番外編3
番外編3 兄のいない日々
兄の乗り込んだ車が遠ざかり、小さくなっていく様子を眺めて手を振り続ける。
完全に視認できなくなると、隣に佇む先輩が声を掛けてきた。
「楓ちゃん、お邪魔してもいいかな?」
「はい、どうぞ」
会長さんのお願いを快諾すると、私は先に進んで扉を開く。
手を差し出し、どうぞと合図を送ると会長さんは微笑を浮かべて家の中へと入っていった。
リビングで二人きり。
ほんの少し前までは、兄さんがいた席には誰もいない。
視線は同じ場所を見つめてしまい、あと数日も同じような光景を目にするのだと思うと、気が滅入るのを既に感じている。
兄さんは、修学旅行の間は無事に過ごせるでしょうか。
過保護の親のような心配をしている自分に、思わず溜息が零れる。
対面に腰掛けた会長さんが、私の考えていたことを察したのか苦笑を浮かべて言った。
「神崎と怜もいるのだ、真良のことに関しては心配はしなくて大丈夫だよ」
「そうですよね……でも、何かやらかしそうで」
もちろん、生活面でも心配していることは多々ある。
朝が苦手なのに、一人で起きて時間通りに食事を食べてくれるのか、着用する格好は制服だけど、一日が終わったらシャツをラックに掛けて皺が付かないように扱っているか……
細かいところを挙げてしまえばきりがない。
しかし、何より心配なのは兄の行動面だ。
こればかりは、誰よりも長い時間を共有している私でも、分からない。
兄は、本当に分からない。
「会長さんは兄さんが修学旅行で周りと打ち解けられると思いますか?」
素朴な質問だ。
学校での姿を見ているのは会長さんなので、友人との付き合い方を一番理解しているのはこの場では私ではなく彼女だろう。
何か気休め程度になればと聞いてみたが、会長は一瞬視線を天井に向けてから口を開く。
「まあ、十中八九無理だろう」
「ですよねー」
項垂れるように、机の上に上半身を倒し突っ伏す。
ですよね、私もそんな気がしていました。
兄さんは絶対に周りとは馴染めないし、周りも馴染もうとはしない。
楽しい修学旅行を満喫してくれれば、これ以上嬉しいことはないのだけれど、何故だか兄の性格を鑑みて想像してみても、余計なことをやらかしかねないという心配が心の中を渦巻く。
こんな時、同じ学年で同じ学園であれば……
そうだ、それこそ双子で生まれてきていれば兄の近くにずっといられたのに。
文句を言っても意味のない発想が脳裏をよぎる。
そんな姿を見て、会長さんは楽しそうに微笑んだ。
栗毛色の髪がとても綺麗で、二つしか年が変わらないのに大人びて見える。
雰囲気の差なのだろうか。
……兄さんも、こんな大人な空気を醸し出す女性が好みなのかな?
考えることはほとんどが兄のことばかり。
数日間会えなくなるというのに、こんな調子では私の方がやっていけるのか不安になってきてしまうまである。
リビングで、静かな時間を会長さんと共有していると、時刻はあっという間に過ぎていく。
学園に登校する時間が近づき、私と会長さんは異なる制服姿になる。
荷物を持ち、玄関前で対面すると会長さんは言った。
「真良にも頼まれている、放課後は私が女学園に迎えにいくよ」
「本当に大丈夫ですのに……ありがとうございます」
兄さんも、心配をしてくれていたようで会長さんに自分が不在の間のことを彼女に頼んでいた。
二つ、思い浮かんだのは何故女性に頼んだ? という少々心ざわつかせるものと、男性じゃなくて良かったという安堵という矛盾している感情だ。
まあ、ただ私が会長さんに頼る兄さんの姿を想像して、モヤっとしているだけなんですけどね!
家の近くで会長さんとは別れて、私は普段通りの日常へと移る。
学園に近づき、見慣れた学友たちと挨拶を交わす。
教室に入って自席に腰を掛けると、一日の教材をカバンの中から取り出す。
ふと、しまっていたスマホの画面に視線を落とす。
何か、兄さんからメッセージが届いているかもしれない。
期待を胸に画面に視線を向けると、一件のメッセージが表示されていた。
無意識に上がる口角を抑え、画面をタップすると送信者は期待していた兄ではない、雫ちゃんからのものだった。
文章は短く
『人生初飛行機、大爆睡です!』と書かれており、添付された写真には窓枠に頭を預けて爆睡している兄の姿が写っていた。
「本当に……兄さんらしい」
きっと、人生初の飛行機に兄自身は心躍らせていたのだろう。
でも、朝型ではない兄は飛行機の中で睡魔に襲われて瞼を閉じたのだろう。
雫ちゃんに『ありがとうございます! 兄さんをよろしくお願いします』と返事を打って送信する。
それから返事はない。
当然、兄さんからもだ。
私達は普段通りに日常で授業が進む中、頭の中では何故連絡をよこさないのかについて議論が繰り広げられていた。
小さな脳内楓ちゃん達が様々な意見を挙げてみるが、結論兄さんだからという結果に至る。
本当に……連絡してほしいのに。
楽しいはずの学校での日常も、美味しいはずのお昼の弁当も、何故か味気ない。
何故か、それは帰宅しても私が求める人が家にいないから。
ブラコンと言われても致し方ないくらい、私は重症なのだろう。
生活は真良湊を原動力に動いている。
それが遠く離れた沖縄に行ってしまったのだ、エネルギーは一日目にして早くも枯渇気味だ。
どう、兄さんエネルギーを補給するのかを悩ませるばかり。
昼休みの間、何人かのクラスメイトが話しかけてくれていた気がするのだが、すべて上の空で耳に届くことはなかった。
理由も周囲には重度の兄好きであることは露呈しているので、察せられていた。
三日間、一週間の半分以下。
考えれば大したことのない日にちで、課題や家事を繰り返していれば時間などあっという間に過ぎていくはずなのに、半日ですら苦痛に感じてしまう。
「はぁ……」
普段、兄さんに溜息は幸せを逃がすのですよ、なんて言っている自分が今日何度目の溜息だろうか。
兄さん……早く帰ってきて。
なんなら、半日で帰ってきて……
真良湊のいない三日間が始まった。
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