む事になる。

 壁に手を当てながら、ゆっくり……ゆっくりと、段差を踏み外さないように降りていく。そうして暫く進んでいくと、暗闇の先に薄明かりがちらついた。

 だが、それと同時に漂う腐臭。血生臭い戦場とはまた違う、不快な臭いが漂って来たではないか。


「ぐあああぁぁぁぁああぁっっ‼︎」


 ──断末魔。

 そうとしか呼べない悲痛な絶叫が、地下から響いて来た。

 男の声だ。ただ一度きり、その叫び声が鼓膜を震わせたきり……静寂が訪れる。

 ……殺された、のだろうか。だが、誰が……誰の手で?

 とにかく、誰かが殺害されたのであれば、それを実行した者がこの下に居るはずだ。

 そして遂に、二人は地下の階段を降りきった。



 視界に広がるのは、炎と血の赤。

 部屋の各箇所に置かれた丸い発光体が、不気味な淡い光を放って周囲を照らし出している。

 地下室は鉄柵によって半分に分断されており、鈴綾達が居る階段側と奥側とを行き来する為の扉があった。その扉の向こうに、二人の人影と、が転がっていた。強烈な腐敗臭の原因は、きっとあれに違いない。

 すると、人影の一人が呻くように呟いた。


「もう……俺たちは、ここまでだ」


 背を向けたままのその男は、壁に両腕を繋げられた男──断末魔を上げていたであろう人物──を眺めながら、更に言葉を続ける。


「……気付いているぞ。そこに誰か居るんだろう?」

「…………っ!」


 言いながら、男は今にも泣き出しそうな顔をして振り向いた。

 こちらの姿は見えていないはずなのに、だ。


「俺を……俺たちを、殺しに来たんだろ? 口封じをしに、わざわざこんな山奥まで……来たんだろ?」


 龍琰の術は、姿だけでなく魔力の気配まで消す上位魔術だ。

 けれどもこの男は、龍琰達の気配に気付いている。理由は不明だが、この男も相当の腕を待つ術士であると考えるべきだろう。

 しかし、どうにも様子がおかしい。こちらの接近を察知するだけの能力があるというのに、戦意や敵意をまるで感じられないのだ。


「……僕の目的は、この屋敷を拠点とする商人の捕縛と、顧客名簿だ」


 龍琰が口を開くと、姿消しの魔術が解ける。

 すると、男は薄く笑った。


「捕縛だけで良いのか……? 俺たちは、しくじったんだぞ? 契約違反があれば、すぐさま口封じに殺される……そういう話だったじゃないか」


 ……この男、何か勘違いをしていないか?

 契約違反で殺されるだなんて、そんな物騒な話なんてこちらは知らない。誰か別の人物、もしくは組織と間違えられているのではないだろうか。

 けれども龍琰は、そんな男の勘違いを逆手に取った。


「そうだね、そういう話だった。それじゃあ改めて……契約内容を確認しようか?」


 人当たりの良い笑みを浮かべた龍琰を、男がどこか絶望を孕んだ瞳で見詰める。

 男は龍琰に促されるまま、ぽつりぽつりと情報を漏らしていく。


「……後宮の監視の目を掻い潜る事の出来る、巧妙な呪具を用意する事。それを燦家の使用人に受け渡し、報酬を受け取る事。燦家の者が関わっている事が外部に漏れた場合、俺たちは問答無用で消される。だが今朝……燦大尉が捕らえられたという連絡が、魔術具で入った」

「だから君達は、ここで殺される……と。燦家と君達の繋がりが、もうじき明るみに出てしまいそうだからね」

「だから……だから俺はっ、こんな仕事受けるべきじゃないって言ったんだ……! いくら莫大な金が手に入るからって、後宮に手を出して危ない橋を渡るだなんて……初めから、無茶な事だったんだよぉぉぉ……‼︎」


 契約内容を話していくうちに、とうとうその場で泣き崩れてしまった商人の男。

 だが彼の証言のお陰で、燦家がこの商人から呪具を購入したと確定した。

 すると龍琰は、片膝を付く。そして、酷く穏やかな声でこう告げる。


「ねえ、君。今からでも助かる道があるとするなら、それにすがってみたいとは思わないかい……?」

「……ど、どういう、意味だ……?」


 純白の術士・龍琰の言葉。

 それは正しく男にとって、地獄に垂らされた蜘蛛の糸であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る