第3話 後宮に漂う暗雲

 裏門から青龍殿せいりゅうでんに向かいながら、鈴綾はこれからの予定を頭の中で組み立てていく。

 引き続き桧貴妃殺害の真犯人を探さねばならないが、その容疑者として未だに濃厚なのは、四夫人の中で唯一の侵攻派の姫君である燦淑妃だ。

 龍琰にも彼女についてより深く調べるよう頼まれているので、どうにかして淑妃の周辺についても探りを入れていきたいところである。

 そして、貴妃が殺害された前後について。

 桧貴妃が殺害されたと見られる直後は、彼女の寝室の窓から飛び出していく人影を見たという、関黄玉かんおうぎょくによる目撃情報を得られた。

 これに関しては、犯人について具体的な特徴や証拠を得られた訳ではない。だが黄玉は幸いにも、鈴綾が女官として配属された尚官司の同僚である。

 黄玉は桧貴妃の侍女として働いていた経歴がある事から、どうにか彼女に頼んで、他の貴妃付きの侍女だった女性達から話を聞ける可能性がある。今は少しでも手掛かりを搔き集める必要がある為、出来るだけ早く当時の状況を知るべきだろう。

 何せ、人の記憶というのは忘れ去られるものである。

 事件から日が経てば経つ程、少しずつ詳細な記録が頭から抜けていってしまうからだ。

 今日のところは、こちらの方を優先して立ち回るとしようか……。


長官、白鈴玲はくりんれいにございます。入室の許可をお願い致します」

「お入りなさい」


 尚官司女官の証である金の小花の簪を髪に挿し、橙色の襦裙じゅくんを纏った鈴綾──後宮では白鈴玲と偽名を名乗る女が、尚官司の執務室の前で声を発した。

 すぐに部屋の主から返答を受け、鈴綾はそっと扉を押し開ける。

 そこには既に黄玉の姿もあり、他の女官達も顔を並べていた。何人かは昨日の内に挨拶を終えていたが、改めて自己紹介をしておいた方が良いだろう。


「昨日付けで尚官司に配属となりました、白鈴玲と申します。偉大なる先輩方のご指導の下、一刻も早く皆様に追い付けるよう努力させて頂きます。改めまして、皆様どうぞよろしくお願い致します」


 すると、目の前に立つすらりとした紺色の襦裙を着た女性──尚官司女官長・李桂英けいえいが、黄玉をはじめとする女官らにこう告げた。


「既に彼女と顔を合わせた者も居ますが、私の方からも改めて紹介させて頂きます。白鈴玲は、陸太師から推薦を受け配属が決まった女官です。太師の意向により、彼女は後宮外からの通いでの採用となっているので、皆も頭に入れておくように」


 桂英の言うように、本来は女官も後宮に寝泊まりするのが正しい形である。

 しかし鈴綾は特殊な事情……陸家の邸宅から後宮に通っての勤務となるので、黄玉達に比べるとどうしても仕事始めが遅くなってしまう問題があった。

 今日だって鈴綾が最後に青龍殿に到着している。こうして理由を説明しておかなければ、他の女官達から反感を買ってしまう。

 加えて、そうした特殊な待遇を受けている理由が太師の意向であるならば、一女官如きの立場では反論も出来ない。陸太師は、公私に渡って皇帝に近しい存在であるからだ。


 簡単に紹介を済ませた後、鈴綾も黄玉達の列に加わって並ぶ。

 前後二列の横並びになったのを確認し、桂英は本題に入った。


「……昨今の後宮での事件による妃嬪方の心労を危惧された陛下より、来節に妃嬪方の御心を癒すような催しを開くようにと命じられました。これにより、尚官司では私を補佐する者を二名選抜させて頂きます」


 妃嬪方を癒す催し……か。

 桧貴妃の事件といい、桃香と私の投獄の件といい、ここ最近の華絢宮は荒れすぎている。このような命令が陛下から下ったのも、妃嬪を愛でる皇帝であれば当然であろう。

 昨日の水汲みの一件の後に黄玉から聞いた話では、あの殺害事件が起きてからというもの、妃嬪同士でのいざこざがあちこちで増えているらしい。

 その内容は多岐に渡るというが、彼女が小耳に挟んだものだと「貴女が貴妃に刺客を仕向けたのでは?」だの、「淑妃様が貴妃様を妬んで、毒殺したのでは?」だとか、「あの奏桃香という姫君が犯人に違いない」「鬼の剣姫を送り込んで殺させたのよ!」なんて、根も葉もない噂話や嫌疑をかけて勝手に盛り上がっているのだとか。

 私の事はまあいい。だが、憶測だけで桃香を犯人扱いするのは許せない。相手がどれだけ高貴な血筋の姫君であろうとも、だ。

 そんな何の結果も出せない身勝手な推理と暴言を繰り広げては、派閥の異なる妃嬪同士で敵対し、頻繁に口論が繰り広げられ……その火消しに奔走するのが、尚官司女官の新たな仕事となってしまっているのだという。

 優秀な尚官司の女官でも、流石に自分より身分が上の妃嬪を完全に抑えられるはずもない。やんわりと仲裁に入ったところで、また少し経てば別の妃嬪と口論が勃発する。

 この調子ではまともに仕事もこなせぬうえに、妃嬪同士がいがみ合う現状を知れば、皇帝も見過ごす訳にはいかない。そうして決定したのが、後宮での癒しの催し計画だった。


「補佐の女官は、既にこちらで決定しました。……関黄玉、白鈴玲」

「はいっ!」

「はい」

「今回は貴女方二人に、私の補佐を頼みます。残る人員は、催し事が実施されるまで平時の職務に集中なさい。今の華絢宮では、妃嬪だけでなく女官や宦官かんがんに至るまで、神経を張り詰めさせている状態です。極度の緊張状態において、何らかの綻びがあれば後宮の平穏は遠退く事でしょう。全員でくまなく後宮全体の状況を把握し、問題があればすぐに対処出来る体制を万全に整えておくのです」

「はい、李女官長!」


 桂英の言葉に、女官全員がそう答えた。

 尚官司は、後宮で最も統制が取れた部署である。それを取り纏める桂英の判断に逆らう者など、ここには存在しない。

 すると、桂英は更に指示を飛ばしていく。


「補佐の二人は、ここに残って下さい。それでは、本日も皆の働きに期待しておりますよ」


 女官長の言葉を合図に、鈴綾と黄玉を除く女官達が執務室を退出する。

 残された二人は、桂英を交えて催し事の中身について話を進めていった。

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