第三十二話 言葉の重み10



 秘めた想いは言葉に変わり重みを生み出す。

 綺羅坂が発した言葉は、俺にとっては修学旅行最大の一言になった。

 

 宮下の告白を上回る衝撃的な出来事だ。

 ハイキングコースから戻り、修学旅行最後の朝食が始まる。

 大きな食堂に生徒全員が集まり、各々好きな場所へと腰掛ける。

 

 俺も、適当に室内の端の方に席を確保すると、周囲から視線が集まる。

 

「あれだよ……トマト野郎って」


 クスクスと嘲笑の声を上げて密かに会話する生徒達の言葉が耳に届く。

 内緒話は相手に聞こえないようにするのがルールなんだよ、知ってますか?

 

 内緒で無くなった瞬間に悪口と変わるのだから、そこのところはご注意願いたいものだ。

 

 周りからの視線など気にしないで適当に腰掛けて朝食を食べ始める。

 絶対に誰もこの席には近寄らないという自信が俺の中ではあったのだが、それを裏切るように近づく人影が視界の端に映り込む。

 

「湊君、おはようございます」


「雫か……おはよ」


 宮下の一件の際、室内で待機して他の女子生徒達の監視をしていた雫が微笑を浮かべて朝の挨拶を述べる。

 

 返事を返してから、少しだけ椅子を横に移動させる。

 失礼します、そう言うと雫は隣に腰を下ろす。

 

「どうでしたか、宮下さんのほうは」


「……」


 小さな声音で耳元に呟く雫は、興味深そうにこちらに視線を向ける。

 協力してくれたのだから当然説明は必要だ。

 

 しかし、その言葉に宮下と優斗の一件が終わった後の光景が脳内で再生される。

 

 ……綺羅坂のことまで説明する必要はないか。

 この二人、なにかと口論になるから面倒なことになりそうだ。

 

 所々、不要な情報は取り除いて事の顛末を説明する。

 宮下が告白をした事、優斗が雫の一件をまだ引きずっていたこと。

 

 それでもなお、宮下は引き下がらないと宣言したこと。

 雫も話を聞いて、苦笑を浮かべた。

 

 彼女も宮下の行動には通じる部分があったのだろう。

 気持ちが分かるからこそ、その大変さと辛さを理解することができる。

 

 そして、少し安堵したように息を溢す。

 様々な意味のある息は、生徒達の歓談する声にかき消されて響くことはない。

 

 雫は先に取ってきた朝食に手をつける。

 小さな口でパンを頬張り、時折こちらに目を向けると微笑を浮かべる。

 

 彼女は、昨日の一連を見ても変わらない。

 長い付き合いというのは本当に心強いことだ。

 

 周囲からは好奇の視線を向けられているのに、それを気にする素振りも見せないのだから。

 

 

 二人で並び朝食を食べ進める平和な時間が流れる。

 この後の予定は、最終日の団体行動で観光をした後最後の土産物を買う時間が設けられている。

 

 昼を食べればすぐに空港で東京行きの便に乗らなければならない。

 あっという間に時間は過ぎていく。

 

 確かに色々と出来事はあった。

 しかし、楽しい修学旅行でしたかと問われた時に、楽しかったですと自信を持って答える事のできる内容ではない。

 

 それに、俺の脳裏では数刻前の光景が思い浮かぶ。

 綺羅坂の言葉、そして態度。

 

 あれは、何か答えを得て行動に移した目をしていた。

 本気の目だ、冗談であんなことを言う奴ではない。

 

 

 自ずと何かしら行動や言動に変化が起こると予想はしているのだが、それに伴い懸念すべき点が一つ……

 

「相変わらず二人セットなのね」


 考えていた矢先のことだ。

 俺が今一番会いにくい人物が後方から颯爽と現れて声をかけてきた。

 

 綺羅坂は早朝の私服姿から制服へと着替え、いつもの冷静沈着クール系女子生徒の姿をしている。

 

 いや、本当にクール過ぎて俺の心臓がクール宅急便になってしまうまである。

 背中には冷たい汗がながれ、口に含んだスープを思わず少しだけ吹き込んでしまいそうになった。

 

「大丈夫ですか?」


 心配した雫が背中を撫でて声を掛ける。

 大丈夫と一声かけてから後方へと振り返ると、そこに立っていた綺羅坂の瞳は強くそして冷たかった。

 

