第2話 九巌山

 暫く走り続けていた馬車は、目的地である九巌山くがんざんへと到着した。

 この地域は滅多に雪が降らない気候なのもあって、山は葉の落ちた木々と地面の色が目立っている。


「ここからは徒歩で行こう。道中、どんな罠があるかも分からない。僕も目を光らせておくけれど、君も充分注意して進んでくれ」

「ああ、承知した」


 九巌山に入って暫くして、龍琰の判断により馬車を降りた。御者もそこで待機してもらっている。

 馬車が人目に付きにくくするように、なるべく草や木の陰になるような場所を探した。商人達も表沙汰に出来ない商売をしている自覚はあるだろうから、こちらの接近に気付かれないように動く必要があった為だ。




 九巌山とは、二十年前に滅んだ陽麟大国との国境に近い険しい山である。

 名前の由来になったという『九人の賢者が遺した、九つの智慧の大岩』が各所に見られるこの山は、滅多に人が出入りする事のない聖地として扱われていた。

 つまり、それだけ道中は荒れ放題となっている。人が通らない山であるのなら、わざわざ手入れをする必要もないからだ。

 しかし……実際には、そうではない。

 桧貴妃暗殺に使用された疑いのある呪具は、陽麟大国の一部地域に伝わる呪術による代物だ。彼らはそれを商品としていながら、叡賦帝国領の九巌山に店を構えている。

 これまでよく皇帝達に存在を知られなかったものだと思う。だが、それを後宮という場所で使用したが故の情報漏洩だ。使う相手が悪かった、という事なのだろう。

 このような事件は、可能であれば未然に防いでおきたい。今回で呪具商人達を一網打尽に出来れば、それも叶わぬ夢ではないのだから。


「……鈴、少し止まって」


 二人で山道を歩いていると、ふと龍琰が鈴綾を腕で制した。

 険しい顔をした龍琰が見詰める先には、ただ木々が生い茂る景色があるのみ。けれども龍琰は、そんな何の変哲も無い風景に異変を察知したのである。


「何かあったのか? 私は特に異常を感じないが……」

「ここを探らせた者から聞いたんだけど、この山の至る所に感知系の魔術を組み込んだ仕掛けがあるらしくてね。……その一つが、すぐ近くにあったのさ」

「仕掛け……?」

「呪具と似たようなものだよ。使いたい魔術の術式を刻んだ物を、ああやって……」


 と、龍琰がそっと指差した先──ある樹木の肌に、よく目を凝らさなければ分からないような、小さな文字の羅列が刻み込まれているではないか。


「ほ、本当だ……!」

「木の質感に紛れ込ませるように刻まれている。あの術式は、特定の範囲内に踏み込んだ者に反応するものだね」


 その術式が刻まれた木とは一定の距離を空けて立っているが、あと一歩でも前に踏み出していれば、敵に居場所を知らせてしまう事態に陥っていたらしい。


「危機一髪だったな……」

「敵も相当の腕があるようだ。まあ……こうして罠に気付かれるようでは、まだまだ詰めが甘いとは思うけどね」


 龍琰が言うには、術式が見えるよりも先に、僅かに漂う『龍琰以外の何者か』の魔力を感知したのだという。

 そこで何かしらの罠が近いと悟り、周囲を探って術式の刻まれた木を見つけ出したとか。

 しかしそれは、鈴綾には全く感じられない類のものだ。魔術の修行を積んだ者、もしくはそういった特殊な気配に敏感な者でなければ、魔力という摩訶不思議な力の流れを掴み取る事は出来ない。


 その先も、侵入者を察知する罠が三つ。

 近付いた者の足元を、恐らくは底無しであろう沼地に変えてしまう罠が一つ。

 他にも、魔術を応用した罠の数々を潜り抜けながら、二人は山を登っていった。

 ただでさえ険しい山道だというのに、細かな点にまで注意を払いながらの移動。龍琰のお陰である程度は楽に進めているのだろうが、万が一という事も有り得る。

 鈴綾も彼に任せきりにするのではなく、自分でも気付いた事があれば龍琰に報告出来るよう、周囲に気を配り続けていた。

 それだけの事でもかなりの神経を擦り減らす作業なので、罠を全て回避したとしても、疲労感はかなりものとなっている。

 体力には自信しかなかったが、脚を動かす以外にも集中しなければならない事があるというのは……想像以上に大変なものなのだな。

 その証拠に──


「ふぅ……ふぅ……」


 鈴綾の数歩先を行く龍琰も、呼吸を乱しながら木々の間を抜けていた。


「なあ、龍琰」

「……何だい、鈴?」


 息を整わせながら、龍琰が背を向けたまま応える。


「一度、休息を挟んだ方が良い。体力を消耗した今の状態では、仮に敵の襲撃に遭った場合、充分な動きが出来なくなるぞ」

「あ……」


 鈴綾は息一つ乱れていないが、戦場とは縁の無い生活を送る龍琰は違う。

 脚を止め振り返った龍琰の額には、汗で濡れた前髪が張り付いていた。その首筋にも、何本か髪が纏わり付いているのが見える。

 いくら季節が冬だからとはいえ、休まず動き続けていれば身体も温まる。否、温まるどころか暑くて仕方が無かった。


「……それも、そうだね」


 そう言って、龍琰は身の回りが安全圏である事を確認した。

 すると、そっと近くの木の幹に身体を寄せて座り込む。鈴綾の見立て通り、彼も相当疲弊していたらしい。


「……報告が正しければ、もうじき商人の店が見えてくるはずなんだ。少し身体を休めたら、いよいよ敵陣に乗り込む事になるよ」

「把握した。私の用意はいつでも出来ている。お前が落ち着いた頃合いに声を掛けてくれ」

「ああ……助かるよ」


 へらりと笑う龍琰に、鈴綾も小さく微笑み返す。




 *




 暫くの休息の後、二人は再び山道を進んでいった。

 その先には、龍琰が得た情報通り。静かな山奥に佇む、一軒の屋敷のような大きな建物があった。


「あれが、そうなのか……?」

「多分ね」


 木の陰に隠れながら、二人は様子を窺う。

 周辺に他の建物は見当たらず、あるのは塀に囲まれたあの屋敷があるのみ。見張りの人間らしき者も見当たらない事からして、例の感知罠に余程の自信を持っているのだろうか。


「ここから先は、声を出さないように気を付けてくれ」


 そう言うと龍琰は、自身と鈴綾に姿を消す魔術を施した。地獄牢から脱獄した際、龍琰が使っていたあの魔術である。

 二人の姿は、瞬く間に見えなくなった。

 けれど、同じ術を掛けられた者同士であれば、互いの姿を確認する事が出来る。

 鈴綾と龍琰は視線を交わし、無言で頷き合う。

 それを合図にして、二人は木の陰から離れ、目の前の屋敷の方へ歩き出していった。

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