第2話 仮初めの婚約者

 あれから二日。

 陸家の使用人達は、すっかり鈴綾を『未来の奥様』として扱っていた。それもこれも二日前、龍琰が嬉々として屋敷中に鈴綾との婚約を言いふらしたからだ。

 お陰でその日の夕餉ゆうげは、目に見えて豪華な食材を使った料理がこれでもかと食卓に並べられ、食事が済むと「ところで、お二人の婚儀はいつ頃をご予定なのですか?」と訊ねられてしまった。

 いやまあ、確かに私は龍琰の婚約者としてここに住まわせてもらっているんだが……あくまでも婚約者だからな? 調査を円滑に行う為の拠点確保が目的の、愛の無い偽装婚約なんだからな⁉︎

 思い切ってそう叫んでしまいたい気持ちを抑え、鈴綾は使用人達にされるがままに身支度を整えられていた。

 その使用人というのが、龍琰と冬餡餅とうあんもちを囲んでお茶をした際にやって来た、双子の侍女である。


鈴玲りんれい様。御髪おぐしは本日も三つ編みで纏めて宜しいですか?」

「ああ、それで良い」


 双子のしっかりした方──姉の松華しょうかが、仮の婚約者としての別名を呼んだ。


「鈴玲様〜。御髪にこちらの織物を編み込むと、より美しくなるかと思いますが、如何なさいますか〜?」

「君達の気遣いは有難いのだが、あまり目立つと困るのでな……。その細い織物は、また別の機会にでも頼むよ」

「左様ですか〜……」


 このゆったりした言葉遣いの方が、妹の竹華ちくかである。

 松華と竹華は、互い違いの黒と青の瞳を持つ双子だ。松華は右目が黒く、左目が青で、竹華はその逆。

 先日、鈴綾達に茶を淹れていたのが姉の方で、菓子を用意していたのが妹の方だったらしい。あの時は緊張していて気付かなかったが、こんなに綺麗な瞳をした少女達だったとは知らなかった。

 彼女達は龍琰の指示により、一昨日から鈴綾専属の使用人として身の回りの世話を焼いてくれている。因みにこの二人も、鈴玲が本当は鈴綾であり、処刑が決まった脱獄犯である事実は知らない。

 どこから情報が漏れるか分からないので、可能な限り秘密にしておきたい──というのが、龍琰の強い意見であったからだ。

 松華は椅子に座った鈴綾の長く艶やかな黒髪を櫛で梳かし、小瓶に入ったとても香りの良い水を数滴垂らしながら、ゆっくりと丁寧に整えていく。

 この水は仙香水せんこうすいといい、外国から取り寄せた品であるらしい。蘭のような優雅な香りがするだけでなく、寝癖の付いた髪でも簡単に真っ直ぐにしてくれる優れ物だ。

 外国の品という事は、やはりそれなりに値段が張る。

 鈴綾が「自分の為にそんな高価な物を使わないでくれ」と頼んだものの、きっぱりと却下されたのが昨日の朝。これまで浮いた話の一つも無かった主人に、やっと婚約者が出来たと歓喜する使用人達を制止する術を、鈴綾は持っていなかったのだ。


「う〜ん……それでは鈴玲様〜。こちらの髪飾りは、御主人様とのお出掛けの際にお召し下さいね〜」

「……考えておく」


 そう言って、髪飾り等の小物が入った箱に紐状の絹の織物を仕舞う竹華。

 こちらもまた外国産の装飾品で、鮮やかに染め上げた絹糸を、細い帯状にした織物──飾紐りぼんという物らしい。

 髪に編み込んで華やかに仕上げるも良し、衣服に付けて愛らしく仕立てるも良し。元は龍琰の母の持ち物であったらしいが、母を亡くした今、それを身に付ける者は居ないのだと彼の口から語られた。

 いつまでも所有者が居ないのも母が悲しむだろうからと、鈴綾の着替えや必要な装飾品を揃えた時に、一緒に渡されたものである。

 ……こういうものは、私なんぞより桃香の方が似合うだろうに。

 今も尚、この都の叡賦大聖宮の地獄牢に囚われたままの友の顔が、脳裏に浮かぶ。


 これから鈴綾は、自身と桃香に掛けられた後宮妃嬪ひひん桧祝籃ひしゅくらんの死の真相を調べ上げるべく、後宮に乗り込まなければならない。

 処刑が決定した今、二人の刑が執行されるよりも早く祝籃の死因を突き止め、桃香に濡れ衣を着せた真犯人を突き止める──それが出来なければ、鈴綾共々この世とおさらばするしか道は無い。

 たった二日の内に鈴綾を後宮女官として送り込む準備を進めた龍琰の手腕によって、既に手元には女官専用の襦裙じゅくんが用意されている。


「それでは鈴玲様。朝餉あさげの御用意が出来ておりますので、食堂まで御案内致します」

「どうぞこちらへ〜」


 双子の使用人によって完璧に身支度を整えられた鈴綾が纏うのは、桂花けいかのような鮮やかな橙色だいだいいろをした襦裙だった。

 その衣の色が、後宮では何の役職を示すものなのか……。

 鈴綾はその答えを求めて、一足先に食堂で待っているであろう龍琰の元を目指す。

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