第三十八話 送る者と送られる者8



 雫から向けられる視線からは逃げることはできない。

 隣に腰掛けた雫は俺に問いかけた。


「話してくれますか? 湊君の悩み事」


 慈愛に満ちた声音と表情は、心の内に残った焦燥を軽くさせる。


 一度は固めたはずの決心が、揺らぎかけてしまうのが嫌でも分かってしまった。



 綺羅坂に手を差し伸べられ、優斗に心配されて、雫に問われた。

 自分一人では難しいと突きつけられているようで、でも実際はその通りで。


 いっそのこと、このまま話をして協力を仰いでしまった方が良いのかもしれない。

 それが結果、最善の選択へと導いてくれることだろう。


 今の現状がただの自己満足でしかないことは重々理解していた。

 その自己満足のために、会長への花向けを不快な記憶にはしたくない。


 他とは違う方向性は示せた。

 今日の話し合いで白石は行動に移し、火野君と小泉は自分の交友関係や技量の中で方法を模索するはずだ。


 意地を張らなくても予定通りにプログラムは進み、編集者が見つかれば俺の居場所は無い。

 ここまでだ、俺が先陣を切って行動を起こせるとすれば。


 

 小さな結果かもしれないが、それでも確かな評価を得られるはずだ。

 欲張って全ての成果を独り占めなど出来ようがない。

 たった一回の実績を残したところで、これまで培ってしまった生徒からの印象を完全に上書きするのは無理な話。


 せめて、マイナスなイメージを少しでも払拭できれば、今回の成果としては上々なはず。


 毎年の恒例行事で何事もなく終えることだけを求められて、期待など最初からされていない現実で、これ以上に才無き生徒が足掻こうと見苦しい姿だけなのかもしれない。









 ……本当にそうだろうか。 企画運営だけで評価されるほど学生は広い視野を持ち合わせてくれるだろうか。


 目の前の映像を作った、素材となる映像を集めた、そんな目に見える行動をした人物にフォーカスが合わさるだけ。

 企画の概要を作った人のことを認めるのは、本当にこの運営や企画に好意的な限られた人だけ。


 本当は薄々気がついていた。

 この活動では実際に俺の今まで積み重ねた印象を上書きすることはできない。



 偶然の積み重ねで、他よりも先に神崎雫に出会って、荻原優斗と親しくなった。

 綺羅坂怜が好ましく思う接し方をして、柊茜が求める人物や性格を持ち合わせていただけ。


 努力をしたわけでも、他より秀でていたわけでもない。

 

 ただ、他よりも時間を多く共にしていた。

 出会った時間、接した時間。


 それは人により違うかもしれないが、それでも多くの生徒が求めていた彼らとの時間の共有を独占していた。


 


 行いが悪いと反省する気もなければ、間違った行動をしてきたつもりはない。

 それが、周囲には不快に思われただけのこと。


 お前は彼らの横に立つにはふさわしくないと誰もが共通の認識を抱いていただけのこと。


 集団は一種の生き物だ。 ほんの僅かに気になっていた程度のものが、次第に大きくなり全体の不快感へと繋がる。


 昨日まで気にならないものが、明日には不快に変わっていることだってある。

 周りが嫌いと言えば、それは共通の嫌いという認識へとすり替わる、すり替わってしまう。



 ならどうすれば周囲の人間から向けられる悪意や嫌悪を和らげることが出来るのだろう。

 考えて、出した答えが評価の上書きだった。


 不向きだと言われても、分不相応だと嘲笑されても。


 だから……なんて言い訳に過ぎないのは分かっている。

 綺羅坂が差し出した手を、優斗が歩み寄った心を離したのは事実だ。


 彼らを頼っては、俺が望む上書きは正しく機能しない。

 常に俺の周りには雫や綺羅坂達がいた。


 それが当然のように、彼らは手を貸してくれて、生徒達は彼女達へと視線を向ける。

 今まではそれが普通で、むしろありがたいと思っていた。



 でも、いざ他の生徒からの視線を集めたいと思ったときにはこれほど厄介な存在はいないと思い知らされた。


 ……雫が聞いて、なんと思うだろうか。

 綺羅坂が聞いてなんと答えるだろうか。


 ため息や失望の言葉だ。


 求められている答えや行動では決してない。

 だから、今も雫になんと答えればいいのかを迷い続けている。



「いや、湊君がどうしても言えないのであれば無理強いは当然しませんし……ただ、私の我儘を言わせていただけるのであれば相談してほしいなと―――」



 気恥ずかしそうに俯き、両手の指先を合わせて雫は様子を窺うように上目使いで俺をのぞき込む。

 視線が交差して、互いが見つめあう形で止まる。


 川の流れや風が草木を撫でる音は耳に届くのに、二人だけが停止した時の中に存在しているみたいな、ロマンチストなら彼女の肩を抱きかかえて将来を語らうのだろう。


 途端に恥ずかしくなったのか、雫は頬を一層赤く染めて発する言葉は段々と小さく、かき消されてしまうほどに細々としたものへと変わる。

 

