番外編3 兄のいない日々3
人生で初めてだ、兄でもなく向かいの家の幼馴染でもない年上の女性と語り明かしたのは。
話題は大好きな兄の生活について。
学校ではどのように過ごしているのか、自宅ではどのようにすごしているのか。
私が見れない学校での兄を、茜先輩が見れない自宅での姿を。
互いが情報を共有することで、話は次第に盛り上がり気が付けば深夜に突入していた。
リビングの時計を見上げて、驚愕しながら言う。
「明日は休日ですから学校はありませんが、茜先輩は大丈夫でしたか?」
「気にしないでくれ、私も明日はゆっくりしている予定だ」
思い浮かんだ心配を払いのけるように、微笑と言葉が返ってくる。
安堵の息を零して、考える。
私は自分の部屋があるから問題ないが、先輩にはどこで寝てもらうことにしよう。
リビングに敷布団でもいいが、客人一人を広いリビングに置いてけぼりというのは申し訳ない。
私の部屋で一緒に寝てもらうことにしようかな、そう思い声を掛けた。
「先輩は私の部屋で寝られますか? よければベッドを使っていただいても構いません」
「いや、ベッドは流石に……ん?」
問いかけに対して、茜先輩は途中まで口を開いたところで何か思いついたように口を閉ざす。
顎に手を添えて思案顔を浮かべていたかと思うと、次に浮かべたのは悪だくみをする子供のような微笑だった。
「いいことを思いついた」
先輩は私の腕を取り、引き連れて歩くように廊下へと進む。
進む方向は兄の部屋がある場所。
主のいない無人の部屋を先輩はゆっくりと開くと、中を見回すように視線を移動させてから入室した。
瞬間、兄さんの香りが鼻孔をくすぐる。
「ベッドはあれを使おう、一緒にどうだ?」
「え、それはマズいのでは?」
先輩の提案に思わず苦笑いが零れ出た。
雫さんや綺羅坂さんが聞いたら、途端に怖い顔をして反対することだろう。
しかし、何故だか今はその悪だくみも楽しく思えてしまったのも本心だ。
建前上、言葉では否定しながらも口角が上がるのを自覚して、二人してベッドに歩み寄る。
先輩が先に布団の中へと入り込み、一瞬掛け布団で全身を隠してから頭だけをひょっこりと出す。
「うん、とても真良の匂いだ」
「兄さんの匂いを嗅ぐとは、なかなか変態さんみたいですね」
「好む匂いであれば致し方あるまい」
布団を鼻先まで引き込み、ふふふと笑いながら返す先輩にどちらが年上なのか一瞬だけ忘れてしまいそうになる。
この、普段とのギャップが男性には魅力になって彼女を引き立てるのだろう。
しかし、兄のことになれば話は別だ。
私の兄さんの布団を独占させるという選択肢は、私の中には存在しない。
取られた布団を取り返すように、隣へと潜り込み布団を引き込む。
「これは私の兄さんの布団ですので、あまり匂いは嗅がないでください」
「と、いいつつ君は幸せそうに堪能しているのだな」
「妹ですから」
私は兄さんの布団を取り返すと、両腕で抱きしめるように掴むと、顔をうずめて大きく深呼吸をする。
良いです、とても良いです。
兄さんには内緒にしていますが、帰りが遅いと知っている日には帰宅後すぐに兄さんにベッドにダイブしていることもありました。
昔から大好きな匂い。
私だけの匂い。
でも、今だけは気分がいいので先輩にもおすそ分け。
二人で肩を並べて布団に寝転がると、視線が交わり苦笑が込み上げる。
「後輩の布団で寝るとは……少し恥ずかしいな」
「誰も気が付きませんから、二人だけの秘密です」
懐かしい、子供のときのような会話。
兄さんなら、絶対にこういうだろう。
『二人だけの秘密ってのは、そもそも秘密を共有している時点で秘密でも何でもないんだ』って。
そんな兄の姿を想像して内心笑っていると、先輩が小さく呟いた。
