番外編3 兄のいない日々2
一人分の弁当を用意して、昼休みに教室でクラスメイト達と共に食事の時間を共有する。
いつもなら楽しいランチタイムでも、家に帰れば慕う兄がいないと無意識に考えてしまい気乗りがしない。
それでも、周囲には悟られないように普段通りを演じる。
高校生にもなって、兄離れが出来ていないと知られるのは、私だって恥ずかしいと思う部分があるのだ。
午後の授業も、黒板の書き記された文字をノートに書き写すだけの単純作業だけをこなして、授業終了のチャイムがあると近くの生徒に別れの挨拶を交わして席を立つ。
学校指定のローファーを下駄箱から取り出して、建物から出ると正門近くで生徒達が何やら騒いでいるのが目に入る。
何事だろう……疑問に思いながら背伸びをして様子を伺う。
正門を通り過ぎた先、歩道で瞑目して佇んでいたのは兄さんと同じ制服を正しく着こなす女子生徒の姿があった。
柊茜先輩だ。
栗色の髪を靡かせて、他校の前でも威風堂々と振舞う姿に文化祭で彼女を見かけた女子生徒達が騒がしくしていた。
……流石、兄さんの学園でも一際存在感を放つだけはあるなぁ。
何用で、そんな考えもすぐに消える。
私を迎えに来てくれたのだ。
兄さんが、今朝茜先輩に留守をよろしく頼むと言っていたのだ。
不本意だが、私は微塵も納得はしていないけれども兄さんとお見合いをした間柄なのだ、知らぬ仲ではない。
生徒の合間を縫うように進み、正門の前で待つ柊先輩に声を掛ける。
「茜先輩」
「やあ楓ちゃん、お疲れ様」
優しい微笑を浮かべて、私に手を振ると茜先輩は歩み寄る。
女学院の生徒達も、下手に声を掛けてくるような真似はせずに様子を伺っていたが、すぐに自分達も帰宅に戻っていく。
集まっていた視線が少なくなったところで、茜先輩は要件を述べた。
「家まで送ろう、まだ明るいから気遣いなど無用かもしれないがね」
「ありがとうございます、そうすると私もご自宅までお送りしたくなってしまいますね」
目の前に立つ先輩も、多くの男性を魅了する容姿をしている。
私を自宅まで送り届けてくれたら、今度は私も先輩が無事に自宅へとたどり着くのかを心配してしまうので何とも言えない。
二人して視線を交わらせて苦笑を浮かべると、肩を並べて下校を始めた。
普段は一人、それか兄さんの二人で帰る道を二つ年上の女性と歩くのは不思議な感覚だ。
雫さんは幼い頃からのお姉ちゃんみたいだから、私も慣れてしまったのだけれど茜さんはまだそこまでの仲ではない。
互いが距離を測りながら歩いていると、静かな声で会長が言った。
「今頃は、真良達は宿泊先に向かう時間帯だろうか」
腕に付けた見かけとはギャップのある可愛らしい腕時計に視線を落として、先輩は言った。
確かに、兄さんが持っていたしおりに書かれたタイムスケジュール通りなら、今の時間帯は宿泊先に向かっているか到着しているかもしれない。
優斗さんも同じ班だから、寝床の取り合いでもしているのだろうか。
いや、兄さんなら端の静かな場所を陣取っていることだろう。
雫さんや怜さんが変なことをしていなければいいのだけれど……
わずかな心配を抱えながら、頷いて返事を返す。
「楽しんでいれば良いのですが」
「彼の性格上、騒々しくて満喫は出来ていないだろうな」
「集団行動が根本的に苦手な人ですから……」
この場にはいない兄の学友の方に少しだけ謝罪の念を抱き呟く。
周りに雫さんや怜さん、優斗さんがいても兄さんは居心地悪いだろうなぁ……
誰よりも周囲を観察して、気配に敏感な人だから、修学旅行という特別な舞台で人気者たちの近くを歩くことはそれだけで疲労を伴う。
本当は誰よりも集団心理を理解している人なのに、理解しているからこそ嫌う。
