第三十三話 望まない選択
第三十三話 望まない選択1
久方ぶりの声を聞いたのは、完全に意識外の外からだった。
修学旅行プラス一日を終えて、我らがホームタウンの神奈川へと帰還した俺達一行は、綺羅坂家の運転手、黒井さんの送迎によって各々自宅まで送ってもらうことになった。
最初に宮下、優斗、そして俺と雫が同じ場所で降りて、短い言葉を交わして解散となる。
二日間、修学旅行の代休が挟まれれば、また彼ら彼女らとは学校で再会するのだ。
疲れもあり、適当な言葉を少々交わす程度で、余計な会話はなかった。
綺羅坂の車が見えなくなり、雫が自宅へと入ったのを確認してから、俺も自宅の扉を開くために鍵を取り出す。
施錠してある扉を開けようとした時、後ろから声を掛けられた。
「おかえり、湊」
「……ただいま、っていうかおかえりは俺のセリフなんじゃないか、母さん」
後方に佇んで、優しい笑みと声音で声を掛けてきたのは母親の真良琴音だった。
海外で親父の世話をしているはずだが、帰国しているとは意外だ。
聞いていなかったサプライズに僅かながら微笑んで迎えると、母さんも嬉しそうに表情を明るくさせる。
ちょうど、二人への土産も買っていたところだ、直接渡せるからよかった。
そんなことを思いながら、玄関を開けようとすると言葉は続く。
「湊、最近学校は楽しい?」
「急にどうしたの……まあ、普通かな」
玄関前で話す必要もないであろう内容に、疑問を抱きつつも苦笑を浮かべて答える。
何か、母さんは自分の家であるのに入るのに抵抗があるような、そんな感覚さえ抱く。
だが、立ち話をするために帰国したはずもなく、俺も疲れているので家の中に踏み入れると、そこにはマイスイートエンジェルこと楓が不機嫌そうに瞳を細めて佇んでいた。
「おかえりなさい兄さん……私が何を言いたのか分かってますね?」
「お兄ちゃんが最高にかっこいいと言いたのだろう、よせよせ分かっている」
「鏡見て、目薬さしてからもう一度鏡を見てから言ってください! 違います、勝手に宿泊を増やして遅く帰宅したことです!」
だよねー……
俺も、自分が妹の立場なら文句の一つでも言いたいところだろう。
というか、絶対に言ってる。
楓のことだから、頭の中では帰宅の際の準備なども組み立ててあったのだろう。
それが、一瞬にして白紙へと戻されたのだ。
怒るのは当然だし、俺も言い返す言葉もない。
更なる言葉が投げかけられると思っていたのだが、楓は視線を俺の後ろの人物に向けたことで止まった。
「あれ、お母さん! どうして日本に?」
意外そうに楓が言った。
俺はともかく、楓にも何も告げることなく戻ってきていたのか……
普段なら絶対にありえない行動に、妹も驚きを隠せない。
「ただいま、湊も沖縄から帰ってくることだし、久々に家族そろって休みでもと思ってね」
楓の問いに母さんはそう答えた。
俺の隣を通り過ぎて、母さんの元へと楓は駆け寄ると持っていた荷物を代わりに請け負う。
リビングに二人並んで進む背を見て、疲れ切った思考を回転させる。
まあ、何か大切な話でもあるのだろう。
十中八九、間違いない。
思い出せば、修学旅行前日にも母さんから電話がかかってきていた。
今日、母さんが帰ってきたのと同じタイミングで俺が帰宅したのは偶然だろうが、そもそも両親の帰省は必然的なものだ。
ちょっとした気分転換、子供たちの顔が見たくなった的な軽い考えの元からではないだろう。
それだけが、俺の中で確信していることだった。
自室へ荷物を置いてから、リビングへと踏み入ると二人は楽しそうに歓談していた。
「聞いてよお母さん、兄さんたら勝手に修学旅行の日程を伸ばして帰ってきたんだから」
「あら、こんな可愛い妹を放ったらかしなんて、酷いお兄ちゃんね」
楓の頭を撫でて優しい表情を浮かべながら、母さんは冗談交じりの言葉を言い放つ。
いや、全くもってその通りですね、はい。
二人が腰かけた椅子の反対側に俺も座りながら、申し訳なさを感じる。
二人は両親不在の間に積もった話を飽きることなく交わす。
その様子を、俺は見守りながら久々の自宅に安堵する。
やはり自宅は最高。
必要以上に騒がしいこともなく、誰の視線があるわけでもない。
将来的には在宅ワークが俺には最も向いていると言っても過言ではないなと再認識したまである。
ひとしきり、楓が話したかったのであろう内容を話し終えると、リビングに訪れた静かな時間。
そのタイミングを見計らっていたかのように母さんは俺に告げた内容と同じ質問を妹にも投げかける。
「楓、学校は楽しい?」
「学校ですか? 楽しいですよ、最近は生徒会の方達とも親しくさせてもらっています」
合同文化祭でも、楓は桔梗女学院側の生徒会に手伝っていた。
そこから関係は生まれて、今では親しい間柄になったのだと説明した。
母さんは、楓の言葉を微笑で受け止めながら頷く。
楓もその優しい母の様子に、学校での楽しい出来事を饒舌に話し始めた。
俺と楓の二人であれば、あまり話すことのない内容だ。
楓も楽しいのだろう、表情はとても明るく母はやはり子供の楽しい感情を引き出すものなのだなと思い知る。
そして、俺も交えた三人で談笑をしていたとき、玄関で小さな物音が聞こえてきた。
親父が荷物を下において、鍵を開けた音だ。
「あ、お父さんだ」
楓が一番最初に気が付いて、席を立つ。
とたとた、小さく駆けてリビングを出ると出迎えるために楓は一人室内から出ていく。
その姿を目で追っていると、母さんの顔が一瞬だけ視界の端に写った。
その表情は、悲しそうで、申し訳なさそうで、この先の展開を杞憂しているようだった。
ああ……やっぱり良い話で帰国したわけではなさそうだ。
それでも、親父が帰ってくるまでの間は、子供達にはバレることないように振舞っていたのか。
だから、俺は何も告げることなく親父がリビングへと足を踏み入れるのを待つことにした。
その先、俺も楓も予想していなかった内容が待っていたとしても。
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