第3話 潜入調査に向けて
松華と竹華の案内に任せて、磨き抜かれ掃除の行き届いた廊下を歩く。
二人が扉の横に立ち、それぞれが左右の扉を開けた。鈴綾はそのまま食堂に入る。
「おはよう、鈴。今日から君の初仕事が始まる。さあ、たんと食べて英気を養っておくれ!」
朝から呑気な声で鈴綾を出迎えたのは、既に食堂に来ていた仮の婚約者・龍琰だ。
龍琰は『鈴綾』とも『鈴玲』とも取れる『鈴』という名で彼女を呼ぶが、もしや使用人達に気付かれないようにする為の呼び名だったのだろうか?
そんな事を考えながら、鈴綾は龍琰と同じ回転式の食卓に向かい、すかさず椅子を引いてくれた松華に促され着席する。
間も無くして出来立ての朝餉が運ばれて来る。梅を散らした粥や、野菜と豚肉の炒め物等が並び、締めには柑橘の果物を食べやすく切った小皿が用意された。
鈴綾も龍琰も、朝からしっかりと食事を摂れる体質であった為、充分に腹を満たす事が出来た。
朝餉が済めば、今度は馬車で大聖宮に向かう事になる。鈴綾は後宮である
松華と竹華に見送られながら、仮初めの婚約者達は籠に乗り込んだ。
籠の中は、今回も防音結界が効いている。龍琰は宮に到着するまでの時間を利用して、鈴綾にこれからの詳細を説明し始めた。
「僕達は今日から君が働く……もとい、潜入調査を行う華絢宮に向かっている訳だけれど。今着ている襦裙が後宮でどのような立場にある者が纏うものなのか、多分知らないよね?」
「橙の襦裙という事は、色級的には第四級。黄色よりも濃いのだから、
「
六色十二階とは、皇帝に仕える官吏や女官に与えられる色分けされた階級。宮中全体の大きな枠組みの事である。
纏う襦裙の色が上から順に、一の紫・二の青・三の赤・四の黄・五の白・六の黒の計六色。例えば同じ紫の襦裙でも、薄紫と濃紫の二種類があり、より色の濃い方が階級が上になるのだ。
例を挙げれば、向かいに座る龍琰の襦裙。衣の色は皇帝よりは薄いが、十二階の中では濃い紫だ。
そして紫色の襦裙を着る者達は『徳』と呼ばれ、徳の字の前に濃い方を『大』、薄い方には『小』と付ける。つまり龍琰の場合、濃紫の襦裙を着た大徳という階級を与えられている事になる。
続いてその下には、青の大仁と小仁、赤の大礼と小礼。そして鈴綾の纏う襦裙である黄の大信と小信となり、白の義、黒の智と振り分けられているのだ。
それら六つの色と十二の位の総称が、六色十二階と定められている。
「鈴が後宮に入るにあたって、可能な限り自由に動き回れた方が何かと都合が良い部署に配属させてもらったよ」
「と、言うと……?」
「君には父譲りの武芸の才はあるものの、残念ながらこの国の後宮には、そういった武芸に秀でた女官を置く専門の部署が無い。その上で考えたのが、尚官司への配属だ」
尚官司といえば、後宮内に設置された六つの部署一つ。
礼楽に携わる尚儀司。妃嬪達の衣服や、官吏達の衣服の製作と管理を行う尚服司。妃嬪や宦官達の食事を用意する尚食司。後宮内を過ごしやすい環境に整える尚寝司。工芸品に携わる尚功司。
それら五つの部署が担当する以外の様々な仕事をこなし、必要とあらば各所の応援に駆け付ける事もある、総合的な能力を要求される場──それこそが、尚官司の仕事である。
鈴綾が尚官司の女官として配属される件に関しては、龍琰が二日前から尚官司女官長に手を回しているので、特に大きな問題は無い。
「尚官司女官であれば、後宮内のどこに居ても不思議ではないからね。それに、君は武官の──あの鐘大将軍の娘だから、礼儀や芸事にも一定以上の知識と経験が備わっている。おまけに肝の据わった子だから、女性だらけの後宮でも上手くやっていけるはずだろう?」
「まあ……我が事ながら、武芸に秀でている自覚はあるものの……それなりにはやれると思うが」
「なら安心だね! ああ、それから……尚官司女官長の事は信用してくれて良いよ。彼女は古くから皇帝に仕える文官の家の出で、
右丞相の娘……と言う事は、皇帝の側近中の側近の娘になる。
皇帝がそれだけの位を与える者の娘なのだから、その女官長は勿論、彼女が指揮する女官達も優秀な人材なのだろう。
何せ尚官司は、後宮内の纏め役とも言える存在なのだ。そこに勤める女官が無能では、あっという間に後宮が崩壊していくのは間違いない。
けれどもそんな場所に自分が配属されるというのは、多少なりとも緊張してしまうものがある。
正式な女官として尽力する訳ではないが、皇帝だけでなく後宮の人間全てに『鐘鈴綾』である事を隠し通しながら働き、なおかつ祝籃の死の謎を解明せねばならないのだから大変だ。最早、大変どころの騒ぎではないのだが。
「後宮についての詳しい説明は、その女官長から聞いてくれ」
「……優先して調べておくべき人物や事柄はあるか?」
「うーん……まずは、四夫人について調べていくのが無難かな?」
「四夫人……か」
それを口にした鈴綾の表情が、分かりやすく曇る。
四夫人といえば、貴妃である祝籃を含めた妃嬪の最上位を指す。……本来であれば、桃香もその中に加わるはずだったのだ。
とは言え、いつまでも落ち込んでいる訳にもいかない。四夫人であれば、少なくとも祝籃とは面識があったはずだ。
皇帝・嶺明の後宮における四夫人には空席が多いが、逆に言えば調査対象が少ない分、より迅速に事件を追っていける。
まずは華絢宮に残された、ただ一人の四夫人──
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