自我を失うことのほうが、兄さんには苦痛なのだ。
兄がいない二日間、土日を挟むが自宅で一人やることもなく過ごすのは少しだけ寂しい。
だからなのか、深く考える前に隣の女性に提案を述べた。
「茜先輩、よければ私の家に泊まりませんか?」
二人で真良家に帰宅してから、次に柊家の近くまで移動する。
茜先輩も宿泊の準備があるので近くのスーパーで私は夕飯の買い物をしながら時間を潰していた。
本日のご希望は、兄さんの好む食べ物。
あの人は基本的に、子供が好む食べ物が好きだ。
カレーやオムライス、ハンバーグにから揚げ。
可愛らしくて思わず微笑みながら食材を吟味する。
兄さんが一番好きな鳥のから揚げをご馳走してあげたいけれど仕込みで時間が掛かってしまう。
今日は、オムライスとオクラを使用したサラダを作ろう。
脳内でレシピを組み立てると、適当な材料を二人分カゴの中に入れていく。
慣れた分量だから、作るのもお手の物だ。
会計を終えて外に出ると、ちょうど茜さんが白いワンピースに着替えて再会する。
清楚な服は、凛々しい普段とは違う印象を抱かせる。
腕時計といい、この人は意外と可愛らしいものが好みなのだろうか。
今日の夜が楽しみだと思いながら、二人で買い物袋を分けて再び真良家に向けて歩き出す。
お風呂の前に夕食ということになり、協力の提案を丁重に断り準備に取り掛かる。
我が家の、そして兄さんの好物なら私がご馳走しなくては。
後日、兄さんが恥ずかしい思いをしないように、精いっぱい腕を振るって調理を進める。
「手際が良いな、普段から調理場に立っていることがわかる」
「兄さんは家事全般が苦手分野ですから」
「でも文句を言わずに二人仲良く過ごせているのは君が優しいからだろう」
淹れたコーヒーを喉に流し込みながら、茜さんが言う。
優しい、そうなのだろうか?
家のことなのだから当然で、仲が良いのは私が優しいからなのか。
嬉しい言葉だが、もう一つ付け加えることがあった。
「兄さんがとても優しいからでもあります」
サラダを盛り付ける手を止めて、小さく呟いた。
兄さんの優しさは周りには伝わりにくい。
本当に些細なところで、周りが気が付かないようにしているからだろう。
目立つことが嫌いな兄らしい。
それでも、性格を誰よりも理解していても、少しだけ周りに兄を認めてもらいたい気持ちはある。
でも、これは私の欲求。
兄さんの考えではない。
しかし、目の前の女性は私と近しい感情を抱いたことがあるのか、複雑な笑みを浮かべる。
「理解し難いと思われがちだが、彼は至極単純に自分の手の届く範囲だけを守る、今の同学年の様に幅広く見栄を張り腕を伸ばさない……」
コーヒーを嗜む姿は自然で、語る言葉は偽りを感じない。
純粋に評価を下し、兄さんを認めてくれている人なのだ。
……それが女性であることに私は不満を感じていますが。
それでも、一人でも多くの人が同じ考えを持ってくれていることに嬉しさが胸に広がる。
同時に、さも一番の理解者であるように振舞う先輩に、妹の威厳を示したくもなる。
だから、少し冗談を含めた言葉を発した。
「では、兄さんについて今日は語るとしましょうか」
「ふふっ……別に取って食ったりはしない、でも面白そうな提案だ」
栗毛色の髪をした女性は、不敵に笑みを零すと両手を合わせて言葉を返した。
まさか、年上の女性とこんな展開になるとは、兄さんも予想だにしなかったはずだ。
完成したサラダを両手に持ち、彼女の対面へと座るとご飯が炊きあがるまでの間、そして夜が更けるまで真良家のリビングには、いつもとは違う歓談の声が響き渡った。
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