孤島に響く叫び声

東雲まいか

 孤島に響く叫び声!

(こんな荒天になるとは思わなかった……)

 このぐらいの天気なら大丈夫だろうと、釣り舟に乗り一人で釣りをしていた治郎は悔しさに歯を食いしばった。天気予報では、沖合では波が高いとは言っていたが、今日一日は何とか天気は持つだろうと高をくくっていた。空を見ても雲一つ見えなかったから、自分の勘を過信していたのかもしれない。

 波がうねりだすと、振り落とされて海に投げ出されないよう、舟の手すりに必死にしがみついた。今まで何度も海で釣りをしたことがあったが、こんな高波は今まで一度も経験したことがなかった。潮の流れでかなり南に流されてしまっているような気がする。小さな舟が転覆しないことだけを祈りながら、この嵐をやり過ごすことだけを考えた。どうか、命綱である舟が持ちこたえてくれるよう、自分が海の中に投げ出され藻屑と消えないよう、痺れている手の感触と戦いながらしがみついた。

(船室でじっとしているしかないのかっ!)

 治郎は、SOSの救難信号を出した。

 外へ出てもなすすべがなく、操舵室へ入ってじっとしていることにした。揺れはさらにひどくなり、その衝撃で体が宙に浮き、次の瞬間意識を失っていた。体をどこかに打ち付けた時の痛みだけが、遠ざかりつつある意識の中で鮮明に体に刻み込まれていた。どれくらい時間が経ったのだろうか、今度は少しずつ体の感覚が戻ってきた。

(うー、ここはどこだ?)

 治郎の体に冷たい水の感触と、日差しが体中に当たる熱い感触が同時に押し寄せ、目を開けた。

(舟は、俺の舟はどこにあるんだ……)

 舟を探そうとして起き上がった瞬間、体中に痛みが走った。 

(俺の舟が、あんなところに、あったぞ!)

 舟は、陸に乗り上げた時に傷ついたのだろうか、船底がへこんでいた。

 持ってきたリュックは無事だった。中には缶詰、ペットボトル入りの水、ロープ、ナイフ、懐中電灯、それと単行本が一冊入っていた。ペットボトルを出して水を一口飲んだ。

 治郎は、友人と無人島へ行くのに一つだけ持っていけるとしたら何を持っていくか、というたとえ話をしたことを思い出した。その時は、スマホだと答えていた。スマホはポケットの中に入っていた。電話しようとスイッチを入れたが、繋がらなかった。いつ充電できるかわからない。大切に使わなければならないだろう。 

 

 遠くから、人がのんびりとこちらへ向かって歩いてくるのが見えた。島の人だろうか。よく見ているとほとんど服を身に着けていない。年配の男性らしいのだが、褐色の肌を剥き出しにして、下に植物で作ったらしいものを下げて隠しているだけだ。男性は、さらにこちらへ近寄ってきて、何やら意味のわからない言語で話しかけてきた。

「助けてください! ヘルプ・ミー!」

 治郎は、怪しいものではないことを示そうと笑顔を作り、つとめて気さくな表情で言った。男性は陸地の方へ何やら叫ぶと、数人の男女が陸地のどこからか姿を見せた。治郎が歩けることがわかると、手招きした。うん、とうなずき人々の合図する方へついていった。

 ここはどこの国に属するのだろう、何語を話す人々なんだろう。疑問は様々あったが、ひとまず命を繋ぐことが先だと思い彼らに従った。男の後を歩いていくと、一軒の家に着いた。家の中から、肩幅の広いがっしりとした体格の若者と、顔色の良い若い女性が出てきた。二人は家に入るよう、手招きした。

 二人は、南国の果物や、飲み水を出してくれた。治郎は彼らは敵ではないことがわかりホッと胸をなでおろした。

 村の人たちの様子からすると、どうやら二人は村では有力者らしいことが分かった。夕餉には近海で取れた魚を持ってきて、恭しく挨拶をしていたからだ。夜は、隣の小屋で眠るように案内された。枯草で作られた寝床で、ゆっくりと休むことができた。

 

 数日が過ぎ、治郎はこのまま何もしないでここで食料をもらうのも悪いので、漁の手伝いをしようと身振り手振りで説明した。しかし、この島の漁の仕方は、小舟に乗り、浅瀬でもりを使って魚を取るという単純な方法で、治郎にとっては難しいものだった。俺にできることはないか。そろそろ、帰る方法を考えなければならない。しかし言葉も通じないし、ここには文明らしきものがないようだ。今時こんな島が存在していたことが驚きだ。

 治郎は、滞在している家の男女に、家に帰りたいのでどうしたらよいものか、身振り手振りで説明した。陸に打ち上げられた舟は、機器が故障していて、ここには修理する道具が何もない。計器がないので、現在地も全く分からない。

 

 数日が更に経過し、懐かしいシルエットが空のかなたに見えた。

(あれは飛行機だ! こんなに懐かしいなんて。そうだ!)

