第7話 脱獄
長い階段を登りきると、ようやく空気が軽やかになったように感じた。
地下牢から宮中へ出た鈴綾達は、婚礼の儀に招かれていた貴族や兵士達が行き交う正門を避け、人気の少ない裏門に向かっている。
道中で陸大師と擦れ違う者達が、彼と手短な挨拶を交わす。その最中も、鈴綾に掛けられている姿消しの魔術はしっかりと効力を発揮し続けていた。
擦れ違いざまに何度か他人とぶつかりそうになる場面もあったものの、鈴綾は持ち前の身体運びで上手く
どうやらその様子は術者である陸大師にだけは目視出来ているようで、鈴綾にだけ聞こえる程度の声量で「お見事だね」と褒められた。
彼に褒められてもあまり嬉しくはないが、そうこうしているうちに二人は裏門を突破。
「さあ、もう喋っても大丈夫だよ。この籠には防音結界が張ってある。君の存在は宮廷の兵士達だけじゃなく、僕の従者にすら気付かれていないよ」
「……そう、なのか。姿を消したり、音を遮断したりと……魔術とは、私が想像していた以上に便利な代物なのだな」
「いやいや、僕にはこれぐらいの小細工しか出来ないというだけさ! 対人戦に関しては、僕なんかより天子の方が余程優秀だからね」
天子とは、皇帝を指す呼称の一つだ。
その言葉が彼の口から出た瞬間、鈴綾はふとある事を思い出した。
「……そういえば、なんだが。ここまでの道中である程度は察しが付いているが、貴様は……否。貴方はもしや、あの陸龍琰太師なのですか……?」
「『あの』というのがどういう意味かは深掘りしないでおくけど……うん。名乗るのが遅れてしまったが、僕は叡賦皇帝・嶺明を幼い頃から鍛えてきた、陸龍琰その人だ」
「やはり……!」
陸太師本人の言葉で事実を聞かされ、鈴綾はこれまでの自身の振る舞いの数々を思い返して、胃やら腸やらが急速に冷えていく感覚を覚えた。
太師といえば、皇帝がまだ幼い頃から見守ってきた宮中の重役だ。
その上、皇族も神々からの寵愛を受けた血筋の一つである。嶺明が陸太師から直々に魔術の指南を受けていたのは明白だ。
まさか私が、そんな帝国の重役に対してあのような無礼を働いていたとは……!
……いやいや、冷静になるのだ鐘鈴綾。私を自然な形で後宮に潜り込ませる為とはいえ、一度は私を欺いて地獄牢に叩き込んだ男なのだぞ⁉︎ あの状況で怒鳴らない方がどうかしているだろう、確実に‼︎
とは思ったものの、籠の中で向かい合って座る龍琰が、帝国にとって欠かせない存在であるのは変わらない。彼に騙された恨みがあったとしても、武家の娘としてきちんと謝罪しておかなればならないのだ。
「……陸太師。私は貴方様に対し、数々の無礼を働いてしまいました。御尊顔を存じ上げておらなかったとはいえ、私のような小娘には、到底許されるべきではない振る舞いでございました」
「あわわっ、謝らないでくれたまえ!」
「で、ですが私は……」
「さっきも言っただろう? 君とあの地下牢で顔を合わせた時、きちんと名乗っておかなかった僕がいけなかったんだ。だから、これでこの件はこれでおあいこだよ」
それに……と、龍琰は続ける。
「そうやって君に畏まられてしまうと、どうにも居心地が悪いんだよねぇ……。ああ、そうだ! 折角だから、君にはこれまで通り接してもらえると助かるなぁ!」
「こ、これまで通り……?」
まさか、今まで通りの対応を希望されるとは……。
数々の戦場に赴き、幾多もの修羅場を潜ってきた鈴綾であっても、その提案には戸惑わざるを得なかった。
けれどもそれを希望する物好きな大師殿の瞳は、心の底から鈴綾との対等な関係を望んでいるのが見て取れる。
「……後悔、しないな?」
「勿論だとも!」
「はぁ……。では、改めて。私は蘭白州が鐘家の娘、鈴綾。私のことは好きに呼んでもらって構わんぞ」
「僕のことは、陸太師でも陸先生でも……あ、龍琰でも全然良いんだよ? どれがお好みかな?」
「……なら、龍琰で」
何故なら、それが一番短くて楽だから。
「龍琰を選んでくれるのかい⁉︎ いやぁ、嬉しいなぁ! 僕をその名前で呼んでくれるのは、故郷の家族か天子くらいなものだから、本当に嬉しいよ! こちらこそ改めて宜しくね、鈴綾!」
「あ、ああ……宜しく頼む、龍琰」
まさか、名前の呼び方一つでここまで喜ばれるとは思わなかった。
彼の家族か、この国では陛下しか呼ばない名を選んでしまったとは……。無難に陸大師にしておくべきだったかもしれん。
にこにこと周囲に花でも飛ばしていそうな笑顔を見せる龍琰と、苦笑するしかない鈴綾。
しばらくすると、二人を乗せた籠馬車はどこかに停車したらしい。ぴたりと振動が止まった。
「あ、もう到着したみたいだね。大聖宮を出たから、もう姿消しの魔術は必要無いよ。おいで、鈴綾」
彼に続いて、鈴綾も籠から降りる。
するとそこは、どこかの邸宅のようだった。ぱっと左右を見渡しただけでも、手入れの行き届いた立派な庭園であるのが分かる。
「お、おい龍琰。ここはどこなんだ? 走った距離からして、都のどこかであろうというのは分かるが……」
すると、龍琰は白雪のような髪をふわりと揺らしながら、鈴綾の方に振り向いてこう告げた。
「ふっふっふ……! ようこそ、僕の家へ! ひとまず今日のところは、ここに泊まっていくと良い‼︎」
「…………は?」
こいつ、今何と言っていた……?
思わずその場で硬直してしまった鈴綾。
対して、鈴綾がそうなってしまった発言をした龍琰本人は、にこやかな笑顔で彼女の背中を押していく。
そのまま鈴綾は、ろくな抵抗も出来ずに龍琰の邸宅へと案内されるのだった。
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