 

 ……何かしたっけ、俺

 なんて思いながら彼女の視線の先にあるものを確認する。

 

 そこには、俺の肩に置かれた雫の小さな手だった。

 

「真良君、私はあなたに言ったはずよね?」


「何をでございましょうかね……」


 いろいろ言われているから、どれなのか確信的な言葉はない。

 問うと溜息を零して彼女は呟く。

 

「あなたを誰にも渡すつもりはないって、つまり隣の幼馴染みさんも例外ではないの」


 雫とは反対側の隣の席に腰を下ろすと、綺羅坂は俺の腕を掴む。

 自分の方へと引き摺り込むように加えられた力に、体は大きく傾く。

 

「なっ!? あなたこそ勝手に湊君を自分の物みたいに言わないでください!」


 さらに反対側から、引き戻すように力が加えられる。

 わお、これが青春って奴ですかい。

 

 まるで、ラブコメのライトノベルみたいだ。

 ……なんてうざい立ち位置なんだろうか。

 

 これでアハハなんて笑っているのは頭のネジが2、3本飛んでいってしまった人だけだ。

 

 飯は食いにくい、周りの視線は痛い、そして腕も痛い

 先日の行動もあったせいか、周囲への印象も悪くなるという相乗効果も相まって最悪の二乗並に居心地が悪い。

 

 

 せめてもの救いは、違う机に腰掛けた優斗と宮下が複雑な雰囲気になることもなく過ごせていることだろう。

 

 行動に、失った信用に意味はあった。

 それだけで、この修学旅行には参加するだけの価値はあったのだ。

 

 なんて、聖人みたいな言葉を連ねることしか左右に揺さぶられる俺には出来ることがなかったのだ。

 



 将来、この旅行について語る人はどのような美談へと昇華させて話すのだろうか。

 

 武勇伝を交えて、それとも甘酸っぱい恋愛エピソードを添えて?

 俺は赤い果汁と酸味を添えて。

 

 楓にあげるシーサーを模した人形と沖縄そばを購入しながら思う。

 これまで荻原優斗や神崎雫、綺羅坂怜の周りをフラフラと我が物顔で歩く邪魔者と認識されてきたが、この旅行を境に認識は変わっていることだろう。

 

 性格の捻くれたトマト野郎。

 農家も顔負けのトマトという印象を抱かれるまである。

 

 しかし、自ら納得して行動に移したから後悔はない。

 むしろ、下手にカースト上位に媚び諂う生徒と思われないだけマシだ。

 

 それでも、近くで自分が買うわけでもない買い物に付き合う四人の生徒には少しばかりの感謝の気持ちが湧く。

 

 雫と綺羅坂と優斗に宮下。

 ある種、集団に属すことに固執しない生徒の集まりみたいになっている気がするのだが気のせいだろうか。

 

 釣り銭を受け取り彼らの元へと歩み寄ると、同じ制服に身を包んだ生徒達の集団の最後尾に着く。

 

「一躍、嫌われ者の道を歩み始めた修学旅行のご感想は?」


「……」


 綺羅坂は毒々しい言葉で問うてきた。

 回りくどい言い方ではなく直球なのが実に彼女らしい聞き方だ。

 

 それに慣れている雫と優斗は苦笑し、宮下は若干申し訳なさそうな表情を浮かべる。

 

 ……こいつの発言で一喜一憂していたら身が持たないぞ。

 

 あえて、彼女らしい問い方をしているのであれば、求められた言葉で返すのが湊君スタイル。

 

 口角を僅かに上げて、ため息と苦笑をセットに小さな声音で旅行を締めくくる言葉を告げた。

 

「……二回目は是非とも個人参加で来たいものだね」


 本当に、心の底からそう思った。

 沖縄……確かに良い場所だった。

 

 気兼ねなく、自由気ままに旅することができれば貴重な体験が多く出来たことだろう。

 

 願わくば、二度目は個人参加を。

 見上げた空が青々としていて、皮肉にも俺の胸中とは正反対の空色をしていたことは、忘れないだろう。

 

 

 

 

 

 

「ということで、もう一泊ホテルを予約しておいたわ」


「どこか『ということ』なのか説明を、詳細に頼む」


 そして、この旅行で解いてはいけない楔を俺たちは解いてしまったのかもしれない。

 

 

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