 そんな彼女を見ていて、俺は俺自身が嫌いになる。

 ちっぽけで、昔と何も変わっていない。



「……三年生の送別会で贈る動画を作りたいんだ、だから今は編集をしてくれる人と在校生から映像を集めることが出来る人を探してた。探す方は何とかなりそうだけど」


「そうだったんですか……っ! では、私も協力を」


「ダメだ」


 ようやく口にした言葉に雫は安堵の息を零して、次には協力という言葉を発した。

 だが、すぐに首を横に振り断る。


 また、雫たちでは成功が当然と言われてしまう。

 また、彼女たちは何故あんな男と親しくしているのかと言われてしまう。


 ……また、彼女たちの評価を下げてしまう。




 今度こそ、俺が許せなくなる。

 今の俺が言い返しても、逆効果であることは明白。


 何もできない自分が許せなくなってしまう。



 

 生徒達が彼女達を悪く言う原因など考えるまでもない。

 単純な不満、嫉妬だ。


 何故、自分達とは付き合いが悪いのに、あんな平凡極まる男など相手にしているのか。

 自分達と一緒に過ごした方が楽しく有意義に決まっている。


 そして、何よりその平凡な男は皆が慕う彼女達と共に過ごしていることを当然であり、面倒そうにしているのだと。



 慕うからこそ矛盾していても言葉となり行動となり、いづれは皆を傷つけることになるだろう。



 大切だから、今の俺には彼らしか繋がりがないからこそ、それを失いたくはない。

 一人と孤独は違う。


 似ていても完全に非なるものだ。



「何でですか? 私もお役に立てることは多いと思います! 在校生にも話は通せますし数日お時間を頂ければ編集だって覚えてきます」


「……それじゃ、今までと何も変わらない」


 雫が前のめりに体を動かし、自分の胸に手を当てて言い放つ。

 その声音には少しだけ憤りを感じた。


 自分の力を信用されていないと捉えたのだろうか。

 なら、そこは訂正しておかねばなるまい。


「雫が頼りになることは俺が一番分かってる……今回はお前たちに頼らない姿を生徒達に見せないと意味がないんだ」


 俺がそう告げると、雫は前のめりの体を元の位置へと戻す。

 言い返したいという衝動から少しの怒り、そして冷ややかな突き刺すような瞳と表情へと変わる。


「私達が周りから陰口を言われるからですか」


「……」



 向けられる視線は強く、普段の雫からは想像できないものだった。

 先日の屋上で、女子生徒二人組が話をしていた時は彼女の耳は塞いだはず。


 ……他の場所でも同じような言葉を言われているのを耳にしてしまったのか。


 いや、今までも幾度となく言われていた。

 それを俺が気に留めていなかったのだ。


「不人気も自分の行いの結果だ、お前達が変なことを言われる理由にはならない」


「違いますっ! 湊君はいつも私たちが言いにくいことを代わりに言ってくれていたから……修学旅行でも、本来なら私たちがはっきりと自分の気持ちを周りへ伝えていれば湊君が悪い印象を抱かれることも無かった」


 雫は思わず立ち上がって声を荒げながら言った。

 ……修学旅行の二日目のことだろう。まだ、気にしていたのか。



「湊君は今までと同じ、自分が信じたように進んでください……私達はそんなあなたを望んでいるのですから」


 まるで懇願するかのように上げられた目線と切実な声音に、胸の奥に鈍い痛みが走る。

 俺がしようとしていることは彼女達が望むことではなく、俺がしたいことは彼女達の願いではない。


 

 それでも、今の俺が唯一思い付く本来あるべき姿へと彼らを戻す軌道修正の方法なのだ。


 雫が告げた言葉に対して沈黙を貫いた俺を、彼女は悲しそうに見つめる。

 沈黙は彼女の望みの否定と受け取ったのだろう。


 でも、雫なら少なからず分かってくれるはずだ、俺は自分で始めたことを途中で放り投げだすことは出来ないことも。

 小泉や火野君、白石に任せて自分は今まで通りで良いのだと簡単に切り替えることなど出来ないことを。


「……~~湊君のバカ!」


 珍しく、雫がバカなんて言葉を吐くと静かに腰を上げて自宅へ向けて小走りで去っていく。

 途中、振り返ったかと思うと何か言いたそうにしながらも、その場でバタバタと足踏みするだけで再び走り出してしまう。


「バカか……久しぶりにあいつに言われた気がするな」


 彼女が去った左側を眺めて一人呟く。

 昔はバカバカ言われた気がするが、いつの間にか言われなくなった。


 自分の情けなさで零れ落ちた溜息の後に、浮かんだ苦笑は懐かしみを含んだものだった。







 

 

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