 治郎は黒い石をかき集め、小さな浜辺の白い砂の上にSOSの文字を置いた。村人たちは、何の合図だが全く分からず、ただ遠巻きに見ていた。

 

 再び飛行機が上空を通り過ぎたが、その後何の動きもなかった。スマホももう電源は切れてしまい、文明社会からは取り残されてしまった気分だった。

(舟を作り、自力で漕ぎ、どこでもいいから陸地にたどり着こうか?)

 治郎には、それがいかに無謀なことかよくわかっていた。治郎は、この島の様子が知りたくなり、少しずつ周囲を歩いてみることにした。危険な生物がどこに潜んでいるかもしれない。できるだけ、村人が通る道を選び探検してみた。

一度だけ沖縄に行ったことがあった。うろ覚えだったが、ここに生えている植物は、南方の島と似ているようで、ヤシの木やハイビスカスぐらいはわかった。ハブなどがいるかもしれないので、気を付けて歩くことにした。ところどころに小さな畑があり、サトウキビに似た植物が生い茂っていた。

 畑や林を抜け陸地の先端までたどり着き、再び海岸線が見えた。海岸線の一部が崖になっていてその下にぽっかり空洞になっているところがあった。今の治郎には、好奇心が恐怖心より勝っていた。なんでもいいから、帰路につながるものが欲しかった。

 懐中電灯で、足元と頭上を照らしながら一歩一歩奥へ進んだ。洞穴は、それほど長くはなかった。もうすぐ突き当りというところで、何か白いものが見えた。暗闇の中で、そこだけが異様に白く丸く光っていた。

(もしかして、あれは……)

 治郎はそれ以上の言葉を考えるのが恐ろしかった。

(人間の、頭の……骨。骸骨!)

 ここで何が起きたんだ! すぐさま逃げ出さなければ、自分も同じ運命に会うのでは! 感情は恐怖で一杯なのだが、理性はなぜここに骸骨があるのか知らなければならないと言っていた。

 治郎は、前進することにした。本物なのだろうか? という単純な疑惑が次に湧き上がった。すぐ横に風化して、ぼろぼろになったバッグが置かれていた。中には、手帳が入っていた。はやる思いで、中を開けた。

(日本語で書かれている。日本人なんだな!)

 手帳を持つ手が次第に震えていった。

『この島へ来たら、二度と帰ることはできない。帰るための手段が何もないからだ。しかもここへ来るまでの潮流は複雑に入り組んで、近くを通る船をことごとく難破させてしまう』

 治郎は、次第に息苦しく、読むのがつらくなってきた。

『さらに悪いことに、この島はレーダーに映らないのだ。だから、文明から取り残され、どこの国にも属さないで孤立していたのだろう』

(そんなことがあるか! 俺は、絶対脱出してやる!)

 治郎はそのメモを丁寧に切り取り、リュックの中からペットボトルを取り出し中に文字が見えるように入れ、海の彼方へ渾身の力を込めて投げいれた。ぱちゃりという音とともに、波に乗って大海原へ流れていった。

 きっとどこかへたどり着いて、読んでくれるはずだ。そして、そんな島を探ろうという探求心のある人物がここへ来るはずだ。治郎は信じて待ち続けた。

 

 ある日の海の上、一層の漁船が海を漂うペットボトルを見つけた。

「海にごみを捨てちゃいけないって、知らないのかよ! あれ、日本語が書いてある。マナーの悪い日本人がいるなあ」

 漁師はペットボトルを網ですくうと、中に書いてある日本語を呼んだ。

「ちぇっ、レーダーに映らない島なんかあるわけないだろ。海にいるやつが、悪ふざけにもほどがある!」

 そう言うと男はメモを丸めて、ごみ箱に捨ててしまった。治郎はペットボトルの手紙に一縷の望みを託したのだが、何年たっても救助に来る者も、探検に来る者もなかった。


 次第に髪の毛に白いものが混じり始め、再び洞穴へ行ってみた。何年か前に見たメモ帳が懐かしく、再び手に取ってみた。前回丁寧に読んだつもりだったのが、最後の一ページが張り付いていたため、読めなかった。丁寧にはがして読むと、前回以上に体が震えだした。

『最後に、もしこの手帳を見た人がいたら、よく覚えておいて欲しい。地元の人たちの言葉をよく聞き推理した結果だ。この島は休火山で百年に一度大噴火を起こしているらしい。噴火が始まると、逃げる時間はほとんどなく、火山灰が村を襲う。村人たちは全員、早々と、船でさらに別の島へ避難するらしい。南の岬に、村民総出で船を作って待機させている。その船に乗せてもらって逃げろ! その噴火が起こるのが……』

(今年のしかも、今日だ!)

 

 その時、大きな地響きがして、爆発音が起こった。山からはもうもうと黒い煙が吹きあがり、噴石や火山灰が降り注ぎ辺り一面を覆いつくした。

「助けて……くれ!」

その声は、誰に届くこともなく噴石の中に埋もれていった。  


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