第三十二話 言葉の重み9



 生徒達が夕食を終えて、自室に戻り就寝へと移りつつある中、俺はスマホを手に取り電話を掛けていた。


『もしもし、湊君どうしましたか?』


「ちょっと、頼みたいことがあってな」


 画面に表示された神崎雫が、スピーカー越しに声が聞こえてくる。

 静かな場所で花がしたいので、部屋を出て廊下を少し進んだところにある自販機まで移動した。


 そこには、二人程度が腰かけられるベンチが設置されている。

 俺は腰を落とすと、彼女に要件告げた。


「明日、朝の五時に宮下をハイキングコースに来るように伝えてもらえるか」


『ハイキングコースですか?』


 宿泊先のコテージを出て、後方に広がる自然豊かな山々。

 人気のハイキングコースが、この施設内にはあるらしい。


 学生達の起床は朝の六時、そして朝食が七時。

 他の人達が訪れるとしたら、六時過ぎの時間帯だろう。


 五時なら、人はほとんどいないはずだ。

 俺の意図を組んでくれたのか、雫は短く分かりましたと言った。


『なら、私は部屋に残って他の方が宮下さんが部屋にいないことを疑われないように、対応をしておきます』


「助かる……」


 電話越しで、見えてはいないが瞑目して小さく頭を下げる。

 勝手なことは分かっている。


 宮下は明日の空港でけじめをつけると決めていた。

 そして、今日の夕暮れ時に俺も明日が本番だろうと言ってのけた。


 だから、タイミングを強制的にでも変えることは、彼女の本意ではない。

 だが、中山の姿を見て、邪魔をされる可能性が低いのは朝のハイキングコースなのではないだろうか。


 せめて、彼女の最後の締めくくりは邪魔者なく終わらせたいものだ。



 雫との通話を終えて、ついでに飲み物を購入して部屋に戻ろうと歩みを進めていると、部屋の前で優斗が佇んでいた。


 俺に気が付き、苦笑を浮かべる。

 何か話でもあるのだろうか……


 隣で立ち止まると、壁面に背をもたれかけて並んだ。

 買った紅茶の蓋を開けてのどを潤していると、優斗は口を開く。


「さっきはごめんな、俺がもっと真剣に止めるべきだった」


「あぁ……そんなことか」


「そんなことって……」


 俺が短く言うと、優斗は少しだけ驚いたように表情を変えて、そして呆れたように溜息を零す。


 彼には重大な問題なのだろう。

 俺には、さして問題があるわけではない。


 あえて何か例をあげるとすれば、今後俺がトマト君と呼ばれてしまう可能性が濃厚ということだ。

 濃厚トマトだけに……


 でも、優斗には説明をしておいた方が良さそうか。

 こいつは曖昧な表現をして納得する人間ではない。


「いくらお前達三人がやめろと言ったところで、あの場は収まらなかったよ」


「……」


 俺個人の意見ではあるが、優斗に言う。

 適材適所という言葉があるように、生徒からの支持を集めるには彼らは最適だが、逆に支持を下げる、あの状況では騒々しい状況を静まり返らせることは俺の方が適任だ。


 優しいから、なまじ強い言葉を言えない。

 雫も拒絶の意思は示していたが、強引な生徒達に対しての対応は苦手だ。

 あの状況で、一番冷静に対応していたのは綺羅坂だろう。


 下手に言葉を告げることなく、完全なる無視をしたのは周囲にも分かりやすい意思表示となっていた。


 でも、個人の意思表示であり周囲の上がりきった熱気を収めるには、感情を違う方向へと持っていく必要がある。


 分かりやすく言えば、場の足並みを乱す人間だ。

 一人の足並みが揃わないだけで、あの手の空気は一変する。


 ノリが悪い、面倒なやつ、その他色々。

 不協和音になり、異物として認識される。


 敵役が生まれればあとは簡単だ、生徒達の核心的な部分を突き、彼らが最も嫌う偽善者のように振舞えばおのずと場は凍り付く。


 誰が嫌われ役を引き受けるのが一番適切で、かつ状況収束が早い方法を選ぶと必然的に俺になる。


 気まずくなった生徒間の空気改善は優斗が適任だ。

 雫もフォローしてくれるだろう、綺羅坂は……



 ともかく、これがあの状況での最善策だと俺は思っている。

 優斗は、あの場をすぐに修復してくれたことだろう。


 彼も自分の仕事を全うしたのだ。

 なら、謝る必要性も、謝られる必要もない。


 ただ、悪いと思ってくれているところを利用するようで申し訳ないが、一つ頼みを口にした。


