第三十七話 チョコと君8



 同じ道、同じ光景、同じ方向へ進む同じ制服を着た生徒達。

 でも、何かいつもと違うことがあるとすれば男子生徒がソワソワと落ち着かない様子で、女子の中にはこわばった表情の人が混ざっていることだろうか。

 

 理由は単純で、それでいて複雑でもある。

 貰えるかという期待と不安、渡せるか、受け取ってもらえるのかという不安と疑心暗鬼。


 楽観視しているのは既にパートナーがいる生徒か、早々に自分には関係のないイベントであると割り切っているのが大半だろう。

 

 朝っぱらから同じ学園の生徒を眺めながら脳が良く働くのは、早朝一発目から家族愛と糖分を過剰摂取したからに他ならない。

 ついでにカフェインも多く摂取しているから眠気も九州あたりまで飛んで行ったまである。



 通学路の道中、見覚えのある茶髪が複数人の女子生徒に囲まれてチヤホヤされていたのが視界に入った気がするが見なかったことにしよう。

 登校したら宮下に情報をリークするのは忘れないがな。


 極寒の瞳に晒されるがいい。

 

 いつもなら隣でほんわかと会話を弾ませるはずの幼馴染がいないから、通学路は余計に静かに感じた。

 雫は先に登校して、三浦と最終準備に勤しんでいる時間だ。


 今日という日だけで考えれば、静かなのは良いことだ。

 男子からの嫉妬の視線が向けられることがないのだから。


 悠々と、歩きなれた道を進むこと数十分。

 既に見慣れた正門を視界に入れると、その前に佇む生徒の姿も同時に捕捉した。


 悠然と佇む立ち姿に思わず苦笑が零れる。

 あの人は、なぜ変わらぬままなのだろうか。

 


 俺が正門へと近づくと、相手もそれに気が付き優しい微笑を浮かべた。


「おはよう真良」


「会長……おはようございます」


 正門の前で生徒と挨拶を交わしていたのは柊茜その人だ。

 腕に腕章はなく、隣には活動日ではないので生徒会の姿はない。


 だが、その姿は当たり前の日常の風景として俺だけでなく多くの生徒の意識に焼き付いていた。

 それでも……

 


「……なんだか懐かしい姿な気がしますね」


 文化祭で会長職を辞して、早三か月ほど。

 当たり前の姿だと誰もが思っているのに、無性に懐かしく感じたのは気のせいではあるまい。


 三年生は既に自由登校の時期になっている。

 授業の工程はほとんどが終了しており、残されたのは卒業式に向けた準備くらいだ。

 

 だから、三年生を見ること自体が少なくなった今日この頃に、この人は当然のように朝から正門の前に立っている。

 


「そうかい? まあ、今日は君を待つために朝の挨拶をしていたのもあるのだがね」


「もしかして連絡とかありましたっけ……?」


「いや、別段連絡はしていない、今日が何の日かで君なら理由はわかるだろう?」


「ああ……」


 バレンタイン。

 少し自分でも恥ずかしい気持ちが込み上げてきた。

 

 この後にどういう物が差し出されるのかを、朝から体験してきたばかりなのだから。

 

 会長は正門わきに置いていたカバンを手に取ると、振り返りながら口を開く。



「それでは……と、ここでは私も恥ずかしい、ちょっとこっちへ来てくれ」


「会長も羞恥心とかあるんですね」


「これでも一介の乙女なのでね」


 キョロキョロと、生徒があまり近寄らない場所を探して指さすと俺の制服の袖を掴んで進む。

 その姿に思わず本音が零れると会長は少しだけ頬を赤く染めて言った。


 

