第2話 次なる仕事

 片付けを終えた鈴綾と黄玉は、桂英から新たな仕事を割り振られた。

 鈴綾は玄武殿の尚服司からの要請を受け、物干し場へと向かっていく。


 朝方には小雪が舞っていた、帝都・聖環せいかんの空。

 けれども三尚合同での会議の最中に、鈍色にびいろの雲は風に流され、いつしか晴れ間が広がっていた。

 尚服司の女官達は、あらゆる尚や宮から衣服を掻き集め、朝から昼まで洗濯物と格闘し──鈴綾が辿り着いた物干し場には、縄や物干し竿にかけられた様々な洗濯物が風に揺られているのだった。

 鈴綾に任されたのは、これらの洗濯物の取り込み作業だ。

 前回の井戸の水汲みとは異なり、今回こそは尚服司の女官達と共に作業をこなす事になる。

 物干し場に鈴綾の姿を見付けた尚服司女官の一人が、すぐさまこちらに駆け寄って来る。


「尚官司女官の方ですね。お待ち致しておりました」


 愛想の良い笑顔を浮かべ、若い女性が鈴綾に大きな籠を手渡した。

 鈴綾の爪先からへその辺りまではあろうかという大きさの竹籠は、両腕で輪を作っても左右の指先が付かない程の直径だ。


「白鈴玲と申します。こちらの籠に洗濯物を入れていけば良いのですね?」

「はい。鈴玲様には、奥の方から半分までをお任せ致します。そちらは女官の洗濯物を干す場所ですので、妃嬪の方々の物よりは安心して作業が出来るかと……」


 ずらりと並んだ洗濯物は、この場からざっと見渡しても色取りどりの衣服が干されているのが把握出来た。

 そんな中でも尚服司のこの女性は、まだ経験の浅い鈴綾の為にと、比較的気楽にやれる女官の洗濯物を任せてくれるらしい。

 仕事に慣れるまでは、取り扱いに神経を使う妃嬪の物を担当させない。

 その考え方は、妃嬪の召し物を汚してしまう等の不意の事故を防ぐ事は勿論の事、新入りである鈴綾の心情的にも有難いものだった。


「そうでしたか……。御心遣い、感謝致します」

「いえいえ、滅相もございません! 尚官司の鈴玲様と黄玉様には、先日の水汲みの件でご迷惑をお掛けしてしまいましたし……」


 どうやら鈴綾の初仕事での一件は、玄武殿の隅々にまで耳に届いているようだ。

 ふと鈴綾は、とある人物について尋ねてみる。


「そう言えば……あの時の夏胤珊かいんさん様、でしたか。彼女はその後、淑妃様の宮に移られたのですか?」

「ああ、彼女ですか……」


 胤珊の名を出すと、女官は更に申し訳無さそうに眉を下げ、俯きがちに告げる。


「胤珊様は、あれから間も無く異動の話が出たようです。淑妃様の要請が通ったのでしょう。彼女は翌日から荷物を纏め、あれから玄武殿には顔を見せておりません」


 夏胤珊といえば、鈴綾と黄玉に無茶な仕事を押し付けた、悪意の塊のような娘だった。

 その悪行が燦淑妃の耳にまで入り、鈴綾達の目の前で、彼女自ら胤珊を叱り付けていた。

 皇帝に見初められた女であるならば──と、後宮の女性として相応しくなるよう再教育をするだとか言っていたが……どうやら本気の話であったようだな。

 鈴綾の中で、燦英蘭という女性の本質が、更に曖昧なものに変貌していくのが分かる。

 己と同じ派閥の者でなければ相手にしなかったという淑妃が、ほんの二、三節の間にこうも態度が変わるものなのだろうか?


「後宮内で顔を合わせる事も無いので、淑妃様の嵐舞宮らんぶきゅうの中で、徹底的に指導を受けているのではないかと……。私の友人からの話ではありますが、淑妃様はご自身の周りに置かれる者への教育にはかなり厳しいお方だそうですので」

「左様ですか……」


 貴族の出身であるのなら、侍女に厳しく教育を施すのは当然とも言える。

 特に英蘭の実家である燦家といえば、鈴綾の生まれた鐘家には一歩劣るものの、帝国内では上位に食い込む武人の家系だ。

 不甲斐ない者を見れば口を出さずにはいられない性分なのだろうと、淑妃の考えに少しだけ納得する事が出来た。


「……仕事に関係無い話をさせてしまい、申し訳ございません。それでは早速、作業に取り掛からせて頂きます」

「い、いえ! こちらこそ、長々とお話ししてしまって済みません……! 籠が一杯になりましたら、一度あちらの横の回収場所まで運んで下さい。新しい籠を受け取られましたら、残りの洗濯物の取り込みをお願い致します」

「承知致しました」


 女官が右手で示した先は、玄武殿の横──洗濯場の付近だった。

 取り込んだ洗濯物を籠に入れ、いっぱいになったらあこそへ運ぶ。空の籠を受け取って、また洗濯物を回収しに戻る。それを繰り返していけば良いだけだ。

 乾いた洗濯物を運ぶのは、どれだけ量が多かろうと鈴綾には丁度良い鍛錬程度でしかない。

 陸家の邸宅でも剣術の稽古は続けているものの、偶には誰かを相手に模擬戦をしたい衝動に駆られ始めていた。しかし後宮では身分を偽っている為、表立って武芸の腕を見せ付ける訳にもいかず。

 ああ……思い切り身体を動かしたいなぁ……。

 洗濯物をまた一つ籠に入れながら、鈴綾は小さく息を吐き出した。



 そんな鈴綾の後ろ姿を、遠くからひっそりと眺める人物の気配に気付かぬまま──

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