第5話 術士の策

 暗く冷たい石の通路を抜けて、壁に手を添えて細い階段を上っていく。

 こんなにも寂しい場所に、最愛の友である桃香を置いていく。その事実に、鈴綾は胸が引き裂かれそうだった。

 けれども、彼女の未来を変えられるのは己だけ。

 桧祝籃の死の真相を解き明かし、その犯人を皇帝に突き出すのだ。そうしなければ、桃香の処刑は覆らない。そして鈴綾も、彼女と共に濡れ衣を着せられたまま死ぬしかないのだから。


「ここに連れて来られるまでに見てきただろうけど、地獄牢には見張りが置かれていないんだ」


 友を救う為に覚悟を決めた鈴綾を導くのは、薄紫の襦裙を纏った白髪紅目の細身の男。

 神が人に与えた魔術を操るその男は、鈴綾諸共もとろも桃香を地獄牢に投獄することで、祝籃の不審死を調査する態勢を整えたのだと言う。

 良くも悪くも、鈴綾は目立ってしまったからだ。


 ──噂の鐘家の剣姫が、大罪人の奏桃香の共犯者として死罪が決定した。


 婚儀に参列した者達は、皇帝・嶺明が今は亡き祝籃に贈った簪を身に付けていた桃香を見た。

 そんな彼女を追い掛けようとした、剣姫の姿を目撃した。

 鈴綾は桃香に比べて特別美人という訳ではないが、女性でありながら剣を腰に挿した者は稀である。そんな鈴綾が表立って事件の調査を開始すれば、もしや剣姫が脱獄したのでは……と疑われてしまうことだろう。

 そこでこの男は、そんな鈴綾が自由に動けるような策を講じたのである。


「君には既に、周りの者達から姿が見えなくなる術をかけてある。けれども声を出すと流石に気付かれてしまうだろうから、この階段を登り終えたら黙って僕について来てほしい」

「……ああ」


 その策というのは、『鈴綾の幻を牢に残し、本人は全くの別人として後宮に乗り込む』というものだった。

 彼の口からその策を聞かされた時、鈴綾が驚いたのは無理も無い。




 *




 時は、ほんの少し前に遡る。


「わ、私を後宮に潜り込ませるだと……⁉︎ 正気か、貴様!」

「正気も正気、そして本気だとも! 大丈夫だ、この僕を信じてくれたまえ!」


 地獄牢の最奥で桃香と別れてから間も無く、上層への階段を目指す最中のことだ。

 点々と灯る小さな炎の光だけを頼りに通路を進んでいると、白髪の男が今後の動きを語り出したのである。


「祝籃の亡骸が発見された後宮……華絢宮は、流石の僕でも足を踏み入れられない場所だ。どれだけ宮中で祝籃の死について調べようとも、どうにも限度があってねぇ……」

「私に行かせずとも、貴様の魔術で女に化けて潜入すれば良いだろう!」

「確かに姿を変える事は出来るけれども、声までは変えられないのさ。姿形は絶世の美女なのに、声は男だとか……怪しさ満点だろう?」

「……女に化けた貴様が美女なのかは知らんが、その声が変えられないのは厳しいな」

「そうだろう、そうだろう?」


 へらへらと笑う男の声は、紛れも無く男性特有の低音が響いている。

 鈴綾は言葉を濁したが、目の前を歩く男の見目は麗しかった。

 穏やかな笑みと優しげな目元に、すらりと背の高い美丈夫。その上、どのような身分なのかまでは分からないが、皇帝に認められた紫の衣に袖を通す地位にある術士なのだ。

 もしも鈴綾が幼い頃から桃香の美しさに触れていなければ、うっかり恋に落ちていても不思議ではない──そんな魅力のある男が、彼だった。

 ……少なくとも、今の鈴綾にそんな可能性は一切無いが。

 そんな彼が、完璧な女性として魔術で変化していれば……きっと何の問題も無く後宮に潜入出来ていたに違いない。


「だからこそ、これは君にしか頼めないんだよ! 皇帝以外に後宮に立ち入れるのは、妃嬪と彼女達の世話をする女性達と、宦官かんがんだけ。そして、どんな危険があるか分からない今の華絢宮を調査出来る、剣技に長けた姫君がここに居る……!」

「だから私が、後宮に潜入する……と?」

「ああ勿論、その任務専用の偽名と役職を名乗ってもらうからね? 名前は、そうだな……鈴玲りんれいなんてどうだろう?」

「……勝手にしろ」


 偽名だろうが何だろうが、世間からすれば『鐘鈴綾』はもうじき死ぬ女として認知されている。それも、絶対脱獄不可の地獄牢に囚われたはずの囚人だ。

 そんな鈴綾が身分を偽り名を変えて、祝籃の死の真相を解き明かそうとしているなどと、誰が予測出来るだろうか?


「まあひとまず、詳しい話はここから出てからゆっくり考えよう! この僕がついているんだ、きっと上手くいくに決まってるさ!」

「貴様のその根拠の無い自信は、一体どこから来るんだ……?」


 呆れ半分、疑い半分で男の背中を見詰めるしかない鈴綾。

 それから間も無くして、二人は上層へと続く階段に辿り着くのであった。

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