第三十八話 送る者と送られる者2
翌日、昼休みになると俺は小泉が在籍している教室へ赴いた。
小泉も俺が扉の近くから教室の中を覗き込んだのを見てすぐに廊下へと移動を始めた。
手には一枚の用紙を持ち、小泉は一人廊下で俺と向かい合うように立ち止まる。
「これ、昨日真良君に頼まれた送別会の資料、概要が書かれた簡単なものだけど大丈夫かな?」
「ああ、問題ない……悪いな、小泉も色々忙しいだろうに」
「気にしないで、僕もそろそろ始まるなって気にしていたところだから」
昨日、俺が送ったメッセージには送別会の説明などを記した資料があれば欲しいというものだ。
手元には小泉も無く、今日の朝一で活動日ではない生徒会室に行って取ってきてくれた。
俺も場所が分かれば自分で取ってきたのだが、去年の資料となると俺もわからないことが多々ある。
申し訳なく彼に告げると気にしないでと笑みを浮かべていた。
「資料と送別会についての説明をしてほしいって話だったよね」
「頼む」
頷く小泉に俺は耳を傾けながら手渡された資料に視線を落とす。
去年の送別会の生徒を集う紙には、簡単な作業内容が記載されていた。
「内容は送別会のプログラムを考えること、そして在校生代表の選任……これは生徒会長が引き受けることが多いけれども、卒業式で在校生代表を務めることが決まっているので他の生徒が受け取っても問題はないよ」
「となると送別会の内容を考えるだけが仕事ってわけか?」
「いや、毎年会場になる体育館での生徒達の立ち位置、会場の装飾、ほかにも年によっては在校生会らサプライズプレゼントとか、細かいものは結構あるんだ」
「地味に大変そうだな……」
主に肉体労働が。
単純に考えて、女子が装飾関連のアイディアを出して男子が付けていくって流れになりそうだ。
人数が多ければ問題ないが、有志である以上は期待はできまい。
それに、小泉に教えてくれた内容で一つ気になる点があった。
「プレゼントって、経費が出るのか?」
「毎年、送別会の経費は文化祭の売り上げから捻出されているんだ。だから売り上げが大きかった年は少しだけ余裕が出来る、だからプレゼントを贈るって話だよ」
「……」
なるほど。
なら、今年はプレゼントを贈る予算はありそうだ。
確か、来場者数は過去一番の数字を出したとか言っていたし。
売り上げも当然来場者数に比例して大きくなるはずなので、これまでで一番予算に余裕があると言っても過言ではない。
「一応、生徒達の顔合わせは今日の放課後の十五時を予定しているけど……真良君と神崎さん達も参加するのかい?」
「いや、俺だけだ」
小泉が俺の後ろに誰もいないことを不思議に思いながら問いかけた。
それに首を横に振り答えると、意外そうな表情を浮かべる。
……俺と彼女たちは既にセットという認識なのか。
でも、自然の認識なのだろう。
それだけの時間を共に過ごしている。
言葉にはしないが、小泉は理由を聞いてもいいのか自問自答しているように見えた。
「今回は一人でやりたいんだ……神崎雫や綺羅坂怜、荻原優斗も一緒に活動したってなると意味がないから」
「意味? そんなことはないと思うけど」
「くだらない男の見栄だと思ってくれ……参加している生徒となんとか上手く立ち回って頑張ってみるよ」
苦笑に似た笑みを浮かべて言うと、小泉はそれ以上は何も聞くことはなかった。
最近、彼も男の見栄を見せたところなのだ、俺の言った言葉の意味を少しは感じ取れたのかもしれない。
一瞬の間が二人の間に広がるが、すぐに小泉は話を再開させる。
「顔合わせの前にもう一度僕のところに来てくれるかな? 初日だし生徒会もお手伝いはしていくこともあるだろうから一緒に行くよ」
「分かった、じゃあ放課後に」
別れ際、もう一度だけ小泉に礼を告げてから踵を返して教室へと戻る。
道中、手渡された用紙を再度確認をして、放課後の様子を想像する。
……ノリノリな生徒で溢れていたら嫌だなぁ。
根性の別れ、最大の花火でパーリナイとか……ないか。
階段を下り、三組の教室の前までたどり着くと、中が騒々しい。
誰かがまた騒いでいるのか、そう思いながらゆっくりと戸を開くと我先に気が付いた雫がこちらに走り出し、全力疾走のまま正面から抱き着いてきた。
え、何? このまま羽織締で落とされる的な?
しかも、落とされるのは恋心とか青春っぽいものではなくて、意識のほう的な?
