第三十七話 チョコと君9
答えを求む者、答えを出す者。
迫られた選択を、人はどのような導き方をするのか。
ホームルームが開始される前の登校時間では、校内の至る所で異性へと贈り物をする生徒が散見された。
それは校内の影になっているところ、それは大々的に中庭で。
または、当たり前のように昇降口で手渡す人もいた。
中履きへ履き替えて階段を上がり、階段の踊り場で向かい合う生徒の隣を通り過ぎる。
ジロジロと他人が眺めるような無作法なことはするはずもなく、ただ視線の端で通り過ぎる刹那の間に様子を伺った。
……確か、隣の二組で見たことのある男女の生徒だ。
女子生徒から男子生徒へ渡された包みと共に、手が差し出された恥ずかし気に男子生徒がその手を握る。
まさにこの瞬間、桜ノ丘学園に新たなカップルが誕生した瞬間だ。
階段を上った先では、同じクラスの友人達なのだろう生徒が数人、その結果を見届けるとお祝いムードで二人のいる踊り場へと身を出して近づく。
祭りか、ここは。
ウェーイと口を揃って言い放てば、何故だかこちらの耳を覆いたくなる。
なんで、ウェーイなのだろう。
もう、騒がしい生徒の口上なのではないかと錯覚してしまうくらいにたいていの生徒は口にしている。
通り過ぎた背の向こうでは、これから祝杯と称してソフトドリンク大会が開催されることだろう。
二組ももしかしたらこのカップル成立に騒ぎ立つやもしれぬ。
朝から一つの決定的な場面に立ち会った気分になりながら教室の前まで進むと戸をゆっくりと開く。
いつも以上に騒がしい教室の中から一瞬だけ向けられる視線と、そしてすぐに逸らされる視線も慣れたもの。
室内にいると予想した雫の姿は見えず、綺羅坂は自分の席に腰かけて読書に没頭していた。
教室に居てもなお、教室の空気には溶け込まない。
彼女だけが、異なる空気を纏ってそこに座していた。
「……」
向けられた視線は既に散り、特別なイベントでありながらも普段と変わらない彼女の姿に内心苦笑を零して進んだ。
ちょっとだけ、いつもと違う綺羅坂が見れるのではないかと思ってしまった。
その僅かながらの期待は、あえなく消え去った。
俺が教室に入り席へと近づいていることに気が付いた綺羅坂が、持った本を閉じて微笑を浮かべてこちらに瞳を向ける。
「おはよう真良君」
「……おはよう」
荷物を脇に置いて、たどり着いた教室内の安住の地に息を一つ零すと綺羅坂と目を合わす前に思考を巡らせる。
間違いなく、この先に待つ展開は会長の時と同じ。
ただ、予想できないのは綺羅坂が起こすであろう行動だ。
会長ですら普段とは違って悪知恵を働かせた行動を見せた。
だからこそ、綺羅坂の反応が非常に恐ろしくもある。
俺の反応を見て楽しむ彼女だからこそ、そのお眼鏡に沿えるかどうか……
と、なぜか本来であれば必要のない考えに意識を向けていると隣で動きがあった。
綺羅坂も学園指定のカバンを手に取って、中に手を入れる。
何かを探す素振りを見せると、取り出したのはオレンジの包み。
大丈夫? 一個だよね?
脳裏に蘇る二つを差し出した今朝の先輩の姿。
しかし、杞憂だったのか綺羅坂は一つだけを取り出すとカバンを元の位置へと戻した。
「……」
取り出した包みを綺羅坂は少しだけ何か思うのか見つめていたが、その視線をこちらへ向けるとすぐに何事もなかったかのように包みを俺の机の端にちょこんと置いて見せた。
「はい、私からのプレゼントよ」
「ありがとう……」
「何? 意外そうな顔をしている気がするのだけれど」
置かれた包みを一瞥する。
綺麗に包まれているが、自分ですべての作業を行ったのがわかるような温かみのある包みなのだが……
いや……俺が綺羅坂を少し怖がり過ぎていただけか。
「何でもない、ありがとう」
「そう、どういたしまして」
綺羅坂に向けて感謝の言葉を告げると、彼女は小さく微笑を浮かべてすぐに読書を再開した。
……終わりですかね?
