第四章 天才剣姫と蠢く闇

第1話 三尚合同会議

 その日は、朝からちらほらと雪が舞っていた。

 吐き出す息も真っ白で、呼吸をする度に鼻や肺に冷たい空気が入り込む。こんな日にも水仕事を担当する玄武殿の女官達には、鈴綾りんりょうも頭が下がる思いだった。


 後宮での潜入調査も五日目に到達し、鈴綾は『白鈴玲はくりんれい』として尚官司での様々な雑務を任されるようになっている。

 それとは裏腹に、貴妃・桧祝籃ひしゅくらん暗殺事件の新たな手掛かりは掴めずにいた。

 しかし今朝方、龍琰から「今夜あたりに僕の方から報告が出来そうだ」と伝えられている。彼も独自に情報を集めてくれているらしい。

 鈴綾も、これでは手ぶらで帰る訳にはいかないなと気合いを入れ直す。行きの馬車を降り、颯爽と青龍殿へと向かっていく。


 今日は鈴綾が書簡を届けた尚食司と、黄玉おうぎょくが受け持った尚儀司の女官長を交えた会議が予定されていた。

 議題は勿論、皇帝直々の『妃嬪達を癒す催し』の内容についてである。




 *




きん長官、てい長官。本日はお時間を割いて頂き、誠にありがとうございます。妃嬪様方と女官達の為の催しにお力添え頂けるとの事、感謝の意をここに述べさせて頂きます」


 各々の尚で朝方の仕事を片付け、捻り出した時間を使っての三尚合同会議。

 進行を務めるのは、鈴綾の所属する尚官司の女官長・李桂英りけいえい。同じく尚官司から、補佐を務める鈴綾と黄玉が後方に控えていた。

 机を囲む二人の女性のうち、感情の読めない無表情な女性が尚食司女官長・禽類詩るいし。その向かい側に座る穏やかな笑みを浮かべた女性が、尚儀司女官長の鄭南安なんあんだ。

 それぞれの視線がこちらへ向いているのを確認した桂英は、黄玉に目配せして女官長達に資料を渡すよう促す。


「そちらの資料に記載されているものが、今回の催しに関する予算と参加規模の表にございます」

「この予算内に収まる内容で、妃嬪の皆様方や各尚の女官達の心を癒せるものを提案し、協力していく……という事で良いのですね?」

「はい。尚食司と尚儀司とを合わせて、この予算に収まるよう調整していく方針です」


 禽長官の淡々とした発言に、桂英もまた淡々と返答した。

 この場に集められたのは、主に妃嬪と女官の食事を担当する尚食司と、祭事などを執り行う尚儀司を取り纏める二人の女官長である。

 桂英が彼女達に協力を求める書簡を送った結果、こうして三つの尚が合同で癒しの催しを進めていく事になったのだった。


 尚食司の手による美味しい食事と、尚儀司の熟練された美しい舞。

 この二つを妃嬪達に楽しんでもらう事で、貴妃暗殺による精神的不安を少しでも軽減させるのが、彼女達を愛する皇帝の願いだ。


 桂英ら女官達は、より良い計画を立てようと決意し、とことん話し合った。

 途中、扉の向こうから呼び掛ける女官の声が無ければ、既に昼餉ひるげの時刻を迎えていた事にすら気付かぬ程に。

 だが──


「ですから……何度も繰り返しますが、陛下より『冬期である為、可能な限り室内での開催を』とお言葉を賜っているのです。妃嬪方を寒空の中、長時間お過ごしさせる訳にはいかぬのです」

「そうは仰っても、室内だけでは気が滅入る方も出るでしょう?」

「私も、禽長官の意見に賛同致しますわ。妃嬪の方々だけでなく、私達女官も外の景色を観ながら、美味しいものを口に運びつつ歓談するのが一番だと思いますもの」


 桂英の意見は、禽長官と鄭長官とは噛み合わなかったのである。

 運ばれてきた食事がどんどん冷めていくのも気にせず、三人の女官長は互いの意見をぶつけ続けていた。

 寒空での開催を否定する尚官司と、短時間でも庭で茶会を開くべきだと主張する尚食司と尚儀司。

 時が進むにつれて険悪になる空気の中、鈴綾と黄玉は一言も挟めぬままだった。




 *




 結局、初回の会議は平行線のまま。続きは後日に持ち越しとなってしまった。

 予算の配分も、催しの内容すらも纏まらずに、鈴綾達はその後の職務に戻る事になった。

 そうして鈴綾と黄玉は、桂英から使用後の会議室の清掃を任された。黄玉は困ったように眉を下げながら、


「会議……全然進みませんでしたね」


 と、机を拭く鈴綾に小声で話し掛けて来た。


「ええ……。李長官のお考えも、禽長官と鄭長官のお気持ちも理解出来てしまう分、何とももどかしい気持ちになりましたね」

「何か良い案があれば、あの場でわたしも少しはお役に立てられたはずだとはおもうのですが……。やはり、冬に外で茶会をするというのは難しいでしょうし……」


 黄玉は椅子を並べ直しつつ、小さく俯く。

 催し事は二節先だとは言うものの、帝国の冬は少々長いものだ。

 早く暖かくなれば話は変わってくるのだろうが、全ての妃嬪と女官の為の準備を行うとなると、今から計画を立てておかなければ間に合わない危険がある。

 加えて鈴綾は、癒しの催しがで良いのかどうか、密かに疑問に思っていた。

 鈴綾が尚食司に書簡を届けに向かった際、玄武殿の見張りをしていた宦官かんがんの顔。彼らも妃嬪達と同じく、貴妃の事件で心が摩耗しているのではないかと感じていたのである。


「良い案、ですか……。本当に、何か妙案があれば良いのですが……」


 例えば……冬の空を、春の木漏れ日で満たすような事が出来れば……。

 そう考えた鈴綾の脳裏に浮かんだのは、歳下の幼馴染の桃香とうこう──龍琰と同じく、神々に愛された家系であるそう家の姫君の、可憐な桃の花のような笑顔であった。

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