第4話 地獄牢

 叡賦大聖宮の地下深く。

 帝国に仇なす者、皇帝に歯向いし者。その中でも特に重い罪を犯した者が放り込まれる場所こそが、地獄牢である。

 光の差す窓も、温かい食事も出されない極寒の牢獄。

 鈴綾と桃香の二人は、石と鉄に囲まれた暗い牢の中へと叩き込まれていた。


 あの白髪の男……何が『ここは僕に任せてくれないか』だ!

 大広間での婚礼の儀が中断され、祝籃殺害の容疑をかけられた桃香。兵士共に連行されようとしていた彼女を救い出そうとした鈴綾の前に現れた、白銀の髪に紅玉の瞳を持ったあの男。

 鈴綾と同じく高位の重臣か、その身内の者だろうと思ったからこそ彼を信じて剣を収めたが……今思えば、それが大きな過ちだった。

 白銀の青年は、鈴綾から戦闘の意思が無くなったのを確認した途端、彼女の剣を魔術で奪い取ったのだ。

 神の魔術を扱う者など、宮中においてもごく僅か。限られた血筋を受け継ぐ者にのみ許されたその力は、神々に愛された家系であることを示すのだという。

 そんな力を宿した男が薄紫の衣を纏っていたのだから、彼は確実に皇帝側の人間だ。

 魔術によってするりと腰の剣を取り上げられた鈴綾は、十人もの男達の手によって身動きを封じられた。まんまとめられたのだ、あの男によって。


「ふざけるな……ふざけるな、ふざけるなぁぁぁぁああぁっ‼︎」


 私の命などどうなっても良い。だが桃香は……あの心優しい彼女のことだけは、私が死んでも護ると誓ったのだ‼︎

 真冬の地獄牢の寒さが、絶叫する鈴綾の肺を満たして、また喉から声と共に吐き出されていく。

 あの男への怒りをどれだけ叫ぼうとも、既に兵士達の姿はどこにも無い。

 何故ならここは、過去にただの一度も脱獄者を出したことの無い鉄壁の牢獄なのだ。近くに見張りなど置かなくとも、誰も逃げ出すことの出来ない終焉の場所──地獄の名に相応しい監獄だからだ。


「ごめん、なさい……ごめんなさい、鈴綾っ……」


 怒りに猛る鈴綾の向かいの牢で、桃香は縮こまって泣き続けていた。

 二人は皇帝の独断により、明確な証拠も無いままに共犯として投獄されている。故に、鈴綾達はそれぞれ別の牢に押し込められたのだ。

 大きな瞳からぼろぼろと涙を零す桃香は、何度も何度も最愛の友への謝罪を繰り返す。


「あの時、わたくしが貴女の名前を叫んだばかりにっ……無実の身でありながら、大切な幼馴染を巻き込んでしまったわ……! もしわたくしだけが捕らえられていれば、鈴綾の命は救われていたというのに……‼︎」


 綺麗に整えられていた桃香の黒髪は、祝籃の簪を取り上げられた際に激しく乱されてしまっていた。

 紫色の小粒の石を集めて作られた、藤の簪。あの簪さえ身に付けていなければ、このような事態にはならなかったはずだろう。

 現に桃香は、最終的には皇帝である嶺明の目で見定められ、妃嬪として招かれることが決定していた。それまでに妃嬪選抜を担当する者達が見定めていたとしても、彼女を後宮に入れると決めたのは嶺明自身だったのだ。


「……桃香、君は何も悪くない。悪いのは、君を陥れた何者かだ」

「わたくしを……?」


 そう。何故なら皇帝は、桃香に恋をしていたからだ。


「君は皇帝に選ばれ、これから後宮で生活しながら未来の皇帝の母となるべき女性だ。身も心も、私の知る中でこの世の誰よりも美しい桃香こそが、その地位に相応しかったんだ……」

「ですが陛下は、もうわたくしには……」

「……そう仕向けようとした何者かが、こうして私達を罠に陥れたんだ。そうでなければ、おかしいんだ……!」

「うんうん、僕もそう思ってたんだよね」

「……っ、貴様ぁ!」


 二人の会話に自然と紛れ込んでいたのは、男の声。

 その声の主こそが、鈴綾を裏切った魔術士──白銀の髪の男であった。

 激昂する鈴綾が鉄柵へと体当たりをかますも、その向こうに立つ男に一撃を浴びせることは叶わない。

 今にも射殺さんとする勢いで男を睨む鈴綾だったが、目の前の男はへらりと笑みを浮かべるばかり。ますます腹が立って仕方が無い。


「貴様っ、私を裏切ったな⁉︎」

「裏切った? 僕が?」

「貴様以外に誰が居るっ! 何故、桃香を救わんとした私を牢に入れるよう兵達へ命じたのだ‼︎」

「まあまあ、ひとまず落ち着いて話を聞いておくれよ。勿論、そちらの姫様もね?」

「り、鈴綾……」


 こちらがどれだけ真剣に問い質そうとしても、本気で相手にされている気がまるでしない。流れる水を掴もうとしているかのようだ。

 怯えた声で自身の名を呼ぶ桃香の不安げな顔が、暗がりに慣れてきた目でもよく見える。

 ……どの道、このままでは私達の結末も目に見えている。話を聞くぐらいなら、許してやっても良いのだろうか?


