幕間

太師と影

 鈴綾から後宮調査二日目の報告を受けた龍琰は、その日の夜の内から行動に出た。


 そもそも今回の『桧貴妃暗殺事件』において、未だ明らかになっていない謎が幾つかある。


 ・桧貴妃を狙ったのは誰なのか。

 ・凶器や死因は何なのか。


 特に大きな謎がこの二つだ。

 自室に戻った龍琰は、陸家に古くから仕える影の者を呼び寄せた。全身を真っ黒な衣服で包み、目元だけが露出した男が、龍琰の前に膝を付いて頭を下げている。

 蝋燭の灯りだけが室内を照らす中、龍琰の白銀の長髪が炎の光を受けて煌めていた。


「君に頼みたいのは、燦家に関連する者達の調査だ。特に、この二節以内に燦英蘭とやり取りのあった者に絞ってもらいたい」


 影の者は、黙して主人の命令に頷く。

 彼を呼び出したのは、龍琰の中で疑いが確信に変わりつつあったからである。

 まず第一に、桧貴妃の暗殺を成功させる事で得をするのは誰か……という点だ。

 国防派の桧家の祝籃が害された事から、犯人は侵攻派か、それに近しい立ち位置の者だろうと当たりは付けていた。

 そんな中、鈴綾が後宮から持ち帰った情報には『貴妃が無くなる以前に、淑妃との接触が何度かあった』という新たな手掛かりがあった。

 となれば、燦淑妃とその周辺について調べを進める事で見えてくるものがあるはずだと、龍琰は確信したのである。


 暗殺事件が発覚した直後、龍琰は皇帝・嶺明の勅命を受けて犯人確保に努めていた。それは皇帝が龍琰を頼りにしているからでもあるが、龍琰の──というより、陸家の情報網に期待を寄せられていたのが大きな理由だった。

 陸家は、神々の寵愛を示す魔術を操る血筋だ。つまり、魔術を使える者にはそれだけの家格があるという事になる。

 古くから続く家であればある程、その繋がりは巨木の枝葉のようにあらゆる方面へと伸びていく。あらゆる方面に顔が効くのだ。

 中でも陸家は他国の歴史の中で栄えてきた家である為、叡賦帝国の情報だけではままならない案件では、歴代の皇帝が陸家に助力を求めてきた。龍琰が嶺明の魔術の師となったのも、そうして積み重ねてきた縁があったが故である。

 そして陸家が有力な情報網を構築するに至るには、龍琰の前に跪く黒衣の男をはじめとする、目や耳の役割を果たす一族の存在が大きかった。

 龍琰の命令を受けた影の者は、音も無くその場から姿を消した。そう時間も掛からない内に、彼は龍琰が必要とする情報を見事に持ち帰ってくれるはずだろう。


 そして、二つ目の謎。

 寝室で倒れているのが発見された貴妃の身体には何の外傷も無く、現場には凶器すら残されていなかった。

 けれどもそこに駆け付けた第一発見者の元侍女・現尚官司女官の関黄玉の目撃情報によれば、早朝に貴妃の寝室の窓から飛び出していく人影があったという。

 未だに事件の凶器も死因も不明のまま。後宮に入って間も無い鈴綾は知らなくて当然なのだが、常識的に考えてそれはあまりにも不自然な状況だった。

 何故なら……妃嬪達が暮らす宮の周辺には、見張りを務める宦官達が巡回しているからだ。特に、貴妃や淑妃といった四夫人の宮であれば、下位妃嬪よりも巡回が多い。

 そんな状況下で『何らかの凶器で』貴妃を殺害し、『宦官に捕まらずに』完全に逃走してしまうのは、本来ならば有り得ないはずの事だった。

 だというのに、それが成功してしまったという事は……。


「宦官の中に、真犯人の息がかかった者が潜んでいるのだろうね……」


 全く、嘆かわしい事だよ……。

 これだけ平和を望む皇帝が即位しているというのに、どうして人間達はいがみ合ってしまうんだろうか。

 己以外に人の居なくなった室内で、龍琰はそっと蝋燭の火を消した。

 夜が明ければ、鈴綾の潜入調査が再開される。


「でも鈴……君とならば、きっと……」


 龍琰は寝台に潜り込むと、気高い魂を持った娘の姿を目蓋まぶたの裏に思い描く。

 そうして静かに、夜は更けていった。

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