「明日……朝ハイキングコースに行ってみようと思ってな、優斗も付き合え」


「分かった、付き合うよ」


 生徒達が自室に戻り、廊下には人の姿が見えない中、俺は優斗と修学旅行最後の夜に約束を交わした。



 そして、時間は過ぎ去る。

 様々な思惑や感情が渦巻く修学旅行も最終日の朝を迎える。


 まだ、生徒達が夢の中にいる朝の五時。

 制服でと思ったが、朝早くから長い時間を制服で過ごすのも面倒なので、最低限持ってきていた部屋着で外に出る。


 コテージを出たところには、優斗が待っており朝日を浴びて清々しい表情を浮かべていた。


「おはよう湊、朝の散歩に行きますか」


「ああ……行くか」


 軽く首を回し、体を伸ばしてから二人肩を並べてハイキングコースに向けて歩く。

 建物が並ぶ通路を抜け、自然が豊かな木々のトンネルを進む。


 朝の心地よい風が昨日までに感じていた鬱憤を洗い流してくれるような心地よい風だ。


 自然と、表情も明るく柔らかいものになる。


 優斗も、リラックスした様子で鼻歌を歌いながら、散歩を楽しんでいた。


 五分ほど進んだあたりだろうか。

 休憩所のように、一部引っ込んだ場所にはベンチが設置されていた。

 ここで弁当を食べれば、最高に美味しく感じそうだ……


 なんて思っていると、そこに一人の女性が佇んでいた。

 もちろん、それが誰なのかを俺は知っている。


 宮下彩だ。

 彼女も私服で木々を見上げており、こちらの足音に気が付くと振り返る。


「おはよう二人とも」


「おはよう宮下さん」


「おはよ……」


 朝の挨拶を交わし、彼女の近くへと歩み寄る。

 優斗は何も怪しんではいない。


 単純に、俺達と同じで朝のハイキングを楽しんでいると思っているのだろう。

 だから、そんな彼に段取り付けて呼び出したことを伝えるべく体を向けると、先に宮下が口を開いた。


「真良……悪いんだけど、少しあっちで待っててもらえるかな」


 彼女が指さしたのは、俺達がやってきた方向。

 他にも腰かける程度にはちょうどいい岩も点在しているので、待っているのは簡単だ。


 しかし、その口ぶりでは優斗には偶然出会い告白をするという展開にするのだろうか。

 俺が無理を言って朝に変更してもらったので本当のことは謝り説明するつもりだったのだが……



 だが、今は宮下の言葉を優先すべきだ。

 俺は頷いてから優斗に一言声を掛ける。


「あそこで待ってる……話が済んだら声を掛けてくれ」


「分かった、悪いな」


 優斗も、彼女が自分だけを近くに呼んだ理由に何か察したのだろう。

 俺に一言告げると、表情には真剣味が増す。



 俺が少し離れて、だが会話は耳に届く距離で岩に腰掛けると二人は向かい合う。

 視線の先に意識を集中させていると、俺の隣に腰掛けた女性に気が付かなかった。


「おはよう真良君」


「……気配を消して近寄るのやめてもらえる?」


「女性の嗜みよ」


 どんな嗜みなんですかね。

 暗殺能力にでも長けている人の嗜みに思えてしまうのですが、その辺はどうなんでしょうか。


 綺羅坂に向けた疑心暗鬼の瞳も、軽快にスルーされて彼女は視線を前に向ける。

 

「神崎さんは部屋で他の生徒達に怪しまれないように待っているわ、私なら大丈夫だからとここに行けと言われたの」


「左様ですか……」


 協力をしてくれた二人には、この結果がどうなるのかを見届ける権利がある。

 本来なら、雫もそうしたかったのだろう。


 だが、面倒な役割を引き受けてくれたのには感謝しなくては。

 綺羅坂に向けた視線を、再び宮下と優斗に向けて展開を見届ける。


 ちょうど、宮下が口を開く直前だった。



「荻原君に伝えたいことがあるの……聞いてもらえるかな?」


「もちろん、何かな?」


 優斗は背を向けているので、宮下の表情しかここからでは視認できない。

 だが、たぶん彼は微笑を浮かべているのだろう。


 完璧に、皆が求める理想の王子様としての風貌を忠実に再現している。

 皆が憧れ、皆が慕う。


 だからこそ、皆の荻原優斗という目には見えない拘束をされている。

 雫に優斗が告白した後、本来なら何かが変わるはずだった。


 いや、変わらなければならなかった。

 でも、優斗はこれまで通りの振る舞いをして、雫も彼への配慮から今までと変わらず仲の良いクラスメイトとして接してきた。


 一度決別をしたはずの関係性が、曖昧な状況へと踏み入れてしまった。

 