「……話してみろ、魔術士」

「ははっ、どうやら僕はすっかり嫌われてしまったらしい」


 お前には、他人に嫌われるようなことをした自覚が無いのか?

 そう答える間も無く、男は真紅の瞳を愉快そうに細めてこう告げた。


「さっきの話に戻るけど、君達は誰かに祝籃殺しの濡れ衣を着せられている。それは理解しているね?」

「……それを確定させたのが、桃香が持っていたあの簪なのだろう?」

「ご名答! あの藤の花を模した簪は、梗祝妃が亡くなる前日に天子から贈られた特注品だったんだ」


 亡くなる前日に、皇帝自ら贈った特別な簪……。

 そんなものを翌節に桃香が身に付けていたのだから、あれだけの殺気を放っていたのも頷ける。皇帝に寵愛されし上級妃。その一人を殺して手に入れた簪だとしたら、桃香は帝国の歴史に残る悪女として語り継がれる程の大罪を犯したことになる。

 ……けれども桃香は、そのような悪事に手を染めるような女ではない。物心付いた頃から共に時を過ごしてきた鈴綾には、そんな確信があった。


「つまり、だ。結局の所、祝籃殺しをした真犯人は未だ健在。そこで──」


 男は、どこからか取り出した木の杖を鈴綾に向ける。


「鐘鈴綾。死罪が決定した君は、今や遠くない未来に命を落とす姫君として人々に認知されている。僕はそれを利用して……君に、この事件の真相を解き明かしてもらいたい!」

「……まさか、私を自由に動かす為に投獄したというのか?」

「ああ、そのまさかだとも!」


 あまりにも良い笑顔で頷いた、目の前の白髪男。

 もし自分がこの牢の外に居たとすれば、あの無駄に整った顔面に拳を一発喰らわせていたところだ。いや、三発でもきっと神は許してくれよう。血筋なら、きっと鐘家の私だって劣っていない。

 そんな本音を奥歯で噛み砕きながら、鈴綾は男の言葉に耳を傾け続ける。


「君がこの依頼を達成してくれれば、君も奏桃香も晴れて自由の身になれる。それに、僕の魔術があれば君の幻を作り出し、その牢の中で身代わりとして維持させることも可能だよ?」

「……私達にとっては美味い条件だ。だが、私をここから逃して陛下に見付かれば、貴様もただでは済まないはずだが?」

「この事件の解決は、僕にも充分利益のあることだからね。……それで、この依頼は引き受けてもらえるのかな?」


 そう言って、男は柵越しに鈴綾へと手を差し伸べた。

 この手を取れば、鈴綾は桃香を置いてこの地獄牢から抜け出すことになる。彼女をこんな暗くて冷たい場所に置き去りにして、自分だけが再び陽の光を浴びても良いのだろうか?

 しかし、そうしなければ自分達に待つのは死のみだ。


「私は……どうすれば……」


 けれどもその迷いは、友の一声によって断ち切られた。


「お願い、鈴綾……わたくしのことはいいから、桧貴妃を暗殺した犯人を捕まえて……!」

「桃香っ……⁉︎ だが、それじゃあ君は……!」

「良いのよ、それで!」


 先程まで泣いていた桃香は、涙を拭いながら必死に訴える。


「わたくしは、何も出来ない女だわ。けれど、貴女は違う! その強い意思と、類い稀なる剣術の才で……わたくし達を待つ死の定めを、どうか断ち切って‼︎」

「定めを、断ち切る……!」


 いつの間にか、何も握られていなかったはずの男の手に鈴綾の剣が握られていた。

 鈴綾はそこに視線を落とし、暫し押し黙った後……その剣を柵越しに受け取る。


「……その頼み、この鐘鈴綾が請け負った。必ずや私の手で、祝籃様を手に掛けた者を捕らえてみせようぞ……!」

「うんうん、その言葉を待っていたんだ!」


 次の瞬間、鈴綾がどれだけ暴れてもビクともしなかった牢の扉が開く。これも彼の魔術なのだろう。

 それとほぼ同時に、鈴綾の隣にそっくり同じ外見の幻が姿を現した。


「さあさあ、鐘家の剣姫。早くここから脱出するよ? あまり長居していると、勘のいい誰かに気付かれてしまうかもしれないからね」

「ああ、分かっている」


 開いた扉から出れば、無限に続くかのような闇が広がる通路が見える。

 一足先に出口へと歩き始めた男に背を向けて、桃香の牢に目を向けた鈴綾。


「……必ず戻る。それまでどうか、辛抱してくれ」

「ええ、必ずよ鈴綾。貴女の無事を、わたくしはここからいつでも祈っていますわ」


 たったそれだけの、短いやり取り。

 けれども強い絆を育んだ二人には、その言葉だけでも希望を抱けるものだった。

 こうして蘭白州の剣姫・鐘鈴綾は、陰謀渦巻く帝国の闇と対峙することになる──

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