 ケプコンケプコン。

 口元に手を当ててわざとらしい咳ばらいを一つ零してみせれば、会長はカバンの中から慎重に例の物を取り出した。


 そして、胸の前で持ち上げると今度は赤面する様子もなく告げる。



「では改めて、バレンタインのチョコだ。君のための特製だから受け取ってもらいたい」


「……二個ありますけど?」


「二個ある」


 持ち上げられた腕は両腕。

 つまりは二個、俺の目の前には差し出されていた。


 俺が尋ねることは必然的に一つだ。



「つまり両方ということですか?」


「いや、一つは私が貰う、だから真良はどちらがいいか選んでくれ」


「朝から難問過ぎる気がするんですが……」


 当然、二つ差し出されれば二つ受け取っていいものなのだと思う。

 でも、それは今回に関しては間違っていると会長は言った。


 一つは自分で、一つは俺で。

 なんだこの難問は……


 さすがに朝から糖分を過剰摂取したからと言って、難題を答えられるわけではない。

 というか、これも乙女心は複雑怪奇というものなのだろうか。


 ……会長の意図が汲み取れなさ過ぎて困る。


 視線を凝らして二つを見比べる俺を見て会長は楽しそうに口角を上げながら言葉を紡ぐ。


「一つは手作り、一つは君の好みを考えて選んだ市販品と言ったら君はどちらを選ぶかな?」


「しっかり外見は同じ紙袋を使っているあたりが性格悪いと思いますよ」


「君がどういう反応と答えを出すのかを楽しんでいるのだから間違ってはいない」


 どちらも同じ水色の紙袋。

 会長の言葉で、答えは更に難しく且つややこしいものへと変貌した。


 朝陽で照らされた栗毛色を輝かせて、ニヤリと笑う姿に思わずムッとなる。

 ……この余裕綽々の顔を少しでも変えてやりたい。


 一瞬の合間にいくつもの選択が浮かんでは消えてを繰り返す。

 どれも会長にとっては予想範囲で答案用紙に答えを書き込むより容易く返されてしまいそうだからだ。


 だから、少しだけ捻くれた考え方に思考を変える。


「……どういう選択でもいいんですか?」


「受け取らないは無しだぞ、これでも傷つくのだ」


「そんなこと言わないですよ……じゃあ」


 会長が差し出した二つの袋を両手で受け取る刹那の間に触れた肌で相手の体温が伝わる。

 手先は冷たく、かなり前から正門の前で待っていたのだろう。


 普段の登校時間がバラバラな俺だから、さすがの会長も長い目で待機せざるを得なかったはずだ。

 連絡一つくれればいいのに……


 でも、それを口にしてはいけないのだろうと、心のどこかで思う。


 手渡された紙袋を握りながらそんなことを考えると、今度は俺から会長へと同じように紙袋を差し出して見せる。


「はい」


「……これは?」


 不思議そうに首を傾げる会長に浮かびそうなニヤけを堪える。

 当然、お返しするという意味ではない。

 

 俺が最も嬉しい、そして会長も悪い気分にならない選択なのである。


「会長が選んでください、どっちを俺に渡すのか」


「むむっ……そう来たか」


「性格の悪さならこっちも負けてないので」


 一つは手作り、一つは市販品なのだとしたら当然手作りを手渡したくなるのが乙女心なのではないだろうか。

 なら俺が選択を会長に投げる形にしてやれば、会長は自身の分を市販品にして、こちらには手作りを渡すに違いない。


 そして、会長は俺が手作りがどちらかを悩んでいる姿を見てニヤニヤと楽しむこと間違いなし。

 だって、綺羅坂が実の姉のようだと慕うのだからその片鱗は当然持ち合わせている。


 まあ、俺も会長が作るチョコレートは食べてみたい。


 


「やはり真良に―――」


「まさか会長がやっぱりさっきの言った言葉は無しとは言いませんよね?」


「……」


 会長は浮かべていたニヤけ顔を意外そうな表情に変え、そして最後には思い通りにならなかったことに少し頬を膨らませると訂正しようとするが、すかさず重ねるように挑発めいた言葉を発した。

 年下の男子に言われたら、頬は更に空気を含む。


 ……いや、そこまでムッとしなくてもいいじゃないですか。

 俺もこの機会を市販品でした落ちは嫌ですからね。


 それに、俺のターンが続いてもいいじゃないか。

 大体が周囲の女性陣のターンが続くことばかりなのだから、こういう場面は久しい。



 静かに待つ俺を会長は見つめてから、何かを観念したようにゆっくりと俺の右手の持つ紙袋を指さす。

 そして、小さな声で呟いた。


「こっち……」


「……では、ありがたく受け取らせていただきます。せっかくなら会長の手作りを食べてみたいですからね」


 ふっ完璧に決まった。

 会長相手に俺の作戦がストレートに通用したのは今回が初めてではないだろうか。


 

 このチョコレートはしっかりと堪能して感想とホワイトデーにはお返しを忘れないでおこう。

 

 しかし、お湯淹れて三分クッキングくらいしか出来ないので、お返しは市販品になってしまうかもしれないがそこは眼を瞑ってもらうしかない。

 

 俺が会長にお礼を告げて、カバンの中に入れようとしたときだった。

 会長は少しだけへそを曲げたような声音で呟いた。

 





「……どちらも手作りだ、鈍感め」






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