 その、負の関係性に一石を投じることが出来るのか。

 宮下の一言一句に耳を澄ませる。


「荻原君のことが好きです! 付き合ってくださいっ!」


 宮下は顔を赤面させて想いを言い放つ。

 握った腕は振るえ、緊張と不安が彼女を襲っていることだろう。


 優斗も、宮下の言葉を聞いた瞬間、僅かに肩を震わせた。

 一体、どんな顔をしているのだろうか。


「なぜ人は告白するのかしらね」


 隣で綺羅坂が一連の光景を見て呟いた。

 純粋な問いかけに、俺は自分なりの言葉で紡ぐ。


「友達とは、恋人とは……家族と違い示すものはない、だから言葉が欲しい。互いが同じ想いで繋がっていると確信したいんだと思う」


「言葉……」


 目に見えないから、何もないから。 

 だから人は言葉にして言質を取る、自分たちは共通の認識の相手であると周囲に示すために。


 人の繋がりは非常に脆い。

 一瞬のすれ違いで、一生道が交わることはなくなることだってある。


 なら、話をしなければいいのか。

 それは孤独だ。人は孤独では生きていけない。


 今、宮下が優斗に告げたのは、そんな目に見えない脆い関係性を明確にし強固にしたいから。

 自分にとって、彼は特別な人であると確信したいから。

 俺には、そんな風に思えてしまった。



 宮下が告げた想いに、優斗は少しの間を置いた。

 視線は僅かに下に向き、ゆっくりと上げられる。


「ごめん……今は宮下さんの気持ちに答えられない」


「……そ、そっか」


 優斗の出した結果は、当初の予想と同じだった。

 宮下も、それは承知の上での行動だ。優斗を責めることなど誰にもできない。してはいけない。


 だが、それでも彼女にとっては大事な告白だったのだ、表情には影が混じる。

 すぐに立ち去りそうなほど、落ち込む宮下に優斗は続けて口を開く。


「好きな人がいたんだ……告白してフラれて、気持ちは晴れたと思っていたのに女々しく今でも目で追っている」


 優斗が告げている人物は、俺と綺羅坂だけでなく宮下も心当たりがあったようだ。

 優斗のことを本当に好きなら、彼を目で追っていたのならその視線の先にいる女性には自然と気が付いてしまう。


 でも、優斗のいうように二人の間には答えが出ている。

 だからこそ、宮下は大きな一歩を踏み出したのだ。


「そうだね本当に女々しい……でも正直に話してくれて嬉しいかな」


 宮下は上げた瞳で優斗を見据え、小さな声量で呟く。

 断られた瞬間の悲観に満ちた表情は、少しだけ希望が見える。


「なら、荻原君の視線がその女の子から私に変わるように、頑張るね」


 決意と覚悟を決めた言葉は、俺達を含めた三人の耳にしっかりと届いた。

 雫と似たように、追い続けると宣言した姿に優斗はたじろぐ。


「ねえ荻原君、一緒にハイキングコースでも歩かない?」


 問いかけの答えも聞く前に、構いもしないと宮下は優斗の手を取りハイキングコースの先に進む。

 去り際に、視線をこちらに向けて微笑んだ彼女に小さく頷いた。


 告白が断られるのは分かっていたこと、ならそこで諦めるか否か。

 宮下には諦めない強さがある。


 諦めが悪く、意外に腹黒い。

 荻原優斗がこれから手を焼くことは間違いないだろうが、良い人ぶってニコニコ製造機をしているよりかマシだ。


 宮下に手を引かれ、慌てる姿をしっかりと見届けてニヤりと口角を上げて眺めていた。




「さて……俺達の役割も終わったし戻るか」


 二人の姿が見えなくなり、俺も腰を上げて綺羅坂に告げた。

 隣の彼女は今も二人が佇んでいた場所に視線を向けている。


 真剣に、顎に手を添えて思案顔を浮かべる。

 

「私も言葉にしてみようかしら……」


 小さく呟いたセリフは、意味までを理解するには情報が不足していた。

 呟くと綺羅坂はこちらを見上げる。


 岩に腰掛けた姿で見据えられて、何かと首を捻る。


「どうし―――」


「あなたが好きよ」


 普段、冷たい瞳には温かみがあり、木々の間から照らされる光で彼女の黒髪は輝く。

 幻想的なまでに美しい姿で、小さな口から告げられた言葉は非常に大きな意味を成していた。


 予想もしていないタイミングでの、突然の告白だった。


 驚愕し、体は石にでもなったかのように動かない。

 そんな反応に彼女は含みのある微笑を浮かべ、楽しそうにこちらを見据えていた。


 立ち上がり、目の前にまで歩み寄ると白い指で頬を撫でて言った。


「あなたが好き……誰にも渡さないわ」


 短く告げ、綺羅坂は優雅に鼻歌を歌いながらコテージへの道を進み始めた。

 


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