第8話 黄玉の目撃談

「わたしの家は、帝国の中でも田舎の方でした。ですが実家はそれなりに裕福だったので、将来皇帝陛下に寵愛される妃嬪となるべく教育をされてきました。その結果は、この有様なのですけれど……」


 黄玉に案内されたのは、華絢宮の外れの方にある庭園だった。

 外れにある分、後宮内でも地味な庭ではあるものの、それでも充分美しい庭園である。

 そんな庭の隅の方で、鈴綾は黄玉の言葉に耳を傾けていた。


「それでもわたしは、後宮女官としてこの華絢宮に来る事が出来ました」


 黄玉は幼い頃から芸事を習い、その才能を開花させた。

 叡賦帝国では年に一度、後宮女官を集める試験が行われる。けれども玉黄が十三歳になった年、試験の募集人員に変化が現れた。

 それこそが、皇帝・嶺明による『妃嬪・女官合同選抜試験」である。

 これまでの後宮では、貴族からの推薦や地方の視察による調査によって、妃嬪となる可能性のある女性達を選抜していた。その後、筆記と芸事の実技試験をこなし、皇帝を含めた面接が行われて最終結果が発表されていたのだ。

 だがそれは、何故かたった一度実施されただけに留まっている。その理由も公表されていないらしい。


「妃嬪・女官合同選抜……? それは、通常の試験とは何か異なっているのですか?」

「妃嬪に選ばれるような方々は、奇跡的に陛下ご本人に見初められない限りは、名家の姫君ばかりが後宮入りを果たします。ですがそこに女官選抜も加えれば、わたしのような平民の娘でも妃嬪に加われる可能性が、僅かにでもあったのです……」


 そうか、女官は平民でもなれるから……。優秀な人材であれば、女なら宮廷や後宮の女官に。男でも、武官や文官として取り立てられるからな。

 胡麻ごま粒程度の奇跡を掴むような話であっても、叡賦帝国皇帝の寵愛を得て、次代の皇帝となる子を残せば……例えそれが平民だとしても、成り上がる事が出来るのだから。


「鈴玲様は通常の女官試験を受けられたようですし、ご存知無かったのかもしれませんね」

「そ、そう……ですね」


 黄玉が鈍いのか、鈴綾が後宮入りした理由を深く探って来ないのは有難い。

 とにかく黄玉は妃嬪にはならず、女官として後宮にやって来た。これだけ素直で真面目な愛らしい娘だというのに、だ。


「……その試験に女官として合格を果たしたわたしは、最初に尚儀司の女官としてお勤めを果たしておりました」

「尚儀司の? 私はてっきり、後宮へ入ってすぐに白夜宮の侍女となったとかと……」

「どうやらわたしは、舞踊の腕を評価されたそうなのです。ですが……どれだけ上手く踊れたとしても、見目の麗しさでは、正真正銘の姫君の方々には遠く及びません。だから、だったのでしょうね」

「黄玉様……」


 困ったように笑いながらそう零した黄玉は、寂しげであれども、野に咲く可憐な花のようだった。

 人の手によって丁寧に育てられた大輪の薔薇とも、神々しく咲き乱れる白百合の華やかさとも異なる、等身大の少女らしい健気な姿。

 もしも自分が妃嬪を選ぶ立場であれば、間違い無く黄玉を迎え入れよう陛下に進言していただろうに。

 黄玉という少女は、例えるなら桃香のような、大切に守ってやりたくなるような繊細さとはまた違う。

 二人で同じ歩幅で歩きながら、何でもないような出来事に一喜一憂して、いつまでも笑い合っていたくなるような……一緒に居るだけで、風に揺れる蒲公英たんぽぽのように温かな気持ちになれる──関黄玉の笑顔は、そんな風に感じられるのだ。


「ですが、その後に転機が訪れました。夏の行事の際、尚儀司の踊り手として、妃嬪の皆様の前で舞踊を披露する機会があったのです。そこで貴妃様の目に留まり、わたしの踊りをいつでも近くで観たいから……と、わたしを白夜宮の侍女として招いて下さったのです!」