この教室にたどり着くまでの通学路、正門、校舎内での周囲の反応を見てきたからなのか、彼女のあっさりとした一連の流れに思考が停止した。
しかし、貰ったものをその場に放置しているのは申し訳が立たないので、慎重に手に取ると全体を一度確認した。
……味に期待してほしいと前に言っていたが、何を作ったのだろうか。
重さは会長の紙袋よりか心なしか軽い気がする。
小さめの物なのかもしれない。
クッキー? それとも生チョコ的な?
おそらくケーキの類ではないはずだ。
開けるべきか、否かを悩んでいると綺羅坂が再び視線をこちらに向けた。
「何しているの? 早く食べなさい」
「あ、今食べるんですね」
「私が見ていない場所で反応されてもつまらないじゃない」
「ですよねー……」
読書を再開していたから、てっきり後は個人でお楽しみくださいかと思ったぞ。
やっぱり、感想は誰よりも先に目の前で。
彼女らしい一面をようやく本日初めて見た。
オレンジの包みを丁寧に開け、その下はブラウンの紙箱があり蓋を開けると白い包み紙で六つの小粒のお菓子が包まれていた。
指先で包みを剥がし、それを慎重に口に運ぶと、ようやく彼女が何を作ったのかを理解した。
「キャラメルか……」
「そう、生キャラメルのチョコレート味」
口に含んだ瞬間はビターなチョコの風味が広がり、後には甘く溶けてしまいそうなキャラメルが口いっぱいに広がった。
……美味いんだが。
口に出すのが悔しいくらいには美味い。
そして、綺羅坂も味には自信があるのだろう、俺の反応を見てニヤニヤと口角を上げながら言葉を待っていた。
「……美味いです」
「私が手作りしたのよ、当たり前でしょ?」
ふふんと鼻を鳴らした音が聞こえてきそうなくらいには胸を張り自信満々で言い放つ綺羅坂に思わずしかめっ面が表に出てしまう。
もちろん、あなたが家庭スキルも兼ね備えた万能女子であることは存じていましたが、もう少し照れるとか欲しい。
なぜなら、最近の深夜にやっていたアニメのクール系キャラは褒めたら照れていたぞ。
アニメにすぐ感化される男、それが俺だ。
悔しいからすぐに二つ目のキャラメルを口に運ぼうとしたら、それを制すように綺羅坂の小さく白い手が視界の前に飛び出す。
「もっと美味しくなる隠し要素があるの」
「隠し要素? ……子供が喜ぶお決まりパターンに引っかかる俺じゃないぞ。是非教えてくれ」
綺羅坂が俺の持った手をこちらに渡してほしいと手で示すので、俺は右手に持ったキャラメルを彼女の手のひらの上に置く。
俺が食べたときと同じように、包みを剥がし、彼女の綺麗な指先で摘ままれる。
「口を開けてみなさい、これは本来は楽しむことができない要素なの」
「怪しいんだが……」
しかし、言われれば従うほかない。
俺は口を小さく開いて、彼女の動きを見えずらくなった視界で捉えていると、彼女が一瞬だけ目を細めて微笑んだのを確認した。
「ほら、”あーん”」
「……」
綺羅坂はわざと声をクラスの生徒が聞こえるほどに大きく、わざとらしい声音で言い放つと俺の口の中に一粒入れて見せた。
舌にチョコの風味が広がるのを感じると、すぐに閉じて思わず周囲を見回す。
クラスの生徒は綺羅坂の思惑通りに視線をこちらに向けており、女子は俺達の行動に暖かい視線とヒソヒソ話を、男子は呪い殺さんとばかりの睨みをこちらに注ぐ。
……何が隠し要素だ。
ビターが本当にクラスの居心地までビターになってしまったではないか。
これにはさすがに俺も目を細めて隣の女子生徒に一言でも言ってやろうかと顔を向けると、綺羅坂はもう一度先ほどと同じ問いを投げかけてきた。
「どう? 美味しい?」
「……美味いけど」
「そう……よかった」
正直に、感じた感想を述べると、綺羅坂はさっきとは違う反応を見せる。
右頬に手を当てている態勢に変わりはない。
しかし表情は年相応の女の子らしく、普段見せることのない明るい笑顔で笑って見せたのだ。
……こんな笑顔を見せられると、苦言の一つも言えないではないか。
それでも、確かに二つ目は最初よりも美味しかったのかもしれない。
隠し要素、普段とのギャップが引き起こす魔法の要素なのかもしれない。
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