第12話 真意や如何に

 真紅を纏う淑妃──燦英蘭に名を呼ばれた女官・夏胤珊の顔が、みるみる内に青ざめていく。

 それもそのはずだ。後宮で最も皇帝からの寵愛を受ける四夫人……その最後にして最高となった燦淑妃に、自身の名だけでなく、鈴綾達に向けていた醜い悪意までもを調べ上げられていたのだから。

 英蘭はまばゆい美貌をより引き立てる真紅の襦裙と、金の刺繍が施された披帛ひはくをふわりと揺らす。そして再度、鮮やかな紅の引かれた、形の良い小さな唇を動かした。


「そなた……聞く所によれば、こういった女官への嫌がらせは此度こたびが初めてではないそうじゃな? 自身を持ち上げる取り巻きは居れど、同時に敵も多いとか……」

「あ……あぅぅ……」


 これが、淑妃の情報網の成す力か。

 どんどん顔から生気を失っていく胤珊に対し、逆に上機嫌になっていく英蘭による、鋭い指摘の数々。胤珊はそれらに全く反論出来ぬまま、英蘭の言葉を浴び続ける選択肢しか選び取れていない。

 そんな反応すらも、彼女は全て楽しんでいる様子だ。英蘭はにやけが止まらない口元を、手にしていた見事な意匠の扇子を開いて隠した。けれどもその笑みは、三日月のように細められた英蘭の目を見れば明らかである。


「そなたは決して妾には死しても及びはせぬが、多少の才と美を認められ、この華絢宮に招かれた身であろう。……お前には、その自覚があるかえ?」


 華絢宮に招かれたという、自覚。

 彼女の発言に、その場の誰もがある人物を脳裏に思い浮かべた。……ただ一人、夏胤珊を除いては。

 英蘭は一歩、また一歩と憐れな仔羊を崖側に追い詰めていきながら、それでも言葉という刃を胤珊に向け続けている。


「……お前は、どこまでも愚かな娘よな。この叡賦帝国の隅々まで血眼に探し回ったとて、これを理解しておらぬ女はそうはおらぬぞ?」


 胤珊はその場から一歩も動けぬまま、ぱくぱくと口を動かし、息を吐き出すのみ。これではもう、女官どころか池の鯉同然である。

 あれだけ調子に乗っていた少女がすっかり恐怖に怯えている様を見せ付けられて、鈴綾は思う。

 もしやこの燦英蘭という女性は、真っ当な思考を持った妃嬪だったのではないか……?

 何故なら彼女は帝国に生まれし者として、至極当然な発言しかしていないからである。


「……後宮の女とは、正一品から正八品の全てに至るまでが、陛下の愛でる庭の花じゃ。その末端である八十一御妻の采女たるお前とて、その花の一輪に含まれておる」

「…………っ‼︎」

「ふふっ……そこまで言わねば伝わらぬか。まこと、愚か……愚かさをも通り越して、愛しさを抱いてしまいそうな始末じゃわぁ……」


 ねっとりと全身に絡み付くような、極限まで甘さを凝縮させた蜂蜜を思わせる、英蘭の声色。

 英蘭の放つ甘やかで妖艶な色気は、ぶわりと香り立つ高貴な花そのものだ。

 そんな彼女をはじめとする数多くの妃嬪……大輪の花々の片隅に咲くのが、黄玉や胤珊を含めた女官達である。

 無数の奇跡と努力と計算とを重ね、今や大帝国となった叡賦の皇帝に見初められた女性達──それこそが、華絢宮に集う全ての女性なのだ。

 ……だがしかし、この夏胤珊という少女はその身に余る程の栄誉と使命を忘れ、『皇帝陛下に心身を捧げ、忠義を尽くす』後宮の花々を害し続けてきた。その被害者の一人が、彼女のちっぽけな嫉妬によって理不尽な仕事を押し付けられた、鈴綾と黄玉であったのだ。

 胤珊は後宮の女として最も重大な事柄を忘れた、謂わば大罪人である。今回の水汲み騒動を切っ掛けに、その事実が明るみに出てしまった。

 そして──英蘭は扇子を閉じると、先端を目に大粒の涙を溜め込んだ胤珊に突き付ける。


「……決めたぞ。妾が直々に、お前に再教育を施してやろう!」

「さい、きょう……いく……?」


 突如として、誰一人予想もしていなかった発言を投下した英蘭。

 それを真っ向から受け止めるしか術の無い胤珊は、思わず見開いてしまった瞳から、ぽろりと大きな雫を零していた。


「感謝に咽び泣いても良いのじゃぞ、夏胤珊! このまま陛下に突き出し、お前を後宮から叩き出すのも容易であったというのに、だ。そんなお前に、この英蘭自らが慈悲をくれてやろうというのじゃからなぁ!」


 すると英蘭は、胤珊の返事も待たず、侍女の一人に言伝を伝える。


「この者を妾の宮付きの侍女とするよう、異動を届け出よ。明日より夏胤珊は、燦英蘭が嵐舞宮の侍女となるのじゃ!」

「娘娘の御心のままに……」


 そう言って頭を下げた淑妃付きの侍女は、英蘭の伝令を伝えるべく、速やかにその場から離れていった。


「それでは皆の者。妾を見習い、陛下に相応しい女人としての立ち居振る舞いを心掛けるのじゃぞ?」


 ではな、と短く言葉を発した燦淑妃は、侍女達を引き連れて彼女の所有する嵐舞宮へと戻っていく。


 龍琰の話では、桧貴妃殺害事件において一番に調査すべき人物だと耳にしていたはずだった、四夫人最後の一人である燦淑妃。

 けれども実際に鈴綾が対面した英蘭は、憎き恋敵を殺害しようと企てるような人物にはとても思えなかった。

 陛下への忠義と愛を捧ぐ、妃嬪や女官達の見事な手本であると言える、優しさと柔軟性を併せ持った女性──もしやこれが、李長官の仰っていた『淑妃本人と対面して驚く』素顔だったのだろうか……?

 ならば、桧貴妃の殺害を命じ、桃香を罠に嵌めた犯人は……?


 更なる謎が浮かび上がった華絢宮潜入調査の一日目は、こうして幕を閉じたのであった。

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