第三十七話 チョコと君7



「「ハッピーバレンタイン!」」


 真良家では、上機嫌な声が重なりながら朝一番に妹と母の手に握られた可愛らしいラッピングの物が二つ。

 2月14日はバレンタイン。


 世間では女性から男性へチョコレートが贈られる一日である。

 昨今、同性の相手へ交友の証として贈ることも多々あるが、好意を相手へ示す数少ない機会として今も変わらぬ熱量が周囲だけでなく街中も彩る。


 そして、我が家も例外ではない。

 妹と母から手渡された小さな包みには、大量のハート型が散りばめられた愛情たっぷり端っこまでチョコたっぷりだ。


 甘党の人間でなければ、これだけで胸やけコース確定まである。


 

「……ありがと」


 すでに毎年恒例となっているが、貰えるものは嬉しい。

 二人にお礼を告げると、リビングの奥にあるソファに腰かけたもう一人の家族に眼を向ける。

 普段は海外で仕事をしている親父が、今日は何食わぬ顔をして自宅で新聞を読んでいた。



 理由は単純、最愛の妻と娘からのバレンタインを心待ちにしていたからだ。

 多忙の中でも、このイベントだけは親父としては外すことのできない最重要行事なのだ。


 

「……」


「何……?」


「いや、何でもない」


 親父からの視線に思わず問いかけた。

 しかし、何事もなかったかのように視線を新聞へと戻すと、口から出た言葉は短い。


 心なしか機嫌が悪い気がするのは、俺が手に持っている物が理由なのだろう。

 親父の前に置かれたテーブルの上には同様の包装紙に包まれたお菓子がある。


 順番的にも親父が早く起きて貰っているのだから、何も変なことはない気がするのだが……


 

 疑問に思う俺に対して、楓が親父の心境を代弁するかのように言った。 


「お父さんは兄さんの方がチョコが大きいから拗ねているんです」


「子供か……」


 おいおい……

 手作りなんだから多少の大きさの差は生まれるだろうが。

 四十を手前にした大人が拗ねている問題がそことは、もしかしたら精神年齢は俺の方が上まである。


 溜息を一つ零す俺に、ピクリと眉を一つ上げてみせると低い声音で呟いた。


「お前も父親になれば分かる、相手が見つかるかは定かではないがな」


「一言余計だぞ、親父だって母さんに拾われたタイプだろうが」


 この親父にして子あり。

 結果はどうあれ、母さんに拾ってもらったのだから相手がどうこう言われたくはない。


「まあまあ二人とも、朝から喧嘩しないの」


 一日の始まりから父と子の間には寒々しい雰囲気が漂う中、間を割って入った母さんが空気を一変させる。

 合わせたように母さんの一言で視線を逸らすと、リビングの戸から進み冷蔵庫の中にある野菜ジュースをグラスへ注いでテーブルへと移動する。


 受け取った包みを改めて観察していると、母さんが補足するに口を開く。


「楓ったら今年はお父さんに海外のチョコを頼み込んで気合入っていたのよ」


「へぇ……」


 妹ながらその心意気には賞賛の声が漏れる。

 でも、別に今年は祝いの歳でもないので例年よりも労力を割く理由は見当たらない。


 胸を張って褒めてと言わんばかりの楓に眼を向けると、簡単に答えは妹から告げられた。


「今年はライバルが多そうですからね、雫さんに怜さん、それに茜さんもいるのであれば私も頑張らなくては!」


「家族なんだからプライスレスだろ」


「やっぱり他の人に負けたくないのが乙女心なんです! さあ、兄さん食べてください!」


 俺の手を下から口元へと押し出すようにグイグイと手のひらを添えて促す楓に思わずたじろぐ。

 俺の胃袋が言っている、朝からはやばいと。


 思春期なメンズ的な胃袋は頑丈だから軽傷で済むかもしれないが、絶対に最初に口にするものはこれではないと、体の内側から訴えかけられている。


「朝一番で糖分補給ですか……せめて朝食後に」


 キラキラと期待の眼差しを向ける妹に対して多少の罪悪感を抱きつつ、朝食がもしダメなら注いだ野菜ジュースだけでも飲ませてほしいと懇願しよう。

 そう心の中で考えながら言葉を返すと、さすがの母も黙ってはいない。


「朝からお菓子は許しません」


 そりゃそうだ……

 母親が作った朝食があるのにお菓子を最初に食べるのを許す親は少なかろう。


 俺の手のひらに置かれた包みとヒョイと取り上げると、身近にあったカウンターの上にそっと置く。

 そして、俺と楓が座る場所の椅子を後ろへ引くと、自分は対面の席へと移動した。


「なんだか最近は兄さんが家族サービスを怠っているように思えてならないのです、だから登校前の妹に家族愛の精神を見せてもらいたいですね」


「はいはい……」


 妹と肩を並べて椅子に腰かけると、左手でグラスを口元に、右手を楓の頭の上でポンポンと弾ませて妹の不満に対しての心ばかしの態度を示す。

 こんなもので妹の不満が解消されるか……そう思う人も多いかもしれないが案外これは効果的なのだ。


 口角を上げて瞼を閉じながら、まるで猫が頭を撫でられるかのごとく楓は受け身の視線をみせる。

 ……お兄ちゃん、妹が案外ちょろすぎて将来が少し不安だ。


 悪い人に丸め込まれないだろうか。

 これは、お兄ちゃんの終身雇用が必要ですね。

 守ります、妹の周辺環境。


「あ、妹にサービスするなら親孝行もするべきよ!」


「……学校がある朝からなんで固い家族の友情劇をしなけりゃならんのだ」


 テーブルから身を乗り出して対抗意識を見せる母さんに思わず本音が零れる。

 朝っぱらから家族愛を題材にした映画さながらの愛情劇を展開するのは、チョコレート以上に糖分過多だ。


 ため息交じりでようやくグラスの飲み物を飲み干して、朝食にありつくために箸を手に取ると、楓が肩に頭を乗せて体を預けてきた。

 ……とても食べにくいのですが。


 だが、ここで突き放さないのが湊君クオリティー。


「どうした」


 目玉焼きに箸を伸ばしながら問う。

 目玉焼きには醤油かソースか、永遠のテーマで論文が書けそうだ。



「んーん、兄さんは私からチョコを貰って嬉しかったですか?」


「当たり前のことを聞くな、妹に貰って嬉しくない兄がいるのかね……」



「じゃあ……雫さん達よりも?」


「……比較すること自体が間違っている。感謝はあっても比較はない」


 

 俺が楓の問いに答えると、妹は満足そうに微笑を浮かべる。

 予想していた通りの答えが返ってきた、そう表情で語っているかのように。


「朝飯食うから、お前も離れろ」


「あと少しー」


 ……飯が冷める。

 それでも、払いのけられないのが妹に甘い何よりの証拠だ。






 

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