第7話 紅白の夫人
叡賦帝国皇帝・嶺明の座す大聖宮に隣接する、華絢宮。
遥か太古の女神の名を冠する後宮で、まだ四夫人の貴妃・祝籃が存命だった頃の事。
白夜宮専属の料理人として尚食司から召し上げられた満瑞光は、主人である桧祝籃の昼餉について考えていた。
華絢宮の敷地内の中央には、二人足りない四夫人の宮殿の他に、それ以下の位の妃嬪達の住居もある。
瑞光は足りなくなってきた調味料を食料庫で調達し、玄武殿から白夜宮のある中央へと、小さな壺を持って移動している。
その最中、瑞光の行く先に鮮やかな色彩が見えた。
一つは、情熱的な炎のような紅に染め上げられた襦裙を纏う花。もう一輪は、聖なる光を封じ込めたと言われても納得してしまう程に純白な襦裙に、淡い空色の
すると瑞光は、純白の花──白夜宮の主人である桧祝籃と視線が合った。彼女の向かいに居る紅は、同じ四夫人である燦淑妃。
二人は侍女を連れて、散歩をしていたようだ。
「あら瑞光、丁度良いところに……」
白百合がよく似合う清廉さを纏わせながら、祝籃は瑞光に柔和な笑みを浮かべて言う。
瑞光はそんな笑顔を向けてもらえる幸福を噛み締めながら、下品にならない程度の急ぎ足で主人の元に駆け付けた。
「娘娘、私にご用件がおありでしょうか?」
「ええ。先程、少し庭園でも見に行こうかと思って外に出たところで、燦淑妃にお会いしたのよ。折角だから、二人でお話ししながら散策していたのだけれど……」
「そろそろ昼餉の頃合いじゃからと、偶には四夫人同士で食事でもどうかと話し合っておったのじゃ」
侵攻派筆頭の燦家の淑妃が、国防派の桧家の貴妃と食事を共に……?
敵対する家の者同士が食事をするなどという事は、新年の祝いの席や大きな会食でも無ければ、一度も前例が無かった。
真紅の襦裙を纏う勝気な娘……燦英蘭は、見事な意匠の扇子を開いて口元を隠しながら、猫のような瞳を瑞光に向けている。
「貴女には急な話で申し訳が無いのだけれど……今日のお昼は、私と燦淑妃の二人分を用意してもらって良いかしら?」
「……はい」
……淑妃様が何を思って近付いて来たのか知らないが、娘娘本人に頼まれてしまったものは断れない。
返事をした瑞光は、誰にも気付かれないよう、ぐっと奥歯を噛み締めながら頭を下げた。
「それでは早速、娘娘と淑妃様のお食事の準備を進めさせて頂きます」
「ありがとう、瑞光。場所は私の宮で、燦淑妃をお招きさせて頂くわ」
顔を上げると、目だけで満面の笑みを浮かべているのが分かる燦淑妃が視界に入る。
「瑞光、と言ったか。桧貴妃自慢のそなたの料理、楽しみにしておるぞ?」
「ご期待に添えますよう、腕を振るわせて頂きます」
「うむうむ! 張り切りすぎて手指を切らぬよう、気を付けるのじゃぞ」
心底愉快そうに言葉を残して、淑妃は再び歩き出す。それに続いて、貴妃も彼女の横を歩いていく。
二人の後ろに続く侍女達の背中が見え始めた頃、瑞光は調味料の入った壺を手に、反対側へと身体を向けた。
料理の腕は披露する。だがこれは、客人である燦淑妃の為に使う才能では無い。
数多の女官達の中から瑞光の料理の腕を見出し、いち早く自身の宮へと召し上げた桧祝籃。
そんな彼女に仕える己が、どれだけ幸福な事なのか──この世全ての女性が手本とすべき天女のような祝籃の人望を、自分の料理で燦淑妃にぶつけてやるのだ。
「……後でどれだけ泣き付かれたって、あんたのとこなんかじゃ死んでも働いてやらないんだからね」
とにかく瑞光は、燦英蘭という女の『あの笑み』が大嫌いだった。
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