「それが切っ掛けで、黄玉様は貴妃様の元で働くようになったのですね」

「はいっ! 貴妃様……娘娘じょうじょうはとても穏やかでお美しい方で、まだ後宮に慣れずにいたわたしをよく気遣って下さって……毎日が、とても幸せでした」


 けれども、黄玉の充実した日々は突如として終わりを告げた。

 その原因こそが、ほんの十日程前の桧祝籃の急死である。


「……ある日、何故だか異様に早く目が覚めてしまったんです。まだ陽も昇っていない時間でした。でもせっかく起きてしまったのだからと、顔でも洗ってこようと思ったんです」


 井戸から水を汲んで、桶に入った水で顔を洗った。冬の早朝という事もあって、凍えるように冷たかったけれど、目を覚ますには丁度良い温度だった。


「他の方々を起こさないよう、人気の無い場所の掃除でもしてしまおうかな……と、白夜宮に戻ろうとしたその時に、娘娘の寝室の窓から飛び出していく人影を見てしまったんです」


 寝室から人影が……?


「……他の者に報告は?」

「し、しました! でもその前に、娘娘の身に何かあったのではないかと、大急ぎで駆け付けたんです。そうしたら……寝台に倒れ込むようにして、うつ伏せになった娘娘のお姿があって……!」

「警備の者はどうしていた? 医官はすぐに呼んだのか?」

「警備の方々は、その人影を追って下さいましたが……捕まっておりません。お医者様も急いで及びしましたが、診察が行われた寝室に立ち入りを許されたのは、侍女頭のみでした」

「詳しい死因は判明していない、と聞いたが……君が現場に到着した際、貴妃様のお身体に傷や血痕等は見られなかったか?」

「いえ、特には……」


 ふむ……外傷も血も残されていない、と来たか。

 これは困った。黄玉の言う『寝室の窓から飛び出していく人影』というのが見間違いでなければ、その人物が桧貴妃に何らかの危害を加え、暗殺したのは明白だ。

 しかし犯人は現場から逃走し、今も捕まっていない。

 更に言うなら、外傷が無いなら刺殺や撲殺でもなく、血の跡すら無いのなら毒薬を盛られたとも考え難い。死因が不明とされたのも納得だ。完全な不審死だぞ、これは。


「……そ、それにしても、鈴玲様。急に言葉遣いが凛々しくなったり、お顔もキリリとされて……鈴玲様も自分と同じ女性なのに、先程から胸がどきどきしています……!」

「あ……申し訳ありません、黄玉様! 急に馴れ馴れしく接してしまい、何と詫びれば良いか……」


 やってしまった。話を真剣に聞くあまり、うっかり素を曝け出してしまっていたらしい。


「お、お詫びなんていいんですっ!」

「しかし……」


 胸がどきどきする、なんて言われてしまったが……私は普通に会話をしていただけだったんだが、何故なのだろう。

 昔から桃香や屋敷の使用人達にも似たような事を言われてきたが、そんなに怖い顔をしてしまっていたのだろうか? 脅すような事をするつもりは無かったのだが……。

 けれど、このままこの失態を放置する訳にもいくまい。


「……それでは黄玉様、こういうのはどうでしょう?」

「は、はいっ?」


 小さく首を傾げる黄玉に、鈴綾は堂々と告げる。


「尚官司女官の仕事として、最も身体を酷使する仕事を率先して回して頂けないでしょうか? 私は体力には自信があります。それに加えて、まだ後宮入りして日も浅いですから、いきなり事務仕事というのは厳しいと思うので」

「体力仕事……ですか? でも、そういったものは宦官の方が引き受けて下さいますし……」

「ここは後宮ですし、女性にしかやれない仕事で、重い物を運ぶ仕事等はないですか? 長距離移動が必要となる伝令でも構いません。初日から先輩に無礼を働いてしまった……そのお詫びをしたいのです!」

「せっ、先輩……⁉︎」


 そう言われて、黄玉は目を見開いた。

 しかしその表情は、驚愕だけでなく喜びの色も見え隠れしている。

 黄玉は鈴綾に任せられる仕事が何か無いかと考えてくれたようで、暫くうんうんと唸っていた。そして──


「ああっ! それならを二人でやってみませんか?」


 そうして鈴綾は、瞳を輝かせた黄玉に提案された仕事場へ彼女と向かうのだった。

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