第三十七話 チョコと君6
代り映えのない日常、繰り返される学園での日々。
大半の生徒が頭では理解しているが、無意識にそのことを思考の片隅に追いやってしまうが、代り映えのない日常だとしてもそれは唯一無二の日常なのだ。
昨日はもうやってこない。
今日と同じことを明日やったとしても、それは全くの別物にほかならない。
同じように思えて、だからこそ代り映えがなく延々と続くかのように錯覚すらしてしまう日常。
人は、学生は、この何もない日常を大切にして過ごしていかなくてはならないのではないだろうか。
終わりを迎えたその時に、後悔や、やり残してきたことがないように。
生徒が俺と雫だけの教室で、ただ考えていた。
視界の隅に映りこむカレンダーは二月一日に〇がつけられ、本日がいよいよ二月へと突入したことを表していた。
そして、来月の日付には四日に花丸が付けられている。
卒業式、柊茜がこの学園を旅立つ日である。
だから、なのだろう。
普段は考えもしないだろうことを、無意味に思考を巡らせて答えにたどり着こうともがいていた。
自分なりの答えが出ないと、心の中でもやもやが晴れないと言えばいいのだろうか。
そんな俺の表情から察したのか、本来綺羅坂が座る席に腰かけた雫がこちらを見つめて声を掛けてきた。
「また難しいことを考えていますね湊君は」
「……別に難しいことでもないんだけどな」
「でも、湊君が考え事をするときに出る小皺が出てますよ」
そう言うと、雫は自分の眉間に指を当てて、ムムムと小さく声を零しながら眉を寄せて小さな皺が生まれる。
言われて自分の眉間に手を当ててみると、確かに普段から目つきが悪いと定評があるのに余計皺が寄り不機嫌そうな表情へと変わっていたことに気が付く。
胸の内に溜まった靄と一緒に吐き出すように息を一つ零すと、寄っていた皺を伸ばして普段通りを意識する。
雫もいつも通りの表情へと戻ったのを見て一つ頷くと、机を隣り合わせまで近づけてから、足をふらふらと揺らしながら鼻歌交じりで視線を再び前へと戻した。
……いつになく上機嫌だな。
綺羅坂が三浦のお菓子作りの最後仕上げを教えていることで席を外しているからだろうか。
彼女がいないだけで雫がここまで上機嫌になるとも思えないが。
「今日はやけに上機嫌だな……」
俺は彼女に瞳を向けて問うと、雫は溢れんばかりの笑顔で口を開く。
「湊君と二人だけの時間は久しぶりですから!」
「そうだっけ?」
「はい!」
あまりにも意外な答えに思わず聞き返すと、彼女は即答で返した。
そうだっただろうか……
俺の記憶を振り返っても大体は雫、綺羅坂、優斗、会長、生徒会の面々と時間を多く共有していたし、どこかしらで雫と二人の時間もあった気がしたのだが。
しかし、彼女が言うのだからそうなのだろう。
今は教室に俺と雫だけ。
本当に誰もいない二人だけの時間。
そう思いながら考えると、一年にも満たない期間での変化に思わず言葉がこぼれ出た。
「一年でだいぶ変わったな……去年までは雫か優斗しか俺の近くにはいなかったのにな」
「……いまの環境は嫌ですか?」
少しだけ、心配そうな顔で雫が問うてきた。
考えてみるが、面倒だと思うことは多々あれど嫌だと思うことはほとんどない。
これが彼女らでなかったら、答えは別だっただろう。
結局、俺もみんなのことが気に入っていて、悪くない友人関係が築けているのだ。
「嫌じゃない……もっとも、嫌だったら俺は素直に言うし近づかないからな」
「そうですね……湊君はそういうところは正直ですから」
安心したように、少し悲しいように雫は笑みを浮かべる。
本当は、彼女からすれば俺が多くの人と親しくしている姿を見たかったのかもしれない。
誰かに嫌われて、陰口を言われている姿を見たくないのかもしれない。
すべてが勝手な予想で、彼女の心情を正しく把握できている自信などない。
でも、たぶんそうなのだろう。
仮に、好いた相手が悪く言われるのは、俺でもいい気分ではないのだから。
俺がそこで申し訳ないと、謝ることは簡単だ。
簡単だけど、謝ってしまったら自分のこれまでの行動が間違いであると認めたことになる。
これまでも、これからも、自分が行った行動はその場の状況で最善だったと信じた道を選んできた。
他人に嫌われようが、自分の信じた方へと進んだ。
そして、その選択を、行動を認めてくれたからこそ雫は何も言わないのだ。
二人の間で沈黙が訪れるが、それもつかの間のことで雫の一言で状況は変わる。
「バレンタインが終わればもう卒業式だけですね」
「そうだな……あと一か月か」
卒業式まではあと一か月。
そして、卒業式の数日後には二年の終業式が行われて春休みを迎える。
短い休みの期間が終われば、俺たちは最高学年としてこの学園に通うことになる。
クラスも就職希望や進学希望、その学科などに沿って編成されることから俺たちが全員揃いことはもしかしたら無いかもしれない。
いまの生活も、先も述べたように当たり前で不変的なものだと思っていても、終わりは刻一刻と近づいているのだ。
だからなのか、無意識のうちに言葉を紡いでいた。
「寂しくなるな……」
「え……?」
雫が珍しく驚いた表情を浮かべてこちらを見つめる。
瞳は大きく開かれて、口を小さく開いたまま震えて何か発しようとしていたが言葉が出てこない様子だった。
そんな時、俺の制服に入れたスマホが数回振動した。
綺羅坂から試作品が出来たことの連絡だろう。
事前に連絡を入れると聞いていたので、画面を開くことなくその意味を悟ると席を立ち荷物を手に取る。
俺の行動を見て、雫も家庭科室へと移動することを理解すると慌てて自分の身支度を整えた。
彼女の準備が終わるまでの少しの間、この先の学校生活を思い浮かべてみた。
仮に、雫や綺羅坂、優斗達の誰とも同じクラスにならなかったとしよう。
クラスは騒然としていて、でも俺は自分の席で一人うるさいなと思いながらも外の風景でも眺めて過ごしていることだろう。
隣からの突然来る心臓に悪いいたずらもなく、幼馴染のスキンシップに周囲の男子が嫉妬の目線を向けてくることもないだろう。
友人が休み時間のたびに興味もない話題を話しかけてきて、その話題を知りたいと寄ってきたクラスの女子達を鬱陶しいと思うこともないだろう。
放課後になれば生徒会の活動は続くが、その視線の先には俺の無理やり生徒会へ引き入れた先輩の姿はないだろう。
これまでと同じ。
少しだけ、二年の名残で繋がりが残るだけ。
なんてことはない、これまでも同様の環境で過ごしてきたのだから。
二年の最初なんて、この境遇に心底嫌気がさしていたのだから、そう考えれば来年は平和な日常が戻ってくる。
だけど、想像すればするほどに、これまで感じたことのない孤独感や、胸にズキリとした痛みを感じたのを俺は生涯、忘れることはないだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます