第4話 炎の意思

 宦官の口から出たのは、『燦項馬』という男の名。

 帝国の軍事を総括する鈴綾の父・鐘銀魄ぎんはくから聞かされた事のある、二十年前の陽麟ようりん大国との戦争──その話の中で、項馬という名の青年が出て来ていたのを鈴綾は思い出した。


 項馬は十代の若さでありながら、銀魄と並んで先代皇帝・嶺游れいゆうに目を掛けられていたという。

 その活躍ぶりは父には劣っていたものの、同年代の中では特筆して優秀な軍人であった。

 陽麟との戦争に勝利した後、当然彼は昇進した。

 それが燦項馬……燦淑妃の兄であったというのなら、桧貴妃暗殺の真相を嗅ぎ回る鈴綾を消そうと動き出したのも頷ける。

 だが、何故鈴綾が事件の調査をしていると気が付いたのだろうか。

 まだ後宮に潜入して五日目だというのに、後宮に入れない軍部の人間がどうして……?


「……その話、もう少し詳しく聞かせてもらうぞ」

「え……カハッ……!」


 鈴綾は地面に押し倒した宦官の頭を、簪を握った拳で思い切り殴り付けた。

 想定外の攻撃に、何の抵抗も出来なかった宦官。殴られた衝撃と、その勢いで頭を地面に叩き付けられ、気絶する。

 すると鈴綾は、物理的に大人しくなった宦官を軽々と抱え上げた。


「さて……とっ」


 そのままひょいっと男を背負い、鈴綾は迷わずに歩み出す。

 目指す先は後宮の外──後宮と大聖宮とを繋ぐ通路だ。




 *




 意識の無い宦官を背負った女官という図は、側から見て異様な光景にも程がある。

 大聖宮へと向かう途中、巡回中だった別の宦官の目にその奇妙な姿が捉えられたのである。

 鈴綾が「至急、陸太師に連絡を! 白鈴玲が、不審な宦官を捕らえたとお伝え下さい!」と叫ぶと、宦官はすぐに他の宦官を呼び寄せた。

 気絶したままの宦官は、複数人の宦官によって改めて捕縛され、一人が大聖宮へと大急ぎで駆け出していく。



 間も無くして、鈴綾は大聖宮のとある一室へと招かれる。そこは太師である龍琰に与えられた、防音結界の張られた会議室であった。

 鈴綾を吹き矢で襲った宦官は、既に地下牢へと連行されている。

 橙の襦裙の女と、紫の襦裙の男が二人きりの会議室で向かい合ったところで、龍琰がいつになく真剣な面持ちで口を開いた。


「この場所で君と会う事になるとは、流石の僕も予想外だったな。……あの宦官が君を狙っていたのは、間違い無いんだね?」

「ああ。食事時で人気もまばらな時間帯を狙って、単独で動いていた私を殺すつもりだったのだろう。相手が私でなければ、あの吹き矢は避けられなかったかもしれんな」


 更に鈴綾は、言葉を続ける。


「恐らく、あの吹き矢には毒が仕込まれている。でなければ、宦官も殺気など放つまい」

「白昼堂々、君を殺そうとしての犯行か……」

「それを実行するよう命じたのは、燦大尉だと吐かせた。言わなければ殺すと脅しはしたが、あの男……余程自分の命が惜しかったと見える」


 宦官を取り押さえた際に外した尚官司女官の簪は、既に整えられた鈴綾の髪に挿し直されていた。

 それを見た龍琰は、


「君にその簪を喉元に突き付けられれば、大抵の男なら誰だって必死に命乞いをするだろうさ。君程の勇猛な武人に威圧されれば、ね」


 と言って、小さく表情を歪めた。

 けれどもその顔はすぐに真剣なものに戻り、鈴綾から告げられた男について語り始める。


「それにしても、燦大尉……あの項馬が放った刺客か。どうやら僕の予想は、外れてはいなかったようだ」

「予想……?」

「実は三日前、陸家の情報網を使って燦家について探るよう命じてあってね。その結果を、今夜君に伝えるつもりだったんだよ」


 彼のその発言で、龍琰が今朝家を出る前に『報告が出来そうだ』と言っていたのを思い出す。

 まさか報告を受ける前に向かうが尻尾を出してくるのは、鈴綾も龍琰も想定していなかったのだが。


「丁度君からの連絡を受け取る前に、調査の報告を受けていてね。……どうやら燦家は、一年程前から異国の商人とのやり取りが盛んになっているらしい」

「異国の……か。その詳細は掴めているのか?」


 龍琰はこくりと頷く。


「勿論だとも。その商人は、旧陽麟大国領に近い山の中に店を構えているそうだ」


 龍琰が得た情報によれば、その異国の商人はごく限られた人物のみを相手に商売をしているという。

 扱う商品は、陽麟大国の一部で盛んだったという魔術の一種──呪術を用いて作られた呪具であるらしい。

 その効果の程は不明であるものの、相手の息の根を止める為に手段を選ばない金持ち達の間では、十年以上前から噂になっている商品なのだとか。

 それを聞いた鈴綾は、頭の中でぼやけていた図が鮮明になるような感覚を覚えた。


 燦淑妃は、桧貴妃が亡くなる前に何度も接触している。

 その事件を探っていた鈴綾を襲ったのは、燦項馬の息がかかった宦官。

 そして龍琰の調べでは、燦家は怪しい呪具に手を出しているという。


「……もしや、燦淑妃はそれを使って貴妃様を呪い殺したのか⁉︎」

「その可能性が高いだろう」


 思わず身を乗り出して叫んでしまった鈴綾に、龍琰は同意する。


「事件当日に発見された貴妃の身体には、何の外傷も無かった。勿論彼女は病にもかかっていなかったし、診察を担当した医官は、僕も天子てんしもよく知る確かな腕の医師だ」

「貴妃様が襲われた日、窓から逃走した犯人が呪具を使い、そのまま現場から持ち去ったのだとしたら……貴妃様に傷を付けずに、殺害する事が出来てしまうのか……」


 桧貴妃の命を奪った凶器が呪具であるのなら、直接的な刺し傷や打撲痕など発見されるはずもない。

 龍琰は椅子から立ち上がると、扉の方に向かいながらこう言った。


「その逃走者の件も含めて、天子に報告と進言をしてくるよ。燦家の人間が関わっているのなら、項馬と英蘭の身柄も取り押さえておいた方が良いからね」

「……そちらはお前に頼む。私はこれからどうすれば?」

「僕が戻って来るまで、ここで待っていてくれ」

「了解した」


 短く答え、龍琰の背中を見送った。



 残された鈴綾は、胸の前で両手を組み、目を閉じる。


「桃香……君の濡れ衣を払うまで、もう少しの辛抱だ。私が……私と龍琰が、必ずやこの手で君を救い出してみせる……!」


 この宮殿の地下深く、地獄牢へと幽閉されたままの幼馴染。

 彼女を助け出す為ならば、例え死の呪いであろうとも斬り伏せてみせよう……!

 目蓋を開けた鈴綾の瞳は、決して消える事のない決意の炎をみなぎらせていた。

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