第9話 尚服司

 鈴綾と黄玉がやって来たのは、華絢宮の北方。

 閃緑岩せんりょくがん、もしくは黒御影石くろみかげいしと呼ばれる黒っぽい石を建材として使用した、荘厳な建物が眼前にそびえている。


「こちらが玄武殿です。ここになら鈴玲様の仰るような、丁度良い肉体労働が山ほどあるかと!」

「玄武殿というと、尚服司と尚食司のある建物ですね」

「左様です。凄いですね、鈴玲様! もう華絢宮の建物を把握されているのですね! わたしなんて、どの殿にどの司があるのか覚えるまで三日は掛かりましたよ?」

「後宮は土地も広大ですし、部署も多いですからね。最初の内は慣れなくて当然でしょう。それに私は、李長官の的確なご指導があったからこそ覚えられたに過ぎません」

「そんな事ありませんよ! きっと鈴玲様は、物覚えがとても良いのです。わたしが保証しますっ!」


 記憶力を褒められるのは父の率いる軍内でも何度かあったが、物覚えを保証されたのは今日が初めてだ。

 ひとまず黄玉にお礼を言って、彼女の案内で玄武殿の中……ではなく、その裏手に向かっていく。

 玄武殿には、妃嬪や女官達の服作りや洗濯を担当する尚食司と、後宮の各所に食事を提供する尚食司の二つがある。今は昼餉ひるげに向けて、厨房も大忙しなのだろう。どこからか鼻腔をくすぐる香りが漂って来る。

 その最中、尚服司の女官達も手を休めず働いていた。

 石が敷かれた地面に大きな丸い木桶が幾つも置かれ、その中には水と衣服が入っている。それを凹凸のある洗濯板で、ひたすらに洗っていく。

 真冬の冷たい水に手を突っ込み続けている尚服司女官達の手は、これでもかという程に真っ赤に染まっていた。あれだけ赤くなっていれば、手の感覚も麻痺しているだろう。

 すると、黄玉が近くを通りかかった女官に声を掛けた。その女官は、竹で編まれた洗濯籠を持っている。


「すみません! 尚官司女官の関黄玉と申します。新人教育の為、こちらで何かお仕事をさせて頂きたいのです」

「新人教育ですか……?」


 黄玉の言葉を聞いて、その女官が鈴綾の方を見る。

 彼女が纏う襦裙は、少し灰色がかった白だ。つまり、濃い白である。六色十二階では、鈴綾と黄玉より二つ下の階級である白の五。大義の女官という事になる。

 自分よりも階級の高い橙の襦裙を纏う鈴綾が新人だと聞いて、灰の尚服司女官の目付きが刺々しいものに変貌した。


「……そうですね。丁度人手が欲しかったところですので、早速お手伝いをお願い出来ればと思います」

「はいっ! 急なお願いにもかかわらず、ありがとうございます!」

「有難う御座います。宜しくお願い致します」


 黄玉に続いて、鈴綾も礼を述べたものの……。


「……では、私が案内させて頂きます」


 彼女は笑顔の一つも見せず、持って来た籠を洗い場担当の女官に渡し、鈴綾達に背を向けてスタスタと歩き始めた。

 ……これはどう見ても、嫉妬されている。後から後宮に来たくせに、新入りの分際で自分より上の階を賜ったのが気に食わないのだろう。

 あれぐらいの態度を取られて傷付くような柔な乙女ではないものの、仮にも女官達を束ねる尚官司女官にこんな扱いをして大丈夫なのかと心配になる。そんな風だから、いつまで経っても白の階級止まりなのではないか?

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