「神崎と怜が真良の部屋に乗り込んでいなければいいが」
「……」
ししし、失念していました……
ありえる、その可能性は大いにありえる。
特に怜さんなら想像することすら容易だ。
そして雫ちゃんもダメと言いつつ、意外と乗り気だったりするのだから不安が一気に増大する。
「……ありえますね」
「だな、まあ不祥事を起こすような奴らではないから大丈夫だろう」
先輩は気楽に呟くと瞳を閉じる。
呼吸は一定の間隔で寝息と変わり、私も体の力を抜いて呼吸を整える。
虚ろになり始めた意識の中で、明日のことを考える。
明日も、兄さんは帰ってこないのか……
そう思うと、一人の時間がとても寂しいものへと変わってしまう。
どう過ごそうか、考えても案は浮かんでこない。
代わりに出てきたのは先輩への言葉だった。
「明日も、うちに泊まっていきませんか?」
天井に呟くように言い、ゆっくりと顔を横に向ける。
栗毛色した髪が見え、次に大人びた顔が写る。
その表情は優しく、そして楽しそうだった。
「ああ、よろこんでお邪魔させてもらうよ」
「ありがとうございます……」
兄さんとは違う、だけど安心する声に私は僅かに笑みを零してから意識を手放した。
二人、兄さんの布団の中で健やかな夜を過ごしたのだ。
二日目は、先輩と買い物にいったり、学業で分からない分野について教えてもらうなど有意義な時間を過ごす。
朝は私が食事を作り、昼は先輩が作る、そして夜は二人で料理をした。
雫ちゃんと一緒にいるような安心感と楽しさに、時間すら意識の外に行ってしまった。
あっという間に夜が訪れ、二人でお風呂に入り、昨日と同じく兄さんの布団で夜を空ける。
三日目になれば、心のうちは慌てふためく。
兄さんが帰ってくる日、早くお迎えの準備をしなくては。
料理はお土産のものを使用した方がいいのだろうか、それとも空き始めてしまっているのであれば家庭の味でから揚げでも作ってあげようか。
一人、朝から悩んでいると先輩が苦笑いを零しながら言った。
「少し落ち着いたらどうだ?」
「そうですね……そうですね」
言われて、一度は先輩の隣に腰を下ろすが、すぐに立ち上がり冷蔵庫を確認する。
食材は問題なく用意してある。
後は、兄さんの帰りを待ちながら準備をするだけなのだが……
沖縄を発つ前には連絡をしてくれると言っていたのだが、私のスマホにはまだ着信がない。
画面を一分おきに確認して待っていると、電話の画面が表示される。
名前は真良湊、兄さんの名前が表示されていた。
「もしもし、楓です!」
『あー楓か……二日間大丈夫だったか?』
「はい、茜先輩も居てくれたので大丈夫でした!」
三日ぶりに聞いた兄の声に、口元は思わず緩み笑みが止まらない。
きっと、空港で飛行機に乗る前の短い時間で電話をしてくれているに違いない。
だから、私からは必要最低限のことだけを聞こうと、脳内で要点をまとめていた時に兄は言った。
『あれだ……そっちに帰るの一日遅れる』
「え……?」
『綺羅坂に追加で一日強制連行されそうでな……申し訳ないがあと一日留守を頼む』
そう言って、最後に別れの挨拶を交わして兄さんの電話は切れてしまった。
スマホを握っていた手には力が入り、緩んだ口元はきつく結ばれる。
両頬はリスの様に膨らみ、真っ赤に赤面する。
わなわな、肩を震わせる姿に茜先輩は内容を聞く前に察したのだろう。
諦めの溜息を零していた。
「兄さんの……バカぁぁぁあ!」
真良家では滅多にお目にかかれない、年相応の女の子の怒りの声が、家全体を、隣近所にまで響き渡ったのだった。
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