第三十八話 送る者と送られる者7
「兄さん、なんだかお疲れですか?」
汗を流してリビングで一息ついていたところに、妹の楓が言った。
別に、普段通りにしていたつもりなのだが、溜息でも零していたのかもしれない。
横から覗き込むように俺の顔を凝視する楓の頭を軽く押し返すと、少しだけ横へと体を動かす。
空けたスペースに楓は座ると、足をパタパタと動かして返事を待つ。
「別に疲れてるわけじゃない、ちょっと考え事をしていただけだ」
「私にもお手伝い出来るものですか?」
可愛らしく首を傾げて問う妹に、頬を緩ませながら考える。
楓の高校は女子高だから少ないかもしれないが、動画制作を経験した人の共通点は知っているかもしれない。
一つ、参考例として直撮りだが記録映像を撮影した動画を見せる。
「あくまで参考だけど、こんな動画を編集とかって簡単にできる物なのか?」
「動画編集ですか……?」
楓は俺の顔の前に体を乗り出してスマホの画面をのぞき込む。
昔ほど、玄人しか触ることを許されない環境ではないだろう。
俺は出来ないが、案外そこら辺の生徒でも出来てしまうなんて回答が出てくるやもしれない。
動画の最後までしっかりと確認してから楓はこちらに顔を向ける。
リップでも塗った後なのか、艶やかな唇に大きな瞳が今この瞬間に映し出す大半は俺の顔だろう。
火野君は絶叫の距離感だろうな……
俺の眼が黒いうちはそんな至近距離に近づけさせんが。
「単純にくっ付けて、カットしてくらいなら私でも出来ますが、凝った演出を見せたいのであればそれなりに経験したことのある人でないと冷めてしまうかもしれませんね」
「……」
見せた映像が三年生を送りだす代物であるのは一目瞭然、それを踏まえたうえで直球で感想を言ってのける妹は流石である。
事実、仮に俺が付け焼刃で動画編集を行ったとして、平凡極まる代物に人は心を動かされるのだろうか。
在校生から貰った映像だとして、自信はない。
やっぱり、一度や二度ではなくて日常的に触っている人物が理想的か……
それを見つけ出すのが一番難しい。
楓の答えを聞いて、腕を組み一人視線を天井を見上げる形で上げる。
楓も何となく意図を察したのか、うーんと唸って口を開いた。
「演劇部とか……映像研究会的なのは兄さんの学校は無かったでしたか?」
「演劇は当然あるけど映像は無いな……あくまで演劇だ、動画を製作するものかね」
今は演劇部でも動画を投稿とかするのだろうか。
固定観念からくるものだろう否定的な意見が脳内を支配する。
でも、自分の考えと妹が似たような答えを導き出したことは、間違った選択をしているわけではないとポジティブに捉えるとしよう。
答えを求めて、考えることを放棄してしまうのは愚行だ。
自慢の兄にはなれないが、頼れる兄にはなりたい。
だから、妹にすべての答えを求めて頼り切ってはいけない。
「ありがとう、参考になったよ」
楓の髪を撫でてソファから腰を上げる。
そろそろ、母さんが夕食の準備を終わらせるタイミングだが、上着を手にして玄関へと向かう。
座って悶々としていても頭が上手く働かない。
少し歩いて気分を変えるしかない。
「兄さん?」
「少し散歩……飯までには戻るから」
心配そうに声を掛けてきた楓に返事を返すとリビングから出て一人自宅を後にする。
外は既に暗く、近所の家から談笑の声が漏れる。
向かいの雫の家でも光が灯され、二階にある彼女の部屋も既に電気がついていた。
いま、何をしているのだろうか。
課題を終わらせて、一息ついている頃かもしれない。
一瞬、立ち止まった歩みを進めて、高校とは反対の方向へと進む。
送別会の活動に参加してくれる人をどう探すか。
学年、クラスごとに集めて回るか……ダメだ、効率的ではない。
今日で二日を消化してしまった。
残された時間は12日、朝のHR前、昼休み、放課後で動画を集めることに加えて人員を集めることを加えていたら時間がいくらあっても足りない。
当たりを絞ってコンタクトするしかないだろう。
住宅街を抜けて車の通りが多い道路へと出ると、脇に並ぶ飲食や販売の店から零れる光が足元を照らす。
反対側の歩道には、異なる制服を着た学生達が仲良く談笑しながらマックの紙袋を握っていた。
……たまに食べたくなる。
でも、財布などは置いてきてしまったので今日は我慢だ。
それに、母さんが家で夕食を準備してくれている。
買い食いして夕食はいらないと言ってしまったら、拗ねて二日は飯が出てこない。
たぶん、明日の朝ご飯はコーンフレークに間違いない。
我慢して目的地もなく動かす歩みは人気の多い場所から、裏通り、川辺と転々と進む。
今日のうちに学生が好むSNSは登録を済ませておくのは当然として、学内カースト上位の生徒の名前で検索をしてみよう。
だが、そういう生徒はたいてい創作活動というものに熱意を注ぐ傾向は薄い気がする。
今を楽しむ、今が最高に楽しい、そんな人間たちだ。
だから、地道に伸ばす、自分の考えや歩みを創り出すというゴールのない行動からは離れた位置にいる。
だからトップから一歩や二歩離れた場所で過ごす生徒達の方が該当する生徒がいるかもしれない。
……問題はそんな生徒達は名前を知らないことだ。
目立つ生徒は自然と顔と名前は耳にする。
でも、その取り巻きは知らない、そんなケースは多い。
どこか近しい知人がいればそこから繋がれるが、生憎最上位か底辺しか知らん。
自分を含めて。
と、思ったときに思い出す。
そういえば、最近交友を持ち始めた宮下はいわゆる取り巻きの位置に前までいた生徒だ。
中島? 中山? そんな名前だった生徒にこき使われていた気がする。
修学旅行で彼女が自分の気持ちに正直になったことで、最近は二人が話をしている姿を教室でも目にしなくなったから忘れていた。
宮下なら、意外とその手の趣味を持つ人を知っているかもしれない。
トップよりも人脈が広かったりするのが、二番手三番手……可能性はある。
明日の第一の目的は確定したとして、仮に見つかった時の口実を考えなくては。
無償の奉仕をするのはお人好しかはたまた偽善か、やらない善よりやる善だと分かっていても人は悪い方向へと考えを膨らませることを好む。
大義名分、偽善だとしても参加する理由を、メリットを、意義を提示しなくては。
深くなる思考は時間を忘れさせ、いつしか川辺で一人腰を下ろして考えに更けていた。
川の流れる音は耳には届かず、視線は水面の一点を見つめ、肌を刺すような寒さは感じなくなり、深く深く帰宅の時間すら思い出せないほどに集中していた意識は左側から砂利を踏みしめた足音で現実へと引き戻される。
「この時期にパーカーを着たくらいで座り込んでいたら風を引いてしまいますよ、湊君」
「雫……」
月光に照らされた黒髪が靡き、隣で微笑みこちらに寄ったのは雫だった。
彼女は手掛けのカバンから一枚のマフラーを取り出し、俺の首へと巻いた。
ほのかに香る普段とは違う匂いは、彼女が風呂を出て時間がそんなに経っていないことを教えてくれた。
「お前、なんでこんなところに?」
「こちらのセリフです、偶然家から出て行った湊君を見かけて追いかけてきたんです。 お友達の家はもちろんコンビニも学校も反対方向でしたので」
「え、遠回しに友達少ないよねって言われてる?」
だとしたら、いまは鋭さマシマシで俺の背に突き刺さる覚悟を持って口にしているのだろうな?
こちとら、人脈の狭さに悩んでいるのだから、雫さんの言葉には覚悟を持ってもらわないと困る。
しかし、俺の返事を耳にして雫は楽しそうに笑い零す。
上品に口の前に手を当てて、そんな姿にこちらは溜息が零れてしまった。
「そんな皮肉が言えるなら何に落ち込んではないみたいですね」
少しだけ安堵したように告げると、彼女は俺の左隣へと腰かける。
自分の衣服が砂で汚れてしまうことなど構う素振りもなく、腕が触れ合うギリギリの場所で彼女は落ち着くとこちらに振り向く。
月明りで照らされた彼女の顔は普段よりも大人びて見えて、傍から見れば恋人がキスでもしようとしている距離感で、思わず俺が視線を逸らす。
……なんで平然とこの距離感で顔を向けられるのか、不思議だ。
「話してくれますか? 湊君の悩み事」
「……」
彼女はこちらに顔を向けたまま告げる。
その表情は俺が話をすると信じている顔で、わざわざこの場に追ってきた彼女に何も話さないのは許されないのだろう。
刹那、どのように彼女に心境を語るべきか、夜空を見上げて考える。
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