第6話 あなたなら

 瑞光は尚食司の中でも上位の階級である為、同じく上位の妃嬪と女官達の食事を担当しているという。

 なので、他の女官達よりは時間に余裕がある。少し話す程度なら……と、鈴綾の質問に快く答えてくれるそうだ。


「ここなら滅多に人も来ないから、まあ大丈夫だろ。で、あたしに聞きたい事ってのは何なんだい?」


 瑞光の案内で連れて来られた先は、玄武殿にある記録室だった。

 ここには、全ての妃嬪に出された料理の記録が纏められている。どの妃嬪が、いつ、どういった料理を出されたか。その他にも細かな記録が残されているのだと、ずらりと並んだ書棚の中で瑞光が語ってくれた。

 竹を使って作られた竹紙に記録してある為、部屋は紙を傷めぬよう、窓が無く日光が入らないようになっている。

 人目を気にして話をするならば、この場所は姿を隠すには打って付けの場所であった。


「瑞光様が白夜宮で働かれていた頃の……特に、貴妃様についてのお話をお聞きしたいのです」

娘娘じょうじょうの……?」


 貴妃について、と告げた途端に眉根を寄せる瑞光。

 先程までの親しみやすい雰囲気から一変し、まるで敵を射抜くような目で……否。現に瑞光は、明らかに鈴綾を敵視しているではないか。

 瑞光が持ち込んだ蝋燭ろうそくの明かりだけが照らす暗闇の中、彼女は声を低くさせて言う。


「あんた……貴妃様の事を嗅ぎ回ってどうしようってんだい? ただでさえこの時期に新人が来る事自体が不自然だって言うのに、何の目的であたしに近付いてきたんだ……⁉︎」

「わ、私は……!」


 くそっ……! 初対面の者を相手に、いきなりこんな踏み込んだ話を聞くのは時期尚早だったか……!

 しかし、既に瑞光はこちらに敵意を向けている。どうにかしてこの場を切り抜けなければ、後宮にいられなくなってしまうかもしれない。

 もしそうなってしまったら、桃香を罠に嵌めた人間を突き止める事が出来なくなる。それだけは絶対に避けなければ……!

 鈴綾は瞳に強い意志を宿して、瑞光を見る。

 この後宮──華絢宮は、いわば女達の戦場だ。

 戦場とあらば、私の独壇場。鐘家の娘として、ここは一歩も引かずに攻めるのみだ‼︎


「──瑞光様」

「……何だ」

「私は……大切な人を救う為に、この華絢宮にやって来た者。尚官司女官長に聞いて頂ければ分かる事ですが、私をここに推して下さったのは陸龍琰太師です」

「陸太師って、あの……? いや、だがそれがあんたと何の関係が──」

「関係あるのです‼︎」


 強い口調で答えると、瑞光は少し狼狽えた。

 よし、このまま一気に攻め込むぞ……!


「……私は陸太師から特命を受け、桧貴妃に纏わる事件の調査を任されております。この事件の裏で糸を引いている真犯人を、自らの手で捕らえる為にです」

「真犯人だって……⁉︎ そんな馬鹿な事があるか。娘娘を殺したのは、あの奏桃香っていう女が仕向けた手先のはずだろ!」

「いいえ、彼女は無実です。そもそも彼女には、顔も知らぬ貴妃様を害する理由がありません。その上、貴妃様の簪を挿して婚儀に出るなど不自然でしょう?」


 あの日、皇帝との婚礼の儀で藤の簪を挿していた桃香。

 彼女が挿していた簪は、この世にたった一つしか無い、皇帝自ら桧祝籃に贈った特注品だった。


「そんな物をわざわざ身に付けて婚儀に出れば、『私が貴妃様殺害を命じた犯人です』と自白しているとしか受け取れない」

「それは、そうかもしれないが……」

「仮にそうだったとしたら、そんな愚かな計画を企てる姫君を妃嬪に迎えようとした陛下の目が節穴ふしあなだという事になります。聞けば奏桃香は、徳妃として迎え入れられるはずったというではありませんか。徳妃として認められた女性が、簡単にその立場を追われるだなんて……何かがおかしいとは思いませんか?」


 婚礼の儀が行われた当時。皇帝・嶺明は冷静さを欠き、激高した。

 それだけ嶺明は、祝籃を深く愛していたのだろう。でなければ、これだけ大きな違和感を見落とすはずがないのだ。


「……私は、この事件の真実を暴きたい。桧貴妃を殺害し、奏桃香に濡れ衣を着せた真犯人に繋がる情報が、少しでも欲しいのです! ですからどうか、貴女の力をお貸し下さい!」


 鈴綾の止まらぬ口撃こうげきに、瑞光はほとんど反撃出来ずに押し流された。

 そして──


「……そんな重要な任務を、あたしなんかに打ち明けちまって良かったのかい?」


 そう告げた瑞光の眼差しからは、既に敵意の炎は消えていた。

 あるのはただ、鈴綾の真意を問いたださんとする意思のみ。

 鈴綾は彼女を真っ直ぐに見返し、こう言った。


「貴女だからこそ、私は真実を告げようと決意したのです」

「あたしだから……か」

「ええ。貴女は心から貴妃様に尽くしていたのでしょう。そうでなければ、あれだけ私を敵視する事も無かったはずですから」


 すると瑞光は、小さく息を飲んだ。


「……ああ……ああ、そうだよ鈴玲。あたし達白夜宮の侍女だった女達は、皆が娘娘を敬愛していた。……天女のようなお方だったよ、祝籃様は」

「瑞光様……」


 昔を懐かしむように優しい、けれども悲痛さの滲む笑顔を浮かべる瑞光。


「……あんたに助けたい人が居るように、あたしも娘娘の無念を晴らしてやりたい。こんな無力なあたしにも協力出来る事があるってんなら、喜んで力を貸すよ!」


 勿論、あんたが相手だから信用して話すんだからね。

 そう言って瑞光は、鈴綾の肩にぽんっと手を置いた。


 そして彼女は、桧貴妃について鈴綾に語り始めた──

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