なんて考えていたのも束の間、雫の口から予想外の言葉が告げられた。
「湊君! くくくくく蜘蛛です! 助けてください!」
「蜘蛛? 廊下からでも入り込んだのか……」
なんだ、そんなことか。
雫が指さした先を見ると確かに大きい蜘蛛が床をうろちょろしていた。
……いや、デカいな。
確かにあれは女子ではなくて男子の俺でも背筋がぞわぞわと、鳥肌も出るくらいにはキモイ。
誰が取る、そんな会話が広がっていたから教室の中が騒々しかったのか。
雫は立ち上がって俺に抱き着いて避難してきたが、綺羅坂は……
「……」
彼女は依然として自分の席に腰かけていた。
さすが、と思ったのだがどうやら様子が違った。
彼女の体は不自然なまでに背筋が伸びていて、本を握った腕も強張って見える。
チラッとこちらに向けられた視線からは「早くあいつをどうにかしてちょうだい」と訴えかけているかのようだ。
……綺羅坂にも怖いものあるんだ。
新事実に少しの驚愕と、ため息を零す。
ここは、しっかりと俺が……ということはない。
なぜなら、俺は虫が苦手だからだ。
「優斗、お前の好物だったろ」
「いやいや、何で俺をゲテモノ好きにしようとしてんの!?」
「あいつを倒せるのはお前しかいない……」
「熱い漫画の展開みたいに言っても俺も嫌なんだけど……」
すごく、それはそれはすごく嫌そうな顔をしながらも優斗はなんだかんだ言って自ら蜘蛛の対処をしてくれた。
塵取りで優しく確保すると、そのまま窓の外に近い木に逃がしてあげる。
……俺なら箒でエクスカリバーと叫んで渾身の一撃をかましていたかもしれない。
優しさが違うね!
そんな教室で起こった昼休み騒動が解決して、放課後の授業を最後まで消化すると俺はそそくさと帰り支度を整える。
「何か用事でもあるの?」
隣で綺羅坂が見上げるように視線を上げて問いかけてきた。
なんて答えるべきか、少しだけ迷う。
正直に話せば彼女達も手伝うと言いかねない。
とりあえずは自分一人で頑張ってみたいから、申し訳ないが適当な言い訳を考えることにした。
「昨日の歴史の資料作成が先生から不評でな、再提出の代わりにちょっとした手伝いを頼まれたから行ってくる」
「そう、職権乱用ね、クビにしようかしら」
「怖いわ、別に俺のミスだから気にするな」
綺羅坂と話をしている間に雫も目の前まで移動しており内容も聞いていたみたいだ。
目が合うと「頑張ってください」と送り出す言葉を貰ってしまった。
なんだか後ろめたい気持ちになるな、これは。
優斗と宮下には二人から事情を説明してくれるだろうから、俺は荷物を肩に掛けて一足先に教室から出た。
階段を上り、小泉のクラスの前まで移動すると既に小泉は廊下で待機していた。
「悪い待たせた、行くか」
「うん、教室は一年生の棟にある裁縫室だよ」
小泉が先導するように歩くと、そのあとを続く。
裁縫室……確か一年生の時に料理ではなく裁縫を選択すると使う教室だったか。
俺はただ飯が食えると思って料理を選択したから一度も入ったことがないな。
ミシンとか、なんだかごちゃごちゃしているイメージだが、入ったことのない場所は僅かに心が躍る。
すれ違う後輩生徒諸君は、小泉の姿を見て挨拶を交わす光景を幾度と目にしながら棟の間を移動すると目的の場所は一棟の一階最奥にあった。
生徒が集まって作業などをするなら人が少ない場所が適しているのは間違いないが、ちょっと人気がなさ過ぎて一人では近寄りがたい雰囲気だ。
まだ、生徒たちは集まっていないのか教室の照明は付いていない。
戸の近くの照明ボタンを押して適当な席に腰かけると、二人で一つ息を零す。
どんな生徒が来るのか、間違いないのは先輩との付き合いが深い生徒、この手の実行委員的な仕事が好きな生徒、騒がしい生徒。
これくらいだろうか。
部活動に参加している生徒は、各部活で送別会を行うだろうからわざわざ全体の有志に参加するとは思えない。
個人の関りしかない生徒も同様だ。
意外と、上級生と何のつながりもない生徒の方が来るかもしれない。
なんてことを考えて、時に小泉にも尋ねてみて、十分が経った。
「来ないね、他の生徒」
「時間は三時で間違いないんだよな?」
「毎年同じだから間違いないはずなんだけど……」
小泉が再度確認のために資料や手帳を取り出し首を傾げていると、人の気配もない廊下に歩く足音が一人分響く。
二人で顔を見合わせて、ようやく一人目がやってきたと安堵の息を零した。
誰が入ってくるのか、願わくば知っている生徒であってほしいと思いながら待つと、開かれた戸の先にいた人物は五十過ぎの皺があるが優しい微笑みを浮かべていた。
「おお、会長の小泉に補佐の真良か……よかった生徒がいてくれて」
同じように安堵の息を零して入ってきたのは、手芸部の顧問を務めている先生だった。
確か名前は関口先生だったか?
関口先生が開けた戸を閉じて教卓の前で話し合いを始めそうな動きを見せていたのを見て、思わず小泉が尋ねた。
「関口先生! あの、他の生徒は……?」
「今年は君たち二人だけみたいだね、いやぁ誰も来ないかと心配していたから安心したよ!」
屈託のない笑みに、俺と小泉は開いた口が閉じない。
そして、思わず後ろを振り返ってしまった。
教室には四十人は入れる席があるが、使用されているのは二つ。
送り出す生徒の人数は約180人。
その準備を俺達二人?
……どう考えたって無理だろ。
仰いだ天井は俺達のこの後の展開を暗示するかのように薄暗い、不気味な色をしていた。
送別会まであと十五日。
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